2009年10~12月のぼやき

2009年12月

2009年12月28日(月)

夫がロウバイの花をいただいてきたので、
玄関のナンテンの傍に活けました。
少し正月の準備ができたような気がします。

 

26日に、歌手の勝田友彰さんの
1日遅れのクリスマスコンサート、
「君にとどけたい愛のコンサート」を聞きました。
勝田さんと目が不自由な人たちが一緒に演奏されましたが、
障がいを乗り越えての素晴らしい音楽に感動しました。

目が不自由な方を高校生がサポートしていましたが、
こうしたサポート活動によって、
家庭に恵まれず、学校でも疎外されていた生徒が
立ち直ったこともあるそうです。
手をつないで活動することの大切さを
勝田さんが教えて下さいました。

 

25日に後援会事務局や、
事務局を支えて下さった方たちと忘年会をしました。
どんなに感謝しても足りないくらいお世話になった方たちと
楽しい夜をすごすことができました。

 

忘年会を終えて緊張が緩んだのでしょうか、
風邪をひいたようで、土曜日の夜から熱がでました。
私が寝込んだので、きのうの日曜日
夫が窓ふきや掃除をしてくれました。

きょうは熱も下がり元気になりました。
今年はあと数日です。
今度は私が頑張ります。

この1年間いろいろな面で私たちを支えて下さいまして
本当にありがとうございました。
平成22年も今年とおなじようによろしくおねがいします。

2009年12月21日(月)

17日(木)、農協の研修センターに
本庄校区の食生活改善推進協議会の人たち
10人が集まって、味噌作りをしました。
今年採れた米と大豆を使って100キロの味噌を作りました。
1人あたり10キロで、わが家では半年分です。
もちろん添加物の全く入っていない味噌です。

 

味噌作りをしたこの日は朝から忙しかったので、
出勤する夫のワイシャツやスーツの準備を手伝いませんでした。
夫が出たあと、気になったのでタンスを見ると、
きのう着たスーツのポケットが膨らんでいました。
財布や名刺入れなどを持たないで出ていった夫を
懸命にバス停まで追いかけました。

忙しい朝、かえって時間をとられてしまい、
どんなに忙しくっても、出勤前は手伝わなくてはならないと思いましたが
この話を聞いた友人は
日頃世話をやきすぎるからで、自分のことは自分でさせなさいといいます。

夫は、身の回りのことはできませんが、
社会や家族のためには、とてもよく働きます。
きのうの日曜日、チャリティーの餅つきや
市役所での打ち合わせなどで、暗くなるころ帰ってきましたが、
寒くて真っ暗な中、外に出て、家の窓と網戸の掃除をしていました。
汚い下水管の溜め枡の掃除は誰も嫌がりますが、毎年夫がしてくれます。

18日の金曜日に
「かたりべの里本庄」の史跡探訪ウオーキングに参加しました。
いつもは参加者は15人前後ですが、
今回は一般の人に参加を呼びかけたので50人くらいでした。
みんなでラジオ体操をしたあと高伝寺などを訪ねて歩きました。

ほとんどが60歳以上の方で86歳の男性も居られました。
高齢なので、さすがに足は弱っておられますが、
仲間の方が手助けして、5キロのコースを完歩されました。
助け合う姿がとても美しかったです。
歩いたあと、用意されたご飯と豚汁をいただきましたが、
雪の舞う寒い日だったので、豚汁は大変おいしかったです。

 

わが家の高齢ウコッケイが珍しく卵を産みました。
ウコッケイはわが家にきて7年余りになります。
最近は春と秋しか卵を産まなくなりましたが、
今年は春少し産んだあと、全く産まなくなり、
もう、ウコッケイの卵を食べられないと思っていました。

それが最近2つの卵を産みました。
卵を産まなくなっても、夫が早朝餌をやり、
娘が鳥小屋の掃除をしていました。
夫と娘は大喜びでしたが、食べたのは2つとも娘です。

 

2009年12月14日(月)

娘が大きくなったわが家では
クリスマスツリーを飾ることもなく、
クリスマスは遠くに去ったと思っていたのですが、
娘が玄関に鉢植えを置いて
周辺にサンタさんの置物などを飾っていました。
玄関が急に明るくなりました。

 

おとといの土曜日(12日)、
夫は朝から庭に出て、落ち葉掃きをしていました。
じっとしておれない性格です。

この日は珍しく公務がなかったので
夫婦で山の秋を求めてドライブしました。
大和の松梅などの干し柿のカーテンに
日本の美を見ました。

山間部の家は、どの家にもナンテンが植えられていて
ナンテンの実は平野部のナンテンと違って
真っ赤な色をしていました。

途中、柿が好きな私に、庭に実った柿を
毎年届けて下さった方の家に寄りました。
その方は去年柿を届けて下さったのが最後に亡くなり
今年は奥さまが届けて下さいました。
仏壇の前に座ると、夫と仲良しで私に優しかったその方の
お顔が浮かんできました。

庭に柿とは別に、晩白柚(ばんぺいゆ)の木があって
直径20数センチの大きな実がすずなりでした。
晩白柚が実るとご主人は、
表面をひとつひとつ丁寧に磨いて好きな方に届けたそうです。
収穫したあとしばらく寝かせて食べたほうが、おいしいということです。
その方を偲びながら晩白柚をいただくことにします。

きのうの日曜日
夫と一緒にお茶の会に招かれて初めて濃茶をいただきました。
濃茶はどろっとしていて飲むというよりお茶を食べるという感じでした。
1杯の濃茶を夫と2人で回し飲みをするのですが、
夫は、お茶碗を大きく傾けて1人で飲んでしまいそうで慌てました。
お作法を知らない私のために
知りあいの若い女性が作法を書いたプリントを届けて下さいました。
いろいろな人に助けられる私です。

夫は先の選挙でまかれたビラのデマを信じている人がいるのに、
心を傷めています。
1度流されたデマは尾をひくのですね。

友人の孫さんが、インフルエンザの予防接種を受けるために
中国から帰ってこられました。
2回受けるので1ヶ月余り滞在されるそうです。
マゴマゴ騒動に疲れたと言いながら楽しんでおられます。
私の横浜に住む孫はこの冬休みには帰ってきません。
少し寂しいです。

2009年12月8日(火)

同じ立場にある友人たちが
年に1~2回集まって悩みを語りあっていますが、
今月2日はいい天気だったので、
3人で鹿島のみかん園に出かけました。

私たちは思いがけず
人目を気にしながら生活する立場になりましたが、
美しい有明海の眺めと暖かい陽ざし、優しい風を受けながら
おいしいみかんを食べ、悩みを語りあい、ストレスを発散させました。

 

お孫さんを連れてこられた方もいましたが、
その4才の女の子はきちんと挨拶をして、
「ありがとう」という感謝の言葉、間違ったら「ごめんなさい」と
はきはき言うことができる素晴らしいお孫さんでした。

友人は、子どもを育てるとき
「勉強しなさい」とは一度も言わなかったそうです。
その代わり、挨拶と「ありがとう」「ごめんなさい」を
必ず言うように教育したそうです。
それがお子さんからお孫さんへと受け継がれているのでしょう。

私は共働きだったので、
子どもはほったらかしで育てました。
子どもに申し訳ないことをしたと思っています。

同じ日の2日の夜、
帰ってきた夫は不機嫌で、ほとんど何も言わずに食事をしました。
どうしたのだろうと、思いましたが
翌日の市議会の一般質問の答弁を考えていたようでした。
夫は怒るとすぐ顔に出ます。
翌日3日の朝、「落ち着いて答弁してよ」と言って送り出しました。

 

5日の朝、
一緒に仕事をした親友のお母さんが亡くなりました。
私が遊びに行くと歓待して下さる明るいお母さんでした。
親友は、子どもがお母さんにお世話になったので、
早めに役所を辞めてお母さんと一緒の時間を大切にしていましたが、
お母さんは間もなく病に倒れて、
友人は看病、介護の日々を過ごしました。

私は香典の中に
「親孝行できてよかったね」という手紙を入れました。
私は母親が亡くなったとき、まだ仕事をしていました。
仕事をしたことに悔いはありませんが、
もっと親孝行しておけばよかったと思います。

2009年11月

2009年11月30日(月)

週末は久しぶりにゆっくり過ごすことができました。

27日の金曜日
本庄地区のかたりべの里歩こう会の人たちとウオーキングをしました。
本庄公民館を出発してお城の濠の周りを歩きました。
いつもは次の予定があって、途中までしか歩けませんが、
天気に恵まれたこの日、最後まで歩けました。

途中博物館の裏で大きな縄文アラカシに出会いました。
ここに植えられて40年と言うことですが、大木に育っていました。
ドングリを拾いましたが、
わが家の庭に植えると、大きくなりすぎて大変な事態になりそうです。

 

真っ赤に紅葉したモミジにも出会いました。
息を呑むような美しさでした。
佐賀に生まれて佐賀で暮らしながら
知らないこと、知らない場所がたくさんあります。

 

28日の土曜日、
夫は午後から公務が入っていましたが朝の内はゆっくりしていました。
犬のマックスと散歩から帰ると
樹木が紅葉した庭で朝ご飯を食べたいと言いだしました。
ご飯、味噌汁、メザシ、大根おろし、納豆、のり、ぬか漬けを
庭のテーブルに運びました。
夫は朝は大食です。

 

29日の日曜日は
夫は午前中、公務がありましたが午後は空きました。
そこで念願だった、熊本県の南小国の大イチョウを見に行きました。
イチョウの葉は全て落葉していて、1枚の葉も付いていませんでした。
がっかりしましたが、大分県のはげの湯に入りました。
お湯に入る前に、芋と卵を買って温泉で茹でておいて
風呂から出て食べました。
夫と温泉を楽しんだのは久しぶりです。

29日は3女の誕生日でしたので、
前日の夜、娘2人と私たち夫婦の4人で
居酒屋で誕生日を祝いました。
楽しい夜でした。

横浜の孫のインフルエンザも良くなったようです。
このところ私は、穏やかな日々で
怒ることもぼやくこともありません。

2009年11月25日(水)

選挙から1ヶ月、やっと普通の生活に戻りました。
普通とは、こんなに穏やかな日々なのか、
ここ数日いい表情をしていると、友人が言います。

先週、夫は出張してずっと留守でした。
この間に家が片付き、
帰ってきた金曜の夜からきのうまでの5日間、家で夕食を摂りました。
こんなこと、何ヶ月ぶりのことでしょうか。

夫は野菜や魚の家庭料理の和食を食べながら
晩酌するときが、至福のひとときのようです。
娘たちは洋食が好きですが、
夫が家で食事をすることはめったにないので、我慢しています。

土日は仕事が入っていましたが、23日の月曜日は1日休めました。
夫の運転で出かけて、神社にお参りをしたあと、
灯油やこだわり醤油などの買い物をしました。
家に帰ると、夫は畑仕事をして、
私は夫が掘り出したサトイモで芋の煮っころがしを作りました。
芋をほおばりながら晩酌する夫を見ながら、
選挙のころから棘の出ていた私の心が穏やかになるのに気がつきました。
こんな静かな1日は、この1年なかったような気がします。

私は四季の中で秋が一番好きです。
今年は紅葉を見に行っていなのに気がつき、
きのう(24日)友達と2人で有田の竜門峡に出かけました。
見ごろは少し過ぎていましたが、
モミジの紅とイチョウの黄色が見事な調和を見せていました。
また心が安らぎました。

 

横浜の孫が新型インフルエンザにかかりました。
小さな体で苦しんでいると思うと
居ても立ってもおられませんでしたが、
快方に向かっていると聞いてほっとしています。
みなさん、ご注意下さい。

2009年11月17日(火)

先週のはじめ1輪咲いた庭のコウテイダリアが、
今は50輪近く咲いています。
屋根の高さまで伸びた花木の先端に
大きなピンクの花が群がり、その向こうに空が広がります。

選挙が終っても気持ちがすっきりしません。
期間中のいろんな問題が頭をよぎり考えこんでしまいます。
そんなとき、コウテイダリアの花を見上げると、心が安らぎます。
花の向こう、空の向こうから、
株分けして下さったあと亡くなった友人が、
私を暖かい目で慰めて下さっているような気がします。

 

このところ、夫とはすれ違いの日々を送っています。
先週、夫は出張が多かったので、
友人たちと食事をする機会が多くありました。
選挙では損得なしに支えてくれた古くからの友人といると、
友人に恵まれたことに感謝します。

14日の土曜日は、夫は夜、家にいましたが、
私は中学の同窓会に出ました。
人数の多い会合では市政への不満を私にぶっつけてくる人もいます。
役所に直接言って欲しいのですが、
ついつい正面から受け止めると疲れます。

日曜日は、夫は午後仕事でしたが、午前中は空いていました。
久しぶりに一緒にどこかに行きたかったのですが、
夫は畑に出て、芋の収穫と野菜の種まきをしていました。
夫の頭の中にぎっしり詰まったスケジュール表には、
遊ぶこと、休むこと、のんびりすること、などが入り込む余地がないようです。

2009年11月9日(月)

今朝庭に出るとコウテイダリアの花が咲いていました。
1年前の去年の11月に友人が株分けしてくださり、
家の屋根ほど大きく育ちました。
花が咲くのははじめてです。

株分けして下さった友人は、今年亡くなられました。
夫と一緒に仕事をした方で、
優しいけど、芯のある方でした。
きょうは、天気が悪い予報でしたが空は晴れ上がりました。
青空にピンクの花と、その方の面影が涙に霞んで見えました。

 

7日の土曜日、
東与賀のシチメンソウまつりのお手伝いをしました。
海の紅葉を見に全国から訪れる大勢の方を接待しました。
私は午前9時から午後4時まで
うどんとおにぎりのチケットを売るレジに立っただけでしたが、
うどんだけでも600杯分を前日から用意してありました。

シチメンソウを育てる会、婦人会、農協職員、市職員など
大勢の方の努力に頭が下がりました。
私は、シチメンソウを育てる会に誘われていましたが、
夫の選挙も終ったので仲間に加えていただき、
年間を通じて、シチメンソウの御守をしたいと思います。

 

華道家の金子三伸先生が
いけばなと随筆の本を送って下さいました。
いけばなも素晴らしいものですが、
添えられた言葉がまた素晴らしいのです。
秋の夜、誰もいないところで靜かに読むと、
ひと言ひと言が心に染み込んできます。

先生は、もの静かで情感豊かな方です。
「いけばなは、はなに人の心と手が添えられて成り立つ」と書いてありました。
そうだ、心だと思いました。
今朝、料理をしていると、娘が
「お母さん、料理をつくるとき、
お父さんの顔を思い浮かべながら作るの」と言いました。
突然言われて驚きましたが、私の後姿に何かが見えたのでしょうか。

 

選挙期間中、料理をつくる時間もなく娘たちに不自由をさせました。
土曜日の夜は夫が留守だったので娘2人を誘って肉をご馳走しました。
女3人だけの静かな食事でした。
会話は少なくても、心が通じるひとときでした。

2009年11月4日(水)

選挙が終って2週間になりますが、
日頃の生活に戻ることができません。

バルーンの大会期間中、
夫は選挙のときと同じように毎朝6時半に家を出ました。
朝食も、昼食も外で食べ、帰宅も遅いので夕食も外です。
私も選挙の残務整理に追われて、
一緒に食事をすることもできない忙しさです。

家の片付けも出来ず、夏服が出たままです。
頭がパニックになりそうです。

私は疲れ果てているのに夫は強いです。
「さあやるぞ」という気迫にあふれていて、疲れた表情は見せません。
どこからきているのだろうと思うほど強い人です。
これから風邪がはやるころです。
バランスのとれた食事をしてほしいので、
早く私の作る食事を摂れるようになって欲しいです。

市議会議員だった大和の平原康行さんの奥さまが、
一昨日、たくさんの柿を持って来て下さいました。
私が柿が好きなので、平原さんは、
毎年庭で実った柿を持ってきて下さっていました。
平原さんは、去年体調を壊されましたが
秋には、ふらつく足どりで柿を届けて下さり、その後亡くなられました。

 

奥さまは
「夫が早く持っていけ、早く持っていけ、と言っているようで
今年収穫した最初の柿を持ってきました」と言われました。
柿を届けて下さった去年の平原さんの後姿を思い出して、
涙がぼろぼろと出ました。
私をいつも励まして下さった人が、
どうして早く亡くなったのか、悲しくてなりません。

バルーン大会の初日の30日の開会式に私も出かけました。
開会式が終ったあと、北川副の婦人会の人が
ボランティアで会場のゴミ拾いをするというので、私も参加しました。

 

地面に落ちているゴミを探していると
うどんなどを食べる野外のテーブルの下に1万円札が落ちていました。
すぐそばでうどんを食べていた中年の女性に、
「あなたの1万円札ですか」と話しかけながらお札をテーブルに置くと、
その人は、何も言わずに、1万円札を自分のバックの中に放り入れました。

そのままゴミ拾いを続けましたが、
婦人会の方が「あの人おかしかったよね。普通ならお礼を言うよ」と言いました。
1万円札を拾った所に戻ると女性の姿はありませんでした。
あの1万円札は、あの女性のものだったのでしょうか。
もし違っていたら、落とした人に申し訳ないことをしました。

バルーン大会は前半天気が悪くて、ハラハラしましたが、
最終日には天気が良くなり、私は、夜間係留を見に出かけました。
風も雲もない空に満月が輝き、
係留されて浮かぶバルーンが、バーナーの光に夜空を彩りました。
バンドの演奏や、司会者の
「みんなの笑顔を来年も見せて下さい」というアナウンス、
次々と空に美しい輪を作る花火、
全てがひとつになって、大きな感動を呼びおこしていました。

 

2009年10月

2009年10月19日(月)

選挙は、傷つき、励まされ、
人の素晴らしさ、醜さ、いろいろな面が見えてしまいます。

終盤、相手陣営から
佐賀市政や夫を誹謗中傷するチラシが配られました。
どうしてこんな嘘が書けるのだろうという、ひどい内容でした。
夢にチラシが出てきて
睡眠不足なのに眠れない夜は、チラシが天井をぐるぐる回っていました。

投票日のきのう、
夫と私の実家の墓に参って、夫を守って下さいとお願いしました。
私は選挙結果が心配で、落ち着かない気分だったのに、
夫は畑に出て、選挙期間中に伸びた草を刈り、
大きくなりすぎたキュウリやカボチャを収穫していました。

投票日当日に畑仕事をする夫を見ながら、
これが市長選挙の候補者なのかと不思議な気になりました。
夫は大物なのでしょうか。

選挙では、多くの方がボランティアで来て下さいました。
大勢の人が出入りしますので、嫌な思いをすることもあります。
それでも皆さん、我慢しながら、最後まで助けて下さいました。
相手陣営のひどいチラシに傷ついた私も、
ボランティアの友人の優しさに支えられて、乗り切ることができました。
ありがとうございました。

 

選挙期間中、娘たちが食事作りなどの家事を手伝ってくれました。
うれしかったのですが、それでも1週間留守にしたので、
家の中はごちゃごちゃです。衣替えもまだです。
早く普通の生活に戻りたいです。

2009年10月5日(月)

市長選挙が近づき、
秀島市長は何もしていないと言われることがあります。
夫は1人でやるのではなく、みんなでやると公約し
そのとおり、市民、職員と一緒に市政を発展させてきました。

この4年間、みんなでやった成果は、
▽ 南部3町との合併
▽ 子育て支援センターの開設
▽ 就学前児童の医療費無料化
▽ エスプラッツの再開
▽ 久保泉工業団地の完売と次の予定地決定
▽ 下水道計画の見直しで15億円削減
▽ 中学校の給食センター着手
▽ 小中学校耐震化工事順次実施
▽ 下水汚泥の堆肥化事業着手
など、たくさんあります。

最近市長選挙に立候補を予定している陣営から
ビラが市内に配られました。
夫が誤解されるようなことが書いてあり悲しい思いがします。

立候補を予定している方の親戚に
私たち夫婦が尊敬し、お付き合いしている方がおられます。
夫と、「選挙が終ればご挨拶に行き、
これまでと同じようにお付き合いしたい」と話していましたが、
こんなビラが出ると、人間関係が崩れるのではないかと心配です。

佐賀高校の
夫の同期と私の同期の方に集まってもらうことにしています。
立候補を予定している方と私は高校の同期ですので、
同期の皆さんに、選挙で辛い思いをさせたら申し訳ないと
思います。

10月1日に、本庄神社の祭りがありました。
他の用があった夫に代わって私が出かけました。
地元の女性たちと一緒にハッピを着て道中おどりを踊り
御輿の下くぐりをしました。
御輿の下くぐりをすると願いが叶うといいます。
まず家族の健康を祈り、その他たくさんのお願いをしました。

 

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