2013年9月のひとり言

2013年9月30日(月)

秋の気配が漂ってきました。
山あいの金立や春日で柿が色づきはじめているのに気が付きました。
あれ、もうこんな季節かと思いました。
選挙の投票まであと20日、
季節は秋でも私の気持ちは燃え上がって熱いままです。

この週末、寸暇をぬって走りまわる忙しさでした。
おとといの土曜日(28日)
佐賀市の総合防災訓練がありました。

地震による市街地での大きな被害を想定しての訓練で、
避難訓練に地元の人たち1000人近くが参加されたほか、
消防団、自治会、警察、自衛隊、行政機関、電気、通信、ガス、
応援協定を結んでいる土木建設会社など、あらゆる機関が参加しました。

参加された方々に感謝しますが、
駐車場を訓練会場に提供してくださった、夢タウンにもお礼を申し上げます。
大型商業施設には駐車場は命ですが、
お客さんの多い土曜日に快く貸してくださいました。

残念に思ったのは佐賀県に防災ヘリコプターが無いことです。
おとといは長崎県の防災ヘリが飛んできましたが、
全国の都道府県で防災ヘリを持たないのは、佐賀県と沖縄県だけです。
災害で道路が寸断されたとき、頼りになるのはヘリコプターです。
早く整備して欲しいものです。

 

防災訓練のあと国保会館の竣工式にでました。
街の活性化の為に中心市街地に移ってもらいました。
建物の入り口が商店街に向いていないと苦情が寄せられましたが、
国保連合会の事情もあり、誘致した市としては、強く言えませんでした。

午後からは、佐賀大学と佐賀医科大学が統合して10周年の
記念式に出席しました。

夜は、若楠と神野の2カ所で開かれた
後援会主催の「市長を囲む会」に出ました。
大勢の方が私の市政報告に耳を傾けてくださいました。

このあと会議にも出席して、夕食は深夜の12時近くになりました。
寸暇をぬっての日程が続きましたが、
土曜日の、いつもならくつろぐ時間に集まってくださった方々や、
囲む会の準備をしてくださった後援会の方々にお礼を申し上げます。
またいつも私に寄り添って支えてくれている妻にも感謝します。

きのうの日曜日も慌しい1日でした。
私の住む本庄の西寺小路の河川清掃の日でしたが、
朝の内、他に出かけなくてはならないところがあったので、
私は金曜日の早朝、まだ暗い内の5時から川に入って掃除をしました。
きのうの朝は、掃除道具は私の家に届くので、
7時から弟と一緒に道具を班ごとに仕分けした後、出かけました。

 

きのうは小雨模様の中、各地で運動会が行われていましたので、
主催した方々の労をねぎらったあと、
東与賀の干潟の、ラムサール登録を目指すシンポジュウムに出ました。

シンポジュウムは、NPO法人の「有明海ぐるりんネット」と
環境庁が開いたもので、
水鳥の育つ湿地や干潟を守る研究や運動をしている人たちが
北海道など全国各地から集まって来られました。

有明海の東与賀干潟は、水鳥が多く生息している貴重な干潟です。
湿地帯や干潟などは開発行為が容易なので、
世界各地で水鳥の棲む環境が失われています。
多くの人たちにラムサールを知ってもらい、
ふるさとの自然環境を後世に残してゆきたいと思います。

日曜日の昨夜も富士町で「市長を囲む会」が開かれ、
大勢の方が集まってくださいました。
自宅に帰ったのは深夜になりましたが、
多くの方々に支えられているので、私は気力体力とも充実しています。

きのう、公園の清掃をしておられる人たちの激励に行くと、
地区内で多くの犬を飼っている人がいて、
犬の吠える声と悪臭に苦しんでいるので何とかして欲しいと要望されました。

ずっと以前から問題になっていて、
犬の数は20頭くらいと思われますが、正確な数も分かっていません。
ペットの飼育指導は、県の仕事ですが
佐賀県は「犬を飼う権利もあるので」と、対応が消極的です。

ペットを飼う権利も大切ですが
地域の人たちが迷惑を受けることなく幸せに住む権利も大切です。
地域の人たちを守るのは佐賀市の仕事ですので、
問題が解決しないなら、条例を制定することも検討します。

今週もまた、走り回る1週間になりそうです。

2013年9月24日(火)

先日古湯映画祭の会場を出たとき、ツクツクボウシの声を聞きました。
富士町の山あいが、黄昏迫るころで、
選挙前に走り回って張りつめている心が、ふと静寂に包まれました。
静かな山あいの映画祭が、セミの声に耳を傾ける余裕を与えてくれたようです。

先週の金曜日(20日)
佐賀新聞社主催の金婚さんの表彰式に出ました。
午前と午後、2回行われた表彰式で合わせて200組余りが表彰されました。
200組400人の方々の人生は、決して平坦ではなかったはずですが、
50年の大きな山を夫婦そろって元気に迎えられたことを共に喜びました。

夫婦で歩んで来た50年の人生をふり返る、祝いの詩吟を聞きながら、
私は妻との結婚生活に想いを馳せました。
私たち夫婦は、まだ42年の歴史しかありませんが、
カミさんには、市長の妻として8年間負担をかけてきましたので、
50年分の苦労をさせたようです。

今、選挙を前に走り回る日々で、
妻の睡眠時間は私より2時間少ないのですが、
愚痴も言わずに私と家族を支えてくれています。
最近3人目の孫が産まれ、家が明るくなっていますが、
喜びは夫婦で共有し、苦労は妻に多くかけてきたような気がします。
私たちも金婚式を、そろって元気に仲良く迎えられるよう、
妻を労わって行きたいと思っています。

金婚式

敬老会はまだ続いています。
最近の敬老会は会場が一杯になるところが多いようです。
4~5年前までは、校区ごとに1ヵ所の体育館に収まっていましたが、
最近は町内会ごとにしないと会場があふれるところもあります。

元気な高齢者が増え喜ばしいことです。
お年寄りが元気に外出するためには、足の確保が必要です。
市営バスにワンコイン100円で乗ることのできるシルバーパスを
70才から利用できるようにしたいと思います。

おとといの日曜日(22日)は長い1日でした。
町民体育大会6カ所を回ったほか、
身体障がい者の大会、敬老会に参加して、
古湯映画祭ではゲストの映画監督にお会いしました。
この他、市議の事務所開きや市長を囲む会に出るなど、
朝から晩まで走り回りました。

  

きのうの秋分の日、
「ほんなもんぼ体験学習」に参加しました。
本物を体験しようという会で、
若い親と子ども達が、6月に手植えした米の稲刈りを行い、
私も市長になって稲刈りをしていなかったので、
7年ぶりに稲刈りを体験しました。

主催者のリーダーの方が、
「2粒の米が、お茶碗1杯のご飯に育つのです」と
米1粒の大切さを参加者に話された後、稲刈りが始まりました。

みんな稲刈りは夢中になってするのですが、
田んぼのあちこちに落ちている稲穂を拾うのは、
主催者の方と私の2人だけで、みんな無関心です。
稲穂を平気で踏みつける親子もいました。
2粒の米が茶碗1杯のご飯になるという話は、
若い親子の頭から消えてしまっているようでした。

どこかの県知事が、学力の低い学校の校長名を公表すると発言して批判され、
今度は学力テストの上位の学校の校長名を公表しました。
学力の前に、食べ物を大切にすることを教えるのが先でしょう。
日ごろから食べ物を大切にする心を、
教育現場と家庭で育てる必要があるでしょう。

後援会主催の「市長を囲む会」を各地で開いています。
稲刈りに忙しい時期ですが、多くの人が集まってくださっています。

市長選挙のマニフェストも発表して
選挙ムードが高まっていますが、
次第に誹謗中傷を受けるようになっています。
そんな中で陰湿なのが、ささやきとつぶやきです。

「ここだけの話ですが・・・・」と小さな声で前置きして、
私を支援してくれる人を名指しして
「あの人は他の陣営にも出入りしているので大切な話をしてはダメよ」
などとつぶやいて、仲間どうしを疑心暗鬼にさせる作戦です。
私の陣営では、そんな卑劣なことはしません。
正々堂々と政策を訴えていくつもりです。

市議会はあす(25日)までですが、
今週も公務が詰まっていて自分の時間は持てないようです。
週末は、私の住む地域の川掃除があります。
川掃除の日に公務があると、前日1人で川に入って、
地域の住民としての仕事をしますが、今回は前日も公務が入っています。
地域の行事と公務の板挟みに苦しみそうです。

2013年9月20日(金)

きょう(20日)は彼岸の入りです。
彼岸花が一気に咲きはじめ土手や畑を赤や薄いピンクの花が彩っています。
今年はまだ暑いものの、彼岸になると秋を忘れずに咲いてくれます。

彼岸花と同じころ咲くのがニラの花です。
今朝、ウコッケイにエサをやるとき、青菜の代わりにニラを摘もうとして、
白い線香花火のような花が咲いているのに気付きました。
よく見るとニラも清楚で美しい花です。

このところ敬老の祝いに呼ばれる機会が増えています。
佐賀市の100才以上の方は166人で、
最高齢は108才の中地シゲヨさんです。
2年前は赤松の自宅でお会いしましたが今年は老人福祉施設でお会いしました。
とてもお元気で、まだ当分の間、最高齢の位置を維持されるでしょう。

お年寄りと言っても、60代で福祉施設のサービスを受ける人もいれば、
80代で地域の清掃活動などのボランティアをしておられる方もいます。
家にこもらずに外に出て、無理のない程度のボランティアをして、
食事も美味しく食べられる高齢者が増えることを願っています。
敬老の行事は今週末まで続きます。

 

元気が出る話です。
佐賀市の三重津海軍所跡が世界遺産に向けて一歩前進しました。
九州、山口、静岡、岩手の8つの県にまたがる28の文化遺産が
「明治日本の産業革命遺産」として
世界文化遺産に国から推薦されることになりました。
三重津海軍所跡は28の遺産のひとつで、全体の28分の1です。

来年イコモスの現地調査が行われ
世界遺産決定までにはまだ大きなハードルがありますが、
国による推薦決定はひとつの山を越えたことになります。

三重津海軍所は、
佐賀藩が幕末に海軍技術の教練の場として設け、
ここで日本初の本格的蒸気船「凌風丸」を建造しました。
佐賀藩は並行して艦船の購入を進めて国内屈指の海軍力を持ち、
倒幕に大きな役割を果たしました。

三重津海軍所跡の遺構は調査のあと埋め戻されましたので、
海軍所の姿を思い浮かべることの出来る模型などの設置を検討します。
そして市民に、先人の残した文化遺産と
その精神を知ってもらいたいと思っています。

もうひとつ佐賀市が元気になる話しです。
佐賀市はミドリムシなどを使ったバイオ燃料つくりを研究していますが、
明るいニュースとして来月はじめに発表できる見通しになりました。
乞うご期待です。

9月市議会は25日までです。
議会が終わると、議員の皆さんは
市議会議員選挙に向けて、一斉に走り出されます。

9月も下旬に入り週末には稲刈りもはじまります。
秋祭り、運動会、文化祭など、秋の行事が続きますが、
夏の猛暑で疲れがでるころでもあります。
体調に気を配りながら秋を楽しんでください。

2013年9月12日(木)

「秀島は何もしていない」という中傷にいつまでも黙しておられないと、
前回、このブログを更新したとき、
佐賀市の懸案だったゴミ処理の統合を成し遂げたことについて、
職員の手記を紹介させていただきました。

ブログを読んだ方から、
「他の地域のゴミは入れないという地元との協定があるので、
ゴミ処理の統合は無理と思っていた。
どうして地元の理解が得られたのか不思議だったが、
市長が144軒1軒1軒を回って、お願いしたとは知らなかった」
という声が寄せられました。

私は市長として当たり前のことをしたと思って、
あえて人に話したことはありませんでしたが、
声を寄せてくださった方は、
「少しは宣伝しなさい、市民は分かっていませんよ」と言われました。

私は、職員を減らして人件費を年間16億2000万円削減したほか、
企業誘致によって2300人の新たな雇用を生み出し、
排水対策や、学校の改修、耐震化にも取り組みました。
たくさんのことをやりました。

目に見える仕事の他に、私が職員に求めてきたことは、
自分たちの都合で仕事をするのではなく、
市民の意向に従って仕事をすることです。
市民から要望があったとき、「やれない」ではなく、
「どうしたらやれるか」を考えることを求めました。
私の意思は、まだ末端まで届いていないところもありますが、
職員の目線が市民に向いてきたことを感じることもありました。

福島原発から佐賀市に避難してきた方が、
東北の地方新聞社に投書された記事をここに再録させていただきます。

 

「佐賀発ひなん通信・佐賀市の被害者対策」

3月15日、福島原発が爆発したとの報を受けて、
病後の母とともに福島空港から臨時便で羽田に脱出し、
その後、大阪にたどり着いた。

大阪府と大阪市に住宅の件で問い合わせてみた。
どちらも、罹災証明書を提出せ、それがなければ受け付けないということだ。
いわき市(福島県)に罹災証明書の発行を求めたところ、
災害対策で手いっぱいで発行できないとのことだ。
考えてみればもっとも話である。

行き場を失い途方にくれる中、母の実家のある佐賀の従兄たちから
たいそう心配しているとの電話をもらった。
いわきにいるとき、電話が不通で所在の確認ができなかったのだ。
窮地を訴え、佐賀県と佐賀市の被災者対策の連絡先を教わった。

佐賀県もやはり罹災証明書を求めてきた。
だが佐賀市の担当者は違っていた。
「あなたを信用するから罹災証明書は必要ない、
用意できる佐賀市の市営住宅は9戸です。
早いもの勝ちですから、今この電話で入居を決めてください」
気が付いたら吸い込まれるように佐賀に向かっていた。

佐賀市役所での入居の手続きも素晴らしいものだった。
母が心臓の持病をかかえ、介護認定を受けていることで、
各般の行政サービスを必要としていた。
医療、保険、介護など手続きも多岐にわたり、面倒になると覚悟していた。
だが、佐賀市役所では、関連部署の職員を一同に集めていて、
1回で全ての手続きを完了したので。

その後も一貫して用意周到な支援対策が続いた。
佐賀での至れり尽くせりの行政対応に驚くと同時に、
地方自治のあるべき姿の先駆けに思えた。


・・・大震災、未曽有の混乱の中での被災者と佐賀市の担当者のやりとりです。
臨機応変の対応に市民の立場にたった職員が育ってきていることを実感します。
 

2013年9月10日(火)

昨夜、久保泉に行くと、
コオロギなどの秋の虫の鳴き声が聞こえてきました。
先日までのセミの大合唱では汗が吹きだすような気分になりましたが。
秋の草原音楽会は心まで涼やかになります。

しかし、暗闇に目をこらして見ると、
草むらの傍に空き家があり、庭も草むらになっていました。
市街地でも空き地や空き家が増えて
今後の行政の課題になってきそうです。

先週、佐賀県北部連合尚武会の剣道の演武大会が開かれました。
この大会は今年が83回目の大会ということです。
三瀬の寺田清臣7段と佐賀の大麻勇次10段などが
山寄りに住む若者たちに呼びかけて大正12年から始めたそうです。

佐賀県の三瀬、富士、大和、神埼などの山間部は剣道が盛んで、
先日も三瀬中学の剣道部の女子が全国大会で3位、
男子が九州大会で優勝したという報告を受けたばかりです。
三瀬中学は、3学年合わせて男女共わずか20数人しかいません。
どうしてこんなに強いのか、不思議でしたが、
現在の指導者の努力の他に先輩たちが残した伝統が基礎にあるのでしょう。

 

7日(土)は
中国の在日特命全権大使の程永華さんが佐賀に来られました。
有田の焼き物と徐福に関心があるようで、
金立の徐福長寿館でお会いしました。

徐福は今から2200年前、
日本が縄文時代から弥生時代に変わるころ、
不老不死の薬を求めて3000人を引き連れて日本を目指したと言われ、
佐賀では諸富に上陸して金立にたどり着いたと言われています。

はるか昔から続く、日中の文化交流は深めていかなくてはなりませんが、
程大使は、佐賀に来られる予定だったのを
尖閣問題で二度ドタキャンされ、三度目の正直で佐賀に来られました。
私が「近くて遠い日中間は、犬やニワトリの声が聞こえるほど
近くしなければなりません」というと、笑っておられました。

 

同じ7日(土)の午後
兵庫校区の地域座談会に出席させていただきました。
地域座談会は、同じ校区に住む人たちが意見を出し合って、
地域の特性を生かした街づくりをしようと3年前に始めました。
これまでに32校区の内16校区で座談会が開かれています。

兵庫の座談会には70人もの方が集まって、
10班に分かれて、兵庫の街づくりや行事の在り方などで
熱心に話しあっておられました。
こうした座談会は、同じ地域に住みながら、声を交わしたこともない
異業種の人の交流の場になるほか、地域の絆を強めることになります。

新聞社や放送局などの他、
さまざまな団体からアンケートが寄せられてきています。
質問の中には、要望事項が含まれているものもあります。
要望にお応えしたいのですが、
全てを受け入れるとバラマキになってしまいます。

財政事情の他、制度上の問題もあって、
誠実にお答えしようとすると、期待に応えられないものもあります。
現職ですから、事情がよく分かっているだけに、
アンケートにどう答えるか結構悩んでいます。

最近中傷され、嫌な思いをすることがあります。
そのひとつが「秀島は何もしていない」です。
私は、多くの実績を残しました。
しかし、市長としてやるのは当たり前ですので、
あれをした、これをしたと宣伝してきませんでした。

何もしていないと言われるのは心外ですので、
きょうは、ひとつだけ紹介させていただきます。
自分で自分を持ち上げるのは性分にあいませんので、
ある職員の手記を掲載させていただきます。

 

清掃工場職員の回想、

いつも、その人はまっすぐに進んできた。
姑息なことは考えず、真っ正面に、ひたむきに。
その人柄を表す象徴的なエピソードがある。
それは平成21年の12月22日の夜のこと。
その日は寒冷前線の影響で特に寒かった。

2年前の市町村合併に伴い、
新たに編入した久保田町のゴミについて、佐賀市の当該職員は苦悩していた。
佐賀市の清掃工場に隣接する高木瀬の平尾地区と、旧佐賀市の間で、
これ以上のゴミを受け入れないとする協定が過去に結んであったからだ。

「今夜は特別に寒か、さ、そいぎ行こうか」
その夜、現場の職員達は、当該地区の1軒1軒を、
説明を兼ねてお願いに回る予定だった。
ところが本庁から電話があり、秀島市長が今から来るという。
「現在の状況報告を聞きに来られるのか?、それとも陣中見舞いか」と
職員達がいぶかしがっている間もなく、秀島市長がやってきた。

「さあ、平尾地区の皆さんのところに一緒に行こうやっかい!」
市長の言葉に、職員達があっけにとられる。
こういう地域住民への説明は現場の仕事でトップが出てくることはまずない。
まして訪問する家は144軒。
若いものでも、心折れるような職務内容だ。
職員が難色を示しても市長の意思は固い。

「よし、では回りましょう!」
秀島市長を先頭に、144軒を歩いて回った。
秀島市長は、氷点下近くまで下がった寒さをものともせず、コートを脱ぎ、
1軒1軒頭を下げてお詫びし、状況を丁寧に説明していく。
案の定、地区の人々の反応は最初厳しいものだった。
協定書があったのだから無理もない。

しかし、市長には信念があった。
「合併した地区の新しい住民も佐賀市の住民に変わりがない。
全ての住民の安心と生活を守るのが私の仕事、
そのために、わかってもらうまで丁寧にお話しをする。
そうすれば必ず周辺住民の皆さんにわかっていただけるはず」

対する平尾地区の皆さんも秀島に負けず立派だった。
寒い中やってきた市長に敬意を表し、
徐々に市長の声に耳を傾けてくれる住民の皆さん、
次第に軋轢や不信感も消え、歩み寄ろうとする心と心の交流が見えてきた。
翌23日までの地区行脚が終わったのは夜もだいぶ更けた頃だった。

このときの行脚は平尾地区の市民の皆さんの心を動かし、
翌22年には、地区の皆さまと合意調印が行われた。
この時の平尾地区の皆さまへの感謝の気持ちを
秀島は一生忘れないと、今も語る。

あの夜、職員の先頭に立って、誰よりも先に玄関へ向かっていった市長の姿に、
佐賀市政の取り組みが象徴されている。
目立たず、騒がず、決して手柄を自分のもののように言わない秀島敏行市長だ。

・・・・・職員の回想記を掲載させていただきました。
合併した佐賀市のゴミ処理の統廃合は佐賀市の大きな課題でした。
ゴミを佐賀市の清掃工場に集めて処理することで、
燃やすだけだったゴミを発電に利用することが出来るようになります。
3つの古いゴミ処理場を建て替える費用82億円を節減できます。

以前の佐賀市と地元との協定があるだけに、統合は大変難しい問題でした。
現場の職員の懸命の説明と
平尾地区の人たちの理解で統合することができました。
協定調印のとき、感激で涙する職員もいました。

この他、下水処理も統合することができました。
迷惑施設と呼ばれる下水やゴミ処理場から新しいエネルギーや堆肥を作り出し、
処理水を有明海の再生に役立てる取り組みもしています。

今週は議会は委員会です。
議場に缶詰にはなりませんが、待機しています。

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