2012年7~9月のぼやき

2012年9月

2012年9月24日(月)

夏の暑さの影響でしょうか、今年は秋の花が咲くのが遅れ、
花の美しさも、例年ほどではありません。
夏の終わりに咲く芙蓉は秋の気配と共に咲き始め、
白い花に続いて、今ピンクの花が満開です。

 

先日の台風で斜めに倒れたトウモロコシは、
少しずつ立ち上がってきました。どうやら収穫できそうです。
夫が喜ぶでしょうが、今度は歯が欠けなければいいがと心配です。

おとといの土曜日、私たちが暮らしている西寺小路で
防災訓練がありました。
訓練は午前9時からはじまり、班長の私は、班の5世帯の人を迎えに行き、
避難場所の本庄神社の参道まで誘導しました。

避難場所には150人もの人が避難してきて、
そこで、消防団の訓練、私達一般の住民は消火器での消火訓練をしました。
このあと、訓練会場を本庄宮に移して、
心臓マッサージや人工呼吸、さらにAEDを使っての心肺蘇生訓練をしました。

災害時用の米を使った炊き出しや、給水訓練なども行われました。
大がかりな訓練でしたが、見学するのではなく、
自ら消火器を使い、心臓マッサージや人工呼吸をしたので、
自信のようなものがつきました。
心肺が停止した人の居る場に居合わせたときのために、
人工呼吸用の携帯マスクをバックに入れました。

9時から12時半までの長い訓練のあと、
久しぶりに夫と2人で買い物に行きました。
夫は、エスプラッツの再開に協力して、店を開いてくれた
アスタラビスタに恩義を感じていますので、
アスタラビスタで、夫が大好きな前海物の魚などを買いました。

夕方からサガン鳥栖の応援に電車で行きました。
ずっと前、夫は、応援に行くとサガン鳥栖が負けるので、
「サガン鳥栖のためには、俺は行かないほうがいい」と言っていましたが
最近は、応援した試合で勝つようになりました。
今度も前年の覇者に3対1で快勝しました。
でも夫が応援する試合は雨になることが多く、この日も雨でした。
帰りには、もちろん祝杯をあげました。

 

きのうの日曜日、夫と2人で彼岸の墓参りをしました。
夫と私の両親や夫の恩師など6つの墓に参りました。
恩師の墓は、お盆に花がなかったので夫が心配していましたが、
今度は、美しい花に埋まっていました。夫は嬉しそうでした。

これまでは5つの墓参りでしたが、今回は1ヵ所増えました。
私たちの仲人をしてくださった、夫のかつての上司は、
妻に先立たれたあと唐津で暮らしておられましたが、今年亡くなりました。
今は肥前山口で眠っておられます。
墓参りを済ませて帰ろうとしたとき、仲人さんの息子さんに出会いました。
夫は息子さんに会うのは初めてで、お父さんが引き合わされたのでしょう。

神仏の存在を信じない友人は、
「亡くなった人の魂が墓に居ると、本気で思っているのか」と言いますが、
夫も私も、今ある私たちを育てて下さった人への感謝の気持ちから
お墓参りをするのです。
佐賀、牛津、肥前山口の、6つの墓を回るのに、4時間かかりましたが、
墓参りを終えると、なんともすがすがしい気持ちになります。

このところ歯茎が腫れて、歯医者さん通いが続いています。
夏バテで体力が落ちているからでしょうか。ストレスからでしょうか。
ゆっくり穏やかに暮らしたいのですが、忙しい日々は続きます。

2012年9月18日(火)

台風が去って、さわやかな朝を迎えました。
被害を心配していた夫も、今朝はすっきりした表情で、
6時ごろから庭で気功をして、マックスを連れてラジオ体操に行きました。

 

その間、私は庭や畑を見回りました。
近所に住む義弟が植えた数十本のトウモロコシの大半は風で倒れかけていて
再び立ってくれるか心配です。

トウモロコシは去年は虫で全滅
今年も夏に収穫予定のトウモロコシが虫にやられたので、
秋の収穫用として植えなおしたものです。
今度は豊作かと思っていただけに残念です。
一番残念がっているのは植えた義弟とトウモロコシが大好きな夫でしょう。

 

夫を送り出したあと、ゴミ出しに行きました。
ゴミの集積地に生えた草を刈り、余裕のあった私のゴミ袋に入れました。
集積地の草は、私の斜め前の家に住んでおられた
老夫婦が刈ってくださっていましたが、去年妻が亡くなり、
1人残された夫は自立できる高齢者が入る施設に入居されました。
草を刈りながら、仲良く暮らしておられた老夫婦を思い出すと涙がでました。

私の草取りを見ておられたのでしょうか、
そばでナスを栽培している方が、「ご苦労さま」とナスを下さいました。
少しいい気分になって空を見ると、台風一過の青空になっていました。

おとといの日曜日、古湯映画祭に行きました。
例年、夫は公務として参加して、私は別の友人と行っていましたが、
今年は一緒に出かけました。
私は公用車に乗れませんので、私が運転してマイカーで行きました。

シンポジュウムのあと、名張葡萄酒事件をあつかった映画を見ました。
取材したドキュメンタリーの映像と
仲代達也が主人公の死刑囚を演じる映像が混在する映画です。

再審請求がたびたび却下される中、
弁護士が示した新証拠で裁判官は再審を決定しますが、
検察の抗告を受けた別の裁判官は却下します。
再審を決定した裁判官は辞職、却下した裁判官は出世します。
映画は冤罪として厳しく追及していて、裁判官は映像つきの実名で出ます。
パーティで監督と話しましたが、
地元の名古屋地区では今は上映できそうにないということです。
映画って凄いなと思いました。

パーティは映画関係者や映画ファンが和やかに歓談しましたが、
映画を見にきた人の中に、タイから駆けつけた方もおられました。
タイで仕事をしていて、年に3回帰国するそうです。
湯布院映画祭、北海道の映画祭、それに古湯の映画祭に
合わせて帰ってくるそうです。
古湯映画祭をたいへん気にいってくださっていました。
小さな地域の人たちみんなの手作りとそれに温泉がいいようです。

パーティが終わったのは午後10時、
夫は台風が気になり、家に帰るころ満潮時間に近かったので、
有明海沿岸の久保田、東与賀、大詫間、諸富の漁港を回りました。
深夜の漁港は不気味で、黒い海に車ごと落ちないかと緊張しました。
雨に濡れた真っ暗な道、風に揺すられる車体、
手に汗を握りながらの運転で家に帰りついたのは午前0時でした。

翌日の17日は、祝日でしたが、夫は台風が気になって
早朝から起き出してきました。
6時ごろから猛烈な風になり、大潮の満潮の午前10時ごろ、
大詫間の堤防を海水が越える恐れと聞いた夫は現場に向かいました。
今度は公用車を役所に出してもらいました。

堤防まであと50センチを残して、海水は堤防を越えなかったそうです。
昼ごろ帰ってきた夫は、
「現場を見てよかった。
堤防の嵩上げを国に要望しなくては」と話していました。

連休中、ずっと仕事をした夫は疲れていました。
私も風雨の中の深夜の運転で疲れ果てましたので
台風が去った午後、温泉に浸かりました。
夫は、1時間もお湯から出てきませんでした。
それできょうは元気いっぱい、仕事に出かけました。

2012年9月11日(火)

議会がはじまると夫は必ず弁当を持っていきます。
夜は翌日の答弁に備えて勉強しますので、夕食は家に帰って食べます。
私はその分忙しくなります。

今朝も家族の朝食と昼の弁当作り、生ごみ出しに追われました。
いつもは夫を送り出すと庭を見て回るのが日課ですが、
今朝はすぐ公民館に駆けつけました。
本庄地区の食生活改善推進委員と自治会長の料理教室が開かれたからです。

もし妻に先立たれると、男性の食生活は乱れます。
そこで、高齢者の男性を代表して、
60代から70代前半が多い自治会長に料理を経験してもらったのです。

きょうはまず、佐賀市の栄養士から、
「野菜を1日5皿以上食べて、水やお茶を1日7回は飲みましょう。
ビールを水と思ったらいけません」などという話を聞きました。

このあと、自治会長12人、食生活改善推進委員10人が
4つの組に分かれて、健康料理を作りました。
献立は、野菜たっぷりの餃子、ひじきと野菜たっぷりのカレー風味和え、
キノコの味噌スープ、主食の麦ごはん、それに果物です。

私たちは、あまり手を出さないようにしましたが、
自治会長の中には、手際のいい方がいらっしゃいましたが、
はじめて料理をしたという人は、
「料理つくりがこんなに大変とは思いませんでした。
妻の苦労がよく分かりました」と話しておられました。
後片付けは得意でない人が多く、真ん中だけが洗われた皿もありました。

自治会長には、地元に帰って、男性たちに料理を指導してほしいのですが、
その要求はちょっと無理でしょう。
男性も台所に立つという習慣が、少しずつでも広がるよう願っています。

7日の金曜日、本庄地区の歩こう会に参加しました。
いつものように佐賀城の堀の周りを歩きました。
カメに食べられて全滅した堀のハスを復活させる努力が実って、
カメが入れなくした囲いの中だけでなく、囲いの周辺にまでハスが広がっていました。

ハスの花は盆ごろが見ごろですが、今年は今が盛りです。
白と、桃色の花が美しく咲いていて、
咲いたばかりの花からは、花の開くポンという音が聞こえてきそうです。
ハスの復活に努めた人の喜びの声も聞こえてきそうです。

 

8日の土曜日、城南中学の同窓生の、
66才・緑寿を祝う同窓会が佐賀市のホテルで開かれました。
450人の同窓生のうち、出席したのは80人でした。
恩師は私たち3年7組の担任だった女性の先生1人だけでした。
先生は1人暮らしですが、とても幸せそうな日々のようでした。

私の隣の席の男性は、元気がなく目の前の料理に手をつけられません。
そっと聞くと、1年半前の3・11に、住んでいた岩手県で津波にあい、
家など全てを失ったそうです。

夫婦で佐賀市の親戚を頼っての避難生活だそうですが、
今も津波への恐怖感から、夜はよく眠られず、頭痛がするそうです。
震災の話をすると涙ぐまれていました。
元気を取り戻したとき、もう1度同窓会をしましょうと話しました。

車いすを妻に押してもらって参加した方も居られました。
若いころ、佐賀を抜け出したいと都会に出て、
長い間、海外生活をして、帰国して間もなく脳梗塞になったそうです。
今は関西にお住まいですが、ふるさとに帰りたい、
中学の同窓生に会いたいという思いがつのって参加されたそうです。

同窓生は、1人1人が人生を懸命に歩んでこられていました。
出席できなかった方は、もっと重い人生があったかもしれません。
楽しかったけど、考えもした同窓会でした。

土日も忙しかった夫は、日曜の夕方、やっと自由な時間がとれました。
そこで、2人で熊の川の温泉に入りに行きました。
夫と別れて1人で女風呂に入ると、ゆったりした時間が流れます。
目をつぶって、家族の健康、夫の仕事など、いろいろなことを考えます。
今、大きな心配ごとがないので、心の安らぐ温泉でした。

夫は、温泉に入ることで、1週間の疲れをとって、
次の週も頑張るぞと思いますが、男湯から出てきた夫は、
「湯船の中で、裸で市長と語る会をしてしまった」と言っていました。
安らげなかった温泉だったかもしれません。

2012年9月4日(火)

朝、夫を役所に送り出したあと、庭を見て回るのが日課でしたが、
先週は、夫がフランスに出張していたので、
庭を回ることはほとんどありませんでした。

今朝、久しぶりに夫を送り出したあと庭に出ると、
デュランタバイオレットの紫、サルスベリとニラの白い花が満開になっていました。
花の少ない猛暑を抜けると、秋が感じられる庭になりました。
9月に入って、朝夕はほんの少し涼しくなりました。

先月25日の土曜日、本庄地区の夏祭りがありました。
これまでは11月はじめの秋まつりでしたが、
バルーン大会と重なることから、今年は夏祭りになりました。
本庄の歴史などのクイズ、子どもを対象にしたゲーム、
和太鼓やハワイアンの演奏、
子どもみこし、盆踊りなどが次々と行われ、
1500人くらいがまつりを楽しみました。

私は本庄の食生活改善推進委員の方たちと
お茶の接待をしましたが、
用意した紙コップ1000個が足りなくなるほどでした。
夫は、フランスに出張するために、
翌日3時起きだったので、最後まで居ることは出来ませんでしたが
私は午後4時から接待に入り、家に帰ったのは午後8時半でした。

寝たのは午前0時、3時間後の26日朝3時に起きて、
ゴーヤジュースを作って、夫に飲ませて
4時過ぎに、夫をフランスに送り出しました。

夫の出張は6日間、
さあ、留守の間、羽根を伸ばすぞと
27日から29日まで、2泊3日で上海に行きました。
もっと長い旅にしたかったのですが、
娘が「マックスの世話は誰がするの」というので3日間だけ。
娘は「お母さんの大部分の時間はお父さんに取られている」と言いますが、
残りの時間は娘に取られていて私に残される時間はあまりありません。

それはともかく、上海の旅は楽しかった。
上海では、以前から知り合いの中国人女性とその方の夫が
お世話をしてくださいました。
着いた日の夜、32階のレストランから見た夜景の美しかったこと、
ワインを飲みながら、ちょっと贅沢な時間でした。

 

翌日は車で1時間の上海郊外の朱家角という水郷の村に行きました。
途中の道路は、高級外車と汚い3輪自動車が走るなど、
豊かさと貧しさ、新しいもの古いものが入り混じっていました。
日本の昭和の30年代を思い出す朱家角の美しい水辺を散策し、
水辺のレストランで豚の丸焼きなどの珍しい料理をいただきました。
ゆったりとした時間が流れました。

 

次の朝上海空港を出るとき、
バックの中の財布がなくなっているのに気づきました。
おそらくタクシーの中に落としたのです。
佐賀空港に帰って、春秋航空の人に伝えると、
タクシーを呼んだホテルに連絡して
タクシーに財布が残されていたことが分かりました。

世間では中国の人たちの評判はあまりよくありませんが、
中国人スタッフの見事な連携で財布が見つかったので
私の中国の評価は一段と高くなりました。

中国に娘さんが住んでいるのでたびたび中国に行く友人は、
「中国の金持ちの世界だけを見てきて、感激する単純な人」と
私に皮肉を言いました。
その人がもし、私が夜景を見て感激したレストランに行ったとしたら、
(そんな所に行かない人です)
レストランでワインを飲む金持ちの中国人の影にいる
何千倍もの貧困に苦しむ人達が見えてきて、貧富の差に腹が立つだろうといいます。

同じものを見ても人によって受け取り方は違いますが、
今回は、はじめての上海を単純に楽しませていただきました。

30日と31日も夫が留守でしたので、
羽根を伸ばすことが出来たのですが、
夏の終わりの家の中の大整理に追われました。
私の時間のほとんどは、家族のために使っているようです。

夫は31日の深夜帰ってきました。
時差ボケで疲れているはずなのに、
翌9月1日の土曜日の午後3時からの公務に出席して、
夕方からサガン鳥栖の応援に行きました。

夫は
「疲れているし、俺が応援に行くと負けることが多く、
負け男と言われたくないので、行くまいか」と言いましたが
私が強引に引っ張りだしました。

私たちの前に陣取った若い人たちの応援は元気いっぱい、
サガン鳥栖がゴールを決めるたびに
飛び上がりながら振り返って私たちとハイタッチしました。
あとで、佐賀大学の学生たちと知りました。
元気をもらうとはこういうことでしょう。いただきました元気を。

サガン鳥栖は4対1でガンバ大阪に快勝。
夫の疲れは吹っ飛んだようです。
帰りにラーメン屋で餃子とビール、実においしいビールでした。

夫は毎朝必ずラジオ体操に行きますが
さすがに2日の日曜日は起きてきませんでした。
吹っ飛ばしたはずの疲れを眠って癒していました。

夫は、今週はもう元気です。
私も上海の休みで心身ともに元気になりました。
9月は快調にスタートしました。

2012年8月

2012年8月20日(月)

暑さで庭は花枯れですが
百日草がケイトウと混ざり合って頑張って咲いています。
6月に咲きはじめたので、名前のとおり100日間咲くようです。

 

秋の花コスモスが次の出番を待っています。
わが家の畑と道を挟んだ空き地に、
義弟が所有者の許可をもらってコスモスを植えました。
真ん中の狭い道はコスモスロード、
花が咲くと、多くの親子連れが見に来てくださいます。

今年のお盆は静かな日々でした。
13日の午前中は雨が強かったので午後墓参りをしました。
夫の両親、私の両親、夫の叔母、私の祖母、
それに夫の恩師の墓の5か所を回りました。

庭に咲いている百日草、ケイトウ、芝の花束を10束作りましたが、
今年はほとんどの墓に多くの花が飾られていました。
恩師の墓は、花がないのが気になって数年前からお参りしています。
最近は花が手向けられていることが多く、喜んでいたのですが、
今年は花もなく、誰もお参りしていないようで、夫は寂しそうでした。

夫のお母さんの墓からは、
「敏行をよろしくお願いしますね」という声が聞こえてきました。
私の母の墓からは「我慢、我慢」という声が聞こえてきました。
どちらも、私の心が墓石に当たって跳ね返ってきた声です。
最近気がかりなことがありましたが、
我慢して心穏やかに、忙しい夫を支えたいと思っている私です。

15日の夜、嘉瀬川の精霊流しに夫と出かけました。
精霊舟を流す前に、
久保田のコーラスグループの人たちが精霊を送る歌を合唱されました。
ふるさと、夕焼け小焼け、などのあとに、
「やさしいお母さん」を歌われたとき、私の目から涙があふれました。
母の墓前に参ったばかりだったからでしょうか、
娘たちのために、穏やかな優しい母さんになろうと誓いました。

 

11日と19日に、夫と一緒に地区の夏祭りに行きました。
夫は市長という立場で祭りで挨拶しますが、
公用車で行けば、私は乗れないので私有車で行きました。

11日は日新校区の夏祭りで
夫がカノン砲に点火して、ドカンという大きな音で祭りがはじまりました。
地元の人たちが手作りのものをバザーに出しておられ、
私と同じ食生活改善推進委員の人たちが作ったクッキーを買い、
カキ氷を食べました。
イリコの佃煮も買いました。
カルシウムを摂ると精神が安定すると聞いたからです。
イリコの佃煮で少し穏やかになったような気がします。

 

19日は佐賀城本丸での赤松校区の夏祭りに行きました。
浴衣姿の子どもたちが多く、
親子がふれあう、ほのぼのとした祭りでした。
夕方、空が真っ黒になり、前日は突然の雨と雷に襲われたので心配しましたが、
大雨にならずほっとしました。

 

話は19日の前日18日に戻ります。
夕方の突然の大嵐には驚きました。
夫と私は、その日、サガン鳥栖の応援に出かけ、
娘に車で送ってもらって佐賀駅に着くと、
猛烈な風と雨、それに雷鳴が響いていました。

鳥栖は雨もなく、穏やかな天気の中で試合が行われました。
サガン鳥栖は、清水エスパルスに負けて残念でしたが、
夜空に上がる花火が美しく、楽しい夜でした。

 

いつもなら、ビールを飲んで帰るのですが、
夫は翌日の朝早く、仕事で家を出るので急いで帰りました。
家に帰ってみると大変、家の中に激しく雨が降りこんで、
娘のベッドや布団もびしょ濡れになったようです。

私は出る前に窓を閉めたので、閉めたものと思っていました。
しかし閉めるのが早すぎたので夫がまた開けたようです。
夫は窓を開けるのが大好き、いつも開けっ放しで閉めません。
誰も窓を閉めないまま出かけて、
帰ってきた娘たちが大慌てで濡れた家中を拭いたそうです。
娘に叱られました。叱られたのは夫でなく私です。

私の気がかりの不安はジェットコースターのように
高くなったり低くなったりしていましたが、
お盆の墓参りや、夫と一緒に温泉に行くなどして、だいぶ治まりました。
ご先祖に守られていると思ったお盆でした。

2012年8月6日(月)

わが家の庭は、木の枝が生い茂ってジャングルのようになったので、
先週、業者の方に剪定してもらいました。
今朝、夫を送り出して庭に出ると、蝉の声がいつもより弱くなっていました。
枝が落されたので、蝉は棲家が狭くなり逃げ出したのでしょうか、
それとも暑さも峠を越えて、蝉の季節も終わりに近づいたのでしょうか。

きょう8月6日は広島原爆の日、
NHKの平和記念式の中継を見ながら、
原爆投下の午前8時15分に黙とうしました。

夫の叔母さんは、お嫁り入り先の夫が戦争で亡くなり、
叔母さんは女手ひとつで4人の子どもを育て、大変な苦労をされたそうです。
戦争は人の命を奪い、穏やかな幸せな生活を奪います。
世界中の人が、戦争のない平和な世を求めているのに、
各地で戦争が行われています。悲しいことです。

先週の金曜日、本庄の歩こう会に参加しました。
暑いので参加者は少ないと思ったのですが18人も集まりました。
オリンピックの放送を見て寝不足の人が多かったですが、
元気に佐賀城のお濠を回りました。

外来種のカメの被害で全滅したハスを復活させるために、
カメが入らないように囲ったところは、見事にハスが復活して
美しいハスの花が咲いていました。
その上、囲いの外側にもハスが生えていました。
カメに負けないで、どんどん広がってほしいです。
思い切り歩いて汗を流してすっきりしました。

 

土曜日は夫も私も忙しい1日でした。
夫は、大雨による有明海の流木の撤去活動を見るため、
午前5時50分に家を出ました。
前日の夜、有明海視察の予定をはじめて聞いた私は、
5時には起きて夫の支度を手伝って送り出しました。

そのあと、夫と娘が居ないのでマックスの散歩、
庭木への水やり、掃除洗濯と昼食の準備、
帰ってきた夫に昼食を食べさせ、
汗びっしょりの作業服から栄の国まつりの法被に着替えさせて
再び送り出しました。
息つくひまもないような忙しさでした。

夫もまた忙しい1日でした。
夫は、有明海視察から帰ると、
栄の国まつりで事故がないよう願う祈願祭に駆けつけました。
その後、名士劇の出演者への激励、ヨサコイ踊りの審査員、
などを次々とこなしました。

花火大会がはじまるころやっと仕事を終えて私と合流、
友人数人もまじえて花火を見上げました。
今ちょっともやもやした気持ちがあるので、花火のドカンという音と
ぱっと大きく開く花火とともに、もやもやを吹き飛ばしました。
花火大会が終わったあと、
どこかでビールを飲もうと歩いた中央大通りは歩けないほどの人で、
佐賀にもこんなに人が多いのかと驚きました。
大勢の人を見ると元気が出てきて、とても嬉しかったです。
やっと見つけた道路の出店のテーブルで飲んだビールの美味しかったこと。
長い1日で疲れたはずですが、楽しい1日でした。

翌日の日曜日も栄の国まつりでした。
まつりの最後を飾る総踊りに、本庄地区は、この2年参加していませんでした。
市長の出ている本庄地区が総踊りに参加しないのはいかがなものかという
声も聞こえてきました。

そこで今年は、「本庄おどり隊」を結成して参加しました。
はじめ20人を予定したのですが、46人がはせ参じて、
稽古を重ねて、いよいよ出番の日がきました。
銀行などの企業のグループは若い人もいますが、
地区のグループは中高年の人が多く、本庄も若いひとはほとんどいませんが、
踊りたい人たちばかりですので、元気いっぱい踊りました。

夫は、いろいろな地区のグループに入って踊ったようですが、
最後に本庄おどり隊に加わって踊りました。
夫が加わったので46人衆は本庄47士になり、
楽しく有終の美を飾ることができました。
終わったあと、本庄のファミレスで、女性だけ20数人で打ち上げをしました。
これもまたおいしいビールでした。

 

2012年7月

2012年7月30日(月)

東京に出張した夫を送り出したあと、
猛烈な蝉の大合唱に誘われて庭に出ると
蝉が右から左、さらに上下に乱舞していました。
木の枝には蝉の抜け殻が重なるように残されています。
庭の木は蝉で埋め尽くされているかのようです。

 

轟音に近い蝉の声に、マックスは怖くなったのでしょうか、
小屋の中ではなく小屋の床下に潜り込んでいました。
以前友人から、蝉は午前9時に鳴きやむと聞きましたが
最近はいつまでもワシャワシャと騒々しく鳴いています。

毎年7月24日に、三瀬の山中地蔵のまつりがあり、
地元の人からお誘いをうけます。
去年は行けませんでしたが、今年は友人と一緒に訪れました。
山間の冷たい水の中を流れるそうめん流しやヤマメの塩焼きなど
山の幸をごちそうになりました。

地区をあげてのおまつりで、皆さん仕事を休んで
高原のまつりを楽しんでおられましたが、
子どもたちの姿が年々少なくなっているようなのが気がかりです。

山中地蔵さんは、お参りすると脚気に効くと言われています。
私は脚気ではありませんが、膝を痛めているので、
木槌で膝をたたいて、ご利益があることを願いました。

 

おとといの土曜日、手術をした友人のお見舞いに夫と一緒に行きました。
持病があったので術後の経過が悪く、苦しんでおられました。
以前、食事をごちそうになったことがあるので、
「早くよくなって又ごちそうしてください」と言いました。
ごちそうが食べたいのではありません。
とても大切な友人が、食事が出来るように回復してほしいのです。

知り合いからトウモロコシをいただきました。
夫は前歯が悪いので、
前歯に負担をかけないように輪切りにして食べてもらいました。
無事食べ終えたのですが、
あとで前歯が折れて歯医者さんで接着してもらったことを知りました。
私に内緒で、別の1本を丸ごと食べたに違いありません。

若いころの夫は歯が丈夫で、トウモロコシ、ヒシ、カニなどを
バリバリ噛み砕いていました。
年齢を重ねた自覚がないから困ります。

夫は女性の地位向上に熱心ですが、
私や娘たちには、九州の男丸出しで乱暴な口をきくことがあります。
先日、娘を乱暴に叱ったとき、
「俺がいちばん偉いのだと勘違いしないで」と反撃されていました。
心の中で拍手しました。

ひまわりを30本もいただきました。
玄関の外にドンと活けると、太陽がいっぱいといった感じになりました。
ちょっともやもやしていた気分が吹っ飛び元気になりました。

2012年7月24日(火)

きのう、九州北部全体が平年より4日、
昨年より15日遅れで梅雨明けし、
我が家の庭も朝から強い日差しを受け
蝉の大合唱が始まりました。
あまりの喧しさに枝に止まっていた2羽の鳩も
下に降りてきて一休み。

 

先週、夫が出張で留守だったので姉と2人で
12年ぶりに小旅行をしました。
伊豆半島の東海岸の中心部にある伊東温泉に行き
ゆっくり温泉に浸かり、戦前生まれの姉は
私の知らない昔の苦労話や、
私は今、他人に言えない苦労話など
夜遅くまで話し込みました。

 

翌日は断崖絶壁と門脇吊橋のある国立公園城ヶ崎海岸と
小室山の美しい自然を見てまわり、短い2日間の小旅行も
充実した2日間でした。「また行こうね。・・・」と約束して
別れました。

 

その後、横浜に住んでいる娘の家に行き、孫たちと久しぶりに会うことができました。
翌日、日本郵船氷川丸を見学し、中華街に行き食事をして帰路に着きました。
「おばあちゃんもう帰るの・・・」の孫の声がいつまでも残りました。

 

2012年7月17日(火)

雨が上がると急に暑くなりました。
庭のオニユリの真っ赤な花が2輪、真夏の空に馴染んで咲いています。
このオニユリは近所に住む義弟が数年前に植えてくれたものです。
花の少ない夏の主役に育ってきました。

今朝はニイニイゼミのミーン、ミーンという鳴き声に加えて
クマゼミも鳴きはじめました。
セミの写真を撮ろうと庭に出て、鳴き声を頼りに木の茂みを探しました。
すると庭の全てのセミがピタッと鳴きやみました
以前友人が、セミは午前9時ごろ鳴きやむと言っていたのを思い出したので、
時計を見ると9時ちょうどでした。
まるでセミが時計を持っているようでした。

それでもセミの姿を探していると、2匹のセミが木から空に飛び立ちました。
そのセミを追って、鳩が飛び出して行きました。
先週、セミの写真を撮ろうと木を見上げると鳩が居たのに驚きましたが、
鳩はセミを食べようとセミと同じ木にとまっていたのでしょうか。
鳩がセミを追いかけるのを見たのは初めてです。
セミが鳴きやんだのは、午前9時だからか、
鳩の危険を察知したからか、さてどっちでしょうか。

先週の金曜日、食生活改善推進協議会の
食の健康教室が本庄公民館であり、佐賀市の保健師が、
「佐賀市の健康診断を受けた人の3人に2人は血糖値が高く、
日頃の食生活が大切です」という話をされました。

そのあと、キャベツの味噌餡かけ、魚のカレーマリネ、切り干し大根のスープ、
麦ごはんなどの、体に良さそうなヘルシー料理を作って、
みんなで食べながら、健康について話していると大雨になりました。
自転車、バイク、車などで来ていた、食生活改善推進委員の30人の女性の中には
雨が小降りになるまで待った人もいましたが、
私は急ぎの用事があったので、土砂降りの雨の中を出発しました。

 

ワイパーを激しく使っても前がよく見えない中、
交差点の向こうの道路の車が腰まで水に浸かっているのがかすかに見えたので、
咄嗟に交差点を左折したのが正解でした。
わが家の周辺も、道路と川の区別がつかないところもありましたが、
やっとの思いで家に帰り着くことができました。
雨がひどいときは、外に出ずに安全な所に居るという教訓を得ました。

畑は水に浸かり、カボチャ、スイカは全滅しましたが、
庭の小屋に居たマックスも無事で、ほっとしました。
夫は夜遅く帰ってきて、翌朝は6時には出て行きました。
こんなとき、1人家に残されるのは不安ですが、
夫は「俺が先頭に立つ」という勢いで出かけて、わが家のことはほったらかしです。

夫はブルーベリーが大好きで、ジャムにしてヨーグルトと一緒に食べます。
これまでは、いただいたブルーベリーでジャムを作っていましたが、
自分でブルーベリーを育てようと、3月に2本植えました。
高さ50センチの小さな木ですが、もう実を付けました。

私は今週忙しいので、ジャムつくりは無理と言っていたのに、
今朝夫は、収穫したブルーベリーを私の前に置きました。
無言でしたが、心の中でジャムを作れと言っています。
ん、もー、と思いましたが、優しい私は早速ジャムをひと瓶作りました。
その様子を見ていた娘が、
「お母さんの人生の半分はお父さんにとられているね」と言いました。
半分を超えていると思いますが、
夫は今夜、ああ作ってくれたかと喜んでニャッとするでしょう。

 

今週の後半、夫は出張で家を留守にします。
その間、私は横浜の姉と温泉の旅をします。
姉との旅行は12年ぶりのことです。
今からそわそわしながら台風の進路を心配しています。
同じ横浜に住む、孫たちにも会える、それも嬉しいのです。

2012年7月9日(月)

きょう(9日)もいいお天気になったので
夫を送り出した後、洗濯をしていると庭から蝉の声が聞こえてきました。
蝉の声がするスノウインサマーの木に、そっと近づいてカメラを向けると、
ファインダーに驚くほど大きな蝉が写りました。
びっくりしてよく見ると蝉ではなく鳩でした。
私の頭のすぐ上に居る鳩に「おどかさないでよ」と言っても、
鳩は平然として枝にとまったままでした。

庭は今、満開の真っ赤な花が広がって咲いています。
この花は、35年前に家を建てたころから、梅雨の終わり頃咲いていました。
何という花か、誰に聞いても分かりません。
初めは庭の隅にそっと咲いていましたが、
最近どんどん広がって庭の主役級になったので、花図鑑で調べると、
アヤメ科のモントブレチアという花と分かりました。
35年ぶりに分かった花の名前でした。

 

7月4日は夫の誕生日でした。
5月の私の誕生日に、夫は「おめでとう」とも言いませんでしたが、
古希の誕生日なので赤飯で祝ってあげようと、
前日の3日から準備にかかり小豆をひと煮し終えたのは午前1時半でした。

4日は午前5時半に起きて赤飯を作り、
墓参りに行くという夫に、前日準備した花を渡しました。
夫の両親の墓に手向ける花は、
義母が大好きだったモッコクと百日草、それに菊です。
墓参りから帰った夫は、大好きな赤飯をおいしそうに食べてくれました。
昼の弁当も赤飯にしました。

誕生日のその日に、夫の恩師からお祝いの葉書が届きました。
古希の誕生日を覚えていてくださる恩師を持った夫は幸せ者です。
夜は、私たち夫婦もふくめた6人で夫の誕生日を祝う会をしました。
夫の古希が、家族も友人もみんな元気で楽しい年になることを願っています。

おとといの土曜日、
市民体育大会の開会式から帰った夫が昼前姿を消しました。
どこに行ったのだろうと思っていると、
2時間後に全身汗まみれになって帰ってきました。
1人で近所の権現さんの境内の草刈りをしてきたのです。
首筋は真っ赤に日焼けして、その内、肩が痛いと言い出しました。

 

翌日のきのうの日曜日、夫は午前中仕事をしましたが午後時間ができました。
そこで、大分県の七里田温泉の下ん湯に浸かりに行きました。
ここは炭酸温泉で、あせもができ易い私は、夏に1度は入ります。
夫も前日の草刈りで肩が痛くなっていましたので、
昼をだいぶ回ったころ温泉に向けて出発しました。
1時間温泉に浸かるために往復6時間車を走らせましたが、
これで、この夏を元気に乗り切れそうな感じがします。

2012年7月2日(月)

畑のスイカがサッカーボールほどになりました。
もう食べられる大きさですが、このところ雨続きなので
日が照って甘みが増すのを待ちましょう。
もっともこのスイカ、近所に住む夫の弟が植えたものなので、
義弟の許しがなければ勝手に収穫できません。
畑はわが家の所有なので、半分わけでしょうか。

スイカの傍でオクラが育っています。
オクラはクリーム色の花が美しく、花と野菜の両方を楽しめます。
オクラを肴に酒を飲むのが大好きという友人が
収穫はまだか、まだかと待っています。

先週の土曜日、鳥栖スタジアムでサガン鳥栖を応援しました。
友人の車で、夫も一緒に行ったのですが、
佐賀市がマッチスポンサーの試合なので夫は公用の席に、
私は一般の席で1人で応援しました。

 

試合が始まるころは、土砂降りの雨が少し小さくなりましたが、
それでも屋根のある席にも雨が降りこんできて、
合羽を持って行かなかった私は雨に濡れながらの応援でした。

相手のコンサドーレ札幌は、今J1の最下位で、必ず勝てると思っていましたが、
札幌はこれまで見たことのない素晴らしい動きでした。
サガン鳥栖と一緒にJ1に昇格したので意地があったのでしょうか。

押したり押されたり、ハラハラしながら終盤を迎え、
引き分けかなと思ったロスタイムにサガン鳥栖は劇的なゴールを奪いました。
観客席は総立ち、私も周辺の人と抱き合ったり手を取り合ったりして喜びました。
抱き合ったのは知らない人、普通ではできないことです。
ゴールを奪った瞬間勝ったと思ったのですが、試合はまだ続き、
ロスタイムの残りの時間、札幌の猛烈な攻めにあいました。
またハラハラして試合が終わった瞬間、再び大歓声と抱き合っての大喜び、
素晴らしい試合でした。

 

今回は友人の車で行ったので、まっすぐ佐賀に帰って、
友人と夫と一緒に焼き鳥屋で乾杯しました。
ビールのおいしかったこと、夫と友人はさらに焼酎をたくさん飲んでいました。

きのうの日曜日は、7月1日でした。
毎月1日の朝は、屋敷の四方に塩と酒をまいて家族の安寧を願います。
そしてトイレの掃除をして心を清めます。

恒例の行事を終えたあと、午後から夫と富士町に行きました。
夫が、北山小中学校の付近の神水川(しおいがわ)の土手に
アジサイが咲いているので見にゆこうと誘ってくれたのです。
アジサイの花は盛りを少し過ぎていましたが、たくさんの花に圧倒されました。

 

夫の意外な思いやりに感激しましたが、
帰りに諫早干拓に行くと言い出しました。
午後2時半ごろのことで、時間が遅いので私は躊躇しましたが、
夫はお構いなく車を諫早に向けました。
「有明海再生への道をさぐるため、どうしても見ておかなくてはならない」というのです。
休みの日もいつも仕事から離れられない夫です。
そんな夫が好きですから、「はいはい」と付いて行きました。

帰りに長崎県の温泉に入りました。
温泉と書いてありましたが、お湯につかるとカルキのにおいがしました。
温泉なのかなあと首をかしげながら入りました。

土砂降りの雨の中の、2人だけのドライブ、
帰ったのは午後9時を過ぎていましたが、楽しい1日でした。

もうすぐ夏休みですが、横浜の孫たちは帰ってこないようです。
最近犬を飼い始めたのと、小学生も子どもクラブなどの行事が忙しいようです。
仕方がないので、私のほうから出向こうかと思っています。

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