2012年1~3月のぼやき

2012年3月

2012年3月28日(水)

きょうは春の暖かさに包まれました。
畑の菜の花、庭のヒイラギナンテン、庭木のコブシが満開です。
10日前の、夫と娘の大嵐も収まって、今は仲良く会話しています。
横浜からやってきた孫たちが走り回っているので
家の中も春の暖かさが漂っています。

夫は毎朝ラジオ体操に行きますが、
孫の晴輝は自分で6時ごろには起きて一緒にラジオ体操をします。
今朝もマックスを連れて夫と出て行きました。
夫も晴輝もマックスも嬉しい朝のようです。

春の陽気に誘われた私は
昼前に下の孫の咲英と手をつないで散歩しました。
川べりのミモザが満開でした。
幼い子ですので、大人のように感嘆の声をあげませんが、
都会にない田舎の風景を目と心に焼き付けてほしいと思いました。

咲英が喜んだのは、ひな人形です。
横浜の家には小さなひな人形しかないので、
7段飾りのひな人形を仕舞わないで飾ったままにしておきました。
男の子の晴輝はあまり関心を示しませんでしたが、
女の子の咲英は人形ひとつひとつに触っていました。

夫は今年の7月4日に古希を迎えます。
早めですが、孫たちの居る間に古希の祝いをしようと、
25日の日曜日に古湯温泉に泊まりました。

古希には紫色を贈るということなので、
娘たちがストックなどの紫色の花束とトレーナーの上下を贈りました。
孫たちは、古希を祝う絵を描きました。
「おじいちゃん大好き、長生きしてね」と書かれた絵をもらった夫は、
満面の笑みをたたえていました。
私は何も贈りませんでしたが、宿代は私が負担しました。

孫たちが来て一番大変なのは食事作りです。
毎日、3食7人分の食事作りに追われています。
孫たちに佐賀で採れた旬の食材を使った料理を
きちんと食べさせたいので、手は抜けません。

いつもは午後8時か9時ごろ帰ってくる夫も、
何もないときは、7時ごろには帰ってきて孫と一緒に食べています。
手はかかっても作りがいがあるので楽しい料理です。

きょう事務所に2人の男性が顔を見せました。
1人はあまり酒を飲まないで節制した生活をしていますが、
今年に入って以来ずっと風邪をひいて辛そうです。

もう1人は大酒飲みで、
きのうも、嬉野温泉、武雄温泉、それに佐賀で
朝の7時から夜9時まで、12時間以上飲み続けたそうです。
それでも二日酔いでもなく、元気一杯です。
節制した人の体調が悪く、無茶苦茶な生活している人が元気、
不思議というか不条理というか。

孫たちが居るのは、あと5日間です。
週末に夫が孫と遊べる時間が取れればいいがと思っています。

2012年3月19日(月)

朝、夫はコートを持たずに仕事に出ました。
寒いのではないかと思ったのですが、夫を送ったあと玄関先を見ると、
先日までは芽が出たばかりだった
ヒヤシンスやムラサキハナナが咲き始めていました。
チンチョウゲは満開、春になったのですね。

 

 

わが家の3女は料理はあまりしませんが、
掃除や整理整頓は、これ以上出来る人はいないと思うほどです。
その3女が先週末、玄関先や勝手口を綺麗に片付けました。

片付けた物の中に、夫がウコッケイに与える餌の箱や餌を作る道具もあり、
娘は勝手口の軒先に、使いやすいように丁寧に納めていたのですが、
土曜日に気がついた夫は、使いにくいとた元の位置に戻しました。
そこで娘と夫の大喧嘩が始まりました。
きちんと整頓したい娘と、整頓より使い易さを優先する夫の意見は
真っ向から衝突しました。

娘が何かに使うものだろうと倉庫にしまった棒を見た夫は、
「こがん要らんものまでしまいこんで」と棒を倉庫の外に投げ捨てると
娘が棒を拾って投げ返すなど何年ぶりかの大喧嘩でした。

夫は最近頑固になって自分の考えを曲げません。
娘は「市長に注意する人が居ないから
独善的になるのだろうか」と心配していました。
市長に対して意見を言うのは遠慮があるかも知れません。
家族だから言えることもあります。
春一番のわが家の大嵐、良かったと思います。

夫と娘の大喧嘩のあと、
娘はカリカリしながら車で職場に向かったので心配でしたが、
親子喧嘩ですから、怒りはすぐ収まったようです。

一方の夫は、1人で家の近くの川掃除をしました。
地元の西寺小路の春の川掃除は4月15日で、あと1ヶ月近くあります。
川の草が大きくなりすぎて掃除の人たちが難儀するので、
草が小さい今の内に掃除しておこうと思ったようです。
地域の人たちのために1人黙々と働く夫を見ると、
少々頑固だけど、立派な人だと思いました。
夫は娘との喧嘩を反省しながら川掃除をしたようです。

 

きのう(18日)日曜日の夕方から
夫と2人で、熊の川温泉のちどりの湯に行きました。
久しぶりの温泉でゆっくりしたので、
帰って夕食を摂ったのは午後9時になっていました。
こんな日、外食すればいいのですが夫は外食は嫌いです。
定年退職してずっと自宅にいる夫を持つ妻は
朝から晩まで食事のことを考えているそうですが
私はたまの夕食なので頑張って作ります。

横浜の孫と娘が24日に来て、4月1日まで滞在します。
孫たちを太陽の匂いのする布団で寝せたいので、
布団を干したいのですが、カラッとした天気になりません。
菜種梅雨の空を恨めしくながめる日々です。
夫も心待ちにしているようです。

2012年3月13日(火)

今朝、夫を送り出しに玄関先に出ると
水桶に薄く氷が張っていました。
3月の半ばになって氷が張るということが今まであったでしょうか。

日中はお日さまが顔を出したので庭に出ると
サクランボの生る桜の花が満開でした。
開花が例年より2週間遅れた白梅と一緒に満開になっています。
こんなことも今まであったでしょうか。
チンチョウゲも満開で、梅とチンチョウゲの匂いが一緒になって
もあっー、と漂ってきます。春の香りです。

10日の土曜日、サガン鳥栖の開幕戦を友人と一緒に応援しました。
J1でも恥ずかしくない試合が出来るのだろうかと心配しましたが、
セレッソ大阪を相手に前半は互角以上の戦いを見せてくれ
後半はやや押され気味でしたが、よく耐えて引き分けました。
年間を通じて観戦できるドリームパスポートを購入しました。
これからの試合が楽しみです。

 

試合を終えた後の鳥栖駅周辺は
近頃見たこともないほどの人の波で埋まっていました。
J1が地域の活性化に大きな役割を果たすことを確信しました。

3月11日は、日本中の人たちが忘れられない日になったと思います。
去年の11日、私は秀島敏行後援会の事務所にいました。
ぶんぶんテレビで市議会中継を見ているとき地震を知ってNHKに切り替えました。
襲ってくる津波の映像はまるで映画の世界で、
これが現実だとは思えませんでした。

11日は私は自宅にいましたので、
午後2時46分に1人で東に向かって黙祷しました。
あれから1年、ガレキの処理、街の復興、原発、何も解決していません。
被災した人への慰めの言葉も持ちませんが、
前向きに生きて、生活再建のメドが1日も早く立つよう願っています。

数日前、ちょっと体調が悪い夜がありました。
夫が市長になって以来、夫を支える日が続いていますが
体調が悪いと、ふと、私は一体何をしているのだろうと思うときがあります。
どうしたのだろうと、思っていましたが
体調が回復すると、市長選挙への立候補を逡巡している夫に、
「あなたと一緒に苦労する」と誓ったことを思い出して、
夫を支えることは佐賀市を支えることだと、ふっきれます。

このブログは、色々な方が読んでくださいます。
横浜の孫の幼稚園の園長先生は、
「幼稚園のことを書いてもらってありがとう」と言われました。
新聞記者は「市長と夫人の人柄を知る素晴らしいブログです」と褒めてくださいました。
親戚の人は、月曜の更新が遅れると、病気ではないかと心配してくれ、
体調を崩したことを書くと、無理するなと、助言してくれます。

大勢の方に支えられていることを知りましたが、
今回も月曜から1日遅れになりました。
体調が悪かったときのことも書いてしまいました。
来週は、月曜日に元気一杯で更新する予定です。

2012年3月7日(水)

洗濯は夜の間にして、朝干すのが習慣です。
きのうの天気予報では、きょう(7日)は晴れるということだったので
昨夜の内に厚手の物までたくさん洗濯しました。
今朝、洗濯物を持って庭に出ましたが、お日様の顔は見えません。

恨めしそうに洗濯物を干す私をマックスも恨めしそうに見ていました。
犬小屋に敷いていた湿った毛布も干したので、
マックスも晴れない空に気分が晴れなかったのでしょうか、
それとも毛布を取られたと思ったのでしょうか。

洗濯物を干したあと、庭を回ると、
垂れ梅のピンクの花やクリスマスローズ、サクラソウが満開、
チンチョウゲも咲き始め、チューリップ、ヒヤシンスも芽が出てきました。
間もなく春爛漫になると思うと、
曇り空に沈んでいた気持ちが一気に満開になりました。

 

 

3月3日の、ひな祭りの朝、
夫は職場の親睦旅行で熊本に、娘たちは仕事で、私1人だけ家に居ました。
7段飾りのひな人形の傍にテーブルを置いて、手づくりのひな人形を並べました。
娘たちの幸せを願いながら、私だけの静かなひな祭りを楽しみました。

 

夕方熊本の旅行から帰った夫を佐賀駅で迎えて
そのまま一緒にハウステンボスに行きました。
佐賀のライトファンタジーの人気が出ないので、
ハウステンボスのイルミネーションに学びたいという夫からの誘いでした。

数百万のLEDの豆球に彩られた夜のハウステンボスはロマンティックでした。
若いカップルの邪魔をしないように、私たちも1時間半ほど
ゆっくりと幻想的な空間を漂いました。
ワインも少しいただいて、これが私のひな祭りかなと思いました。

佐賀の夜の街は暗くて寂しいので
ハウステンボスのイルミネーションのように輝く街にしたいと言うと、
環境派のおじさんは「夜は昔のように早く寝て、
無駄なエネルギーは使わないようにしなくてはならない」と言いました。
省エネは大切ですが、あまり寂しいのも困ります。
自転車発電なんて出来るといいですね。

土曜日の夜遅くハウステンボスから帰りましたが、
夫は日曜日の朝早くから消防団の放水競技大会の激励に出ました。
その日、さまざまな行事があったので、夕食を食べたのは午後9時半でした。
月曜の朝も、夫は4時半に起きて佐賀空港発の第1便で東京に出張しました。

夫は目覚まし時計に起こされる日が続いて
生活リズムが崩れていると、ぼやいていますが、
夜遅く帰って朝早く出かける夫は、とても丈夫です。

2012年3月2日(金)

きょう(3月2日)は、本庄の歩こう会の日でしたが、
あいにくの雨だったので参加しませんでした。
代わりに近所を歩いていると
すぐ前の家の庭の白梅が満開になっていました。
わが家の庭は紅梅が満開で、待っていた春がきました。

 

先月の下旬、娘が七段飾りの雛人形を押入れから出して座敷に飾りました。
雛人形は五人囃子の笛や太鼓、
お内裏さまの指物、左大臣右大臣の烏帽子など
ひとつひとつを飾らなくてはならないので大変です。

娘は楽しそうに1日がかりで飾り付けていましたが、
雛人形が出ると、座敷が明るく華やぎます。
この雛人形は、私の母が、母から見れば孫娘のために買ってくれました。
雛人形を飾るたびに娘の幸せを願うと共に、
働き者で優しかった母を思い出します。

 

学校が春休みになると、
横浜に住む次女と孫たちが帰ってくる予定です。
それまで雛人形を飾っておきますので、
今年は雛人形の出番は長くなりそうです。

3日前の2月28日に
諸富町の老人クラブが開いた「おばあちゃんの発表会」に出かけました。
ダンス、舞踊、コーラスなどが披露され、
踊っている方の多くは70歳代のようでした。
その中で、一休さんのダンスを101歳のおばあさんが踊っておられました。
私が市役所で働いていたときの同僚のお義母さんで、
元気なことに驚きましたが、101歳にもなると可愛くなるから不思議です。

会場には、木目込み人形、バック、造花、パッチワークなどの
手づくりの作品が並べられていました。
皆さんの元気で器用なことに驚きました。
手芸がほとんどできない私は、
もし家事から解放されたら何をすればいいのか、考えこみました。

毎月1日には、屋敷の四方に塩とお酒をまいて家族の安寧を祈ります。
3月1日のきのう、いつものように塩と酒を探すと、
日本酒は封を切っていない上等な酒しかないことに気がつきました。
「もったいない、土にやるなら俺に飲ませろ」というだろう
お酒大好きの友人の顔を思い出しながら、
塩はたくさん、お酒はほんの少し四方にまきました。

きょう酒好き君にその話をすると、
「上等な酒は香りが強すぎて旨くない、安酒のほうが旨い」とのこと。
悔しいので強がっているのでしょうか、
本当に安酒のほうが美味しいのでしょうか。

2012年2月

2012年2月21日(火)

今朝(21日)は少し暖かかったので、庭に出て春を探しました。
玄関先に植えたクリスマスローズは、
つぼみが大きくなり、もう少しで咲きそうです。
満開の白梅に続いて、紅梅と垂れ梅のつぼみもふくらんできました。
庭の花や木は、寒さに耐えながら春に備えています。

14日のバレンタインデーに
娘3人と私で、わが家の唯一の男性の夫にピンクのネクタイを贈りました。
「家族の為、SAGAの為に頑張ってください。うがいはしてね」という
メッセージを添えました。
夫は照れくさそうに、嬉しそうに、そしてニヤニヤしながら
ピンクのネクタイを締めて出勤して行きました。

傷めていた膝が良くなったので、
17日の金曜日、本庄の歩こう会に出ました。
いつものように城内を歩きながら、
健康のこと、料理のことなどを、ペチャクチャ喋りました。

毎日歩いて元気いっぱいの60代の女性は
「私はみんな丈夫なのに、腕が上がらなくなった」と
50肩か60肩を嘆いておられました。
口も元気な方なので、早く肩が良くなって、
もっともっとおしゃべりして欲しいと思いました。

18日の土曜日、佐賀城下ひなまつりが始まりました。
夫は毎年、開会式に出て挨拶などをしますが、
私は開会式は見たことがありません。

今年こそ、開会式に顔を出そうと、
仕事の夫とは別行動で、友人と朝早く出かけました。
今年のひなまつりのキャッチフレーズは「まちなか全部がひなまつり」ということで、
徴古館と歴史民俗館を結ぶ松原川沿いの道路にはボンボリが並び、
松原川の石畳には、花のお内裏さまとお雛さまが作られていて
街のひなまつりの雰囲気を高める仕掛けがしてありました。

 

珍しい仕掛け、からくりを見ることが出来たのは旧古賀銀行です。
色々な、からくり人形がありました。
入るとすぐの所で、宙にに浮いた瓢箪から水がいつまでも流れ出ていました。
からくり水と書いてありましたが、どうして瓢箪が宙に浮いているのか、
どうして水がなくならないのか、不思議でした。

体操選手のように、ピョコンピョコンと後転する人形や
弓を引き絞って矢を見事に的に当てる人形もありました。
江戸時代のロボットのようで、子どもに戻って楽しみました。

旧古賀家の鍋島小紋のひな人形は
以前より規模が小さくなったような気がしましたが、
ひとつひとつ違う雛人形を、奏でられる琴の音を聞きながら見ると
心が安らぎました。

あちこちの会場を回りながら街歩きを楽しんでいると、
サガン鳥栖のアンテナショップがあり、
中に入ると、サガン鳥栖の社長がいらっしゃいました。
J1に昇格したサガン鳥栖は、今年佐賀市で3試合するそうです。
とても楽しみです。

お昼はレトロ館でいただきました。
ひな御膳にしたかったのですが、2500円の昼食は贅沢かなと思って、
オムライス1200円にしました。
こちらも安くはありませんが、とてもおいしかったです。

昼食のあと、レトロ館の近くの、佐賀城本丸歴史館で
草月流の生け花展を見ました。
私は生け花に向きあって静かなときを過ごすのが好きです。
生けた人の心が伝わってくるような気がします。

家に帰り着いたのは午後4時ごろでした。
からくり人形、ひな人形、街歩き、おいしい昼食、生け花、
浮き浮きと楽しい文化の日のような1日でした。
帰ってきた夫は、とても忙しい1日だったそうで。
申し訳ないなとも思いましたが、
私は翌日の日曜日も楽しい1日になりました。

18日の日曜日は、大好きな魚釣りを楽しみました。
唐津に釣り船をもっている方が誘ってくださったのです。
2月は1年で最も魚が釣れない時期で
寒いので、こんなとき魚釣りをするのはよほどの物好きだそうです。

言葉どおり、手は餌も付けられないほど凍りつき、
鼻水はズルズル、哀れな姿でしたが、
それでも私はアラカブ3匹、ベラ4匹が釣れました。
一緒に行った友人もそこそこ釣れて満足そうでした。
土曜、日曜と、とても楽しい週末を過ごすことができました。

知り合いから大きな晩白柚をいただきました。
皮がとっても綺麗なので、皮でジャムを作ることを思い立ちました。
皮は苦味があるので、小さく刻んで米の研ぎ汁で茹でて
ひと晩おいてジャムにすると、晩白柚1個で1瓶のジャムが出来ました。
娘が作る手づくりのヨーグルトに入れるととてもおいしく毎晩食べています。

2012年2月13日(月)

おとといときのう、快晴に恵まれたので、
家中の押入れから布団を出して陽にあてました。
土日も仕事に出ることの多い娘は自分で布団を干すことができないので、
代わりに布団だけでなくベッドマットまで干してベッドの下の掃除もしました。
昨夜、太陽の光をいっぱい浴びた布団に入ると
ポカポカと温かく、お日さまの匂いがして幸せに眠ることが出来ました。

ぐっすり眠って今朝5時45分に目覚めると夫がまだ寝ているのにびっくりしました。
夫はいつも必ず5時20分に起きます。
太陽の暖かさに包まれて寝過ごしたのだろうと慌てて起こすと、
雨でラジオ体操に行けないし、新聞が休みで読めないのでゆっくり寝ていたそうです。
私は雨の音に気付きませんでした。夫は早くから目覚めてはいたのです。
夫はゆっくり寝ると言っても、6時前に布団を抜け出してマックスの散歩に行きました。

夫を送り出したあと、雨に濡れた庭に出ると、
赤い花の咲くチンチョウゲは蕾が赤くふくらみ、
白い花の咲くチンチョウゲの蕾は白くふくらんでいました。
三寒四温の次の四温が来ると花が咲きそうです。

 

先週夫は、火曜水曜日に東京に出張して
水曜日の最終便で佐賀空港に帰ってきました。
バスで帰るので空港に迎えに来なくていいと言うので、
空港からのバスが停まる博物館のバス停まで迎えに行こうと思っていましたが、
バスを乗り換えて家の近くまで帰るので迎えは不要といいます。

私と娘は食事をせずに待っていると夫は午後10時前に帰ってきました。
もし空港まで迎えに行けば、午後9時過ぎには帰ることができます。
夜の10時を過ぎて食事をするのは健康によくありません。
私は思わず「バカじゃない」と言ってしまいました。

市営バスの存続の為に1人でも多くの人にバスに乗ってもらいたい夫は率先してバスを利用し、
意気揚々と帰ってきたのに「バカじゃない」と言われてシュンとなりました。
高齢者や子どもなど弱者の足を守る先頭に立つ夫に、
「バカじゃない」と言ってしまったことを後悔して、私もシュンとなりました。

夫がたまに乗る車は、橋の欄干でこすって傷つき、
古い車なので修理しないで買い換えることにしました。
私が運転できる大きさで、孫たちが帰ってきたときに乗れる
6~7人乗りにすることにしました。
私はどこのメーカーでもいいのですが、夫はホンダにするといいます。
佐賀のバルーン大会をホンダが支援してくれているからです。
驚くほど律儀で強情な夫は素晴らしい人です。

2012年2月7日(火)

立春を過ぎると三寒四温といわれるように寒かったり暖かかったりします。
今朝は暖かい春のような風でしたが日中からまた寒くなりました。
こんな温度差のあるころ私は体調を崩すことが多いので気をつけなくてはなりません。

2月に入ると日本列島は大寒波に襲われ2日は佐賀も雪が積もりました。
マックスは震え上がっていましたが雪化粧した庭の美しさにみとれました。
気温も下がって車庫の屋根に50センチくらいの長いツララができていました。

 

毎年節分の2月3日に恵方巻きを作りますが、
今年は3日から横浜の孫に会いに行くので2日に作って夜食べました。
しかし恵方巻きは節分に食べるものだと思い直して3日も巻き寿司を巻き、
夫と娘たちが今年の恵方の北北西に向いて食べて1年の健康を願いました。
2日間で16本作り、近所の1人暮らしのお年寄りに差し上げました。

 

3本の恵方巻きを持って佐賀空港発午後3時過ぎの便で横浜に向かいました。
横浜の孫の家に着いたのは夜でしたが、
孫たちも恵方巻きを食べて、こんな行事ははじめてだと喜んでいました。
このあと娘婿が、孫の咲英が作った鬼の面を付けて豆まきをしました。
節分の行事を孫とするのははじめてで素晴らしい夜でした。

 

お風呂に咲英と一緒に入りました。
幼稚園の年長組の咲英はしっかり者で体も長い髪も自分で洗いました。
幼い子の成長の早いのに驚きました。

翌日の4日、園児の作品展が開かれている咲英の幼稚園に出かけました。
咲英が生まれた年に夫が市長になったので、
忙しくて幼稚園の行事に顔を出すことが出来ませんでした。
幼稚園最後の行事の作品展なのでぜひ見ようと思ったのです。

咲英が自分の顔を描いた水墨画は、
バババカと言われるかもしれませんが、とても上手でした。
また咲英の名前の頭文字の(さ)を使ったカルタもありました。
読み札の「さかなきょろきょろおよいでる」という文章と
魚が泳ぐ絵も咲英が書いたものです。
園児の作品はみんな素晴らしく子どもはみんな天才と思いました。

 

幼稚園には子どもたちが作った笠地蔵があり、
咲英と兄の晴輝が顔を乗せて写真を撮りました。
とても楽しい幼稚園でした。

幼稚園を出てみんなで公園に行きました。
娘婿、つまり孫のお父さんは外国に長く出張していたので、
子どもと遊ぶのは久しぶりということで、
仲良く楽しそうに遊ぶ孫たちの家族の様子をみてほのぼのとしました。

咲英は春には新1年生になるので、
入学祝を買いにデパートに行きました。
買ったのは筆箱やノートなど、ささやかな物でしたが、
孫たちはとても喜んでくれました。

5日に佐賀に帰ってきましたが、
孫たちとの2泊3日は、とても充実した日々でした。

明日は雪が降るという予報です、
インフルエンザも流行っています。
お互い注意しましょう。

2012年1月

2012年1月31日(火)

ここ数日、朝夕は寒いものの
日中はお日さまが出て絶好の洗濯日和です。
あすから寒波が来るということなので今朝から大洗濯をしました。
台所やトイレなどの大型のマット類は
コインランドリーで洗って庭に干しました。

秋から冬にかけて咲くサザンカと交代するように
庭の片隅に植えたワビスケが咲き始めました。
畑では、収穫しそこなったブロッコリーの花が咲き、
菜っ葉類の菜の花も咲き始めました。
庭は冬、畑は春のようです。

 

28日の土曜日、地元の本庄地区袋の市会議員の
議会報告会を聞きに、夫と一緒に出かけました。
袋は私たちが結婚したばかりのころ5年間住んだ所で
当時お付き合いした人たちに会いたかったからです。

当時住んだ借家は昔のままでした。
人が住んでおられるので、中を覘くことは出来ませんが
夫はなつかしそうに、家の周辺を回っていました。
すぐ近くに住んでおられた大家さんのおばあちゃんは、
共働きだった私たちを可愛がってくださり、
人参や白菜などの季節の野菜をたくさんいただきました。

おばあちゃんは亡くなり、当時高校生だったお孫さんの代になっていて、
私たちが仏さまを拝ませていただこうと顔を出すと、
家族の方たちは、びっくりしながら喜んでくださいました。
議会報告会でも、大勢の懐かしい方たちと出会えて、
感激のひと時を過ごす事ができました。

29日の日曜日は夫と一緒に
日野原重明先生の100才を記念するフォーラムに出かけました。
会場までバスで行くことにしてバス停に着くと8人もの人がバスを待っていました。
やってきたバスには5人が乗っておられ、そのあとも3人が乗ったので、
16人もの乗客になり、市営バスを大切にする夫は大喜びでした。
いいことがあるぞと思ってフォーラムの会場に入り、
日野原先生の話に感動することが出来ました。

先生は100才3ヶ月になるのに、
1時間余り、立ったまま疲れを知らないように話されました。
先生は「人に尽くし、人の役に立つ人生を送り、
人を愛し、人に愛され、命を大切にしてください。
若者たちに支えられるのではなく、若者を育てましょう」と話されました。

 

先生は、赤軍派が北朝鮮に亡命した
よど号ハイジャック事件のときの人質の1人だったそうです。
また聖路加病院の医師として
美智子さんの正田家の主治医を務めたそうです。
いろんな人生経験を経て、素晴らしい人になられたのですね。

2月4日の土曜日、
横浜に住む孫の咲英の幼稚園の作品展です。
この子は夫が市長になったころ生まれたので
誕生日、幼稚園の入園式、運動会など、
お祝いに顔を出す事がほとんど出来ませんでした。

この春の小学校の入学式にも出ることが出来ませんので
作品展を見に行くことにしました。
兄の晴輝は4年生になります。
新1年生、新4年生のお祝いを持って行こうと思っています。
今から楽しみでわくわくしていますが、
寒波が来るというので、飛行機が飛ぶかどうか心配です。

この前正月を迎えたばかりなのに、あすはもう2月です。
3日の節分に、孫に会いに横浜に向かいますので、
夫が大好きな恵方巻きは2日に作りましょう。
2月もあっという間に逃げて行きそうです。
イソガシ、イソガシの毎日になりそうです。

2012年1月26日(木)

今朝、洗濯物を干しに庭に出ると、
庭木用の水道の蛇口にツララが出来ていました。
この冬、氷が張っているのは何度か見ましたが、
ツララを見るのははじめてで、わが家の庭はこの冬1番の寒さだったようです。

昼間はお日さまが出たので縁側はポカポカ暖かくなりました。
縁側には、イチゴを栽培する農家の方からいただいた
イチゴを植えたプランターを置いていますが、
ふと見ると、赤いイチゴが1つ生っていました。
農家の方は「素人がイチゴが実るまで育てるのは難しい」と言われたので
何としても実らせると、大切に育てたかいがありました。

イチゴを育てたのは初めてだったので
私は感激して友人に話すのに、友人はちっとも感激せず、
「イチゴが出来たくらいで感激する貴女に感激した」と言われました。
私は単純なのでしょう。

近所に住む夫の兄の家を訪ねると、
玄関先に置かれたプランターの桜草が鮮やかに咲いていました。
赤紫と白い桜草は春を告げているようです。

この桜草は義兄が14年くらい前に義母からもらい、
毎年、花から種をとって苗にして育てています。
私も苗を義兄からもらったことがあるのですが枯らしてしまいました。
イチゴを育てあげた実績を訴えて、来年は苗をいただきたいと思います。

20日の金曜日、本庄の歩こう会に久しぶりに参加しました。
最近足が痛いので、皆さんの半分だけ歩くことにして
お城の濠のところで足を止めると水面をカモが泳いでいました。
NHKのど自慢にゲスト出演された新沼謙治さんが、
「濠に浮かぶカモ、挨拶する人たち、ゴミひとつ無い道に
佐賀が好きになりました」と話しておられました。
その言葉を思い出しながら、美しいカモをいつまでも見ていました。

夫の知人の三夜待に夫婦で招かれました。
今は70代の夫婦10組が数十年前に始めた三夜待だそうです。
この日は9組のご夫婦が参加されていて、皆さん和気あいあいでした。
私は知らない人ばかりだったのですが私の友人と親しい方がおられました。

その方は、夫の選挙のとき、私の友人が
「素晴らしい友人のご主人なので、きっと立派な人だから応援して」と
言ってくれたことを話されました。
私の知らないところで応援して下さった人たちが居て、
今の夫があることをあらためて知りました。

里帰り出産した娘さんとお孫さんの世話を7ヶ月間もして疲れた友人が、
沖縄の海辺で1週間余りぼんやりして帰ってきました。
痩せてやつれた表情に、病気にならなければいいがと心配していましたが、
体も顔も元気いっぱいの、以前の姿に戻られました。
わずかの間に体重が4キロも増えたそうです。
思い残すことがないほど、力いっぱい孫たちのお世話をしたという満足感もあるようです。
同じホテルに7泊して何もしない。
ぼんやりと海を見て時々本を読んできたそうです。
いい休みの取り方と感心しました。

2012年1月16日(月)

今が1年で最も寒いころでしょうか、
庭や畑に花はほとんどありません。
その中で頑張っているのが水仙で今満開です。

また家の玄関の花瓶に生けた
「みちのく初桜」の枝の花が満開近くになりました。
知人が東北から送られてきた枝をお裾分けしてくれたものです。
花を見ながら東北の人たちに明るい春が来る事を願っています。

1月7日に、七草粥を炊きました。
7日が平日の年は早朝に炊きますが、
今年は土曜日だったので朝の9時ごろ家族4人でゆっくりいただきました。

 

毎年、近所の高齢のご夫婦にも食べていただきますが、
去年おばさんが亡くなったので今年はおじさん1人です。
去年はお2人だったのにと思いながら七草粥をお持ちしました。

また義弟の娘夫妻、つまり私には姪の夫妻が
住んでいるアメリカから義弟の家に帰国していたので、
七草粥は珍しいだろうと思って持参しました。
姪の夫は日本人ですがアメリカ生まれですので
七草粥の感想を聞きたかったのですが
聞く前に夫の実家に行き、今頃はもうアメリカでしょうか。

1月8日は、夫は出初式、NHKのど自慢、成人式と慌ただしい1日でした。
のど自慢は、夫は挨拶に行きましたが、
私は抽選に当たった友人に誘われて別行動で出かけました。

生放送の本番のあと、アトラクションがあり、
ゲストの新沼謙治さんと由紀さおりさんが2曲づつ歌われました。
そのとき新沼さんが、
「私はどこに行ってもその街を散歩し、今朝もホテル周辺を歩きました。
散歩で出会った人には、いつも私から挨拶しますが、
今朝は向こうから来られた2人連れの方が、
私より先に笑顔で、おはようございます、と言われました。
濠に浮かぶカモ、ゴミひとつ落ちていない美しい道に
佐賀はいい人、いいところだと思いました」と言われました。
私はとても嬉しくなりました。

1月9日に、北川副のほんげんぎょうに夫と一緒に出かけました。
北川副は私の生まれたところです。
ほんげんぎょうのお世話をする中心は私たちの年代、同級生世代です。
絹枝さん絹枝さんと呼んでくれるので、ふるさとに帰った気持ちになります。

私たちの世代から小学生まで老若男女が
ほんげんぎょうや、餅つき、うどん、串焼きのテントなどのお世話をしていました。
みんなの頑張る姿がとても頼もしく見えました。
私は正月に飾ったしめ縄を燃やして家族の無病息災を祈りました。

 

きのうの日曜日、長女はまだ寝ているのだろうと思っていると、
マックスと散歩に出ていた夫と一緒に帰ってきました。
一緒に1時間半歩いたそうです。
夫と長女が散歩するなんて数十年ぶりのことでしょう。
夫は嬉しそうでしたが、私も2人が並んで歩く姿を想像し、
何を話したのだろうと考えると、ほのぼのとしました。

2012年1月5日(木)

あけましておめでとうございます。
みなさまの今年が、普通に暮らせる平穏な1年になることを願っています。

 

きのう(4日)はとても寒くて、朝はボタン雪が激しく降っていましたが、
今朝は素晴らしい天気になり、
マックスが陽だまりで気持ちよさそうに居眠りしていました。

庭を回るとオモトが赤い実を付けている近くで
「龍のひげ」という草がたくさん生えているのに気がつきました。
緑の草の中に龍の目玉のような青い実がたくさん付いていました。
そういえば今年は辰年だと気がつきました。
今年はいいことがあるかも知れません。

 

暮れから正月にかけてわが家は穏やかな日々でした。
30日には、夫のきょうだい4世帯15人が集まって、
実家を継いでいる夫の弟の家で餅つきをしました。
夫は餅つきが大好きでとても上手です。
日本の伝統を義弟の孫やアメリカからやってきた娘さんの夫に教えようと
杵の振り下ろし方を指導する夫は楽しそうでした。
私は義弟のお孫さんの姿に、今年は帰って来なかった横浜の私たちの孫が重なり、
楽しい中でもちょっぴり淋しい気持ちもありました。

 

40キロの餅をつきますので、みんなくるくる働きます。
見ていると夫のきょうだいは、みんな元気で働き者です。
餅つきに来られなかった遠くで暮らす3人の兄弟には
義妹が餅を送ってくださいます。みんな仲良しです。

31日は、朝から晩まで大忙しでした。
朝早くから玄関の花を代えるなどして正月準備を行い、
そのあとおせち料理を作りました。

年越しの時間に新年を祝うカノン砲の祝砲を撃つ夫を
午後11時過ぎに送り出したあと、最後のおせち料理作り。
夫は元日の午前1時ごろ帰宅したので少し眠りました。
ラジオ体操&5社参りに参加するために午前5時に起きました。
起きるのが辛くてやめようかと思いましたが、
元気な夫が参加するので、頑張って一緒に行きました。

走って5社参りをする人もいますが、
私たちは歩いて5社を回り、
私は、家族の健康、夫の仕事が順調にゆくこと、
佐賀や日本が穏やかな1年であるように祈りました。
5社参りの帰り、自宅近くの神社にもお参りしたので
家に帰ったのは午前9時を過ぎていました。

そのあと、朝風呂に入って身を清め、
床の間に飾られた年とり餅の前に家族が集まりました。
そしてイワシ、昆布、カツオ、塩、スルメを食べてお屠蘇を飲み、
今年の恵方の北北西に拝礼して、年をとりました。

わが家の年とりの儀式を、他の県出身の方に話すと、とても珍しがられ、
「自分の家ではそんなことしたことがない」と言われました。
地域によって習慣が違うのですね。

1日の夜は、夫のきょうだいの家族が
夫の弟が継いだ実家に集まって一緒にお酒を飲み食事をしました。
20人近くが集まりましたが
義弟の小学生のお孫さんが準備したビンゴゲームを楽しみました。
夫のきょうだいは、みんな元気で働き者で、仲良しです。
義妹は大変忙しかったでしょうが、楽しいお正月でした。

2日と3日は、大好きな箱根駅伝をテレビで観戦しました。
3日の夜、夫と一緒に古湯の温泉に入り正月を締めました。

(C)ひでしま敏行後援会. All Rights Reserved.