2009年7~9月のぼやき

2009年9月

2009年9月28日(月)

26日の秀島を囲む女性の会には、
古くからの友人や最近出会った人など
さまざまな人が集まって下さいました。
この4年間、辛いことがたくさんありましたが、
出会ったこの人たちに教えられ支えられました。
私たち夫婦への思いやりのある励ましを聞くと
こみ上げてきて、お礼を述べる時、声がつまりました。

 

 

東与賀町のシチメンソウを守っておられる女性たちも
集まって下さいました。
手を上げたのが司会者の目にとまらなくて、
とうとう発言できなかったそうです。
11月7日、8日、9日にシチメンソウまつりを開くそうです。
少なくなっていたシチメンソウも最近元気になってきたようです。
時間があれば訪ねるつもりですが、
いずれ私もシチメンソウを守る会に入って、
お手伝いしたいと思っています。

夫は土曜日の夜遅く寝ましたが、
きのうの日曜日は住んでいる西寺小路の川掃除でしたので、
朝早く起きて、10の班に配る掃除道具を仕分けしていました。
掃除は8時からで、みなさん1時間から1時間半で
掃除を終えて川から出ておられましたが、
近所の西村さんは高齢なのに、
みなさんが帰ったあとも最後まで川掃除をしておられました。

夫も最後まで胴長を着て川に入っていましたが、
敬老会などから帰ったあと、
夕方から又川に入って掃除をしていました。
私の夫は素晴らしい人です。

 

 

夫は家に帰るのが遅く、夕食は早くて10時です。
私も夜遅くなるので、夜の食事はおろそかになります。
朝だけは、しっかり食べさせようと
野菜たっぷりの味噌汁、納豆、豆腐、ときにはメザシなどをそえ
栄養のバランスに気をつけています。

私は寝るのは、午前1時過ぎで、朝は6時には起きます。
睡眠不足ですが、娘は
「4年前は痩せたけど、今回は太っている、まだまだ大丈夫」と言います。
土・日は、娘たちが食事を作ってくれます。
お陰さまで、まだ余裕があります。

2009年9月24日(木)

知り合いからヒシをいただきました。
夫はヒシが大好きで、堅い皮を前歯で剥くとき、
何度か歯を折りました。
また折ったら大変と、食べやすいように小さく切ってだしました。
全部食べおわるまでハラハラしましたが、無事食べ終えました。

市政報告会の「ひでしま敏行を囲む会」が毎晩開かれています。
私も顔を出して、集まって下さった方にお礼を申していますが、
時には、みなさんに挨拶するように求められることがあります。
はじめの頃は、ドギマギしていましたが、
最近やっと慣れてきて、4年前のお礼と
残っている仕事を夫にやらせて下さいとお願いしています。

きのう(23日)までの連休中、
仕事が休みの娘が、食事の用意をしてくれました。
私の忙しさを見兼ねたのでしょう。
嬉しかったです。

ここに書きたいことは
「ウマンクウーシコロ」あるのですが、書く時間がありません。

2009年9月14日(月)

庭のニセコバンソウが色づいてきました。
小判のような実が黄色くなって秋を伝えています。
今朝、庭から採ってきて後援会事務所に飾ると
部屋に秋の気配が漂いました。

 

きょう(14日)の佐賀新聞の有明抄に
障がいのある人が佐賀市役所の食堂で
活き活きと働いておられることが取り上げられていました。

障がい者の授産施設のカササギの里の人たちが
佐賀市役所の食堂で働きはじめた5ヶ月前に、
私も昼を食べに行きました。
その頃は、慣れていなかったので、おそるおそる働いておられるようでしたが、
今は「いらっしゃいませ」などという大きな声を食堂に響かせて
伸び伸びと働いておられる様子が有明抄に書かれていました。
有明抄を読みながら、喜びがこみ上げてきました。

親友のお母さんが亡くなりました。
高校生の頃、川副の家にお邪魔して泊めていただき、
親友もわが家に泊まり、夜遅くまで将来の夢を語り合いました。
高校の頃は外泊禁止だったと思いますが、
親友のお母さんと私の父が知り合いだったので、
お互いの家に泊まることが許されたのだと思います。

厳しいけど優しいお母さんでした。
佐賀市と川副町が合併したことから去年久しぶりにお会いする機会があり、
そのときは大変お元気でした。突然の訃報に呆然としました。
今夜、お通夜です。ご冥福をお祈りします。

ひでしま敏行を囲む会が
先週の土曜日からはじまりました。
私も出席していますので、帰りは夜遅くなります。
昨夜は、きょうから東京に出張する夫の準備を手伝うなどしたので、
床に入ったのは午前2時でした。
うとうととしたころ、酔っ払った大学生の大声が聞えてきて眠れませんでした。

今朝、夫が、
「夕べ何時間眠ったか」と聞いたので
「4当5落かな」と答えると、
「高校生とは違う、寝不足になると体を壊すぞ」と言ってくれました。
夫の気配りが嬉しかったです。
でも後援会事務所には、毎日
大勢のボランティアの方が来てくださっています。
みなさんが頑張って下さっているので、私も頑張れます。

2009年9月7日(月)

庭の垣根にムラサキ色の美しい花が咲いていました。
花に詳しい人に聞くと、デュランタバイオレットだそうです。
私は、なぜかムラサキ色は幸せの色と思っています。
いいことがありそうです。

4日(金)の午前0時半ごろ犬のマックスが吠えました。
イタチかと思って出てみましたが何も居ませんでした。
うとうとしていると、1時半ごろ鶏のウコッケイが激しく騒ぎ始めました。

 

夫が懐中電灯を持って庭に出ると、
蛇がウコッケイの小屋の金網を這っていました。
夫が棒を使って蛇を放り投げると蛇は空き地に落ちたそうです。
夫は骨折して死んだろうと言ったので、蛇がかわいそうになりました。
朝になって夫が空き地に行くと蛇はいませんでした。
他の動物に食べられたのなら可哀想ですし、
生きて逃げたのならまた庭の中に入ってくるかもしれません。
夜中から朝まで大騒動でしたが、
気持ちが悪くなったり、可哀想になったり、心の中も大騒動しました。

9月5日の事務所開きには大勢の方が集まってくださいました。
案内が来なかったというお叱りも受けました。
それだけ、夫を応援して下さる人が多いということです。
感謝の気持ちで一杯です。
これからは、土日も事務所を開いています。
ボランティアの方が大勢事務所に詰めて下さいます。
こちらにも感謝しています。

 

選挙の準備期間に入って夫も私も忙しく、
家の庭の草を刈る時間がなく、草は伸び放題です。
お金を払って草刈りをお願いしようと思いましたが、
夫は「自分の屋敷の草も刈れないでどうする」と
夫は早朝暗い内に起きて、草刈をしていました。
睡眠時間が少なく、くたくたに疲れているはずなのに、
自分のことは自分でする夫の姿勢とたくましさは凄いです。

2009年9月2日(水)

毎月1日の朝、屋敷の四方に塩と酒をまいて
その月の平穏を願います。
9月1日のきのう、いつものように家の周辺を回っていると
自宅前の休耕田に白い鳥が舞い降りました。
白鷺のようですが、純白の羽根が朝日に美しく輝いて
しばらく見とれていました。
今月、いいことがありそうです。

8月30日の日曜日に
私の実家のある北川副町の新郷地区の夏祭りがあり
夫と出かけました。
佐賀市は今、「子どもへのまなざし運動」をしていますが、
新郷の夏祭りは、子どもを中心にした祭りでした。

 

新しい1年生が紹介され、
司会者が1人1人に将来の夢を聞きました。
新1年生は「サッカー選手になりたい」とか
「保母さんになりたい」などと答えていましたが、
1人が「市長になりたい」と答えました。
司会者が、「秀島市長、対抗馬が出ました」と応じたので
会場がどっと沸きました。

子どもたちはジャンケンゲームやスイカ割りなどを楽しみ、
夏休みの終わりにいい思い出ができたことでしょう。

このところ夫も私も帰宅時間が遅く、
夕食が10時ごろになります。
焼き魚や焼きナス、オクラなど簡単にできる料理が続き、
申し訳ないと思うのですが、
夫は自宅でくつろいでの食事が一番と何でも喜んで食べます。

朝食は、畑で出来た野菜を中心に
栄養のバランスを考えた献立にしています。
もりもり食べてくれる姿を見ると、嬉しくなります。
選挙で忙しくなる夫の健康管理は私の大事な仕事です。

後援会事務所は9月
5日(土)の事務所開きの準備のために、
大勢のボランティアの方が来て下さっています。
人が集まりますのでインフルエンザが心配です。
消毒液やマスクを用意して予防に努めていますが、
暑い季節ですので、無理されないようお願いしています。

2009年8月

2009年8月24日(月)

新しい後援会事務所で仕事をはじめるに当たって
21日に神事をしました。
事務所に来る人の健康を願ってですが、
私は、いよいよ選挙がはじまると気がひき締まりました。

大勢の人に助けられた4年前を思い出します。
4年前、友人が
「元気の出る佐賀、
心癒される佐賀、
笑顔の佐賀」という言葉を贈ってくださいました。
夫の目指す新しい佐賀につながる言葉だったので、
夫の親戚の書道家が文字を書いてくださいました。

その書を新しい事務所の壁に張りました。
初心に帰って頑張ろうと思いました。
あと2ヶ月、多忙な夫の健康を守るのが私の仕事です。

 

きのう(23日)の日曜日、
夫は早朝から消防団の訓練に出かけました。
娘も早出の仕事だったので、私が犬のマックスの散歩をさせました。

すがすがしい朝の空気を吸って歩いていると、
旧城西中学校の跡地付近で
2種類の珍しい花を見つけました。
写真に撮って花に詳しい義妹に見せると
ナスに似た葉を持つ花は「エンゼルストランペット」という花だそうです。
淡いムラサキの花の名前は分かりません。

 

あわただしい朝、散歩で出会った花に心を癒されました。
これから夫はますます忙しくなるので、
ときには私がマックスの散歩に付き合うことにしましょう。

きょう(24日)から、私は毎日事務所に詰めることにしました。
夫や娘の弁当と一緒に私の弁当も作りました。
さあ、仕事だという気分になりました。
事務所に出ると、友人が「いい顔をしている」と言ってくれました。

事務的な仕事があったので、
ボランティアの方にお手伝いをお願いしたところ
きょう、20人もの方が事務所に集まってくださいました。
私の友達のその友達といった関係の方です。
支えてくださる人がこんなに居られると思うと
涙ぐんでしまいました。ありがとうございます。

2009年8月17日(月)

夫の妹がサギ草の種を蒔いた鉢を下さったので、
私が水やりなどの世話を続けたところ
お盆頃から咲き始めました。

サギ草の鉢植えは、夫の母が
毎年子ども達に配っていましたが、
義母が亡くなって以来、わが家では10数年間途絶えていました。
しかし義妹は義母からいただいたサギ草を育て続けて
今年、種を蒔いた鉢をわが家に届けて下さいました。

 

サギ草は、義母の思い出を呼び起こします。
厳しい方でしたが、7人の息子と娘を育てあげました。
夫は5番目の子ですが、意思の強い義母の性格を
最も受け継いでいるのではないでしょうか。
夫は表には出しませんが強い意志の持ち主です。

お盆の墓参りでは、
サギ草の思い出のある義母などの夫の実家と私の実家
夫の祖父の妹、私の祖母、
それに夫の中学時代の恩師の5ヶ所の墓にお参りしました。
私は選挙の年の夫の健康をお守り下さいとお願いしました。

墓参りには百日草など、
庭に咲く花をたくさん持ってゆきますが、
墓に花が置いてあると、夫は、誰かがお参りしてくれたのだと喜びます。
恩師の墓には去年は花がありませんでしたが、
今年はたくさんの花に包まれていて、
多くの教え子が墓参りしたのだと、
夫は嬉しそうに井戸水を汲んで花を供えていました。
夫の祖父の妹の墓には花はなく、わが家の花を手向けました。

初盆参りは今年は23軒回りました。
この1年、大切な人を大勢見送りました。

私が柿が大好きなことを知っている人は
去年の秋、自宅の庭の柿を届けて下さったとき、
体が弱っておられました。
最後の力をふりしぼって柿を届けて下さったのです。
奥様にそのときの思い出を話しました。
「今年は夫に代わって私が届けます」と言ってくださいました。
ジーンとしました。

別のお宅では、仏壇にお骨が置いたままになっていました。
奥様は、
「納骨すると、いよいよ1人になりそうで・・・・」とおっしゃいました。
仲のよかったご夫婦でした。

23軒それぞれに、逝った人と見送った人の思いをお聞きしました。
どこも、思い出話が長くなったので、
予定していた数軒はお伺いすることが出来ませんでした。

15日夜は嘉瀬川の精霊流しに行きました。
盆の供物を載せた精霊舟を見送りながら、
それぞれの家族と共に佐賀を見守って下さいと祈りました。

 

2009年8月10日(月)

屋敷のフェンス沿いの芙蓉が
白とピンクの花を咲かせました。
花の少ない夏には貴重な花で、
長女が小学校1年の夏休みの宿題で
絵に描いた花です。

 

横浜に住む次女が孫を連れて里帰りしていたので、
孫が絵日記にでも描くといいなと思いましたが
孫は佐賀にいた6日間、ほとんど宿題をせずに
夏休みを楽しんでいました。

夫が小学1年生の晴輝を
朝のラジオ体操に連れて行ったので様子を見に行くと、
夫は前でラジオ体操の指導をして
晴輝は「前のほうは恥ずかしい」と
おじいちゃんと離れて後ろのほうで体操をしていました。
行きかえりは仲良く歩いていました。

 

孫が帰って来ても夫は仕事が忙しく、私は食事作りに追われて
孫と遊ぶ時間はあまりありませんでした。
その分、子ども好きの長女が甥や姪と遊んでいました。
子どもの母親の次女と三女はお酒が好きで時々一緒に飲み、
その時は次女も子どもから解放されていました。

全員が揃って食事をしたのはたった1回だけでしたが、
温泉や川上峡の花火大会に孫を連れていくことができました。
孫を囲んで、それぞれが楽しい思い出を作りました。
孫はきのう横浜に帰って行きました。
慌ただしい6日間でしたが帰ってしまうと心の腰が抜けたようです。

フランスのクサック村の交流団が佐賀を訪れました。
ドミニク村長とは何度か会って親しくなっていましたので、
居酒屋で一緒に食事をしました。
ドミニクさんは高級料亭より、日本人の庶民が行く店が好きで、
刺身や焼き魚を、箸を上手に使って食べます。
私が話す日本語もおおよそ理解できるようです。
ドミニクさんはクサック村でブドウとワイン造りをしています。
それなのにワインは一滴も飲まずに日本酒ばかり飲んでいました。
きさくな好青年です。

 

最高気温が37度にもなった土曜日の昼ごろ
夫は草が茂った近所の田んぼを耕運機で耕しました。
土地の所有者は小型の耕運機しかなく猛暑の中耕すのは大変なので、
教師を辞めた夫の弟が、
自宅で遊んでいる大きな耕運機で耕してあげようと思ったようです。
でも義弟は耕運機を使えません。
そこで夫が耕運機の使い方を教えながら耕しました。

土曜日、夫は早朝から会議、
夜は地域のまつりに出なくてはなりませんでした。
里帰りした孫は翌日横浜に帰る予定で少しは遊びたかったでしょう。
体を休めて欲しい私は
炎天下に田んぼを耕す夫をハラハラしながら見ていました。

2009年8月3日(月)

花の少ない夏は庭が淋しくなりますが、
思わぬところから顔を出した百日草の
ピンクの花が夏の太陽に輝いています。
百日草は庭に敷き詰めた枕木のわずかな隙間から
顔をのぞかせたと思ったら
ぐんぐん成長して花を咲かせました。

百日草を植えている場所から30メートル離れています。
種が飛んで、1センチくらいしかない
枕木と枕木の間に落ちたのでしょう。
百日草はお盆に墓に供えますが、
この花は切らないで残しておきましょう。

 

土、日の栄の国まつりは
どこから人が出てくるのだろうと思うほどの賑わいでした。
21万人あまりの人出だったそうで、浴衣姿も目立ちました。

「よさこいおどり」を踊る人達のエネルギーには驚きました。
曲芸まがいに踊る人、
子ども、若い人、年を重ねた人がひとつにまとまった女性グループなど
さまざまですが、どのグループも夏の暑さをものともしない熱演でした。
花火大会は今年はこれまで以上に美しかったです。
光と音楽、花火の共演でした。

きのうの日曜日の総おどりは
私も本庄校区の人たちと一緒にハッピ姿で参加しました。
昨夜は少し涼しかったようでしたが、
「さがはよかとこ・サンバ調」「はがくれ盆唄」などを
1時間半踊り続けると汗びっしょり、
あとの生ビールの美味しかったこと。

 

佐賀の中心地に
毎日こんなに人出があればいいなと思いました。

佐賀市のごみ焼却場に併設されている
健康運動センターのプールは
これまで大人1人が引率できる子どもは2人までだったのを
3人にしてほしいという声が寄せられ
夏休み前から3人でもOKになったと聞きました。
私も3人の娘を育てました。
お母さんの希望はもっともだと思っていたので
よかったなと、喜んでいます。

夫は体にいいからと、さまざまなことを言います。
ヨーグルトは胃腸にいいというので4年くらいヨーグルトを手作りしています。
きのうはたくさんのブルーベリーをもらってきて
目にいいので、ジャムにして毎日食べたいと言います。
作るのは私です。
砂糖を抑え目で蜂蜜とレモン汁を入れたジャムを2瓶作りました。

 

今朝から手作りヨーグルトにブルーベリーのジャムを入れて食べています。
ヨーグルトつくりは最近娘がしてくれています。
胃腸や目だけでなく全身が元気な夫の健康は
家族に支えられているのです。

今朝(3日)新聞のお悔やみ欄で
小学校時代の恩師が亡くなられたことを知りました。
私の実家の近所に住んでおられ
小学5年、6年のとき担任をして下さいました。
97歳の高齢で、最近体調を崩されたと聞き、
同級生とお見舞いに行こうねと話していた矢先でした。
葬儀に参列し、小学生時代を思い出しながら
すぐお見舞いに行かなかったことを反省するばかりでした。

2009年7月

2009年7月27日(月)

わが家の庭のセミは
他の地域と1週間遅れで鳴き始めましたが
先週末は雨で鳴くのを休んでいました。
きょう、天気が良くなったので再び鳴き始めました。
セミの写真を撮ろうと庭にでると、ぴしゃりと鳴きやみました。
雲が空にでてきたからです。不思議です。

 

22日の日食は
観察用の日食グラスが売り切れていたので、
観察はあきらめていましたが
雲がフィルターになったのでしょう。
雲の間の細くなった太陽を肉眼で見ることができました。
急に暗くなった庭に出ると辺りが静寂につつまれ、不気味でした。
日食を見るのは中学生時代以来で
今回が見納めでしょう。

 

24日の金曜日に
三瀬の山中地蔵尊まつりに行きました。
毎年お邪魔して地区をあげてのもてなしをうけ、
手料理をご馳走になっていますが、
今年はお参りだけをさせていただきました。

脚気を治すお地蔵さんだそうですが、
私は家族の健康をお願いしました。
夫は最近、土日も公務や行事に出て休むことはありません。
きのうの日曜日は、大雨で行事が中止になりましたが、
大雨の被害が出たため、朝から災害対策本部に詰めました。
夕方帰ってくると、今度は地区の川を見て回っていました。
元気な夫ですが、忙しすぎます。
猛暑の夏を元気に乗り切ってほしいと願っています。

土曜日は朝まで大雨でしたが、昼間雨があがったので、
諸富の夏まつり「夏の夜のメルヘン」が予定どおり行われました。
開会のあいさつで夫が
「みなさんの熱意が通じて雨があがりました」と言おうとしたとき
雨がポツポツ降り出して、
子どもたちが蛇踊りをしているとき、激しい雨になりました。
チャイナ服の子どもたちはびしょ濡れになり可哀想でした。
準備に追われた人たちも、さぞ残念だったことでしょう。

 

夫が忙しいので
犬のマックスの散歩が私に回ってくることが多くなりました。
マックスは散歩相手で1番好きなのは娘、2番目は夫です。
私は今、膝を傷めているので、遠くまで行けません。
少しかわいそうなマックスです。

最近は、夫と会話をする時間も少ないので
ぼやくこともありません。
暑い夏に忙しい夫の体を案じる優しい妻になっています。

2009年7月21日(火)

蒸し暑い日が続き
私は少々バテ気味ですが夫は元気です。
夫は土曜日に少し時間があると畑に出て草取りをしていました。
こうして夫が育てた夏野菜が収穫期を迎えて
キュウリ、カボチャ、ナスなどが次々と実っています。
私は知人や近所の人への、お裾分けに追われています。
今、オクラの淡い黄いろの花が次々と咲いています。
オクラは、美しい花と野菜の両方を楽しむ事ができます。

 

19日の日曜日に
私の実家のある北川副の、ふれあい夏まつりにでかけました。
小学校から同級だった友達は
みんな、おじさん、おばさんになりましたが
地域の活動の中心になっておられます。

女性は結婚して出て行った人が多いのですが
男性の多くは残っておられます。
久しぶりに会って、タダオ君、ミツオ君、ヤスヒロ君などと呼び、
私もキヌエさんと呼ばれ、
幼いころの懐かしい話に花を咲かせました。

最後に炭坑節などを踊りました。
公務のあった夫も駆けつけて
汗びっしょになりながら踊っていました。
楽しいふるさとの夏祭りでした。

 

夜は、夫と一緒に蓮池の八坂神社のまつりに行きました。
古い家の連なる軒先にボンボリが灯され幻想的な祭りでした。
子どもたちが先導して獅子舞や神輿が街を練り歩き、
蓮池のほとんどの人が出てきて家は空っぽだということでした。
子どもたちは一生脳裏から離れないだろうと思うような
祭りの光景でした。

 

徐福のシンポジウムで知り合った中国人の孫さんが、
中国の写真展を開いているというので20日に見に行きました。
孫さんは佐賀に住んで20年になりますが、
中国の西域のシルクロードの
新疆ウイグル自治区、チベット自治区、雲南省を旅して撮った
写真が展示されていました。
少数民族と中国政府の衝突がある前の写真で
美しい風景が広がっていました。

会場では、孫さんや友人の中国の方が、
餃子や肉まん、お粥などをその場で作り、手早さに驚きました。
料理をご馳走になったので、
ゆっくり写真を見ることができませんでした。
もう一度見に行こうと思っています。

 

中国の孫勝強さんの写真展「中国辺境点描」は
佐賀市の白山アーケード街の
喫茶「トネリコ」で8月9日まで開かれています。
どうぞご覧になって下さい。

2009年7月13日(月)

蝉が鳴きはじめたと聞きますが、
わが家の庭ではまだ鳴きません。

静かな庭では夏に実を付けるフウセンカズラが
可愛い青い実をつけています。
フウセンカズラはマックスの犬小屋に日陰を作ろうと
「勧興まちの駅」で見つけて買ってきました。
まだ背が高くありませんが、
次第にマックスを夏の日差しから守ってくれるようになるでしょう。

 

きのう(12日)の日曜日、NHKの巡回ラジオ体操がありました。
朝早いので目覚ましを午前3時50分にセットしていましたが
夫は3時半に起き出してきました。
私は天気が心配で眠れなくて午前2時ごろやっと眠れたので、
きのうは眠い1日でした。

夫は「天気は大丈夫」と強がりを言っていましたが、雨男です。
本当は天気が気になって早く目覚めたのでしょう。
ラジオ体操は主会場に3500人もが訪れて大成功でした。
私も早朝の爽やかな空気のもとで、気持ちのいい汗を流しました。
この日に向けてラジオ体操指導員を1000人養成したそうですが、
そうした運動が実ったのでしょう。
これから夏休みです。指導員の方が子どもたちを指導して下さるでしょう。

 

夫は先週、夜の会合が続き、わが家では1回も夕食を摂りませんでした。
外食が続くと健康が心配です。
夜遅く帰ると夜食を欲しがり、
私が「ダメ」と言っても娘に甘えてご飯を出してもらっています。

私の足の膝は相変わらず痛みます。
足を休めたいのですが後援会活動で出歩くことが多く、
なかなか良くなりません。

もうすぐ学校の夏休みです。
8月のはじめ、横浜の孫が帰って来ます。
夫の日程を見ると土日も行事が入っているので
夫は孫と遊ぶ時間はあまり取れないようです。
夫はかわいそうですが、私は今から楽しみです。

2009年7月6日(月)

おととい(4日)は、夫の67歳の誕生日でした。
朝早く、前日から下準備をしていた赤飯を炊いたあと
夫と一緒に墓参りに行きました。
夫の両親の墓は嘉瀬の西敬寺、
私の両親の墓は今宿の証明寺にあります。
両方の墓に夫が育てた百日草やシバなどを手向けたあと
「元気な体に生んでくださってありがとうございます」とお礼を述べました。

墓参りから帰って近所にある夫の実家の仏壇に赤飯をあげました。
これが誕生日のわが家の恒例行事です。
このあと夫婦の健康を願いながら赤飯を食べました。
今年の赤飯は少し柔らかかったようです。

夜は2人の共通の友人が夫の誕生祝をしてくれました。
古くからの友人の心からのお祝いの言葉や
佐賀市の地図と夫の顔を描いた特大のケーキなどをいただきました。
5月の私の誕生日と比べて、夫は幸せです。

 

きのうの日曜日、佐賀城本丸歴史館に足を運び、
売茶忌の献茶式に参列し、交流茶会で煎茶をいただきました。
1煎目の最後の1滴の甘さが体に染みました。
膝を痛めているので正座ができずに失礼しましたが、
煎茶のおいしさを堪能できました。

 

本丸歴史館に今、
華道の金子三伸先生のはなが生けてあります。
夫と一緒に鑑賞させていただきました。

はなは椿の大木とドウダンツツジで生けられていて
椿の葉は黄色の葉や、緑と黄色の斑入りの葉などがある珍しい木でした。
生けばなの題は「悠」。悠々とした自然を表現したそうで、
生けばなを見るというより、森の中にいるような安らぎをおぼえました。

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