2010年10~12月のぼやき

2010年12月

2010年12月27日(月)

今朝3女が「お年玉だ」と庭で叫びました。
どうしたのだろうと出てみると、
ウコッケイが卵を1個産んでいました。
わが家のウコッケイは餌を食べるばかりで卵はほとんど産みません。
いつも世話をしている3女が食べるといっています。

 

今朝は田畑は雪化粧し、車は雪に覆われていました。
年が押し詰まると洗車場が混むだろうと、数日前洗車したばかりです。
開き直ってもう洗車しないことにしました。

きのうは寒い中、家の大掃除をしました。
台所、押入れの中、走り回るように片付けました。
娘が「お母さんはいつも立っている」といいます。
たまには夫のように座って本を読んでいたいと思っても
立って家事をしてしまいます。

私が大掃除をしている間に、
友人夫妻は映画を観にいったそうです。
私は映画が好きですが時間があっても映画に行こうとは思わず、
年末のこの時期なら家事をするでしょう。

自由奔放な友人夫妻は、山に登り、旅をして
宿に泊まると温泉やお酒を楽しんできます。
私は温泉に入っても家のことが気になるのでその夜の内に帰ってきます。

どうしてこうも違うのか考えてしまいます。
私は家や地域のしがらみに縛られているのに
転勤族の友人は、しがらみを振り捨てているからでしょうか。
金子みすゞさんのように「みんな違ってみんないい」と思いましょう。

生け花の金子三伸先生が亡くなったとき
お葬式に参列できなかったので23日に夫と家にお邪魔しました。
先生のお写真を見て、花に添えられた随筆を読むと心が安らぎます。
先生の生け花の前でどれほど癒されたことでしょう。
心癒される場を失ったことに気付きました。

今年もきょうを入れてあと5日です。
この1年、何をしたのだろうと考えると、
台所に立ち、夫の世話ばかりしていたような気がします。
これでいいのだろうかとも思いますが
何ごともなく、家族が元気に1年を乗り切れたことに感謝しましょう。

30日に横浜の孫が帰ってきます。
娘夫婦と孫2人が増えて8人で年を越します。
夫は孫たちに餅つきを体験させると準備しています。

私は、黒豆、ナマス、田作り、数の子、煮しめなどの定番の料理に
子ども向けのメニューを加えたおせち料理をたくさん作って
正月3ケ日は台所にできるだけ立たないで孫と遊ぼうと思っています。
しかし、娘2人は、
「お母さん、晴輝と咲英は私たちが遊ぶので安心して料理を作って」といいます。
ババの心子知らずですね。

ではみなさま、いいお年を。

2010年12月22日(水)

正月を迎える準備をぼちぼちしています。
下水の掃除と窓拭きは毎年夫がしてくれます。
去年は雨模様の日に2階の窓拭きをしていた夫が
1階の庇まで滑り落ちました。
今年は天気のいい日にしたので無事でした。

草に覆われた庭の手入れをすると、
屋敷の東側の生垣になっている10数本のサザンカの
色鮮やかな赤い花が姿を見せました。
草に埋まるように咲いていたサザンカに、ごめんなさいと言いました。

 

佐賀市文化会館で面浮立を踊りました。
面浮立は佐賀城本丸伝承祭で踊るために習いそれが役立ちました。
本番前の練習などで忙しく、
ほぼ毎週更新しているこのブログを1週間休んだので
友人や知人が病気になっているのではないかと心配して
何人もが電話をかけてこられました。
多くの方が読んでくださっていることを知りました。

 

18日の土曜日、夫に散髪に行くよう促しましたが、
夫は「まだよか」と窓拭きなどの掃除をしていました。
いつもは出勤の朝、スーツなどは私が揃えますが、
20日の月曜日は私が弁当作りに追われている内に
夫は自分で選んで着て出かけました。

夫が出たあと月曜日の予定表を見ると
ぶんぶんテレビの新年用の収録が予定されていました。
散髪をしない頭に、夫が選んだスーツで出演したでしょう。
ぶんぶんテレビは何度も放送されますので、
どんなに写るか心配です。

クリスマスが近づいてきたので、
玄関にサンタクロースやトナカイを飾りました。
娘たちも手を貸してくれましたが、
サンタクロースさんが娘に幸せを運んでくれることを願っています。

きょう(12月22日)は冬至です。
夫や娘に、庭で育った柚子を入れた風呂で温まり
カボチャを食べてもらおうと思っていますが
夫は議会が終ったあと忘年会が続いています。
きょうは早めに帰ってきて欲しいと思っています。

 

2010年12月6日(月)

わが家の庭は秋と冬が混在しています。
カエデが真っ赤に燃え、
ナンジャモンジャの黄色の葉の絨毯が広がり秋の真っ盛りのようです。
またナンテンやマンリョウの赤い実は冬の訪れをを告げています。

 

 

先日ごく親しい人たちと忘年会をしました。
お酒が大好きな人がいてワインをガブガブ飲まれるので
つられてワインを飲んだら気分が悪くなりました。
私が飲んだのはほんの少々ですが
大酒飲みの真似をしてしまったのかも知れません。
でも楽しい忘年会でした。

これから暮れにかけて毎日1ヵ所、
日頃手をつけられない場所を掃除することにしました。
きょうは物置小屋の整理と掃除をしました。
古くなった作業用手袋、肥料袋などを整理してすっきりしました。

12月1日に新聞を読んでいて親しい方が亡くなったことを知りました。
目からどっと涙が流れ落ちました。1日中泣いていました。
その方は生け花の金子三伸先生です。

先生が入院しておられたことも知りませんでした。
ご家族に連絡すると、金子先生は
私の夫にずっと会いたがっておられましたが、
バルーンの季節だったので、忙しいだろうと気を使って連絡されなかったそうです。
気配りのゆきとどいた奥深い人でした。

金子先生は若いころ本庄に住んでおられたので
夫は子どものころから親しくさせていただいていました。
疲れたとき、佐賀城本丸歴史館の玄関に飾られた
金子先生の大きな生け花の前に座ると心が癒されました。

今、私の前に、先生が生け花の写真に添えた随筆集があります。
随筆集の1ページに、
「はなの前に夫と30分座っていました」
秀島佐賀市長夫人からの留守電。
「お二人ともよほどお疲れだったのでしょう」とお礼の電話を入れた
と、書いておられます。
ご冥福をお祈りします。

外の行事で餅つきをしてきた夫は家に帰るなり
今年は孫に餅つきを体験させると言い出しました。
わが家の餅つきは毎年29日です。
孫が来るのは30日らしいので餅つきを1日後にしなくてはなりません。
餅つきは弟の家族と一緒にしますのでお願いしようと思っています。

あすから寒くなるそうです。
風邪をひく人が増えています。
衣服の調整に気を配りましょう。

2010年11月

2010年11月29日(月)

コウテイダリアが満開で
秋の陽ざしを受けて輝いています。
夫は家の白い壁に絵を描いているようだと
この風景が大好きです。

 

庭のハッサクは黄色い実がすずなりです。
夫が5-6年前に苗を買ってきて植えました。
3年くらい前から実を付けるようになりましたが今年は豊作のようです。

 

庭の実のなる木は、他に梅とサクランボがありますが、
梅は老木で実を付けず、サクランボは鳥に食べられるので
収穫できるのはハッサクだけです。

勤労感謝の日の午後、夫がドライブに行こうと言い出しました。
東脊振から三瀬にかけて車を走らせると、
紅葉の美しい渓谷に出会うと聞いたらしいのです。

しかし紅葉はとっくに散っていて美しい渓谷は見つかりませんでした。
山は下界より早く冬が来ることを忘れていました。
残念でしたが、帰りに古湯の温泉に入って夫は満足そうでした。

27日~28日の土日、
夫は珍しく公務がほとんどありませんでした。
趣味のない夫はこんな日は何をするのだろうと思いましたが
パソコンに向かったあとは畑に出ていました。
畑仕事という大好きな趣味を持っているのに気がつきました。

夫が土曜日にトラクターで耕した畑に
翌日、近所に住む夫の兄がタマネギを植えていました。
近所には、この他、夫の弟と妹が住んでいます。
わが家の畑は4家族が共同で使っていて、
実った野菜は必要な人が収穫して持ち帰ります。

 

夫の兄弟姉妹は7人で、
他の3人は島根、東京、大阪に住んでいます。
近所の4人を含めてみんな仲良しです。

夫は今月東京出張が3回ありました。
出張の間は、ゆっくりできるはずですが、
葬儀が続いて忙しいだけでなく悲しいことの多い11月でした。

間もなく市議会です。
議会中、夫は昼食に外出することができないので
毎日弁当が要ります。
私も議会中は忙しいのです。

2010年11月22日(月)

庭のモミジが見ごろになりました。
真っ赤な葉とナンジャモンジャの黄色の調和が絶妙です。

 

きょう11月22日は「いい夫婦の日」です。
朝、3女が「お父さんとお母さんもいい夫婦でいてね」と云いました。
そこで今朝は雨も降っていたこともあって夫をバス停へと車で送りました。
しかし他の用事もあったのでバス停の手前で降りてもらいました。
帰って3女に話すと、「お父さんかわいそう」といわれました。

ちょっとした事件というか騒ぎがありました。

私の地区の資源物回収の日、
ダンボールや新聞、空き缶を集める場所に持って行くと
いつも新聞を持ち去るおじさんがトラックでやってきました。

持ち去るなら注意しようと思って資源物のそばに立っていると、
おじさんは「おばっちゃんどかんか」と叫んだあとトラックで突っ込んできました。
私が飛びのかなかったら轢かれたでしょう。

おじさんが新聞をトラックに積み始めたので、
「持ち去りはダメ、警察に連絡するよ」と云うと
「警察は何もしきらん」と云って、そのまま新聞を積んだので
さらに抗議すると、
「おばっちゃんのごとゆうもんは今までおらんやった。
いつまってん、いいよっぎー、うちにおっ若い組員から刺さるっばい」
と脅されました。1日中、怖かったです。

20日の土曜日、
仕事が休みだった3女が犬のマックスの小屋の冬支度をしました。
小屋の壊れた部分を板で補修して、
入り口に、マックスを描いたバルーンに家族が乗っている絵を描きました。
とてもかわいい絵です。正月に帰ってくる孫たちが喜ぶでしょう。

最後によく干した座布団を小屋に入れると
マックスは座布団に寝転んで外に出てこなくなりました。
犬だけでなく、他に世話をする人が現れるといいのですが。

 

きのうの日曜日、夫は公務から帰るとサツマイモ掘りをしました。
午後からは一緒に阿蘇の俵山に行きました。
夕陽に輝くススキがとても美しく、帰りに温泉に入りました。
夫は大好きな畑仕事をして温泉に入り、
また1週間頑張る活力ができたはずです。

 

2010年11月15日(月)

庭のコウテイダリアの花が次々と咲いています。
夏の猛暑で10本のうち3本が枯れたので全滅するかと心配しましたが、
涼しくなるにつれて元気になり、先週から咲き始めました。

コウテイダリアは夫の水道局時代の同僚で親友だった方が
2年前に株分けして下さり、そのあと亡くなられました。
真面目で働き者、人の世話が好きな方で
誰からも愛されておられました。
コウテイダリアを見ると、その方の優しい笑顔を思い出します。

 

先月下旬から多くの友人、知人を見送っています。
きょうも、以前、本庄の公民館長をしておられた方の葬儀に出ました。
本庄の歴史を本にまとめられるなど、
本庄や佐賀市のために尽くされた方でした。
ご冥福をお祈りします。

夫は週末の土日、多くの行事に出かけましたが、
きのうの午後時間が取れたので
熊本県、下城の大銀杏を見に出かけました。

去年見に行ったときは、葉が全て落ちていました。
今年は紅葉が遅れ、途中の山々の紅葉が美しかったので
今年こそはと期待が膨らみましたが銀杏の葉の8割は落ちていました。
見ごろは11月はじめだそうですので、ちょうどバルーンの時期に重なります。
夫が市長である限り、見ごろに訪れることは無理なようです。

帰りに温泉に入りました。
夫はこのところ、大変忙しかったので心身を休めることができたでしょう。

家に帰って、福岡市長選挙の開票を見守りました。
現職の吉田市長は落選されました。
佐賀市と福岡市は隣町どうしになり、
吉田市長と夫は、三瀬、富士と福岡市早良区の交流などで
力を合わせてきましたので、淋しい思いがします。

孫が正月に帰ってくるかも知れません。
横浜の娘と電話で話すと、
年末年始は、飛行機の割引がなくて、
いつもの2倍になるので帰れないようなことを云っていましたが、
孫の「帰りたい」のひと言で、チケットが取れたら帰ってくることになりました。
孫に合えるのは大型連休以来で、楽しみです。

2010年11月8日(月)

バルーン大会が開かれた先週、
早朝から夜遅くまで動き回る夫に付き合って私も忙しく、
きょう(8日)は少々バテテいます。

バルーン大会前夜祭のライトファンタジーは
さあバルーンがはじまるのだと心が沸き立つはずですが、
私は何となく淋しさを覚えました。
いつもは友達と一緒ですが今年は私1人でした。
横浜に住む娘が孫を連れて帰ろうかと云いましたが、
学校を休ませなくてはならないので、あきらめました。
ここに孫がいたら、どんなに楽しいかと思いました。

 

3日の大会初日、夫は午前6時20分に出かけました。
私は初日は毎年緊張して開会式に出ますが、
今年は他の行事があったので行けませんでした。

大会を気にしながら、午前8時ごろ庭に出ると、
真上をたくさんのバルーンが飛んでいました。
快晴の真っ青の空に浮かぶバルーンに思わず手を振りました。
私の家は空港に近いので最近バルーンが来たことはありません。
会場に行けなかったけど家からバルーンをみることができて感激しました。

 

このあと、佐賀城本丸伝承祭に出かけました。
私は女性250人による佐嘉面浮立に参加して練習を重ねてきました。
佐嘉神社で面浮立を奉納した後ムツゴロウ広場まで道行きをして、
最後に佐賀城本丸歴史館で面浮立を舞いました。
この浮立は戦を演じるもので、
足袋はだしで踊ると戦の場にいるような気持ちになるから不思議です。

 

6日は東与賀のシチメンソウ祭りで
シチメンソウを育てる会が開いた店の
うどんやおにぎりの食券を売るお手伝いをしました。
収益はシチメンソウを守る資金になります。
今年は夏の猛暑の影響か、シチメンソウがよくありません。
色が悪いだけでなく株が無くなっているところもあり、
シチメンソウを育てる会の会員の私は心配をしています。

 

7日は私の住む本庄祭りのお手伝いをして
お客さんの接待をしました。
子どもみこし、中学生の吹奏楽と小学生の金管バンドの演奏、
消防の放水、餅投げなど多くの行事を通じて
そこに住む人たちが知り合い、仲良くなったものと思います。

色々な行事があったので、
バルーン大会に行けたのは最終日7日の夜だけでした。
会場は大勢の人で歩くのも難しいほどでした。
夜間係留はいつみても美しく、
土手を埋めた人たちの感動のため息が聞えるほどでした。
最後に花火が夜空に打ち上げられ大会の終わりを告げました。

 

夫は期間中、朝6時とか7時に出て
夜はお客さんの接待などで遅く帰り、
わが家で食事をすることはほとんどありませんでした。
疲れ果てているはずですが今朝も元気に出勤して行きました。
いつも思うのですが、夫は本当に強い人です。

佐賀市の富永元助役が亡くなりました。
私が総務部庶務課にいたころ総務部長をしておられました。
雲の上の存在でしたので傍に近寄ることも稀でしたが、
夫が市長選挙に出たとき支援していただき親しくなりました。
手術をして元気になられたと聞いた矢先の訃報でした。
夫も私も尊敬していた方を失いました。
ご冥福をお祈りします。

2010年11月2日(火)

玄関横のハナミズキが
先月末ごろから紅葉しはじめていましたが、
ここ数日の冷え込みで真っ赤になりました。

このハナミズキは、私たち夫婦が33年前に家を建てたとき、
夫の母が種から育てた苗を植えてくれました。
数十センチだった苗は今は3メートルの大きな木になりました。
ハナミズキが紅葉するたびに秋に逝った義母を思い出します。

私は結婚したとき何もできませんでしたので、
義母に何もかも習いました。
梅干しつくり、ラッキョウや奈良漬、
私の大嫌いな漬物の漬け方も習いました。

味噌作りは義母と義父がしていたので習いませんでしたが、
最近、夫の弟の妻が味噌作りを習ってきたので、
30日の土曜日に2人で味噌作りをしました。

義妹の実家から貰ってきた大豆を釜に入れて
義弟が刈りとって干した庭の小枝をカマドにくべて煮ました。
煮あがった大豆を丁寧につぶして
買ってきた麦と米の塩切麹と合わせて8キロの味噌ができました。
横浜の孫が味噌汁が大好きなので、
添加物無しの安心安全の味噌を送ります。

 

夫の同級生のお連れ合いが亡くなりました。
夫婦でお付き合いしてきた素晴らしいご夫妻でした。
夫が仕事の都合でお葬式に出られませんでしたので
私が葬儀に参列させていただきました。

会葬の礼状には、
「一緒に笑ってくれてありがとう、一緒に泣いてくれてありがとう、
何回ありがとうを伝えても足りません」と書かれていました。
長い長い恋愛時代があって39年連れ添われました。
夫の妻への愛があふれた言葉でした。

亡くなった妻は夫の身の回りや家のことを全てやっておられたそうで、
「私が先に逝くと夫は生きられない」と
自分のことより、残される夫のことばかり心配しておられました。
妻として、母として、男世帯を残して逝くのは心配だったことでしょう。

男性が先に逝くのが普通ですが、
逆になると、逝くほうも見送るほうも辛いですね。
私の夫は丈夫なので私より長生きするかも知れません。
自分のことは自分でできるようにしておかなくてはなりません。

週末の土日も夫は公務がありましたが、
家を出る時間がいつもより遅かったので
朝食は秋の気配が濃くなってきた庭で食べてもらいました。

土曜日の朝食は、
ご飯に、厚揚げ、シメジ、タマネギ、ミズナ、コネギ入りの味噌汁、
大根おろし、豆腐の奴、カボチャの煮物、大根葉とチリメンの和え物、
納豆、海苔、漬物、梅干、でした。
夫は朝はたっぷり食べます。

朝食の時間はいつも午前7時からで、
夫は生活のリズムを崩しません。
その分、私は、平日も土日も朝から大忙しです。
私には休みがありません。

 

2010年10月

2010年10月25日(月)

先週庭に出るとシャクナゲが1輪開いていました。
毎年、春の5月ごろに咲く花です。
夏の異常な暑さにシャクナゲも季節が分からなくなったのでしょうか。

今朝は垣根のサザンカがたくさん咲いていました。
サザンカは冬に咲きますので狂い咲きというほどではありませんが
例年より少し早いようです。
今、庭に花が少ない時期ですので
雨に濡れた白い花に「ありがとう」とささやきました。

 

20日から21日にかけて小さな風邪をひきました。
のどが痛く、熱も少々あったようです。
同窓会、市長会などで出歩いたことと
夜遅く寝て朝早く起きる日々が続いて疲れていたのでしょう。

22日と23日に夫は午前5時前に起きて
有明海の海苔網の張り込みに出かけました。
朝食は要らないというので、私は6時ごろ起きればよかったのですが、
夫の目覚まし時計が4時50分ごろから10分ごとに鳴ります。
眠い眠いと思いながら起きだしましたが、、ふと気がつくと風邪は治っていました。
有明海の海苔は日本一で、いつもおいしくいただいています。
今年も日本一になりますようにと念じながら夫を送り出しました。

 

夫も疲れていたのでしょう。
23日の土曜日は有明海から帰ると昼ごはんまで熟睡していました。
いつもならば畑に出るのに、その前にバタンと眠りました。

22日の金曜日、
本庄地区の1人暮らしの高齢者のふれあいの集いが
本庄公民館で開かれました。
65才以上で1人暮らしの方たちのお互いの交流と
地元の子どもたちとのふれあいを図ろうと
本庄校区社会福祉協議会などが開きました。

集いには80人のお年寄りが参加して
本庄小学校の子どもたちと、ビンゴゲームや歌や踊りを楽しみました。
弁当やお菓子が用意されていましたが、
私たちの食生活改善グループは豚汁を作っておもてなししました。
お年寄りの70~80%は女性で80歳以上の人も元気でした。
男性は妻に先立たれると元気を失くして後を追うように亡くなる方が多いのですが、
女性は元気です。

 

23日の土曜日に、本庄地区の秀島後援会の
「市長を囲む会」が開かれました。
10月23日は、夫が佐賀市長に初当選した日です。
この日、地元の人たちが市長誕生日として祝ってくださいます。
150人の方が集まってくださいました。
ありがとうございます。

 

2010年10月18日(月)

庭のキンモクセイは今が満開で、
木の下はオレンジ色の花の絨毯になっています。
キンモクセイの香りは強くなりすぎましたが、
ギンモクセイがほのかな香りを運んでくれます。

 

匂いを嗅ぎながらギンモクセイを探すと
近所の空地に、
キンモクセイとギンモクセイの大木が並んでいました。
長い間住んでいて気付きませんでした。
写真はオレンジ色左がキンモクセイ、白っぽい右がギンモクセイです。

 

今朝犬のマックスがワンワンと吠え、
鳥小屋のウコッケイが大きな声を出して騒いでいました。
仕事が休みで家に居た3女が駆けつけると
野良猫がウコッケイを狙っていました。
3女は網に足を絡ませたウコッケイを助け猫を追い払いました。
去年は蛇がウコッケイを狙っていました。
生き物を飼うといろいろなことがあります。

鹿児島で開かれた九州市長会に同伴しました。
九州市長会は妻が私費で同伴する慣わしもあり、
30人の夫人が参加しておられました。
九州市長会は年2回開かれますが、
年を追って夫人たちが若くなっているようです。

 

夫たちが会議をしている間、
私たちはバスで島津家の別邸の仙巌園などを見て回りました。
バスの中や昼食のとき、市長の妻であるがための悩みが出てきます。
市長は週末もさまざまな行事に出かけ、
妻も時には同行するので、自由時間はほとんどありません。
私は買い物が嫌いです。高い物も安い物も買いにくいのです。
そんな悩みを出し合いました。

この土日、夫は秋祭りなどに出かけて休む時間がありませんでした。
この内、富士町市川の天衝舞い浮立には私も行きました。
古くからの伝統のある浮立が若い世代に受け継がれた素晴らしい祭りです。

 

この日、市川では、どの家も心をこめてお客さんを接待します。
春の間に採った、ゼンマイ、ワラビ、タケノコなどを
塩漬けにするなどして保存し
たくさんのご馳走を作って待っておられます。
私も栗ご飯、タケノコご飯などを、腹いっぱいご馳走になりました。

スポーツ、文化、祭りなどの行事の多い秋は多忙で
衣替えが出来ないでいましたが、
きょうやっと、タンスの中の衣替えをしました。
カーペットも冬物に替えました。
今年は夏の衣料を一旦しまったあと、また引き出しましたが
もう夏がぶり返すことはないでしょう。

2010年10月12日(火)

朝かすかなキンモクセイの香りに気がつきましたが、
台所の窓を開けると強い香りが飛び込んできました。
わが家の庭のキンモクセイと気づいて玄関横のキンモクセイまで走りました。
2日ばかり家を留守にした間に花が咲いたようです。
私はキンモクセイの香りが大好きです。

 

佐賀高校の16期生の同窓会が9日に福岡でありました。
私たちが佐賀高校最後の卒業生で
25組ありましたので同期生は1300人位いたのではないでしょうか。
翌年から西、北、東の3校に分かれました。

前日の8日はグループごとに別れて前夜祭があり
私は脇田温泉で開かれた前夜祭に出ました。
参加者は30人位で、宴会が終って別の広間で2次会になりました。

ビンゴゲームのあとカラオケになり、
関東から参加された5人の女性のうちの1人が
岸洋子の「夜明けのうた」を歌われました。
その方は高校のころコーラスグループに入っておられたそうで
美しい声の歌を、みんなでうっとりと聞きました。

夜明けのうたは東京オリンピックの開かれた昭和39年
私たちが高校生だったとき岸洋子さんが紅白歌合戦で歌われました。
美しい歌を聞きながら高校生活を思い出しましたが、
歌われた方は歌い終わったあと仰向けにドサッと倒れました。

医学の心得のある同級生が心臓マッサージや
人工呼吸をしながら救急車を待ちました。
脇田温泉は山奥にありますが救急車が来るまでの時間の長かったこと。
結局その方は亡くなりました。
私も、同室の友達も、朝まで眠れませんでした。
大好きな歌を歌いながらの死ですが、
家族から1人離れて旅立たれたことが気の毒でなりませんでした。

翌日、約250人が参加した同窓会の最後に
全員で黙祷してご冥福を祈りました。
私たちは63才か64才です。
いつ旅立つか分からない年齢になっているのですね。

同窓会の夜もほとんどの人が福岡に泊まりましたが私は夜遅く帰り、
翌10日の本庄地区の運動会に出ました。
元気に走り回るのは小中学生の両親がほとんどで、
膝と足の指を故障している私は応援するだけでした。

私は若いころは足が速く、
40代には地区対抗リレーで3人抜きしてトップで夫にバトンを渡し、
夫は速くなかったのですが頑張ってトップを維持したことがありました。
今年の運動会でも
気持ちだけ前に出て足がついてこないで転ぶ人が続出していました。

 

きょう(12日)本庄公民館で、
本庄の自治会長さんを対象にした食の健康教室がありました。
ほとんどの人が男性で本庄校区の食生活改善推進員が
お手伝いをしました。
私も推進員ですので、一緒にアジの梅肉焼きなどの料理を作りました。
最近の男性たちは料理を苦にしない人が多くなりました。

料理前に、佐賀市の保健師さんが、
塩分を控え、よく噛んで食べることなどを指導されました。
私は4日前に同窓生の急死を見ていますし、
夫も先月天山山頂で知り合いの急死に出会いました。
保健師さんの云われることがよく耳に入りました。

 

2010年10月4日(月)

10月に入っても暑い日が続きましたが
きょうは秋の気配が感じられ、
満開になった畑のコスモスが涼しい風に揺れています。

 

庭の木は夏の焼きつくような猛暑で勢いを失い、
葉の色もよくありません。
そんな中、花の好きな弟夫婦から貰ったトレニアだけが満開で、
ムラサキの可愛い花が庭を彩ってくれています。

 

きのうは地元の本庄神社のおくんちでしたが
雨で中止になりました。
毎年おくんちには赤飯を炊くのが慣わしですので
前日友人からいただいた栗を入れた赤飯を炊きました。

70個の栗の皮を剥くのに2時間かかり指にタコが出来ましたが
炊き上がった赤飯を重箱に入れて近所の老夫婦に差し上げ、
本家の仏さまにお供えすることが出来ました。

 

上海万博の佐賀県の日に出るために
中国に行っていた夫は昨夜10時を過ぎて帰ってきました。
荷物を置くと同時に夫は「漬物を食べたい」と云いました。
残っていた赤飯とナスのぬか漬け、奈良漬をおいしそうに食べました。
機内食を食べていたようですが、
中華料理を食べ続けた夫は、ずっと漬物の夢を見ていたようです。

夫は先週の金曜日の早朝、中国に向かい、
土日の休みもなく中国を駆け巡って昨夜遅く帰って来ました。
疲れているはずなのに、今朝はいつものように元気でした。
驚くほど丈夫な夫です。

私は金曜の夜、玄関の鍵を掛けようとしたとき転んで
左足の指を痛めました。
はじめはたいしたことはなかったのですが、
次第に腫れてきたのできょうお医者さまに行きました。
指のじん帯が伸びきっているそうです。

玄関の電気を点けないまま、
暗闇の中で鍵をかけようとした私のズボラが私に返ってきました。
8日に福岡で開かれる佐高の同窓会に出席できるか心配です。

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