2011年1~3月のぼやき

2011年3月

2011年3月29日(火)

食べそこなった畑の小松菜、水菜が黄色い菜の花になっています。
トウが立った大根には白い花が咲いています。
川に沿った庭のユキヤナギは満開で、春爛漫です。

 

東北の春は遠く、被災した人たちには春を愛でる余裕はないでしょう。
ガンバレ、ガンバレという声が聞えますが、
復興や生活再建には長い時間がかかります。
あんまり頑張らないで、ゆっくり普段の生活を取り戻して欲しいと思います。
ふるさとを離れたくないでしょうが、
受け入れ態勢を整えている佐賀にお越しになり、
体と心を休めてくださればいいのにと思います。

東北の被災地の残酷な様子をテレビや新聞で見て、
被災地でない人たちも落ち込んでいます。
楽しいことをするのが悪いような気分にもなり、
佐賀市の、ある宴会場は、
1ヶ月だけで1000万円を越える歓送迎会のキャンセルがあったそうです。
旅館、ホテル、飲食店、酒屋さんも打撃でしょう。
気分の落ち込みが経済の落ち込みにつながっています。

きょう近所のスーパーマーケットで買い物をして
買ったものを袋に詰めていると、
テーブルの上に男性用の黒い皮のバックが残されていました。
忘れた人が取りに戻るだろうと待っていても誰もきません。

近くにいた店の人を呼んで、落し物がある事を告げると
バックの中を一緒に確認して欲しいと言われました。
バックの中には、1万円札の厚い束が入っていて驚きました。
店の人は「見つけたのが秀島さんで良かった」と言われました。

以前、娘が同じスーパーで財布を落とし、
財布は傍の公衆電話で見つかりましたが中の現金は抜かれていました。
娘の財布の中には小額しか入っていませんでしたが、
きょうのバックは、私なら持ち歩くのが怖い大金でした。
落とした人は心臓が止まるほどのショックを受けたかも知れません。
バックが早く落とし主に戻ってくれればいいと思っています。

関東の水道水が放射性物質で汚染されていると聞いて、
横浜の娘や孫の家族に水を送ってやろうと思いましたが、
娘は、「うちは乳児ではないので大丈夫」と
けなげに、親子4人で頑張っています。
避難する気はさらさら無いようですが、夏休みには帰ってきて欲しいです。

2011年3月22日(月)

庭のコブシの花が咲きました。
千昌夫の「北国の春」では、
北国の人たちはコブシの花に春を想うようです。

今年北国に咲いたコブシを
被災地の人たちはどんな思いで見るのだろうか。
そんなことを考えていると涙が出てきました。

 

東北のことを思うと、何をしても元気が出ません。
食事を作って、家族揃って食事をするという、ごく普通の幸せも
東北の人たちにはありません。

辛さに耐えて頑張っておられる人たちを少しでも助けられないかと、
押入れにある毛布や敷布を引っ張り出して送ろうと思いましたが、
被災した人たちを佐賀でも受け入れると聞いたので
佐賀に来られた人たちに使って貰うことにしました。

横浜に住む娘に頼まれて、電池や米などを送りましたが、
今は牛乳や卵、米などは並ばないと買えないそうです。
看護師として働く娘は、ガソリンがないので
歩いて訪問看護の仕事をしています。
幼い子どももいるので、並んで買い物をする時間がありません。
子どもを連れて佐賀に帰っておいで、と言っても、
看護師を待つ人がいるのに、残して帰れないそうです。
娘も頑張っているようです。

夫はこの3連休、被災者支援のために、毎日出勤しました。
日曜日の早朝いつもの通り散歩に出て8時半になっても帰ってきません。
前日足が痛いと言っていたので、
どこかで歩けなくなっているのではないか、とか
雨が降ってきたのに傘は持っているだろうかなどと心配になり、
車で探しに行こうとしたとき、戻ってきました。

水路の水が少なくなっていると指摘されたので見に行ったそうです。
一旦役所に出ると、被災者支援に追われるので、
早朝の内に確認にしておきたかったようです。
携帯電話は必ず携帯するように注意しました。

夫は私の注意を馬耳東風と聞き流し、バスで役所に出ました。
忙しいのだから車で送ろうと言いましたが、
東北はガソリンが無いのでガソリンを無駄遣いしてはいけないと、
私の提案に耳を貸しませんでした。
3日間、夫はどんなに忙しくても出退勤はずっとバスでした。
これと決めたらやり通す頑固一徹の夫です。

2011年3月14日(月)

満開になった庭の菜の花やクリスマスローズが
春の陽を浴びて輝いていますが、
花を美しいと思えるのは心が平穏なときです。

 

金曜日に本庄の歩こう会に参加して
道々見た菜の花がとても美しかったのですが
午後、東北関東大震災を知って、
花を愛でる気持ちは吹っ飛びました。

 

国会中継が突然中断されて
地震や津波の速報に変わり、
あっという間に押し寄せてくる津波の映像が伝えられました。
とても、これが現実とは思えませんでした。
拡大する被害を知るにつれて気持ちは落ち込んでいます。

夫は、土日も会合などをキャンセルして
今後の対応に備えて、家で待機しながら、
もし佐賀で同じようなことがあったら、
市長としてどう対応するか考え続けていました。

当日、横浜の娘や孫たちは無事とだけ確認できましたが、
あとは電話が途切れました。
千葉と横浜に住む、姉たちともしばらく連絡が取れず心配続きでした。

横浜の娘から電池や缶詰などの保存食を送って欲しいと頼まれたので、
きょう店を回りましたが、電池やラジオ、懐中電灯は品切れでした。
ほとんどが被災地に出荷されるので、こちらには回ってこないそうです。

横浜に住む娘たちが気になる私ですが、
被災地に家族や知り合いの居られる方は
どんなに不安だろうと思うと、気分が落ち込む私です。

元市議会議長の光武重一さんが逝かれました。
きのう午後お見舞いに行くと亡くなられたばかりでした。
病気が重いとは聞いていましたが、そんなに早くと、絶句しました。
私たち夫婦とも若いころから光武さんにお世話になってきました。
気配りをされる優しい方でした。
ご冥福をお祈りします。

2011年3月7日(月)

きょうは久しぶりに暖かくなりました。
庭に出ると、茶色だった土から
草花の芽がニョキニョキと顔を出していました。

 

ムラサキのチンチョウゲの花が散りはじめ、
代わって白いチンチョウゲが咲き始めています。
サクランボが生る桜の花は一気に咲き、
今朝早く、夫が「もう5分咲きだ」と言っていましたが
昼ごろ私が見ると7分咲きで、もうすぐ満開です。
ほのかな甘い香りがします。

 

3月3日のひな祭りに
家の中にあるひな飾り6種類全部を出しました。
7段飾り、貝殻の中のひな人形、陶器や素焼きのひな人形などです。
7段飾りは、長女が生まれたとき私の母が買ってくれました。
4年後に次女、さらに2年後に3女が生まれました。
3姉妹ですので、ひな飾りが次々と増えました。

いつもの年は、押入れに入れたままのひな飾りもありますが、
今年はどうしたことか、全部出したくなったのです。
夫や娘たちが仕事に出たあと、私1人でひな祭りをしました。
娘たちが幼かった頃の思い出は
辛いこともありましたが、美しく楽しいことばかりのような気もします。

 

 

きのう、とても優しかった親戚の方の葬儀がありました。
去年、病に倒れたあと、次第に回復されて
元気になられたので信じられないような気がします。
夫が市長になって田んぼの世話が出来なくなったとき、
白石からやってきて、夫を助けてくださいました。
63才の若さでした。とても残念で悲しいです。

夫の後援会の役員会が今月5日に開かれ、
4月16日に総会を開くことが決まりました。
役員の方、事務局の方、お世話になりました。
ありがとうございました。

2011年2月

2011年2月28日(月)

先週は20度前後の暖かさになり、
庭の花が一斉に開きました。
垂れ梅、紅梅、白梅、チンチョウゲ、水仙は満開、
イギリスではクリスマスに咲くと聞いているクリスマスローズも間もなく満開です。

 

 

あすから3月、いよいよ年度末で
夫は、市議会での新年度予算案の審議や人事などで忙しくなります。

私たちは毎年、新年になると熊本県の幣立神宮にお参りしていますが、
今年はまだお参りできていません。
夫にはこの週末が最後の休みになりそうなので、土曜日に出かけました。
山の神社の杉木立にたたずむと心が静まります。
貴重な休みの1日がかりのお参りに、友人の1人は
「他にすることがあろう」と言いますが、私には何をさておいてのお参りでした。

口の悪いその友人は神や仏を信じない人で、私の神頼みを笑っています。
大酒呑みの彼は、大いに太っていましたが、
孫ができたためでしょうか、減量をはじめました。
食事の量を減らす、酒を減らす、運動をするの、3つを重ねて、
2ヶ月で6キロ痩せて、血圧、肝臓、脂質、尿酸、糖など、ほとんどが正常になりました。

「神頼みでなく自分の強い意志が展望を開く」と威張っていましたが、
妻より長生きしたらどうしよう、という悩みが出てきて、
今度「妻より1日でも早く逝かせてください」と神様にお願いするそうです。
「自分の意志で先に逝け」と言ってやりました。

4月に開く予定の秀島敏行後援会の総会を前に
役員や事務局の方が準備に追われています。
ボランティアの方々を少しでもお手伝いしようと、
私も右往左往しています。

横浜の孫は、最近放課後に通う
民間の児童クラブのボランティアの先生と仲良くなったようです。
大好きなおじさん先生に教えてもらって勉強が好きになり、
学校のテストも○が増えてご機嫌だそうです。

その先生に「大人になったら何になりたい?」と聞かれて
「薬剤師さん」と答え、
さらに「おばあちゃんが美人になれる薬を作りたい」と言ったそうです。
久しぶりの孫からの電話に喜んでいた私ですが、
最後にドスンと落ちました。

2011年2月22日(火)

春の暖かさになりました。
今朝、畑にホウレン草を採りに出ると、
ホウレン草の葉の美味しいところは、ほとんど鳥に食べられていて、
私たちが食べるところは茎しか残っていませんでした。

がっかりしていると、近くに菜の花が咲いていました。
1輪摘んで玄関に飾ったひな人形の傍に活けました。
ひな人形は、娘たちの幸せを願って買った焼き物の人形と
知人が作った手作りの人形です。
それに自然の恵みが加わって
玄関先に春の華やぎが広がりました。

 

佐賀城下ひなまつりが先週の土曜日にはじまりました。
夫は開会式に出たので私は1人であとから出かけました。
街の店先のひな人形などを見ながら歩いていると
レトロバスのお雛さまバスが通りかかり、
知り合いの運転手さんに「乗ってよ」と声をかけられたので100円払って乗りました。
バスの中には、大きな竹の節に、かぐや姫のようなひな人形が飾られているほか、
上からは「さげもん」が下がっていて、ひな祭りの雰囲気を醸し出しています。
土日に運転されるお雛さまバスは、ひなまつりの会場を循環して1回乗る度に100円です。

ひなまつりは、
旧古賀家に飾られた鍋島小紋の創作人形や
旧福田家に飾られた佐賀錦の人形など、見ごたえがありました。

今年、新たに登場した肥前通仙亭で抹茶をいただきました。
抹茶には和菓子が付くのが普通ですが、
嬉野茶を使った抹茶ケーキが添えられていました。
600円でしたが、ひなまつり会場を回った疲れをとることができました。

ひなまつり会場近くで夫と出会いました。
夫は足が速いので後ろを追いかけるように歩いていると、
NHKのテレビに映り、友人から
「3歩下がって夫の影を踏まずですか、佐賀の女性らしい」と言われました。
夫と並んで歩きたいとは思いませんが、
控えめに後ろを歩いていたのではなく、夫の足が速いだけです。

土曜日から暖かくなったこともあって会場や街が賑わっていました。
ひなまつりの1ヶ月間は、女性で活気づく街になります。
自宅に帰る路線バスもいつもより大勢の人が乗っておられ嬉しくなりました。

 

土曜日の夕方、
やっと自由な時間がとれた夫が散髪に行ったので
私は美容院に行きました。
夫はさっぱりして、私は夫に釣りあう程度に綺麗になりました。(???)

日曜日、夫は1日中公務に追われていました。
自由な私は本庄公民館で開かれた文化祭で友人の踊りを見た他、
天気が良かったので、掃除洗濯など家事をかたずけ、
整体で足の治療を受けました。
亭主元気で留守がいいと言う言葉を実感できる日曜日でした。

今朝、ゴミ出しに行くと、
いつもゴミにたかっている黒いカラスがいません。
ゴミの上から網だけでなくビニールシートを掛けることを徹底したので、
賢いカラスは、ここではゴミを食べられないと知ったのでしょう。

よかったと思って帰っていると道路沿いに犬のフンが落ちていました。
いつもの犬のフンです。
近所の人が、「犬のフンの始末を人にさせるな」という張り紙を出しても
自分で始末できない賢くない人が犬を飼っているようで、
今朝は、
「まだマナーを守ってもらえず悲しいです」という張り紙に変わっていました。
犬のフンは張り紙を出した人と私が始末しました。

2011年2月14日(月)

暖かかった先週のはじめ、
庭の水仙が咲き、紅梅も1輪だけ開きました。
その後再び寒くなり、梅は縮こまってしまいましたが、
水仙はそのまま頑張って咲いています。

 

バレンタインデーのきょう、娘3人と私で夫にネクタイを贈りました。
3女がネクタイを用意しましたが、
チョコレートより値が張るので長女と次女それに私も加わることにしたのです。

ネクタイに「いつもいつもに感謝、4人の姫より」という手紙を添えましたが、
手紙の最後に、3女が小さな文字で、オタベ、オタベ・・・・・・と書き連ねていました。
夫がきょうから京都に出張するので、オタベをお土産に欲しかったのでしょう。
手紙はわが家に残されていました。夫が「オタベ」の文字に気がついたかどうだか。

先週末の3連休、夫はずっと仕事でした。
その間に、横浜に住む私の姉が、
小学校と中学校の同窓会に出席するために佐賀に帰ってきました。
姉とは7つ歳が離れているので、子どもの頃一緒に遊んだ記憶はありません。
戦前生まれの姉は働き者で、家の手伝いに追われ、
戦後生まれで甘えん坊の私は、手伝いもせずに遊んでばかりいたのかもしれません。

姉は結婚して東京に出た頃は、佐賀を離れたかったようですが、
今はとても佐賀が懐かしそうでした。
一緒に、あちこちを回り、両親の墓の前では、
いつまでも手を合わせて、幼い頃を思い出しているようでした。

新しくなった昇開橋にも行って見ました。
佐賀線の列車に乗って、あちこちに出かけたそうです。
姉を家に泊めたかったのですが、帰る前からホテルを取っていました。
横浜に送り出したあと、無理にでも泊まってもらえばよかったと思いました。

 

秀島後援会の後援会便りに登場していただこうと
きのうの日曜日に、川副の大詫間の91歳の女性をお訪ねしました。
大詫間のひなまつりでお会いして親しくなった方です。

私たちは3人でお邪魔しましたが、
雛ご飯やお魚、野菜の煮物などを準備して接待してくださいました。
この方は、毎年の大詫間のひなまつりに訪れる人のために、
畑で栽培した50本の大根の漬物を用意されます。
畑で採れた大根1本1本を撫でながら、
「よく育ってくれてありがとう」とお礼を云われるそうです。
感謝を忘れない素晴らしい方です。

91歳という年齢を感じさせない方で、
1人暮らしですが、地区の川掃除や、寄り合い、催しへの出席を欠かさず、
まだ地元の人に迷惑をかけていないと、話しておられました。

 

私が孫の話をすると、
「バババカ」呼ばわりしていた人に2人目の孫が出きるようです。
「ジジバカ」そのものです。
1月には多くの知人を見送りましたが、
新しい命を迎えるのは嬉しいものです。

2011年2月7日(月)

立春と共に暖かくなりました。
この3日間、冬の間に洗濯できなかった、
マットなど厚手の物を洗ってお日さまに干すことができました。

庭に目をやると、凍り付いていた土もほっこりしてきて
クリスマスローズ、ヒヤシンス、アイリスなどが小さな芽を出しています。
厳しい冬だったので、待ち遠しい春です。

 

3日の節分にはいつもの年のように恵方巻を作りました。
毎年10本ばかり巻いていますが、
今年はいい海苔が手に入ったので15本作りました。
カンピョウや椎茸などを巻いた昔ながらの巻き寿司のほか、
レタス巻き、納豆巻きも作りました。

前夜、深夜の1時ごろまでかけて下準備をして
朝5時半に起きて巻き始めました。
最初に食べるのは夫です。
犬の散歩、気功、ラジオ体操、鳥の餌やりを終えた夫は
7時頃、今年の恵方の南南東に向かって丸ごとかじりました。
ひとかじりして、残りは弁当に入れました。

娘たちと私も恵方に向かって寿司をかじり
この1年間の厄を落としました。
毎年、家族のほか、近所の高齢のご夫婦に食べていただいていますが、
今年は知人、友人にも配って、厄を落としていただきました。

 

きのうの日曜日、
諸富の太田城下ひな祭りに、夫と一緒に出かけました。
ひな人形は地元の女性たちが準備し、
会場の中では、女の子が可愛い着物を着て、お客さんに抹茶を勧めていました。
会場の外では、会場の飾り付けや駐車場の整理などを男の人がしておられました。
女性と男性、大人と子ども、みんなで力を合わせたひな祭りでした。

 

200円で雛寿司や切り干し大根、煮豆、ゆで卵などの
小さな手づくり弁当を食べることができました。心のこもった接待でした。
男性は毎年会場を飾るのに使ってきた竹を
炭に焼いてクリークの浄化に使おうと炭焼き窯を作っておられました。
左官さんや大工さんなどがそれぞれの技術を生かした
煉瓦つくりの立派な炭焼き窯でした。

1月に多くの知人友人を見送りましたが、
2月に入ってすぐ、元市職員だった近所の方が亡くなりました。
病気がちな夫を看病してこられた夫人が喪主でしたが、会葬お礼の言葉に
「あなたと寄り添えて幸せでした。ありがとうまた遭いましょうね」と書いてありました。
「こんな優しい人が世の中にいるんだと思ったほどでした」とも書かれています。

亡くなった方が、自分が死んでから読むようにと10年前に書いた手紙を
通夜と葬儀の会場で息子さんが朗読されました。
そこには、29年間人工透析を続けた自分を助けてくれた妻への
心からの感謝の言葉が綴られていました。
夫婦愛と家族愛に感動しました。

横浜の孫の小学校のクラスが、インフルエンザで学級閉鎖になりました。
孫は元気なのですが学校に行けないので娘が仕事を休まなくてはなりません。
私が助けに行こうかと思ったのですが、
私がインフルエンザに罹ると困るので思いとどまりました。

義弟の妻は東京の息子の家族がインフルエンザで全員倒れたので助けに行き、
自分もインフルエンザを貰って帰ってきました。
まだまだインフルエンザは蔓延しているようです。
手洗いうがいを続けてください。

2011年1月

2011年1月31日(月)

今朝6時に起きると外は暗いはずなのに妙に明るいので
カーテンの隙間から外を見ると白い銀世界でした。
夫と散歩に出る前のマックスがはしゃいでいました。

娘はもう車で仕事に出ていました。
雪と凍った道でスリップ事故を起こさなければいいがと
しばらく電話が鳴るとドキッとしました。

 

1月はきょうで終わりですが、
友人、知人、親戚が次々と他界され暗い月でした。

日曜の午後は夫の都合がつけば
温泉で1週間の疲れを落とすのが習慣ですが、
1月はほとんど行けませんでした。
きのうも知人の奥様が亡くなったので夫が通夜に参列して
温泉には行きませんでした。
冬の暗い空の下で知り合いを見送るのは辛いものです。

わが家の庭のハッサクを26日にやっと収穫しました。
夫が忙しく頼りにできないことが分かったので
私が恐る恐る踏み台に乗って45個ほど摘み取りました。
ハッサクは春まで木に残しておくと、
厳しい寒波で凍らなければ大変美味しくなると聞いたので
3つだけ木に残しました。春が楽しみです。

27日の午前2時過ぎ、異様な振動と物音で目が覚めました。
部屋の襖が小刻みにガタガタ揺れていました。
夫が「強い風が吹いているのかな」と言ったので
外に出ましたが風はありません。犬のマックスはぐっすり眠っていました。

一旦収まってもまたガタガタと揺れます。
地震が来るのかと思いましたが地震は来ません。
台所に行くと、戸棚がガタガタと揺れていました。
結局朝の4時半まで一睡もできずに不気味な朝を迎えました。

翌日28日の新聞で新燃岳の噴火に伴う空振と知りました。
28日の本庄の歩こう会は、空振の話題でもちきりでしたが、
2人の方は、地震が来ると思って、
非常袋に貴重品や水を入れて、地震の揺れに備えたそうです。
私はただ、怖い怖いと騒いでいました。
冷静に対応された2人の方を見習いたいと思います。

宮崎県は大変です。
わが家のウコッケイを見ると、鳥インフルエンザが佐賀に来るかもしれないと、
養鶏をしている方が心配になります。
天山を見ると、ひょっとしていつか噴火するかも知れないと心配します。
夫を見ると、いざというとき、市長として見事に対応して欲しいと願います。
このところ、何を見ても心配になります。

あすから2月です。
寒さが逃げて、早く暖かくなって欲しいです。
1月のように知人が亡くなることのないように祈っています。

2011年1月25日(火)

近所の電柱の下に度々大きな犬のフンが残されています。
犬を散歩させた人が持ち帰らないのでしょう。
ゴミの収集日に、電柱の近くの家の方が
犬のフンを集積場に運んでおられますが、
最近、電柱に「犬のふんの後始末を他人にさせないでください」という
張り紙がしてありました。

きょうがゴミの収集日ですので気をつけて電柱の下を見ると、
犬のフンがありませんでした。よかったーと思ったのですが
電柱から50メートル離れたゴミの集積場近くにフンがありました。
大きさ、形から同じ犬のものと思います。
困った犬の飼い主がいるものです。

ゴミ集積場ではカラスがゴミをつついて
周辺に食べ物のゴミなどが散乱していました。
いつものように私が片付けました。

ゴミに網がかけてあるのですが、
カラスは網目からゴミ袋をつつきます。
シートもかけるように置いてあるのですが、
網とシートの両方をかけるのは面倒なので、
網だけしかかけない人がいるのです。

 

カラスが鳥インフルエンザのウイルスを
運ばないかも心配ですが
それ以前に不衛生なので困ります。
困ったカラスです。

わが家の庭のハッサクは今年豊作です。
早く摘み取らないと低温の被害を受けると聞いたのですが、
先日の土日、夫は忙しくて収穫できませんでした。
次の土日も忙しそうです。
どうやら私がやらないといけないようです。

 

夫は1月に入って、会合続きで
家で夕食を摂ることはほとんどありません。
しかし歯の治療中なので、固いものは食べられません。
帰ってきたとき、まだお腹が空いているようで
柔らかく煮た雑煮などを美味しそうに食べます。

歯が悪いと胃の調子が悪くなります。
多忙による疲れと寒さもあって
夫の体調が気になるこのごろです。

2011年1月17日(月)

このところ朝冷たいので、ふとんから出るのが億劫なほどです。
頑張って起き出すとまず台所の水道が出るか確認します。
今朝も心配したのですが台所の水道は朝食を作るのに支障ありませんでした。

このあと、犬のマックスに水をやろうと外に出ると、
外の水道の蛇口は凍り、ツララができていました。

日中は太陽が顔を出して陽が当たるところは暖かくなり、
マックスの小屋の毛布を陽に干すと
マックスは記念写真を撮ってほしいと言うかのように
毛布の前にちょこんと座りました。

 

寒い日が続いていても、畑で水仙が1輪咲き、
玄関では、知人からいただいた「みちのく初桜」が次々と花を開いています。
今一番寒いとき、これから次第に春に向かいます。

 

去年の夏ごろから足を傷めていましたが
整体の治療を受けたことから少しずつ良くなっています。
先週の金曜日、本庄の歩こう会に参加しました。
寒かったのですが空は雲ひとつない快晴、
雪をいただいた天山がすぐそこに見えました。

 

友達と正月や孫の話しをしながら5キロの道を歩きました。
歩き終えても足の痛みはなく、
今年は歩いて足元から健康な体をつくることができそうです。

土曜日に夫は職場の秘書課の職員と1泊旅行に出かけました。
身軽になった私は、美容院に髪のカットに行ったあと、
何もしない自由を満喫しました。
夕食も作らないで娘とレストランに食事に出かけ娘にご馳走になりました。

日曜日もゆっくりできると思っていたら、
夫が昼前に帰ってきたので、束の間の休みでした。
夫は午後歯の治療に行きました。
治療中なのにオカキや漬物をバリバリ食べて傷めてしまったのです。
日曜日も治療してくださる歯医者さんに感謝します。

日曜の夜は、夫の高校の同級生が夫婦で集まる懇親会に出かけました。
40人ばかりが出席しておられましたが、
皆さん、年齢を重ねるに従って、夫が妻に優しくなっているようです。

私の夫は、市の職員として共働きのときは
他の人以上に、家事や育児に協力してくれましたが、
市長になった今は、忙しくて余裕がないので、
もっぱら私が夫の世話をしています。

懇親会を終えて、皆さんは2次会に行かれましたが
夫は深酒はしません。
私は2次会に行きたかったのですが夫に従いました。
今朝、身も凍る寒さの中、5時に起き出す夫を見て、
夫の自己管理能力に今更ながら感心しました。

2011年1月11日(火)

今年の冬は畑が白い雪に覆われることが多いのですが、
ホウレン草やワサビナ、ミズナ、白菜、レタスなどは
雪の下で寒さに耐えて、雪が解けるとまた顔をのぞかせます。

 

七草粥ではなく、
畑の野菜を使った粥も面白いと思ったのですが、
結局、1月7日は買って来た七草を使った粥を食べました。

前日、七草を茹で、
正月に飾った米を昆布を入れた水にひと晩浸して
7日の朝、七草粥を作りました。
家族4人で味噌汁、イワシの塩焼きなどと一緒にいただいて
正月のご馳走で疲れたお腹を休めました。

七草粥は近所の80代の老夫婦にも届けました。
こちらはキクイモの漬物、梅干、塩昆布を添えました。
私は夫や私の両親に親孝行が出来なかったので
親孝行の真似事をさせていただいているのですが、
いつも美味しいと言って食べてくださいますので、
またお持ちしようと思うのです。

8日は新春5社ウオークに参加しました。
佐賀城本丸歴史館を午前10時に出発して
松原神社、八幡神社など5社にお参りしながら
500人余りが列を作って6キロを歩きました。

ふと空を見上げると、雲ひとつない快晴でした。
洗濯ものは干して出てきたのですが、布団を干したくなりました。
去年傷めた足がまだ完全によくなっていないのに、
足の痛さを忘れて急ぎ足になり、1時間20分で完歩しました。
家に帰ると、書き物をしていた夫が布団を干しておいてくれました。
今年はいいことがありそうです。

 

9日は、夫は午前中出初式、午後成人式に行きました。
朝は散歩用のジャージから消防服への着替えを手伝い、
出初式から帰ると、スーツへの着替えを手伝いました。
夫はこの日、着せ替え人形のようでした。

夫の留守中、正月に使った、屠蘇器、餅箱などの整理をして
餅は洗って水に浸けました。
ことしの正月は孫が帰ってきたこともあって
忙しく、あっという間に過ぎ去りました。

10日は北川副のほんげんぎょうに出かけました。
北川副は私の出身地です。
小学校の運動場に入ると、50数年前を思い出しました。
この運動場でドッジボールをし鉄棒で遊びました。

小学生時代の同級生が地域のリーダーになって、
ほんげんぎょうを取り仕切り、
子どもたちが大人と一緒に運営に携わっていました。

ほんげんぎょうの真っ赤な炎が空に昇るのを見ながら、
私は今年、あの炎のように熱く生きようと思いました。

 

2011年1月5日(月)

あけましておめでとうございます。

寒い寒い年末年始でしたが、
孫を迎えた私は心はホカホカ、体はヘトヘトになりました。

年末に知り合いから、しめ縄をいただきました。
フラワーアートをする人の作ですから赤いモダンなしめ縄で
31日に玄関に飾りました。

しめ縄の下に正月を迎える花を飾りましたが、
翌日の元日にはナンテンの実が鳥に全部食べられ
カサブランカの花びらも食いちぎられていました。
玄関先の花びらを食べられたのははじめてです。
年末からの寒波で鳥たちは余程食べるものがないのでしょう。

 

横浜に住む孫たちが30日に帰ってきました。
この日、夫の弟の家族と一緒に餅つきをしましたが、
義弟も3人の孫たちが帰ってきたので、
家族親戚総勢15人の賑やかな餅つきでした。

私たちの孫、義弟の孫たちも
子ども用の杵で餅をつき餅を丸めて餡を包んで
口の中にほおばり大喜びしていました。
孫に餅つきを体験させたいと待ち構えていた夫が
孫たち以上に喜んだかもしれません。

 

31日は、餅を実家の仏さまに供えたり、あいさつに回ったりしたので
お節料理つくりは午後4時ごろからになり、
作り終えたのは元日の午前1時でした。
30日の餅つきからほぼ立ちっぱなしで、
紅白も見ることができませんでした。

お風呂に入って3時ごろ布団に入りましたが、
夫が早朝のラジオ体操と5社参りに行くので6時には起きました。
お節料理つくりは、いつも娘たちが手伝ってくれますが、
仕事で忙しかったり、風邪をひいたりしたので
大変忙しい年末年始でした。

しかし、しっかりお節料理を作っておいたので
孫たちとも遊べて、3日は大好きな箱根駅伝をテレビで見て、
午後は孫たちと一緒に温泉に入ることができていいお正月でした。

12月の27日に珍しく卵を産んだウコッケイがその後も産み続け
年末年始にかけて6個産みました。
ウコッケイの世話をしている娘だけでなく、
孫や私まで珍しいウコッケイの卵を食べることができました。

 

年末から年始にかけて、
親戚、知り合い、職場の先輩などが次々に亡くなりました。
今夜もお通夜です。ご冥福をお祈りします。

夫の後援会事務所は
きのう事務所会議を開き仕事をはじめました。
今年も夫を支えてくださるようお願い申しあげます。

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