2011年7~9月のぼやき

2011年9月

2011年9月26日(月)

毎年、秋分の日前後の連休は、
地域の川掃除と、わが家恒例の彼岸の墓参りがあるので、
どこにも出かけられません。
今年の連休は、とてもおだやかな天気で、
友人夫婦が楽しい旅行に出かけたのを少し羨ましく思いました。
それでも連休が終ってみると、とてもいい連休でした。

連休初日の23日の秋分の日、
夫は仕事で出かけたので、朝から家の掃除をして
タオルケットなどの夏物の大洗濯をしました。
すっきりして秋を迎える準備ができました。

連休2日目の24日の土曜日、
例年秋分の日の墓参りを1日遅れでこの日にしました。
夫の仕事の都合もありましたが、
何を思ったのか娘が一緒に墓参りをしようと言い出し、
全員の日程を調整して24日になったのです。

娘は、子どもの頃可愛がってもらったおじいちゃんが
イッコウコウが大好きだったことを思い出して、
所用で鹿島に行ったときイッコウコウを買ってきたので、墓に供えたいと言います。
私たち夫婦は、なんだか嬉しくなって、家族4人で墓参りに出かけました。

娘たちは、祖父母の墓は知っていても、
遠い親戚や、私たちが例年参っている恩師の墓はしりません。
牛津や蓮池の墓では「こんな遠い所まで来ていたの」と驚いていました。
ドライブの車中などで話していると娘はお盆に1人で墓参りしていたことが分かりました。
私たち夫婦が墓参りするのに知らん顔をしていた娘の変わりように
どうしたのだろうと、驚きました。

娘は、帰りの車の中で、
「敬老の日にちなんで、うなぎをご馳走しよう」と言いました。
同じ家で暮らしていても、みんな大人になって距離を置いていましたが、
この日は、子どもが幼かった頃の家族のようになっていました。
最近娘たちが優しくなったような気もします。
家族そろっての墓参りは10年ぶりくらいではないでしょうか。
夫も1日ご機嫌でした。

連休3日目、きのうの日曜日は川掃除でした。
私の住む、本庄町西寺小路の村中地区は、
市役所から、私の家に1輪車、スコップ、鎌、胴長などの掃除道具が届き、
道具を9つの班に分けて引き渡すのは私の仕事です。

早めに起きて、道具の仕分けをしておこうと思っていましたが、
午前6時に、夫が「道具は仕分けておいたぞ」と私を起こしました。
川掃除の日はいつも張り切る夫は、5時に起きて道具を仕分けたようです。
掃除は8時からですが、7時からはじめる班もあるので、
私は朝食も食べずに道具を取りに来る班に引渡し、
掃除を終えて戻ってきた道具を点検掃除をしました。

 

私たちの班の男性は、夫を含めて高齢者ばかり5人しか居ません。
88才の方が、川に入ろうとするので、夫は
「若い者がやりますので」と言ったと聞き、私は噴き出しました。
若い者といっても、みんな60代です。

ただ、私たちの班以外の、新しい住宅地の班は、
若い夫婦が多く出てこられ、中には子どもが手伝う姿も見られました。
掃除道具をお父さんと一緒に取りに来た小学生が
1輪車を押してゆく様子はとても可愛らしく、
みんなで地域の川を掃除しようとする若い人たちが増えているのがとても嬉しかったです。

掃除は午前10時半ごろ終ったのに夫は昼ごはんの時間になっても帰ってきません。
地域全体を見て回っているのだろうと思っていましたが、
近所の権現さまの境内の草刈りをして来たそうです。
伸びた草の向こうで彼岸花が咲いていたと夫が云うので見に行くと、
刈られた草の間から鮮やかな真紅の彼岸花がのぞいていました。
夫の草刈り奉仕で人の目に触れるようになった彼岸花です。

 

権現さんは隣りの地区の神社ですが夫は夏も草刈りをしました。
「どうしてあなたがやるの」と聞くと「他にやる人がいないから」だそうです。
宮司さんのいない小さな神社の管理は誰がするのでしょうか。

 


敬老の日に、横浜の孫が夫に
「ドングリの絵にげんきでいてね」と書いたハガキをくれました。

 


また私の顔を描いた絵が横浜のダイエーに展示され、
写真を送ってきました。
その絵は「赤毛のおばあちゃん」というタイトルだそうです。
ほんの少し前髪を赤くしているのを、
よく見ているなと感心しました。

 

2011年9月21日(水)

秋めいてくると畑のコスモスが賑やかに咲いてきました。
コスモスは近所に住む義弟が、花から種を取って植えてくれますが、
今年は、これまでの赤いコスモスに加えて、
黄色の花が咲く、黄花コスモスの種も植えてくれました。
黄花コスモスのほうが少し先行して咲きそろい、
今朝は、台風の風に楚々と揺れていました。

 

夫は毎朝、気功とラジオ体操をしますが、
先週末ごろから、足踏みや腹筋を体操メニューに加えました。
19日の敬老の日に行われる天山祈念碑祭に出席するための
天山登山に備えているなと思いました。

夫は、若いころ市役所の山岳部の人たちと久住などに登っていますので、
天山は軽い山のはずですが、夫は何をするにしても準備を怠りません。
今は忙しいので山に登れないので1年に1回の天山登山が楽しみだったようです。
登りながらラジオを聴こうとラジオを用意して、
頂上で携帯電話が通じるかテストをしようと、いつもは持たない携帯を携帯しました。

当日の朝、天気が良いのを見て、遠足に出るように浮き浮きしていましたが、
天山山頂は天気が悪く祈念式は麓で行われ、がっかりして帰ってきました。
しかし天山の帰りに、ススキを手折って持ち帰ってくれたので、
畑のコスモスと一緒に玄関に飾りました。
わが家は畑も玄関も秋一色です。

13日に本庄地区の自治会長の会が健康料理教室を公民館で開き、
私たち、食生活改善推進委員がお手伝いをして一緒に料理を作りました。
佐賀市の栄養士の指導で
キュウリ、トマト、オクラ、人参、レタス、カイワレなどの野菜たっぷりの冷やしうどん、
アジのカレー焼き、水菜人参のお浸し、オカラの小鉢などを作りました。

出席した12人の自治会長はみんな男性で中には1人暮らしの方もおられます。
連れ合いを失った男性には、バランスの取れた食事が大切ですので、
みなさん、真剣に料理に取り組んでおられました。

 

今朝、親友を送り出しました。
一人娘さんが、仕事で忙しいのでお孫さんの世話をするために
娘さんの住む熊本のマンションの別の階の部屋に移りました。

若いころ、市役所の市民課で一緒に仕事をした
女性ばかり4人で一緒に食事をしましたが、
知らない土地で、新しい友達が出来るだろうか、
マンション暮らしは大丈夫だろうかと、みんなで心配しました。
私は淋しいのですが、娘さんやお孫さんと楽しい日々を送ってほしいです。

2011年9月12日(月)

今朝(9月12日)夫を送り出したあと、
雲ひとつない空に誘われて庭に出ました。
真っ青な空なのに、なんとなく秋の気配を感じる空でした。

庭や畑を見回すと、夏の間少なかった花があちこちで咲いていました。
畑も庭も、白いニラの花に包まれていました。
取り残したニラに花がつくのですが、花が散り、枯れるとまた新しいニラが出てきます。
ニラは花も良し、食べても良しです。

 

庭の垣根には、ムラサキの可愛い花のデュランタ・バイオレット、
ラッパのようなピンクやオレンジの花のエンジェルス・トランペットが咲いています。
親戚や友人たちからいただいた花で、
枯れてしまったと思った花が、何年かぶりに咲いてくれることもあります。
これから庭は楽しくなります。

 

先週、夫はずっと議会でした。
議会が開かれる日は、夫は昼食に出る時間がないので、弁当を持ってゆきます。
夜の会合には出ずに早めに帰りますので、一緒に夕食をとります。
週末の土日も、行事への参加を少なくするので、朝、昼、晩、いつも家で食事をします。
1日3回、食事つくりに追われる私は、嬉しいような嬉しくないような日々でした。

土曜日、夫は畑が草に覆われているのを気にしながら、
議会での答弁のための勉強をしていました。
しかし、とうとう我慢できなくなり、畑に出て草を取り耕運機で耕しました。
もう少し涼しくなったら、秋野菜を植えるのだと、嬉しそうでした。

きのうの日曜日も、夫は諸富の産業祭に出ただけでした。
産業祭で、農協の方がブロッコリーの苗を無料配布していたそうで、
小さな苗を6本いただいてきました。
そこで、前日耕した畑に苗を植えていました。
あまりにも暑いので、苗を寒冷紗で覆っていました。
夫には、楽しい週末だったはずです。

 

市役所で一緒に仕事をした親友がいます。
4才年下ですが、何でも悩みを話せる大好きな人でした。
その人が生まれ育った佐賀を出てゆくことになりました。

結婚した1人娘さんには、幼い子どもさんが居られます。親友にはお孫さんになります。
夫婦で働いている娘さんは、仕事がますます忙しくなったので、
親友は、佐賀を引き払って娘さんの家族の近くに住んでお孫さんの世話をするそうです。
あとに未練を残すまいと思ったのでしょうか、親友は佐賀の家を売りました。

退路を断って夫婦で佐賀を出ていく親友。
知人の居ない土地に馴染むことが出来るか心配です。
これまで月に1~2度一緒に食事をしながら話していましたが、
簡単には会えなくなります。
とても淋しいこのごろです。

2011年9月5日(月)

本庄の歩こう会は毎週金曜日です。
先週の金曜日、久しぶりに参加しました。
第1金曜日は佐賀市全体の歩こう会の役員会があるので、
役員なしの10人余りで歩きました。

台風の影響で、涼しい風が吹くなか、
いつもより気楽に、のんびり話しながら歩きました。
話題は、いつものように、健康、食べ物のことがほとんどです。
佐賀城内を歩いて、本庄公園に着くと、
花壇に大きなカボチャが実っていました。

冬瓜よりひと回り大きく、みんなで大きさに驚きました。
「このカボチャは観賞用です」と書いてありました。
また、紺色に白い線のあるアサガオも開いていました。
「こんなアサガオ、昔はたくさんあったけど、最近見かけないね」などと
昔話にも花が咲きました。

 

1日の木曜日は、私の住む地区は資源ごみを出す日でした。
新聞などを持ってゆくと、軽自動車が停まって2人のおじさんが降りてきました。
はじめ資源ごみを出しに来たのかなと思いましたが、
2人は置いてあった新聞を軽自動車に載せ始めました。
「資源ごみを持ち去ってはいけないと書いてあるでしょう」と注意すると
「市役所に持ってゆくのだ」
「嘘でしょう」などとやり取りをしました。

ずっと前、資源ごみを持って行こうとした人に注意して写真を撮ると、
「若い者にぶっ殺されるぞ」と脅されたことがありますが、
その後、その人は来なくなりました。
安心していたら、また別の人が持ち去りに来るようになりました。
高齢のおじさんたちは、他に生活の糧を得る事ができないのかも知れませんし、
注意するのは怖いのですが、
決まりは決まり、注意せずにおれない私の性格です。

きのうの日曜日、夫と一緒に悪魔の飽食のコンサートを聞きに行きました。
森村誠一さんの小説「悪魔の飽食」は読んでいません。
夫が、チケットを2枚買ってきて「聞きに行こう」と言うので
内容を知らないままコンサートに行きました。

愛する妻や子のいる普通の日本人が、
同じように、愛する家族のいる中国やロシアの人たちを
マルタと呼んで人体実験で殺す姿を歌った合唱組曲でした。
私が知らなかった、人間が悪魔になる戦争の恐ろしい姿が描かれていました。

指揮者、歌う人、観客が一体となったコンサート会場は静まり返っていました。
文化会館大ホールを埋めた1800人の中には
涙を流す人はいても居眠りする人は誰1人居なかったでしょう。

予備知識のないままコンサートを聞きに行った私は、大きな衝撃を受け、
会場でいただいたパンフレットを、自宅に帰って隅から隅まで読みました。
森村誠一さんたちによるトークショーで、
「戦いがなくなるまで、このコンサートを続ける」という発言がありました。
合唱団は全国から集まって来られていました。
凄い人たちがいるものだと、心強く思いました。

 

2011年8月

2011年8月29日(月)

玄関先に置いたサギ草の鉢植えが咲きそろいました。
先週は数輪だけでしたが、2つの鉢で30輪余りが咲いています。
サギ草はツボミが開き始めると一気に開いて白いサギの翼になります。
ツボミと満開の間がありません。

 

花の少ない夏、畑で咲きほこっているのは百日草です。
百日草は、お盆と彼岸の墓参りの花用として夫が毎年種を蒔きます。
ムラサキ、オレンジ、ピンクなどの花がありますが、
種を見ただけでは、どんな色なのか分からないので、花が咲くのが楽しみです。

百日草は、真夏の100日間咲き続ける強さに驚きますが、
先週、夫も私も体調が少々おかしくなりました。
夫は、朝5時50分に家を出るなど早朝から出かける仕事が重なりました。
早起きはいつもですが、習慣にしているラジオ体操、気功、
犬のマックスとの散歩などが出来ずに、体調が整わなかったようです。

 

私は午前0時半に寝て6時ごろに起きるのが習慣で、
夫の弁当を作らないですむ土日は少しゆっくり寝ていました。
それが先週の土日は、夫は早朝から消防団の訓練の激励に行くので早起きし、
私も4時50分に起きました。

夏ばてしやすい時期なので、
夫に朝ごはんをしっかり食べさせたい私は、飛び起きると、
ご飯に、ゴボウ、タマネギ、ジャガイモ、南関アゲなどの入った味噌汁、
納豆、長いも、オクラのネバネバの和え物、
イワシの干物、海苔、梅干、ぬか漬けなどの朝ごはんを用意しました。

早朝出かけた夫は汗びっしょりになって帰ってきますので、
ゴーヤ、牛乳、バナナ、蜂蜜入りのゴーヤジュースを作って待ちました。
さらに、夫の習慣になっていた犬のマックスの散歩も私の仕事になり、
汗に濡れた夫の消防団の制服は、翌日も着るので大急ぎで洗濯しました。

こうして先週は大変疲れましたが、
そうした中で、高校の同級生の集まりに誘われました。
ずっと親しくしてきた女性が多い集まりでしたので、
気を使うこともなく話をして疲れが取れました。

少し疲れた私たち夫婦ですが犬のマックスも食欲がありません。
「夏ばてかな」と話すと、娘が、
「恋をしているのじゃない、心配しなくていい」と云いました。
その娘は食欲が衰えません。恋はしていないみたいです。

2011年8月22日(月)

鉢植えのサギ草が開き始めました。
白いサギが翼を広げたように清楚に咲いています。
サギ草の鉢植えは玄関先に置いていますので、
訪ねてきた人の中には、樫原湿原から採ってきたのではないかと
疑惑の目で見る人もいますが、そんなことをするはずはありません。

 

わが家のサギ草は、私たち夫婦が西寺小路に家を建てたあと、
昭和53年ごろ夫の母親から鉢植えを頂いたのが最初です。
毎年頂き、義母が亡くなったあとは、義母の娘さん、つまり私の夫の妹さんが
毎年サギ草の種を採って鉢に播いたあと下さいます。
私は、鉢への水やりをするだけで、夏のこの時期に花を開いてくれます。
サギ草が咲くと、厳しかったけど優しかった義母を思い出します。

私は花は大好きですが、畑や庭仕事は苦手です。
義妹のようにサギ草から種をとって育てることはとても出来ません。
いつも皆さんのお世話になりながら、花を楽しんでいます。

先週の土曜日、子どもたちのラジオ体操が最後の日と聞いたので、
夫のあとについてラジオ体操をしました。
最後のラジオ体操のあと、会場の本庄宮にお礼をしようと、
参加者全員で、草取りをしました。
子どもたちが草取りをしたあと、竹箒の掃き目をいれると、
草で荒れていた境内が美しく蘇りました。

 

本庄宮の草取りをしてわが家に帰ると、草に覆われた庭と畑が気になりました。
そこで、庭の草取りをはじめると、あちこちをヤブ蚊に刺されました。
ヤブ蚊に負けた私は玄関先の草取りをしただけで家に逃げ込みました。
そんなことで、へこたれない夫は、庭だけでなく、畑の草取りもして
全身蚊に刺されていました。

土曜日は、子どもたちが廃品回収をしていました。
私は、新聞やダンボール、空き缶、瓶などを1ヶ月前から
倉庫に溜め込んでおきました。
やがて子どもたちがやってきて自転車の籠に載せて運びました。
小さな籠に載るのは1升瓶なら1本程度ですが、
子どもたちが自転車の列を作って運ぶ姿はとても美しく、
横浜に住む孫たちにも経験させてやりたいと思いました。

その夜は、日新小学校校区の夏祭りに出かけました。
それぞれの地区が担当して、焼きそば、おでん、カキ氷などの露店が出ていました。
子どもたちがお手伝いをしていました。
そんな様子を、お酒を飲みながら目を細めて見ているお父さんもいて、
とてもほほ笑ましい夏祭りでした。
土曜日は、早朝のラジオ体操から夜の夏祭りまで子どもたちを見つめた1日でした。

先週の水曜から金曜日にかけて気管支炎で熱が出ました。
たまたま娘が仕事が休みで、家事を支えてくれたので、
私は、ゆっくり大好きな高校野球を見ることが出来ました。

2011年8月17日(水)

ハスの花が咲くとき、ポンという音がするそうなので、
いつかその瞬間を見たいと思っていました。
佐賀城のお濠のハスの花は、朝6時過ぎに多く咲くと聞いたので、
今朝(17日)6時ごろ家を出ようとすると大雨でした。

仕方なく、仕事に出る夫を送ったあと7時40分ごろ濠端に行きました。
雨もあがり、白とピンクのハスの花がたくさん咲いていました。
今にも咲きそうなツボミをじっと見つめて30分待ちましたが、とうとう咲きませんでした。
濠のどこからも、ポンという音は聞えてきませんでした。
ハスが咲くとき、本当にポンという音がするのかどうか、謎のままですが、
ハスの花畑で過ごした朝のひとときは、とても美しい時間でした。

 

お盆の13日は早朝から、墓参りをしました。
夫の両親と叔母、私の両親と祖母、
それに夫の恩師の墓のある5つの寺を回りました。

庭に咲く百日草と、いただいたオミナエシやトルコキキョウなどの花束を
どっさり抱えて家を出ました。
それぞれの寺の墓地の墓は、どれも新しい花が供えられていました。
夫は、子どもたちが遠くに住んでおられる恩師の墓をいつも気にしていますが、
新しく、美しい花が供えられていたので、安心していました。

先祖の墓に手を合わせて、家族の健康と幸せ、
佐賀市政が順調に行くように見守ってくださいとお願いしました。
お願いすることは、毎年同じです。

夫は、14日の日曜日、公務が入らなかったので
温泉に泊まりに行くことにしました。
釣りもしたかったので、近くで魚釣りのできる温泉を探し、
海辺の小浜温泉の宿を見つけました。

小浜温泉に着くと、
夕方、宿のすぐ前の岸壁で、魚釣りをしました。
私は遠くの海の浮きを、のんびりと見ているのが好きです。
1時間半で小さなレンコダイが1匹釣れただけでしたが、大満足でした。

夫は、竿の穂先が折れたので、岸壁近くで小アジを釣りました。
小アジはたくさん釣れ、クルクルンとくる魚の当たりを楽しんでいました。
釣った魚は、みんな海に返しました。
盆に急に探した宿でしたが、魚料理は美味しくて、楽しい夜を過ごす事ができました。

 

私は高校野球が大好きです。
この夏の大会はテレビで試合を見ることが出来ず、
唐津商業の試合も家事をしながらチラチラ見ただけでした。
そこで、きのうの16日、夫を送り出したあと家事を放り出して、
テレビの前で2試合観戦しました。

どの高校を応援するというのではありません。
暑さをものともせずに、力一杯白球を追う選手を見ると力が沸いてきます。
打たれながらマウンドに立つピッチャーを激励に集まる野手たちを見るとき、
「仲間っていいな」と思います。
「野球と人生は同じだな」と思います。

2011年8月8日(月)

今朝、蒸し風呂に居るような暑さになり、
午前8時に温度計を見ると、室内で30度を越えていました。
どうしてこんなに暑いのかと外に出ると畑の百日草が満開になっていました。
お盆の墓参りに欠かせない花です。
庭のプランターの花にも水をやりましたが、
午後の夕立でまた雨に濡れていました。

 

栄の国まつりは、今年も大勢の人が集まりました。
土曜日の午後、夫と会場を回りました。
行きのバスの中で、きちんと浴衣を着た若い女性を見かけました。
「素敵な浴衣ですね」と声をかけると、「3000円なんですよ」と云われました。
美しく着こなしておられました。

会場に着くと、若い人の浴衣姿が増えたことに気がつきました。
日本の夏という感じでした。

日中は大変な暑さでしたが、
若い人たちのよさこいの踊りなど、暑さをぶっとばすエネルギーを感じました。
まつり見物の人の列が続いていましたが、
赤ちゃんの乗ったベビーカーを、
地面の照り返しを受ける道路に、無造作に置いた若い夫婦も見かけました。
本人たちは、カキ氷などをほおばっていましたが、赤ちゃんがちょっと心配でした。

会場をひと回りした後、市民会館で行われた前夜祭をのぞきました。
歌や踊りのショーのあと、名士劇がありました。
夫は劇の稽古に参加する時間がとれなかったので、
代わりに副市長の神谷さんが出られました。

神谷さんは時代劇のお嬢さん役でしたが、 神谷さんの大きな頭に入るカツラがなかったのでカツラを抑えながら熱演されていました。
稽古にはあまり参加できなかったそうですが、
自宅で、子どもさん相手に練習をされたそうで、
セリフをしっかり覚えておられました。
お嬢吉三になりきった神谷さんは会場で大受けでした。

 

そのあと、花火を見に行きました。
座る場所もない賑わいで、クスノキが邪魔になりそうな場所に腰を降ろしました。
なんと、そこが最高の場所でした。
仕掛け花火の「頑張れ日本の」文字までよく見えました。
時間は短くても、濃縮された花火の饗宴はこれまで見た花火大会で最高でした。
また、来年も県庁前のお濠で花火を見たいと思いました。

 

中学からの同級生のお母さんが突然亡くなりました。
お母さんは91歳で、友人の家のすぐそばに住んでおられました。
夜、友人の家で風呂に入って自宅に戻り、翌朝亡くなっていました。
心筋梗塞ですが、熱中症が原因しているかも知れないそうです。
エアコンは在りますが、実際に使われていたかどうか不明です。
高齢者には危険な暑い季節です。

栄の国まつりが明けたきょう、洗濯に追われました。
私はきのうは友達のお母さんが亡くなったので、まつりに行けませんでしたが、
夫は朝から夜まで汗にまみれていました。
栄の国まつりの揃いのポロシャツ2枚、Tシャツ1枚、浴衣、
それに通夜に参列したときのワイシャツなどです。

朝から大洗濯して干しておいたのですが
外出中に夕立で濡れてしまい、再び水洗いして干しました。
いつもは宴のあとは虚脱感に陥りますが、そんな時間はありませんでした。

2011年8月1日(月)

毎月1日は朝早く起きます。
屋敷の四方に塩を置き、酒をまいて家内安全を祈願します。
きょう8月1日は佐賀市の一斉ラジオ体操の日でしたので、
さらに早起きしようと思って、昨夜は11時30分には寝床に入りました。
いつもより、1時間以上早く床に入ったので、なかなか寝付かれずに、
朝5時に起きようと思っていたのに、目覚めたのは5時半でした。

大慌てで、塩と酒をまいて家族の朝食を作ったあと、
本庄神社のラジオ体操に参加しました。
いつも歩こう会の出発の前にラジオ体操をしていますが、
朝の冷たい空気の中での体操は気分がよく、体操のあと、体も心もすっきりしました。
起きる時間が予定より遅れたので、夫に弁当を持たせることができませんでした。

 

知人からヒマワリを20本いただきましたので、
玄関先のカメの中に投げ入れました。
見事な黄色で大輪のヒマワリは、夏をキラキラと彩っています。
朝仕事に出かける夫が「ワー綺麗か」と声を上げていました。
朝のラジオ体操とヒマワリで、8月はうまく乗り切れそうな気になりました。

庭では、春に咲いたジュンベリーの白い花が真夏の今、また咲きました。
畑では、オクラの花が次々と咲いています。
オクラは花が落ちると実がどんどん大きくなります。

朝食に欠かせなかった大根おろしに代わって、
今は、オクラ、長いも、納豆のネバネバ3兄弟が登場しています。
このネバネバ類を摂ると、夏ばてしないとラジオで聞きました。
おかげで夫は夏ばてもなく、元気一杯です。

 

きのう消防団の操法大会の開会式で
日頃訓練を重ねた若い人たち数人が熱中症にかかったようですが
同じ会場に立っていた夫は平気だったそうです。
ネバネバを食べているからなのか、若い人のほうが弱いのか、どちらでしょう。

先週の金曜日、本庄の歩こう会に参加しました。
猛暑の昼前に歩くので、いつもより参加者は少なめでした。
佐賀城の濠のハスの花が増えていました。
お盆ごろには、もっと増えるでしょう。
ハスは、朝咲くとき、ポンという音がするそうです。
6時ごろの開花前にお濠に行って、ポンという音を聞きたいと思いました。

 

台風が近づいています。
6日、7日の栄の国まつりのころに来なければいいのですが、
心配しています。

2011年7月

2011年7月25日(月)

朝、目覚めると、ジーというニイニイゼミの声が聞えてきました。
涼しげな声だと思っていると、
突然ワシワシというクマゼミの声が家の周辺の全てから聞えてきました。
時計を見ると6時40分でした。
時間を申し合わせたように一斉に鳴き始めるのが不思議です。
セミの写真を撮ろうと庭の木に近づくと、
飛び立ったクマゼミに、たくさんのおしっこを浴びせられました。

 

家を2日間留守にしている間に、
畑のキュウリやミニトマトが沢山実っていました。
今夜のわが家の食卓は、新鮮な無農薬野菜が並びます。

先週の週末、横浜に住む娘の家に行きました。
2年ぶりの訪問で、孫に会いたかったからですが、
今回は娘の姿を見つめる訪問になりました。

涼しいというより、肌寒いような土曜日に、
みんなで東京の浅草に出かけました。
東京スカイツリーの近くのデパートまで車で行き、
そのあとは電車で浅草に向かいました。

デパートは3000円以上買い物をすると駐車場は無料なので、
孫の男の子には甚平、女の子には可愛いスカートを買いました。
娘たちは浅草は初めてで、私も30年ぶりです。
下町情緒と人のあふれる参道に心が安らぎました。

 

娘は小さな庭に、畳1枚半くらいの畑を作っていました。
キュウリとナスなどが植えられ、キュウリは立派に育っていました。
「お父さんを見て育ったから、土を触りたくなるの」と言っていました。

横浜のスーパーに、アメリカ産の野菜がたくさん並んでいるのに驚きました。
東北から野菜が入らないので、アメリカから輸入しているのでしょうか。
娘は少しでも安心できる野菜を子どもたちに食べさせたいと
畑つくりに力を入れているようです。

娘は訪問看護の仕事をしています。
高齢や病気で体が不自由な人の看護をしています。
全身汗まみれになりながら看護して、患者さんから感謝される様子を聞きました。
子ども2人を育てながら頑張る娘に、我が子ながら尊敬の念を抱きました。

娘たちの住宅は、同じような4軒の住宅が並ぶ一角です。
同じ世代で同じ年頃の子どもたちが居てお互い助け合っているようです。
一緒にバーベキューをすることもあるそうです。

私が滞在中、孫がカブト虫を捕まえてきて、どうして飼おうかと思案していると、
隣りの家の方が庭越しに顔を出されました。
その人は虫博士と言われるほど虫と魚に詳しい方です。
自宅からもう1匹のカブト虫を持ってきて、2匹のつがいにして、
飼育籠を作って、餌もくださいました。

娘と孫が、とても優しい夫、お父さんに守られながら、
近所の人たちと助け合って生活している様子をみて
安心して、昨夜佐賀に帰りました。

2011年7月20日(水)

15日の金曜日、恒例の本庄歩こう会に参加しました。
とても暑い日でためらったのですが、
継続は力なりと自らに言い聞かせて、万全の暑さ対策で出かけました。
出発してすぐ、本庄公園近くのヒマワリの群生に、夏の美しさを見ました。

 

佐賀城のお濠では、外来種のカメを防ぐ囲いの中で
ハスがすくすくと育ち、ピンクのハスの花が2輪咲いていました。
みんなでハスを守ろうという運動が実ったようです。
ハスは来月に入ると、沢山の花が咲くはずです。

 

16日からの3連休、
夫は公務で外出が続きましたが、私は外出せずに主婦をしました。
掃除をして、台所と居間の仕切りにしている暖簾を
柿渋の冬物から、ナスやキュウリなど夏野菜が描かれた夏物に代えました。
暖簾ひとつで家の中が涼しくなったような気がします。

 

また、ブルーベリーをたくさんいただいたので、ジャムを作りました。
ブルーベリーは目にいいと聞きますので、
目の衰えた私たち夫婦が、娘が作るヨーグルトに入れて食べます。

18日の夕方からは、古湯温泉に出かけました。
夫の自治大学時代の同窓会を
今年の10月に古湯温泉で開くので、その下見です。

九州に住む同窓生の方や、その妻たちが集まりました。
同窓会は毎年全国持ち回りで開かれ、去年は北海道でした。
佐賀では6年前に開いたばかりですが、
夫は多くの人に佐賀に来てもらいたいので幹事を買って出たようです。

古湯で10日に開かれる予定だった花火大会が
突然の夕立で18日に延期になっていました。
思いもかけず、花火を見ることが出来、みなさん大喜びでした。
全国から集まる秋の同窓会では、力いっぱい歓迎しようと思っています。

18日の夜、留守にしている間に居間のエアコンが故障しました。
使っていないエアコンが、ブーンと音を出して熱くなっているのに娘が気付きました。
電気屋さんもこれまで経験したことのない故障だそうです。
もし、家に誰もいなかったらどうなったでしょう。
留守にするとき、エアコンはコンセントから抜いておいたほうがよさそうです。

電気屋さんは地デジへの切替で忙しく、
エアコンも、節電のために買い換える人が多くて在庫不足です。
まだ新しいエアコンは来ていません。その後涼しくなっているので何とかしのいでいます。

夏休みに横浜の孫は帰って来ずに夫の実家に行くようです。
それで、私のほうが横浜に行こうと思っています。
孫から「マルボーロを持ってきてね」という注文を受けています。
かわいい注文ですが、向こうに着いてからのおねだりのほうが怖いです。

2011年7月12日(火)

畑で夏野菜がどんどん実っています。
キュウリ、カボチャ、トウモロコシ、ミニトマトが収穫期をむかえ
スイカとゴーヤも間もなく食べられる大きさに育ちます。

 

 

トウモロコシは去年虫にやられて全滅しましたが、
今年は、近くに住む義弟が栽培して、とても美味しく育ちました。
義弟が育てたので、わが家の畑でも黙って採っては悪いかなと思いながら、
まあ、勝手に採っています。

梅雨の間は、早く鬱陶しい雨が終って欲しいと思っていましたが、
梅雨明け後の猛暑に、雨が降っても暑くないほうがいいと思います。
人間とは勝手で、わがままですね。

私は汗と体の相性が悪いのでしょうか、汗をかくとアセモが出来ます。
首の下のアセモが広がったので
日曜の午後、大分県の七里田温泉に入りました。
私のアセモは、この温泉に入ると治ります。
1時間、黙って湯に浸かって帰ると、アセモは消えていました。

近所で1人暮らしになったおじさんが、
今朝も我を忘れて畑仕事をしておられました。
帽子をかぶらず、首にタオルをまいてもおられませんでしたので、
熱中症にかからないよう、声をかけました。

銀天夜市の初日の土曜日(9日)夫と久しぶりに銀天夜市に出かけました。
子どもが幼いころの銀天夜市は
七夕飾りなどが下がったアーケード街は、人で埋まって歩けないほどでしたが、
アーケードがなくなり、商店の多くは閉まったままです。

むつごろう広場で、カラオケ大会が開かれていたほか、
金魚すくいなどが行われていましたが、
昔と比べようもない、寂しさでした。

3年前、徐福が縁で友好都市になっている中国の連雲港市を訪ねたとき、
連雲港市の日本担当の職員のキクさんに大変お世話になりました。
そのキクさんが、連雲港市の医療関係者と共に佐賀市に来られたので
きのう開かれたキクさんを囲む会に出席しました。
人柄が暖かいキクさんは、佐賀市の国際交流担当の職員や
徐福関係者に人気があり、20数人が集まり、思い出話などに花が咲きました。

集まった中に、目の角膜移植を日本の病院で受けたものの、
移植手術がうまくいかなかった方がおられました。
キクさんに同行して来た連雲港市民病院の院長さんが、それを聞き、
連雲港市民病院においでください、成功させますと言われました。
その人は、すっかりその気になっていました。

先ごろ、友人の娘さんが、
中国で緊急手術を受けて命を取り留めました。
中国の医療水準が上がっているのに驚いておられました。
医療は国境を越える時代になったのでしょうか。

もうすぐ夏休みです。
暑さの中、頑張って登校している小学生を見ると、
孫に会いたいと思ってしまいます。

2011年7月4日(月)

7月4日のきょう、夫は69歳になりました。
今朝の1時ごろまで、小豆ともち米の下ごしらえをして
6時から赤飯を炊きました。

夫は、犬の散歩とラジオ体操から帰ったあと赤飯を食べ、
テーブルには娘からのプレゼントが置かれていました。
プレゼントの箱には、娘がパソコンで描いた夫の似顔絵と
「お父さんお誕生日おめでとう」という言葉が書かれた紙が張られていました。
夫が娘からのプレゼントを受けとったとき、私は傍にいませんでしたが、
夫のはにかみながらニヤッとした顔が見えるようです。

 

今夜、誕生日を祝いたいのですが、
夫は市長と語る会が夜あるので、帰りが遅くなります。
お祝いの食事にはなりませんが、鯛を用意しました。

誕生日の今夜は夫は仕事があるので、
先週の土曜日に、友人夫妻をまじえて、お祝いの食事会をしました。
友人が持参してくれた夫の似顔絵を描いたケーキに、豆が描かれていました。
「マメに働け」という意味だろうと夫は解釈していましたが、私は枝豆と思いました。

以前夫が、東京で地位のある方と食事したとき、
事前に好みの食べ物を聞かれて「枝豆に冷奴」と答えたそうです。
高い食事になると申し訳ないと、いつも食べているものを答えたようですが、
特別に注文した枝豆と豆腐が用意されて、高い食事になったそうです。
友人はその話しを聞いていたので、枝豆の絵を描いてもらったのでしょう。

夫は、ケーキに本物の枝豆が載っていたほうが喜んだかもしれませんが、
お互いの考え、立場など、何もかも知り尽くしている友人との食事は楽しく、
ちょっとしたエピソードを覚えていて、
誕生ケーキに表現してくれる友人がいる夫は幸せだと思いました。

 

きのうの日曜日は墓参りをしました。
夫の両親、私の両親、恩師の墓など4ヶ所を回りました。
墓に、家の庭や畑に咲いている百日草や、ギボウシなどの花を手向け、
夫が69歳を元気に迎えることが出来たことに感謝し、
これからも順調に佐賀市政を推し進められるよう見守ってくださいとお願いしました。

 

おとといの土曜日、夫は近所の川に入りました。
「ハリガネ草」という繁殖すると手に負えなくなる水草を早めに取り除きたいようでした。
水が深く、半長を履いているので川底に足を取られて溺れないか心配しました。

2時間半もかけて水草を取り除きましたが、
水から引き上げた草を、子どもが川に投げ込んでいるのを見たそうです。
大声で怒鳴りたいのを我慢して、静かに注意しようと近づくと
近くにいた親と一緒に、どこかに行ってしまったようです。
「この草を、誰かが川から引き上げたのだ、と大人は気が付いてほしい」とぼやいていました。

 

近所に高齢のご夫妻が住んでおられて、
おばさん、おじさんと呼ばせていただいていましたが、
おばさんが亡くなりまして。

葬儀のとき、おばさんは大正14年2月20日生まれと聞きました。
私の母は大正4年2月20日生まれですので、誕生日が一緒と知りました。
私は働いていたので、親孝行が出来ないまま母をおくりましたので、
おばさんに母を重ねて親孝行の真似事をさせていただきました。
料理の1品をお裾分けして玄関先で話しながら悩みを聞いていただきました。

おばさんが亡くなったあと、
おじさんは、悲しみを振り払うかのように畑仕事をしておられます。
90歳近くで妻をなくした人の切ない姿に、
私は何をしてあげられるか、考え込んでいます。

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