2012年10~12月のぼやき

2012年12月

2012年12月25日(火)

3女の聡子が結婚しました。
これまでも嬉しくて話したかったのですが、
娘が「人に言うなと」というので我慢していました。
結婚式を終えたので解禁、初めてこのブログに書くことにしました。

聡子が結婚したのは、12年間付き合ってきた「みっちゃん」です。
長い交際でしたので私たちの家族ともすっかり馴染んでいます。
静かで優しい青年です。

結婚式のあるきのうの朝、
娘は立ったまま夫と私に、
「これまでお世話になりました。ありがとうございました」と言いました。
映画で見るような三つ指ついての挨拶は照れ臭かったのでしょう。
さりげなく言ってくれたので私も泣かないで済みました。

結婚式は聡子の勤め先の「グランデはがくれ」で
双方の親戚だけ30人ほどでしました。
夫はバージンロードを娘と歩くときから、うるうるとしていたようです。

披露宴で聡子が両親への手紙を読みました。
「お母さんは1日中立ちっぱなしで家族のために働いてくれました。
いつも栄養に気を配ったお母さんの料理で育った私は幸せでした。
私はみっちゃんと幸せな家庭を築きますので、
お母さんとお父さんもいつまでも元気で2人の晩酌を楽しんでください」と時々声を詰まらせながら読むと、私も夫も涙が止まりませんでした。

夫は「金婚式を迎える50年後の今月今夜、
お互いに一緒になって良かったと思える夫婦になってほしい」と挨拶したとき、
50年後を2062年と言うべきところを1962年と言っていました。
余程緊張したのでしょう。

聡子が可愛がっているわが家の犬のマックスは、みっちゃんになついています。
2人は私たちの家のすぐ近くに住んで、
マックスの散歩をさせてくれるそうです。
2人が近所に住むので、私は娘を嫁に出したのではなく、
息子が1人増えたという感じなのですが、
みっちゃんのお母さんは、結婚式で号泣しておられました。
なんだか、申し訳ないような気がしました。

聡子は、掃除や片付けはきちんとしますが、料理が少し苦手です。
近所に住むので、料理を差し入れたくなるでしょうが、
出来るだけ我慢して、持って行かないようにします。
でも早くも私の決意は鈍り、赤飯などの差し入れをしています。

3女が結婚して家を出たので、
今朝は寂しい朝のはずですが、賑やかな朝でした。
横浜の次女夫妻と2人の孫が帰ってきているからです。
孫たちは結婚式に出るために22日に帰ってきました。

夫は、今朝も5時20分に起きて、ラジオ体操に行きましたが、
小学4年生の晴輝は、夫に付いて行きました。
しばらく見ない間に大きくなりました。
以前のように「おばあちゃん、おばあちゃん」と寄ってこなくなりました。
少し寂しいような気もしますが、孫の順調な成長を喜びましょう。

夫はいつものように市役所にバスで出勤しました。
娘の結婚式を無事終えたので、晴れ晴れと元気に出て行きました。
私もいつものように、夫に弁当を持たせて見送りました。
結婚式の翌日、もうわが家は平常に戻っています。

先日、山あいに住む人に会いに行ったとき、
大和で干し柿のカーテンを見つけました。
見事な干し柿に、柿の皮をひとつひとつむく農家の忍耐深さを思いました。
訪ねた友人は、「私も昔は柿むきをしました」とおっしゃっていました。
大和の松梅の人は、みんな柿むき名人のようです。

私のブログも今年はこれが最後です。
1年の締めくくりに、娘の結婚を報告できたのは幸いでした。
今年いっぱいお世話になりました。皆さま、よいお年を。

2012年12月17日(月)

玄関先のナンテンの実が赤く染まりはじめました。
今年は急に寒くなったためか、例年より鮮やかな赤い色です。
ナンテンは寒い地方ほど色が鮮やかなので、
正月には山間に住む方が下さるナンテンを飾っています。
玄関先のナンテンはそのままにして、飾るのは山のナンテンにします。
今年もナンテンを頂けると勝手に思い込んでいます。

娘が誕生祝に頂いたバラを玄関に飾っていましたが、
枯れかけてきたためシクラメンに替えました。
ますますクリスマスモードになってきました。

昨夜、選挙の開票速報を見ていたため寝たのは午前2時を過ぎました。
今朝、夫はいつもより遅く6時に起きましたが、
私も起きてみると6時40分で、大慌てで朝ごはんの用意をしました。
幸い夫の弁当が要らなかったのでなんとか無事に送り出すことが出来ました。

選挙は予想通りの結果でした。
民主党が、たくさんの約束をしたので、国民の期待を裏切ったのでしょう。
出来ることだけ約束すれば良かったのにと思います。

先週の木曜日に、福岡県の〝ささぐりさん〟にお参りに行きました。
本庄の卓球友達の仲良しグループで、毎年ささぐりさんにお参りして、
1年の無事に感謝し翌年の健康などをお願いしています。
5人で行きましたが、内2人はご夫婦です。
お2人は、佐賀とハワイを3ヶ月ごとに行き来して暮らしておられますが、
そろそろ佐賀に戻って、友達の輪の中で暮らして欲しいと思います。

夫は土曜日に歯の治療を受けました。
歯医者さんは近所にたくさんありますが、
夫は佐賀市立の診療所を黒字にしたいので、
わざわざ三瀬診療所まで出かけて治療を受けます。

医大から来られたお医者さんに、新技術での治療を受けたようで、
お酒は出血を誘発するので飲まないようにと言われたそうです。
夫は毎日お酒を飲みますので、その日元気がありませんでした。
酒を飲まないので便秘になったと言いますが、そんなことあるのでしょうか。
痛み止めなどの薬のせいではないでしょうか。

年が押し詰まってきたきのうの日曜日、
夫と私の5人の兄姉に、佐賀の故郷便を送りました。
毎年、海苔、お米、みかんのセットを送っています。
東京や山陰などの遠くにすむ兄姉に故郷を思い出して欲しいからです。

きのうは、投票をしたあと年末の大掃除をしました。
私は、倉庫の整理、夫はサッシの窓と網戸を洗いました。
今年は暮れが押し詰まったころ忙しい行事があるので、
正月準備を急いでいます。
大掃除のあと、熊の川温泉に浸かりました。
ぬるい風呂にゆっくり入って、掃除の疲れをとりました。

横浜の孫たちが、22日に帰ってきます。
1月1日に横浜に戻ります。
正月をゆっくり過ごして欲しいのですが
2日になると、チケットが高くなるそうです。
11日間滞在してくれるので、その間孫たちとの楽しい日々にします。

2012年12月10日(月)

今朝はこの冬1番の寒さだったでしょう。
水溜まりやバケツの中に薄く氷が張っていました。
車庫の外の車のフロントガラスもガチガチに凍っていました。
そんなに寒くても、夫はいつものように5時過ぎに起きて、
ラジオ体操とマックスの散歩に行きました。元気で丈夫です。

庭は今花の少ないときですが、
垣根のサザンカは、大きな赤い花が艶やかに咲いています。

 

玄関も少し寂しかったのですが、
娘が誕生祝に友達から貰った花と、サンタさんなどの人形を飾り、
クリスマスバージョンになりました。
年末に帰ってくる横浜の孫が喜ぶことでしょう。

 

先週の金曜日、本庄の歩こう会に参加しました。
寒かったせいか、参加者は8人、内男性は1人だけでした。
以前は男性も多かったのですが
男性は入院する人もいて次第に少なくなっています。

歩く途中、本庄公園に皇帝ヒマワリが咲いているのが見えました。
冬でも太陽に向かって咲く皇帝ヒマワリを見ると元気が出ます。

 

歩きながらの話題は、いつも健康のことです。
ラジオ体操をしたあと、1時間半歩きますが、
週1回ではなく、毎日30分は歩きたいねと話しました。
毎朝ラジオ体操と散歩をする夫は、「一緒に歩こう」と誘ってくれますが、
夫の弁当を作るので時間がありません。妻としてはそうはいきません。

土曜日は朝の内、正月に向けての掃除をしました。
年末大掃除は、家の外は夫、中は私、娘たちは自分の部屋が担当です。
この日は台所周りを少し片づけただけに終わりました。

午後から夫と、生け花と創作家具のコラボ展に行きました。
生け花をしている人たちが、諸富の家具業界に呼び掛けたそうです。
女性は、花や家具が大好きです。女性らしい企画は成功して
会場は大勢の女性で埋まっていました。

生け花はさまざまな流派の人たちの作品が一堂に会しているので
個性のある作品を楽しむことが出来ました。
手作りの創作家具は、木の特質を生かしたテーブルや、和風食器棚など
美しく楽しい作品ばかりでした。
屋久杉の椅子に座ってみました。ぬくもりのある椅子でした。
夫も生け花と家具に惹かれてようで、会場に2時間も居ました。

 

きのうの日曜日は、夫も私も多忙でしたが、
夫は、わずかに空いた時間を利用して、家の窓の掃除をしました。
居合わせた娘が「お父さんは、本当によく働く」と
呆れるやら、感心するやらしていました。
日曜の楽しみの温泉には行けませんでした。

年賀状が刷りあがってきました。
今年も三女の聡子が見た、家族の姿になっています。
喪中による年賀の欠礼葉書が来る時期ですが、
最近は、父や母が亡くなりましたというばかりでなく、
夫や妻が亡くなったという葉書も増えています。
ご両親を失った人には、こちらからは出していましたが、
亡くなった本人に出すわけにはいきません。
今年は注意しなくてはいけません。

2012年12月3日(月)

今朝、夫は「きょうから市議会だ」と気持ちを引き締めて家を出ました。
議会中、夫は外に食事に出ることができないので、毎日弁当を持って行きます。
私も2週間近く、弁当作りに追われます。

家の南側の垣根でサザンカが咲いています。
わが家のサザンカは、白と赤がほとんどですが、ここだけはピンクの花です。
南の垣根は、白と赤のサザンカの木が枯れたので植え替えました。
植木屋さんも花がピンクとは知らなかったようです。
珍しいピンクの花が咲いたので驚いたり、喜んだりです。

 

9月に開かれた城南中学の同窓会で
長い間アメリカで暮らして、今は京都に住んでいる同窓生が、
3年生の担任だった恩師と私に
「京都に遊びに来ませんか」と誘ってくれていました。

京都に行くなら秋の終わり頃がいいなと思っていましたが、
夫が先週、東京に出張しました。
その間を利用して火曜から木曜までの2泊3日で京都に行きました。
福岡に住んでおられる児玉緑先生は、80才ですが、とてもお元気です。
京都で合流して、帰りは一緒に福岡まで戻りました。

同級生と奥様は心から歓迎してくださり、
車で京都の名所を案内してくださいました。
嵐山、渡月橋、嵯峨野を歩き、
東福寺、清水寺、知恩院、天龍寺、永観堂、高台寺などを回りました。
紅葉は見頃というか真っ盛りで、
昼の東福寺、夜のライトアップされた高台寺の紅葉は、
震えるような美しさでした。

 

同窓生夫妻にはすっかりお世話になり2泊とも家に泊めていただきました。
夫の出張より1日長く京都にいましたが、
美しい風景においしいお酒と料理、
夫や世俗のこともすっかり忘れてストレスが解消された旅でした。

 

土曜日に、夫が兵庫の収穫祭に出かけたので、
私も車で送りがてら一緒に行きました。
収穫祭では、つきたての餅や焼きイモなどが訪れた人にふるまわれ、
ナンテンやウメモドキなどを使った門松作りの体験などが行われていました。

夫は餅つきが大好きなので
さっそく杵を持って餅つきに加わっていました。
やりすぎると、首や肩が痛くなりますので、
私はハラハラしながら見ていましたが、夫には楽しい時間だったでしょう。

 

このあと、古湯で開かれる忘年会に夫を送って行きました。
途中、公衆トイレを見つけて「止めて」と言いました。
おしっこをしたいのではありません。
このところ、山間部の公園のトイレで、
水道の蛇口などの金属が盗まれているので点検したいのです。

今、ノロウイルスによる感染症が増えています。
公衆トイレは、ノロウイルスに感染する危険のある場所です。
必要がなければ入らないほうがいいのですが、
夫は公衆トイレを見つけるたびに「止まれ」と言います。
随分時間がかかって古湯に着きました。

夫は、きのうの日曜日、家の下水の汚水枡の掃除をしました。
働き者の夫は、わずかな時間でも無駄にしませんが、
こんなに早く、年末の掃除をしたのには、驚きました。

私もきょう(3日)正月を迎える準備をしました。
本庄の女性グループの、かさね会の人たちと、
正月に飾る鉢の寄せ植えをしました。
生ごみで作った堆肥を鉢に入れて、
葉ボタンやストック、シクラメンなどを使った鉢植えを作りました。

 

今年は突然寒さがきたせいか、正月準備が例年よりひと足早く進んでいます。
年末には、横浜に住む孫も帰ってきます。
いいことのありそうな、今年の年末です。

2012年11月

2012年11月26日(月)

3月に芽を出した庭の皇帝ダリアは夏の猛暑で枯れましたが、
10本の内3本から、秋になって脇芽が出ました。
茎は例年は竹ほどの太さがありますが、
ことしは脇芽なのでひょろひょろと細い茎です。

花が咲くかなと心配していましたが、
先週から大きなピンクの花が咲きはじめました。
花の大きさ、美しさは例年と同じです。
花の少ない季節なので、まさに皇帝のように庭で君臨しています。

 

各地の紅葉だよりは、そろそろ散り始めが伝えられていますが、
我が家の玄関先のカエデは、今一番美しいころです。
ここ数日の冷え込みで紅の色がいちだんと濃くなりました。

おととい、24日の土曜日は、
朝から晩まで、忙しく充実した1日でした。

朝、夫と一緒に、全国障がい者芸術・文化祭に行きました。
障がいのある人たちが描いた美術展やバリアフリー映画を見ました。
映画は「裸の島」、新藤兼人監督の作品です。
セリフのない映画で、映像と音楽、それに実音で構成されています。
目が見えない人のために、映像を紹介するナレーション、
耳が聞こえない人のために、音楽や実音を知らせる字幕が出てきます。

水のない島に、手こぎの船で水を運び、
水の入った桶を担いで坂を登って畑に水をまく夫婦の苦労や
親に言われなくても手伝いをする子どもたちが描かれています。
医者に見せることが出来ずに長男を失った母親は
水をぶちまけ、畑の野菜を引き抜き、大地を叩いて号泣します。
夫も私も、涙ボロボロでした。
夫も言っていましたが、こんな映画を子どもたちに見せたいです。

 

泣いたあとは、歓喜の渦の中にいました。
サガン鳥栖です。
対戦相手の浦和のサポーター席は真っ赤に染まり、
サガン鳥栖の席の青と、色彩も真っ二つでした。

前半の終盤1点を先取すると大歓声が上がり、
私も夫も飛び上がって周辺の知らない人とハイタッチをしました。
後半1点を取られると、しゅんとなりましたが、
サガン鳥栖の2点目のゴールが決まると、再び大歓声。
誰も席を立つ人のいない熱戦でしたが、夫と私は、
私の同窓生の講演を聞くために後ろ髪を引かれながら会場を出ました。

 

講演は佐賀市のメートプラザであり、
IT企業の取り締まりをしていた同窓生が、
これからの日本のあり方について話しました。
講演のあと、同窓生で食事することになり夫も付き合ってくれました。

食事会場の街の中心部まで、同窓生はタクシーで行きましたが、
夫はバスを乗り継いで行くといいます。
佐賀駅バスセンターでバスを乗り換え、
歩いたほうが早い、値段はタクシーのほうが安いかもしれないところを
バスに乗り、時間に遅れて皆さんを待たせました。

何としてもバスの利用者を増やしたい夫ですが
バスの中でいいことがありました。
私たちはバスで立っていましたが、後ろから女子高校生がやってきて、
1番後ろの空いた席に案内してくれました。
武雄高校の賢そうな明るい子で、バスセンターまで楽しく話しました。

サガン鳥栖の応援に行くとき、JRの車内で、立っている乗客が多いのに
前の席に足を投げ出して、人が座れないようにしていた高校生を見て、
不愉快だったので、武雄高校生の行動にほっとしました。

同窓生との食事も、昔話に花が咲いて、とても楽しいひと時でした。
土曜日は、映画に泣き、サッカーに歓喜し、高校生に怒ったり感心したり、
最後に同窓生との懐かしい交流。
朝から夜遅くまで、人生色々の1日でした。

2012年11月19日(月)

夫はきょうから東京出張、佐賀空港と我が家は近いので
同行する秘書の方が立ち寄って公用車で行くことになっていましたが、
夫は迎えを断り、普段の出勤と同じように市役所までバスで行き、
その後秘書の方と一緒にバスセンターから空港行きのバスに乗って行きました。

「市民の足」の市営バスを存続させるために
1人でも多くの利用者を増やそうと率先して市営バスを利用する夫です。
出張に向かう夫の後ろ姿を見送りながら、そっと頭を下げました。

 

先週お世話になった石垣島の方にお礼の電話をしている時、
私が「今日は寒いですね~~」と言ったら
「イヤイヤこちらはまだ皆、半そでですよ」との返事に驚きました。
暖かい沖縄に3日居て、人情味のある多くの人と出会いました。

私はこの半年近く、見たり、聞いたり、言われたりで、
精神的に参っていましたが、
島の人たちからいただいたエネルギーで元気になったようです。
皆さんありがとうございました。
もう大丈夫です。前向きに頑張りますから。

18日の日曜日午後から、夫は公務がなかったので、
私たち夫婦と友人夫婦と4人で
熊本県小国町の樹齢1000年と言われる下城の大イチョウを見に行きました。
「もう遅いよね」と言いながらも少しの望みを抱いていましたが、
枯葉1枚残っていませんでした。残念でした。
でも行く途中、小春日和の陽差しを受けたイチョウやモミジが、
黄金色に輝いていて、日本の秋の美しさに感動の声をあげました。

 

帰りに、はげの湯の露天風呂に入りました。
乳白色にブルーが混ざった神秘的な湯に浸かって
湯にけぶる涌蓋山を見ました。
山は次第に西日を浴びて、麓の紅葉が赤く染まって行きました。
先週1週間、忙しく駆け回っていた夫は疲れがとれてすっきりしていました。

 

先週、金婚式の表彰式から帰った夫が
「50年間支えあってきた夫婦の表情はみんな素晴らしかった。
俺たちも仲良く、元気に助け合おう」と言いました。
私たちは結婚41年です。あと9年です。
信頼し、尊敬しあう夫婦でいたいと思います。

2012年11月13日(火)

先週は楽しい1週間でした。
6日の火曜日に富士町で綿を栽培している人から綿の枝をいただきました。
寒くなった日だったので玄関に飾ると、
白い綿がほっこりして暖かくなりました。

翌日7日は4時半に起きました。
とても寒い朝で、厚手のスーツを着て、スカーフを巻いて家を出ました。
沖縄の宮古島で開かれた九州市長会に出る夫に同行したのです。
九州市長会は妻が同行するのが慣例になっています。
もちろん、旅費などの費用は自分で出します。

福岡から那覇へ、那覇から宮古に乗り継ぎました。
宮古の空港は滑走路が短いのか、着陸すると急ブレーキをかけ、
シートベルトが体にくい込むほどで怖かったです。

佐賀を出たときは冬の冷たさ、宮古は真夏でした。
夫は市長会の会場に、私は夫人たちが集まる別会場に直行しました。
他の市の市長夫人の多くは前日から来ておられましたが、
私たちはぎりぎりに着いたので着替える時間がなく、
厚手のスーツのままでしたので、暑いこと暑いこと。

夫たちが市長会を開いている間、
私たちは宮古市の事務局が用意してくださったバスで島を巡りました。
宮古島の体験コーナーでは、
藍染、陶芸、貝細工、郷土料理などが体験でき、私は織り物に挑戦しました。
はた織機で横糸を右から左から通してゆきますが、
1時間で15センチほどしか織ることができませんでした。

翌日の8日、夫たちと一緒の行政視察がありました。
宮古島で1番高い、標高100メートルの山の上から島を見下ろすと
海の美しさに感激の声が出そうでした。
太陽の輝き具合や角度でコバルトブルー、深い緑など
海は七色に輝いていました。

珍しい地下ダムの資料館では、
世界ではじめてという大型地下ダムの構造や地下水のメカニズムが
映像やナレーションで紹介されていました。
地下にサンゴを敷いて水を貯め、水を農地のスプリンクラーに導く構造で、
沖縄ならでの知恵に感心しました。
また太陽光発電や風力発電も見学しました。
南国の太陽や風の利用も進んでいるようです。

見学の途中に見えるサトウキビ畑も緑の厚い絨毯のようで
青い海とともに、心が癒されました。
でも農家の話を聞くと、サトウキビは1年半かけて栽培しても
1ヘクタールで15万円程度の収入ということで、厳しい現実も知りました。
宮古島では米がとれないのでお土産は米が喜ばれるそうです。

宮古島はNHKの朝の連続ドラマの「純と愛」の舞台になっているので
島をあげて観光宣伝をしていて、
観光客は増えているそうです。

夜は市長たちと合流しての懇親会がありました。
今度の市長会は、はじめ10月に開かれる予定でしたが、
台風で延期になったので、夫人の参加はいつもの半分の30人でした。
さまざまな場面で市長の妻として取るべき行動など情報交換しました。
いつもは佐賀県の関係者だけで2次会に行きますが、
ホテルを出ると店がないところだったので、2次会なしでした。

翌日、私は佐賀に帰る予定でしたが、夫たちが、市長会の終了後、
石垣島に環境問題の勉強に行くというのでついて行きました。
4年前、石垣島で市長会が開かれたとき、ミンサー織の資料館を訪ねると
館長は、新絹枝さんという方でした。
私と同じ名前の館長に、また会いたくなったのです。
夫たちが環境問題の勉強をしている間、私は資料館を訪ねました。

新絹枝さんは、名前通り織物に関わる仕事をされましたが、
私は前日宮古島で機織りをしたのが初体験で、織物と関わってきませんでした。
そんな話をすると、4年前も同じ話をしたねと、笑いあいました。
2人とも初対面のときの会話を覚えていました。

石垣島の海も輝いていました。
夫と一緒に星の砂を探しました。砂浜で星のような砂を探していると
少年少女に戻ったような気持ちになりました。

石垣島では、アザミが色鮮やかなムラサキの花をつけていました。
風が強いからでしょうか、地面を這うように咲いていました。

 

宮古でも石垣でも、朝食はテラスに出て庭を見ながら食べました。
私ははじめて海ブドウを食べ、シャキシャキした感触が大好きになりました。
夫は山盛りのゴーヤチャンプルを食べたかったようですが、
ゴーヤはシーズンはずれで残念がっていました。

 

夫と泊りがけの旅をするのは、九州市長会のときだけです。
テラスや海辺で南国の風に吹かれながら、
幸せな時間をいただいたことに感謝しました。

2012年11月5日(月)

先週、夫は毎日、早朝からバルーン会場に出かけました。
ゲストルームを訪れる協賛企業の人たちなどに挨拶したようです。
私は毎朝、夫を送りだしたあと庭をひと回りしますが、
夫が暗い内に出かけたので、庭を見る事がなく、
今朝久しぶりに庭に出ると、白いサザンカが散り始めていました。
一気に冬がやってくるのでしょうか。

夫もですが、私も先週バルーンと付き合いました。
30日の前夜祭、バスで出かけると、
バスが途中で動けなくなるほどの人出でした。
夫が向こうで開会の挨拶をしているのに、人が多くて近づけません。

100万個のLEDの豆電球が点灯されると、辺りがぱっと明るくなりました。
パレードするバルーンのバーナーの光とLEDの明かり、
どこから出て来たのかと思うほどの人の波を見て、
バルーンの季節が来たと心が躍りました。

 

31日の開会式の日、秋晴れの空を見て、
今年のバルーン大会は賑わうだろうと確信しました。
夫の開会の挨拶を聞いていると、隣りに北川副の婦人会長が居られました。
その日の会場のゴミ拾いが北川副の当番になっているというので、
7時半ごろから1時間半、私もゴミ拾いのボランティアをしました。

開会したばかりなのに、食べ物の袋などのゴミがたくさん落ちていました。
華やかなバルーン大会の陰に、いろいろなボランティアが居て、
大会が運営されていることを知りました。

2日の夜は、バルーン大会に合わせて開かれた
シチメンソウ祭りの前夜祭に行きました。
東与賀の有明海に自生するシチメンソウは、今赤く色づいて見ごろです。
ライトアップされた夜のシチメンチョウは鮮やかで幻想的です。
翌日売店で売る、ミカンの袋詰めを手伝いました。

3日は、朝からシチメンソウまつりの会場でうどんの食券を売りました。
今年はバルーンの会場とシャトルバスが運転され
これまでより、数倍の人が来られて、珍しい風景を楽しまれました。

私は「シチメンソウを育てる会」の会員です。
育てる会の人たちは日ごろから、シチメンソウの手入れや付近の掃除などの
活動をしておられますが、私はまつりの時だけの名ばかりの会員です。
それでも東与賀の人たちは「よく来てくれました」と喜んでくださるので
いつも恐縮しています。

 

3日の夜は、夫や友達4人で「街なかバル」に出かけました。
今年初めて試みる企画で、3000円の前売り券を買うと、
佐賀市の中心部の飲食店5軒をハシゴすることが出来ます。

6時半ごろ1軒目の寿司屋さんに入ったころは人が少なく、
大丈夫だろうかと思いましたが、
3軒目に入る8時過ぎになると、通りは若い人でいっぱいでした。
満員で入れない、食べ物が売り切れたという店が多く、
結局4軒しか入れませんでした。

夫は、宴会があっても2次会には、ほとんど行きません。
久し振りにハシゴ酒をしたと満足そうでした。私も楽しかったです。
女性からお酒ではなく食事メニューを増やして欲しいという声もありました。
来年はどうなるでしょう。楽しみです。

バルーン最終日のきのうもバルーン会場に足を運びました。
なんと大勢の人でしょう。でも知った人にあまり出会いません。
地元の人は毎年なので見に行かずに、県外からの人が多いようです。
佐賀を知ってもらういい機会です。
盛況だった大会を喜びました。大会関係者やボランティアの方に
心の中でお礼を言いました。

最近私は1人ぼっちで行動することが増えました。
夫を支えるのに追われて、友達に誘われても断ることが続き、
あの人は忙しいと思われるのでしょうか、お誘いが少なくなりました。
夫は週末も公務に追われて、あまり私に付き合ってくれません。

今回のバルーン大会も、1人で出かけることも多く、
家族連れで楽しそうに見ている人たちが羨ましくなりました。
そばに孫が居たら、夫が居たら、友達がいたら、などと、思ってしまいます。
秋は美しいけど寂しい季節です。気弱にぼやいてしまいました。

2012年10月

2012年10月29日(月)

夏の暑さで咲くのが遅れていた
エンゼルストランペットがぼちぼち咲きはじめました。
花の数は多くありませんが、
板の垣根の間から優しいピンクの花が私を見つめているようです。

きょう歯医者さんに行くとき、
街路樹のイチョウが黄色く色づいていました。
美しさに感動して、赤信号のとき車の中からシャッターを切りました。
最近は夏から突然冬になる感じなので短い秋を大切にしたいです。

先週の金曜日、本庄の歩こう会の参加者は、珍しく女性ばかりでした。
お城の周りを歩きましたが、話題は健康のことばかり、
しっかり歩いていつまでも元気でいようと話しました。
男性より女性のほうが元気です。男性も歩きに出てきてほしいです。

 

土日の週末、夫は駆け巡っていました。
時間刻みの日程の中で、旧古賀家で開かれていた
生け花の金子三伸先生の追悼花展だけ、私も一緒に行きました。

金子先生は夫の実家近くに住んでおられたので、
年下の夫は、若いころから可愛がってもらいました。
「生け花はいただきもの」と言われる先生の花は、
静かで自然のままという感じがします。
私は疲れたとき、先生の生け花の前に座って、
心の落ち着きを取り戻したことが何度もありました。

先生は2年前の11月に亡くなられました。
先生は、夫に会いたがっておられたそうですが、
バルーンの季節だったので、家族の方が、
夫は忙しいだろうと、連絡するのを遠慮されて、
私達が会いに行く前に亡くなられました。

追悼花展では、先生の息子さんやお弟子さんたちが、
先生の好きだった紫の葉のコリウスや、松、白い梅もどきなどで生けた花が
座敷で私を待ってくれていました。

先生の花に添えた言葉がいつも心をうちましたが、
先生の講演録「花によりそい」が出版されましたので、
毎日、1ページ1ページとめくるのが楽しみです。

土日、夫は走り回っていましたが、
日曜の午後、やっと体が空きました。
そこで、夫と2人で、熊本県の幣立神社にお参りに行きました。

私の、東京と大阪の2人の義兄が病気になりました。
また、夫の高校の同級生で、
夫がいつも相談にのってもらっていた弁護士の方の病気がよくなりません。

そこで願いごとがかなうと言われる幣立神社に、
病気の快癒をお願いに行ったのです。
何としても3人の病気が治って欲しいという思いにかきたてられ
高速で往復6時間、夫はハンドルを握り続けました。
お祓いをしてもらい、お守りをいただいて佐賀に帰るころ
真っ暗になっていました。

いよいよバルーンの季節です。
週間天気予報では曇りマークが多いようです。
天気に恵まれるといいのですが。

2012年10月22日(月)

今朝、キンモクセイの香りに誘われて庭に出ました。
くせのある香りですが、嫌いだという人はいません。
一枝折って玄関に飾りました。帰ってきた夫が喜ぶでしょう。

庭ではまだ百日草が咲いています。
100日もの長い間咲きますが、それでも彼岸ごろには枯れるのに
今年はどうしてなのでしょうか。

去年の暮れから春まで、小鳥が少ないと思っていました。
正月に飾るナンテンの実や、春のサクランボは、
すぐ小鳥に食べられていましたが、今年は食べられませんでした。
小鳥に食べられると腹が立ち、
食べられないと、小鳥が少ないのはどうしてだろうと心配していました。

秋になって、背中の羽根が紋付のような小鳥と
モズがたくさん姿をみせます。
車の屋根に落し物をするので白く汚れますが、
小鳥たちに居てくれてありがとうと言いました。

先週、夫は忙しく、夫婦でゆっくり話をする時間もありませんでした。
16日の火曜日は、朝5時過ぎには起きて、
有明海のノリの種付けを見に行きました。
有明海から上がると、すぐ三瀬の山に登ったそうです。
夜遅く帰ってくると、「きょうの山はきつかった」と言いました。
2つのコースの中で、きついコースを登ったようです。
早朝寝不足で食事もとらずに出たからでしょうか。

週の中ばは、予定されていた九州市長会が台風で延期されたので、
出席する行事もないはずなので、ゆっくりできるはずでしたが、
いつもと変わらず遅い帰宅でした。

週末の土日は、夫は、東西南北かけめぐっていました。
土曜日は、筑後川フェスタ、記念碑除幕、看護専門学校50周年、
サガン鳥栖、富士町市川の秋祭り、
日曜日は、金立のコスモス祭り、はがくれの里祭り、
鍋島のふれあい祭り、高木瀬の子ども相撲の激励、
秋の行事に追いまくられていました。

こうした行事の中で、私は富士町市川の秋祭りだけ同行しました。
夫がサガン鳥栖の試合の前半を見た後出発しましたので、
天衝舞浮立は見る事ができませんでしたが、
知り合いの家に招かれて、山の料理をごちそうになりました。

トマト、ホウレンソウ、パプリカなどの野菜を栽培している人は、
栽培に使う水や、みずみずしいうちに消費者に届けるなどにこだわり、
消費者の支持を得たそうです。
そこに、七草を13万食出荷している夫妻が居られました。
正月明けに消費者に届くように、年末年始は
アルバイトを200人余り動員して収穫するそうです。
山の年末はのんびりできるのかと思ったらとんでもない、
1週間、勝負をかけて働くそうです。

夫が植えた、わが家の畑のサツマイモを、
夫の弟が掘り出してくれました。大きいイモがあり、豊作です。
マックスに見せると、食べたそうなので、
ふかしイモにすると美味しそうに食べました。
夫はイモが大好き、収穫の秋は夫には歓喜の季節です。

10月17日は横浜に住む孫の晴輝の10歳の誕生日でした。
孫の誕生日は、いつも電話かファックスでお祝いの言葉を送ります。
私はその日、秀島後援会だよりの校正と、
今夜(22日)の秀島を囲む会の準備に追われていました。

夜、1日を振り返っているときファクスをしていないことに気づき、
急いで「冬休みに帰ってきたとき、プレゼントをするね」と
ファックスを送りました。
晴輝は寝た後で、申し訳ないことをしました。
冬休みには、プレゼントを奮発して償います。

2012年10月15日(月)

コスモスロードが消えました。
わが家の畑と隣りの空き地に
夫の弟がコスモスを植えたので、
畑の間の細い道がコスモスロードになっていました。
先週が見ごろで近所の人が足を止めて花を楽しんでいました。

しかし、近所にアパートが建設されるために、
隣りの空き地が仮道路にされ、きのうコスモスがなぎ倒されました。
家の中にいた私が、車の音がすると思って外に出ると
あっという間にコスモスロードが消えていました。

 

仮道路になることは知っていました。
業者の方も、コスモスの盛りが過ぎるまで待ってくださったのでしょうが
今朝、夫を送り出したあと現場を見ると、寂しさを感じました。
わが家の畑のコスモスはまだ健在です。
隣りの空き地も、黄花コスモスだけは仮道路からはずれて残りました。
残ったコスモスで我慢しましょう。

13日の土曜日、夫と一緒に富士町の杉山地区の秋祭りに出かけました。
杉山地区と、同じ富士町の市川の秋祭りは、
これまで同じ日に行われることが多く、
私は知り合いの多い市川に出かけて、杉山には行けませんでした。
今年は1週間ずれたので、はじめて杉山地区の秋祭りを見る事ができました。

 

杉山地区の秋祭りも、市川と同じような天衝舞浮立が奉納され、
遠来の人へのおもてなしも、市川と同様心がこもったものでした。
30軒余りのほとんどの家で、地元に伝わる山の料理が用意され、
次々に訪れる人をもてなしておられました。

私たちは2軒でごちそうになりましたが、
ワラビ、サトイモ、シイタケ、コンニャクの煮物、茹でた落花生、
合わせ酢で煮たニイモジ、それにイノシシの角煮など
夫の大好きなものばかりで、夫はお酒もいただいてご機嫌でした。
私より若い方が、どうしてこんな味を出されるのかと
驚くほどおいしかったです。
天衝舞浮立を伝承するのは男の人が中心ですが
女性たちは、山里の伝統料理を伝承しておられると思いました。

浮立の列が休憩しているとき、夫が鉦を打たせてもらいました。
鉦は大変重いそうですが、力持ちの夫は、
子どものように嬉しそうに鉦を打っていました。
ゆっくりしたかったのですが、
通夜に行くので、後ろ髪を引かれる思いで杉山をあとにしました。

杉山でトルコキキョウを栽培しておられる方から、
造花のように整ったトルコキキョウをいただき、
今、わが家の玄関を飾っています。

14日の日曜日、夫は早朝の犬の散歩を終えたあと、
川掃除をしている地区を激励するために、朝食もとらずに7時に出かけました。
掃除をしている人たちと話すたびに、川掃除の問題点を指摘されたようです。
朝の犬の散歩の途中や、夜の会合でも川掃除の話が出たそうです。
「朝から晩まで川掃除の話だった」と少しへこんでいました。

休みの日も、早朝から働く夫の健康を支えるのは私だと思っていますが、
苦情を言われて疲れた精神を支えるのも私です。
夫の心を休めるためにも、ぼやきは言うまいと思いながら
妻のぼやきを書く私です。

2012年10月9日(火)

今朝も靴を磨き、夫を送り出すため外にでると
義弟が播いた畑のコスモスが、爽やかな風と朝日を
受けながら気持ちよさそうにゆらゆら揺れていました。
そのまま家の中に戻るのは惜しい気がして、朝のひとときを
コスモスと一緒に過ごしました。

 

7日の日曜日、夫は朝早くから、あちこちの校区の体育大会
に挨拶をするため駆け回っていました。
私は地元の本庄校区の体育大会に朝の入場行進から参加しましたが
入場行進は朝が早いためか参加する人が少なく開会式が終わるころ
人がたくさん集まってきて、運動会の雰囲気になりました。

今回、私は競技は60才以上の玉入れに出ただけでしたが、
大会が終わるまで一生懸命声が変わるほど応援しました。
なぜなら、私の住む西寺小路が小・中・高対抗リレーと
町区対抗総力リレーに優勝したからです。
テントの中は歓声と拍手で大嵐が来たようでした。

 

10月の第一日曜日は本庄神社のお祭りです。
毎年これに合わせて西寺自治会のお祭りも子どもみこしや
道中おどりが行われていましたが今年は本庄校区の
体育大会と重なり中止となりました。
夜、久し振りに夫と2人で本庄神社に出かけお参りをし
舞台で踊りやカラオケがあっていたので見てきました。
顔見知りの人たちの出演だったので楽しく、ほっとする
時間を過ごしました。

8日(体育の日)の朝、夫が突然栗をむきはじめました。
あっと思いました。毎年本庄神社のお祭りの日は栗ごはんを
炊くのが我が家の恒例です。
今年は体育大会と重なり忙しかったので、どうしようかと迷って
いたのに。・・・・夫に先こされました。
毎年、私の栗ご飯を食べたくて待っている人が何人もいます。
夫が第一人者でしょう。
おいしい・・おいしいと食べてくれました。
それを見ているだけで私の心は満足です。

2012年10月2日(火)

今朝、夫を送り出したあと空を見上げると、
雲ひとつない日本晴れでした。
背伸びして、深呼吸をして秋を胸いっぱい吸い込みました。
ふと畑を見ると、コスモスが咲きそろっていました。
隣りの家の空き地にも、義弟がコスモスを植えたので、
わが家と隣りの家の間の道がコスモスロードになっています。

 

先週の金曜日、わが家でひと騒動ありました。
朝、自転車で仕事に出た娘から、うめくような電話が入りました。
前に飛び出した猫を避けようとして電柱に激突したようです。

私が車で駆けつけると、目の上が切れて血が噴き出し、
白いブラウスは真っ赤な血に染まっていました。
救急車を呼ぼうかと思うほどでしたが、
娘は職場に迷惑をかけるから職場に連れて行けと言います。

娘の仕事を代わってくださる人が見つかったあと
まだ開いていない病院のインターフォンを押し続けて
傷口をふさぐなどの治療をしていただきました。
検査の結果、脳に影響はなく、ほっとしました。
治療中、娘は自転車で猫を轢いたかもしれないと、ずっと心配していました。
あとで、猫を飼っている家を訪ねると、猫はスヤスヤ眠っていました。

この騒ぎで、娘のいろいろな面を見ました。
猫への思いやり、大きな怪我をしているのに病院より先に職場に行く責任感、
それと私への感謝の気持ちも見せてくれました。
「お母さんに感謝している、長生きしてね」と言いました。

土曜日(10月29日)から日曜日(30日)にかけて、
佐高の同級生で作っている「亜久友会」の、1泊例会がありました。
私は宿泊を伴う例会には参加したことはありませんが、
今年は私が幹事だったので参加しました。

困ったことに30日は、地元の川掃除の日でした。
例会の日程は3ヶ月前に決めて、宿もとったので、変更することもできません。
夫は「この時期に川掃除があるのは分かっていたろうが」とプンプンでしたが、
幹事という立場なので、何とか参加を認めてもらいました。

会員40人の内16人が参加して、夜遅くまで青春の思い出を語り合いました。
ある男性は「小学生のころは下駄か裸足で登校していたが、
靴を履いた女の子がいて、その人に恋心を抱き今もって想っている」と
言われました。
別の男性は、養子先の義母にいじめられた話をされました。
「男は可哀そう」と強くなった女性たちが話していました。

翌日は川掃除の日なので、朝早く宿を出て家に向かいました。
車を運転しながら「女は強くなったけど私の自由時間はない」とぼやきました。

川掃除の日、いつも掃除道具がわが家に届くので
私は掃除道具を班ごとに仕分けしますが、
今度は、その仕事を夫と娘が代わってしてくれました。

夫は、川掃除のときは、いつも先頭に立ちます。
今度も人より早くから草刈り機を振って草を刈り、
他の班が帰ったあとも、やり残したところの草を刈っていました。
決して、手を抜くことをしない人で、こんなとき、凄い人だと思います。

私は掃除を終えたあとの道具を受け取りましたが、
私が帰り着く前に、掃除を終えて返された道具もあり、
泥がカチカチに固まった道具を水で洗い落すのに苦労しました。
泥で汚れた道具を洗って返しにくる班と、
泥が付いたまま返す班は、半分半分です。
いつもは、汚れていても泥は乾いていないので水洗いでさっと落ちます。
今年はじめて、洗って返す班、洗わないで返す班があることに気づきました。

 

その夜、夫は同窓会、娘たちは仕事でしたので、私ひとりだけでした。
マックスの散歩に出ると、空に15夜のお月様が輝いていました。
そこに、キンモクセイの香りがしてきました。
結婚する前、夫に家まで送ってもらうとき、
キンモクセイの香りに立ち止まりました。
キンモクセイの香りはあのころを思い出させます。
まん丸いお月様とキンモクセイ、それに秋、
心の中を、寂しさを伴った澄み切った風が通り過ぎてゆきました。

10月1日のきのうは、
屋敷の四方に、塩と酒をまいて、家族の安寧を願ったあと
夏物をしまい、秋、冬のものを出しました。
新しい半年がはじまったような気がします。

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