2012年7~9月のひとり言

2012年9月

2012年9月24日(月)

秋らしくなってきましたが、つい先日、立ち寄った八女市矢部で、
ツクツクボウシが盛んに鳴いていました。
わが家の庭の片隅のデュランタバイオレットの紫の花に混じって、
朝顔が白い花をのぞかせています。

デュランタバイオレットは夏の終わりの花ですが、
朝顔はとっくに咲く季節をすぎていて、
まだ頑張っているかと声をかけたくなります。
猛暑だった今年の夏は、思い出しただけで汗が吹き出しそうですが、
そっと生きている夏の名残りに、夏が懐かしくなりました。

老夫婦が住んでおられた近所の家は、
妻が先立たれたあと、男性は福祉施設に入られ今は入院中です。
その家の庭のサツキが花を咲かせています。
春咲くサツキが家の主の帰りを待って季節外れに花を咲かせたように思えます。

私の住む地域の班は、7世帯でしたが、
亡くなったり入院したり、それに引っ越しで5世帯になりました。
次の日曜日に、他の地区よりひと足先に行う秋の川掃除は
これまで以上に頑張らなくてはなりません。

嬉しい話です。
全日本吹奏楽コンクールに
中学の部で、佐賀市の成章中学、
民間の部で、佐賀市民吹奏楽団が
それぞれ全国大会に進むことになりました。いずれも3年連続出場です。

私は子どもたちが合唱するときの笑顔が大好きです。
管楽器を演奏するときは、笑顔は無理と思いますが、
全国大会出場の報告に来られた成章中学の生徒の笑顔が素晴らしく
心の笑顔が美しい音色になるのだろうと、勝手に考えをめぐらせました。

19日の水曜日に、天山を囲む、唐津、多久、小城、佐賀市の関係者が
天山山頂に集まり、五穀豊穣と地域の平穏を祈りました。
全国で災害が増えています。
幸い佐賀市は、今のところ大災害の被害は受けていませんが、
いつドカ雨の被害を受けるかわかりません。

排水対策に取り組んでいますが、
地球温暖化の影響は対策を追い越してやってきているので、
心の備えが必要です。
「基本は逃げること、逃がすこと」です。
1人で逃げることのできない人を、みんなで助ける地域の絆が大切です。

私の住む、西寺小路の自主防災組織が主催する防災訓練が、
おととい、22日の土曜日にありました。
150人が参加して、土嚢つくり、消火器使用、人工呼吸、
炊き出し、給水などの大がかりな訓練でした。
何かあったときに助け合うには、
地域に住む人たちが集まって顔を合わせておくことが肝心です。

東北の大震災以来、各地で、助け合おうという機運が高まっていると聞きます。
私の住む地域の自治会の役員は、情熱に燃えながら
防災訓練を企画してくださいました。
役員の努力、参加した人たちの想いが地域の絆を強めてくれました。

同じ土曜日の夕方からは、サガン鳥栖の応援に行きました。
以前は、私が応援に行った試合は負けることが多く、
行かないほうがいいかとも思っていましたが、
最近は勝つことが多く気分よくでかけました。

雨でしたが、風がなかったので濡れることなく応援できました。
試合は3対1でサガン鳥栖の快勝。
気分よくいつもの店で祝杯を挙げたかったのですが、店は休み。
それで、サガン鳥栖の試合の日は満員で入れないことの多い、
鳥栖駅前の店に行くと、意外に空いていました。
雨だったので、サッカーファンも家路を急いだのでしょうか。
おかげさまで私たちはゆっくり祝杯を挙げることができました。

 

きのうの日曜日(23日)彼岸の墓参りをしました。
いつもは妻と私の親や、恩師など5つの墓にお参りしますが、
今度は、肥前山口に眠る、仲人の墓にも参りました。
お参りする墓は、少しずつ増えています。

日中国交正常化40周年の記念式が取りやめになりました。
中国のやり方には気分が害されることもありますが、
ここは、お互いぐっと我慢して、
日中友好の井戸を掘った人の想いを、
今一度受けとめるときではないでしょうか。
長い間、積み重ねてきた友好の絆が、
あっという間に切れてしまうのは、お互い残念なことです。

今週は市議会の委員会が続きます。
福岡に要望活動にも行きます。
ひとつは道路関係、もうひとつはバルーンです。
メディアを回って、秋のバルーン大会を取り上げてもらうようお願いします。
週末は中学の同窓会です。
思い出話を肴に、酒がおいしく飲めるでしょう。

2012年9月18日(火)

台風が去った後の晴れ間の光に、畑のニラの花が輝いています。
線香のような細い白い花です。
同じように細い赤い花の彼岸花は、そろそろ顔を出すころですが、
今年は夏の暑さのせいか少し遅れているようです。
咲くのが遅れているコスモスは、
台風の風で倒れるのを心配しましたが、わが家の畑は大丈夫です。

 

日中関係が厳しくなってきました。
漁船1000隻が尖閣海域に向かっているそうです。
日本はほっておくことは出来ないでしょう。
煽られた火がさらに大きくなる恐れがあります。

佐賀市は徐福をとおして日中の交流を図っていますが、
中国の象山で開かれる予定だった徐福の国際大会は中止され、
慈渓市から佐賀市への徐福訪問団は来ないことになりました。

先日、NHKが5年前に放送した
日中国交回復に努めた岡崎嘉平太のNHKスペシャルを再放送していました。
反骨の財界人と言われた岡崎嘉平太は、
日中国交回復に命がけで取り組みました。
筋を通しながら、相手の立場も尊重しあう岡崎と周恩来は、
厚い信頼の絆で結ばれて日中国交回復を成し遂げました。
今、日本に岡崎嘉平太、中国に周恩来のような人がいたら、
こんな事態に至らなかったでしょう。

先週は議会の本会議で身動きできませんでしたので、
週末は、いろいろな行事に出席しました。
15日の土曜日は、宮中に献穀する米の抜き穂式に出ました。
今年献穀する米を栽培したのは、久保田の中野久さんで、
種まきから収穫まで気が抜けなかったことでしょう。
中野さんと支えた人たち、ご苦労様でした。

同じ日、呉服元町の旧窓の梅跡で、国保会館の起工式がありした。
来年6月オープンです。
中心商店街の賑わいに少しでも貢献すると思います。

16日の日曜日は、古湯映画祭に出かけました。
今年のテーマは「仲代達也をかいまみる」で
仲代さん主演の映画が上映されたほか、
仲代さんを囲むシンポジュウムもありました。
カメラが回る前からの俳優の役作りの苦労などを知りました。

名張葡萄酒殺人事件がテーマの映画は、
全国での公開に先駆けて上映されました。
再審を訴え続ける死刑囚が主人公を仲代さんが演じ、
冤罪に懸命に立ち向かう弁護士と人権団体の市民の活動が描かれています。
公正と思っていた裁判がくもって見えてきました。
裁判の陰の部分を見事に描いた映画です。

夜のパーティでは、出席者から、
29年に渡って古湯映画祭を支えてきた人達への
感謝の言葉が次々と出てきました。

上映会場でお客さんを案内する人たち、
雨の中、合羽を着て車を駐車場に誘導する人たち
陰で支える人たちや実行委員の熱い思いが、
仲代さんや監督などの映画関係者の足をノーギャラで古湯に向かわせます。

お客さんは遠い人はタイや関東から来ておられました。
鳥取から毎年訪ねてくる人もいます。
映画関係者、映画ファンが異口同音に
古湯映画祭の素晴らしさをほめてくださいました。
ここまで育てた地元の人たちと、関係者に感謝します。

大型で強い台風は、佐賀市では大きな被害はなく、ほっとしています。
大潮の満潮と重なったので、高潮を心配しました。
16日の夜、古湯映画祭からの帰り、
深夜の11時ごろの満潮すぎに、妻の運転で有明海沿岸を見ました。
大丈夫と安心して家に戻りましたが、
台風が最接近する翌17日の午前10時ごろの満潮が最も心配でした。

筑後川河川事務所から
満潮時に大詫間で堤防を越える恐れがあるという情報が入りました。
以前海水が堤防を越えたことがあるところで、私も現場に行きました。
幸い風が思ったほど強くなく、波も高くなかったので、
海水は堤防まであと50センチのところで止まりました。

高潮被害がなくてほっとしましたが、
そのあと、有明海沿岸を回ると、
ヨシなどの漂着ゴミが、海岸に打ち寄せられていました。
もうすぐ海苔養殖がはじまります。
対応を急がなくてはなりません。

今週は議会は委員会審議に入ります。
本会議中に溜まった仕事の処理に追われます。
あすは、天山山頂に、天山を囲む、唐津、多久、小城、
それに佐賀市の関係者が登って、
五穀豊穣と天災がないことを祈る祭りがあります。
台風シーズンは、まだ続きます。緊張して対応します。

2012年9月11日(火)

散歩やラジオ体操への道すがらの風景は
次第に秋の色が見えてきます。
田んぼの稲だけでなく、道端の雑草も穂を出しています。
今朝、バス停から役所まで歩く間、
暑さをかきたてる蝉の声もなく、頬に涼しい風を感じました。

 

しかし、市長室は窓からの風が吹き抜ける構造になっていないので、
エアコンが入る時間までは蒸し風呂状態です。
穴蔵のような隣りの秘書課は、もっとひどく気の毒です。
この役所を建てたとき、節電の意識がなかったのでしょう。

わが家の庭の芙蓉は、例年たくさんの花が咲くのに、
今年はほんのわずかしか咲いていません。
皇帝ダリアは、元気がないどころか瀕死状態です。

きのうテレビが、閉鎖水域の大村湾で
小魚が大量に死んでいる様子を伝えていました。
猛暑の影響で海の底が酸欠になり、魚が浅瀬に殺到して死んだようです。
異常な暑さではなく、恒常的な暑さになってきた不安があります。
これ以上悪くしないよう、環境に配慮した社会にしなくてはなりません。

先週の水曜日(9月5日)
JR唐津線の整備をJR九州にお願いに行きました。
特急の自由席で博多まで行きましたが
自由席は満席だったので、指定席の車両に入りました。
佐賀からは指定席が空いていれば自由席券で座ることができます。
空いている席に座りましたが、近くの人から、
「指定席です」と指摘されました。説明しましたがバツの悪い思いもしました。

唐津線は以前は電化をお願いしていましたが、電化するほどの乗客がいません。
そこで、駅舎や駅のトイレなどの改良をお願いしました。
長崎線の自由席を増やしてほしいと、お願いしたかったのですが、
「指定席券を買ってください」と言われそうなので、がまんしました。
要望活動を終わると、昼食時間でしたが
どうせ食堂に入るなら、佐賀でお金を使おうと、とんぼ返りをしました。

同行の若い秘書君は、昼食時間が遅くなって辛かったかもしれません。
市議会の一般質問は7日の金曜日からはじまりました。
28人の議員が、さまざまな質問をされますので、
前日の木曜日は、答弁の確認に追われました。
その夜は金立校区での市長と語る会、バタバタ追いまくられました。

9日の土曜日に、唐人町の堀江パンの
中島辰雄さんの叙勲を祝う会に出席させていただきました。
中島さんは商店街の振興に尽くされましたが、
障がいのある人を雇用してパン工場で働いてもらって
障がい者の自立を支援されています。私はそこに頭が下がります。

中島さんは、お祝いに集まった大勢の人に、
「私のきょうがあるのは、妻のおかげ、7割は妻の力です」と話されました。
膝を痛めて車いす生活の奥さんは、その言葉を聞いて、
こみあげてくるものを感じながら目を伏せられました。
美しい夫婦愛に、私もこみあげてきそうでした。
私は心の中で思っている妻への感謝の気持ちを、なかなか言葉にできません。

9日の日曜日に清和学園の新校舎の起工式がありました。
清和学園は、道路整備で立ち退きを求められ、
兵庫地区の区画整理事業の学校用地に移転することになりました。
清和学園は、101年前の明治44年に、与賀町に開設されました。
100年余り親しんだ学校が去ってゆくことに、
地元の人は寂しさを感じられることでしょう。

兵庫の区画整理事業は、これで造成された用地のほとんどが埋まりました。
去ってゆく学校、新設される校舎、
佐賀の街の姿が次第に変わってゆきます。

日曜日の夕方、熊の川温泉の、ちどりの湯に入りました。
温泉は、1週間の疲れを取り、次の週への力になります。
温泉に浸かっていると「市長さんですね」と知らない人から声をかけられました。
その方は、「ちどりの湯」の午後5時以降の入湯料は300円、
三瀬の「やまびこの湯」の午後5時以降は200円で、70才以上は100円、
いずれも佐賀市が関わっている温泉なのに料金が違うのはおかしい、と
おっしゃいました。一理あると思いました。

2つの温泉は、合併前の富士町と三瀬村が
それぞれ運営していたので、違いが出ています。
温泉での「裸で市長と語る会」でした。いい結論が出ればいいのですが、
温泉の料金に市が関わるのがいいのか、考えこんでしまいました。
近場の温泉に入ると、疲れをとるはずが、かえって疲れることもあります。

今週は、佐賀市議会一般質問が続きます。
議会漬けの毎日が続きます。

2012年9月4日(火)

9月に入っても暑さが厳しく、
昨夜(3日)もエアコンなしでは眠れませんでした。

いつになったら秋になるのだろうと思いましたが、
今朝、ラジオ体操に行くとき、東の空を見ると、
太陽は真東から顔をのぞかせました。
夏の間は北より、冬になると南よりから昇ってきますので、
季節は間違いなく秋に向かっています。

わが家のそばのコスモス畑は、
ひと足先に咲いた数輪に続いて、次々と花が開いていて、
コスモス畑の下からは、秋の虫の声が聞こえてきます。
もう少し涼しくなったら、秋野菜の種まき、植え付けの時期を迎えます。
植え付けに備えて、そろそろ畑を耕さなくてはなりません。

 

嬉しかった話です。
ラジオ体操の場所になる本庄宮の参道に
廃品回収の集積場所の目安になるクスの木があります。
そこに「ハチに注意」という札がかけられていました。

近所の方に聞くと、一週間前に子供会が廃品回収をしたとき、
クスの木の洞からハチが出入りしていたので、
子どもたちを遠ざけたあと、ハチ用の殺虫剤を洞の中に吹き込み、
その後ハチが居ないか、近所の人が見まわっているそうです。

ハチの巣が見つかると、役所に「何とかしてくれ」という連絡がよくきます。
それはそれでいいのですが、
「ハチに注意」の札の向こうに、誰かがハチに刺されないように
地域で力を合わせようという姿が見えてきます。
嬉しくなりました。

今回は2週間ぶりのブログの更新ですので、
先月末のことを書かせていただきます。

8月25日の土曜日は、忙しい1日でした。
朝早く、廃品回収をしたあと、消防団の夏季訓練に参加しました。
巨勢小学校と、金泉中学校の2つの会場に足を運びました。
立っているだけで、背中から汗がタラタラと流れ落ちました。
猛暑の中で訓練されている消防団の皆様に、お礼を申し上げます。

 

夕方から、私の住む本庄地区の夏祭りがありました。
地元の人たちがつくりあげた夏祭りですので、最後まで居たかったのですが、
翌日からフランスに出張で、
午前3時には起きなくてはならなかったので、早めに失礼しました。

 

26日は、家を午前4時過ぎに出て
フランスのパリに着いたのは19時間後でした。
航空機の時代でも、フランスはあまりにも遠しです。

今回のフランス訪問は、
佐賀市と交流を続けているクサック村との交流と、
日本とフランスの自治体交流会に参加する2つの目的がありました。
着いた日の夜、
日仏自治体交流に参加する自治体関係者を招いての
歓迎パーティが日本大使館の大使公邸で開かれました。

およそ150年前に開かれたパリの博覧会には、
日本からは、幕府と薩摩藩、佐賀藩が招かれたそうです。
150年前を知る、大使公邸の古い建物や広い庭の大きな木立を見ながら、
船でフランスに渡った佐賀藩の佐野常民たちは、
この地で何を考えたのだろうと思いをはせました。

 

翌日の27日、
佐賀市と交流を続けているクサック村に向かいました。
クサック村は、佐賀市と合併した旧三瀬村が交流をはじめました。
クサックと三瀬の中学生は相互訪問をしていて、
今回は、三瀬中学の11人の生徒も一緒にフランスを訪ねました。
パリからフランス新幹線で4時間、ボルドーに着き、
そこからさらにバスに1時間揺られてクサック村です。

クサック村のドミニク村長とは何回か会っており、
去年の秋にも佐賀を訪ねてこられたので、
フランスは遠くても、隣り付き合いをしている人のように感じます。
三瀬中学の生徒たちも、クサック村の子どもたちの中に顔見知りを見つけて、
あっという間に馴染んでいました。

交流会は、クサック村にレストランを開いたばかりの
フランス人男性と福岡出身の女性夫妻の手料理をいただきながら進められ、
三瀬の中学生は、剣道や、浴衣を着ての日本の踊りを披露しました。
クサックの子どもたちは歌で歓迎してくれて、
三瀬の子どもたちはホームステイをしました。
言葉の壁を越えて談笑する子供たちの姿は生き生きとしていました。

 

翌28日は、パリに戻り、さらに西に1時間のシャルトルで開かれた
日仏自治体交流集会に参加しました。
参加したのはフランスと交流のある、岐阜県、仙台市、新潟市、佐賀市など
県と市、町の15の自治体で、
フランス側からは26の自治体が参加しました。

私は防災と生活環境を話し合う第3分科会で
地球温暖化の原因になるCO2削減に向けた佐賀市の取組みを発表しました。
この中で、公共下水処理施設から出るガスを燃やして発電するほか、
熱を利用して汚泥を肥料にする取組み、
それにごみ処理施設の熱を使っての発電や、
余熱を温水プールなどに使っている取組みを話しました。

地球温暖化に伴う局地的豪雨に佐賀市も苦しんでいますが、
フランスでも日本と同じか、それ以上にひどいようで、
みなさん、CO2削減対策に真剣に耳を傾けてくれました。
大雨対策として、日本はすぐ河川の上流でのダムを考えますが、
フランスは、上流は他の国という事情もありますが、
大きな調整池を作っているそうで、違いが面白いと思いました。

フランスから帰るとすぐ、きのうから佐賀市議会がはじまりました。
来月4日までの32日間の長い議会です。
今月は緑の月間で、きのうは緑の募金に立ちました。
募金にご協力ください。

また敬老の日もあります。
きのうから、100才以上の方のお祝いに回っています。
佐賀市の100才以上の方は174人、最高齢は107才です。

まだまだ暑さが続いています。
猛暑のあとの夏バテに気を付けてください。
また、ハチが危険な時期です。
こちらも気を付けましょう。

2012年8月

2012年8月20日(月)

盆を過ぎると、稲の葉に付いた朝露に、夏の終わりを感じるのですが、
今年は暑さも峠を越えきれていないようで、まだ朝露を見ません。
それでも、夕方になるとクマゼミに代わってツクツクボウシが鳴き、
夜はコオロギの澄みきった鳴き声が聞こえ、
虫たちは、秋が近づいていることを教えてくれます。

今年の夏、孫たちは帰ってきませんでした。
私は13日から15日まで盆休みをいただき、
13日は、先祖や恩師の墓参りをしました。

墓参りをしながら、今年初盆を迎えた人たちを思い出しました。
亡くなる人は、以前は大先輩がほとんどでしたが、
最近は、私の年齢に近い人が多くなりました。
そろそろ・・・・と、現実を見つめる必要があるかも知れません。

お盆の後半はゆっくりした時間があったので、
知人に薦められた
江戸時代の女性の生き方を描いた小説を読みました。

当時の女性は仕える人を支えて控えめに生きていました。
今は、女性の権利は尊重され、働く場も多くなりました。
わが家は妻と子ども3人はみんな女なので、
女性の立場を理解しているつもりですが、ときどきお叱りを受けます。

地域の夏祭りが各地で行われています。
私は妻を誘って、11日に日新校区。

 

19日に赤松校区の夏祭りに出かけました。
日新では、恒例のカノン砲のドカンという音、
赤松は、子どもたちの太鼓の演奏で祭りが幕開けしました。

 

どちらも子どもたちの姿が多いのが目立ちました。
浴衣や甚平を着て、両親や、祖父母と一緒に
かき氷や焼きそばを食べ、
みんなで輪になって盆踊りを踊った夏の思い出は
いつまでも、心の奥深く残ることでしょう。

また中学生が、大人と一緒に祭りを支えていました。
子どもへのまなざし運動が
着実に成果をあげているように見られました。

15日の夕方、嘉瀬川の精霊流しに出かけました。
150余りの精霊舟が、先祖への想いと供養の品を載せて
1300年前鑑真和上が上陸した川をゆっくりと下っていました。

精霊舟が、そのまま有明海まで流れ出ると、
海の環境汚染の原因になります。
そこで世話をする地元の商工会の人たちなどが回収しますが、
最近は人手不足で、精霊流しの存続が危ぶまれています。

私は、市役所の支所の職員も手助けするので、
夏の風物詩の伝統行事をぜひ守って欲しいとお願いしました。
お願いするだけでなく、感謝の気持ちと協力する姿勢も必要です。

 

消防団の夏季訓練がはじまりました。
三瀬の消防団が今月はじめに行ったのに続いて
きのうの19日は川副と東与賀の消防団が訓練を行い、
私も参加させていただきました。

暑い時期ですので訓練は朝早くからなので、
私は、朝のラジオ体操をしないで出かけました。
立って訓練を見ているだけでも、
午前9時ごろになると、背中や足の太ももを
玉になった汗が、すーと流れ落ちるのを感じます。

訓練をしている人達の汗は、私と比較できないほどで、
この汗が消防団の結束力を強めます。
会場のテントでは、地元の自治会や団体の代表が
訓練を見ながら、消防団への信頼を強めていました。

ヤケド虫に刺されました。
わが家の畑でブルーベリーを摘んでいたとき、
左手首にピリッとした痛みを感じました。
痛みはそれほどひどくなかったのですが、
だんだん赤く腫れて水ぶくれができ皮膚がただれて、
火傷をしたようになってきました。

開業医の方は盆休みでしたので国立病院の皮膚科で治療してもらい、
ヤケド虫に刺されたことが分かりました。
ヤケド虫の分泌物が広がって、皮膚が火傷をしたようになります。
分泌物が目に入ると失明する恐れもあるそうです。

私はヤケド虫の姿を見ませんでしたが
山アリ程度の大きさで、大変危険な虫のようです。
私の左手はほぼ治癒しましたが、
今年は虫に刺される人が多いそうです。どうぞ気をつけてください。

今週は、佐賀県の市長会があります。
あさって22日はは大和の松梅で市長と語る会、
23日は移動市長室があり、あわただしい週になりそうです。
暑さはまだまだです。熱中症には十分注意してください。
虫刺されにもご注意を。

2012年8月6日(月)

昨夜、栄の国まつりで、総踊りを踊ったり見たりしたので
今朝はいつもより遅く6時に起きました。
大急ぎでニワトリにエサをやり、ラジオ体操に出かけました。

 

家を出て20メートルくらいのところで、出会いたくないものに出会いました。
道路わきにウンコの山がありました。
犬のものより大きく、人間のもののようです。久しぶりに野グソを見ました。
本通りからはずれた道路ですが、夜、通りかかった人が踏む恐れがあります。
ラジオ体操を終えたあと、
スコップにべったり着くのを我慢しながら処理しました。
月曜日の朝、最初に出会ったのがウンコ、今週は注意しなくてはいけません。

国の来年度予算編成に向けて、国への要望活動が続いていますが、
先週の月曜と火曜は、佐賀、福岡県の関係者と共に、民主党と農水省を訪れ、
筑後川流域の土地改良事業に関する要望活動を行いました。

週末の金曜から日曜にかけて、
市村記念体育館で「伊能図フロア展」が開かれました。
土地や家屋の測量や鑑定に関わる団体や、伊能忠敬研究会、
佐賀市などが実行委員会を作って開きました。

伊能忠敬は、今から200年も前、全国を歩いて測量し日本地図を作りました。
その原図をコピーしたものを体育館のフロアに広げた展示ですが、
広い体育館のフロアにも収まりきらず、
北海道の地図が秋田県沖に、南の島が九州のそばに置かれていました。
地図が大きいだけでなく、
伊能忠敬の仕事がどんなに大きなものだったかを知りました。

伊能忠敬が佐賀の地を測量したのは、
ちょうど200年前の9月だったそうです。
幕末明治に至る50年前のことです。
伊能忠敬が歩いた佐賀の道を歩くことなども企画されています。

4日の土曜日、先の大雨で有明海に流れ出た、
流木や漂流ごみの一斉清掃が行われました。
有明海漁協の1500人が漁船225隻を出して、
流木などを集めて回収船の台船に揚げました。
私は朝6時に家を出て現場を見ました。

流木や漂流ごみは、帯状やバラバラに流れていて集めるのが大変。
また集めた流木などを台船に揚げるのも手間取りました。
台船にはクレーンがあるのですが、
大きさがばらばらの流木をクレーンで吊り上げるのに時間がかかります。
また、小さな流木やゴミは、人の手で台船に揚げましたが、
海の船の上での作業ですので陸上のように思うようにいきません。
漁家の人たちは難儀しながら頑張っておられましたが、
あと、何回か行う必要があるようです。

さらに海岸に漂着した流木やゴミの処理もあります。
思った以上の労力と金がかかりそうです。
役所が机上でたてた計画通りにはいきそうにありません。
予算が無くなったのでお仕舞いとはいきません。

 

土曜日と日曜日は、栄の国まつりでした。
土曜日は有明海から帰るとすぐ、栄の国まつりに行きました。
会場の中心になる中央大通りは人であふれ真っ直ぐ歩けないほどでした。
若い人の姿が多く、佐賀市以外からも人が集まったのだろうかと思って、
数組の若い人に聞くと、ほとんど佐賀市の人でした。
日中は、派手な衣装で激しく踊るヨサコイ踊り、夜は花火大会などがあり、
佐賀市の中心部はいつまでも賑わいました。

日曜日は、みこしやバンドのパレード、総踊りなどがありました。
総踊りは、地域や企業ごとの踊りのチームが、
はがくれ盆唄などを踊りながら練り歩きました
私も見るだけでは面白くないと、地域のグループに入れてもらって踊りました。暑さをふっとばしての踊りで、佐賀の人の元気さを実感しました。

うれしい話です。
久保泉第2工業団地に進出した、自動車部品の望月工業の工場が竣工しました。
自動車関連企業は、静岡から九州に生産拠点を移すところが多く、
望月工業は静岡から2年前に佐賀市の鍋島に進出、
さらに事業拡大のために、久保泉に移りました。
久保泉第2工業団地への進出第1号で、雇用は将来60人の予定です。

佐賀山草会から、車いす4台をいただきました。
文化会館、市民会館と三瀬のやまびこの湯に置いて、
利用させていただきます。ありがとうございました。

今週は、介護や消防の事務を行う、中部広域連合の議会が開かれます。
長崎原爆の日の9日から12日まで、
佐賀市平和展が、市立図書館で開かれます。
「語り継ごう平和の尊さ」がテーマです。
どうぞ図書館を訪れ、平和や核について考え、語ってください。

2012年7月

2012年7月30日(月)

暑いですね。
蝉時雨と書けば夏の穏やかな情景を思い浮かべますが、
最近の時雨は豪雨になることが多いように、
クマゼミの大合唱は豪雨的な蝉時雨で、夏の暑さを掻きたてます。

きのうの日曜日の朝、木蔭で気功をしていると、
10数分の間に、蝉のおしっこを3回浴びました。
髪の薄くなった頭への直撃は刺激が強いのですが、
蝉が居なくなるとこの世は終わりです。
養毛剤と思って我慢しましょう。

先週は、国などへの要望活動に追われました。
24日の火曜日は、
熊本の九州農政局、
福岡の九州地方整備局、九州産業経済局、
それに九州電力を訪ねました。

それぞれの事業に関係する首長や団体が一緒に
さまざまな問題で国に要望しました。

要望その① ダムの弾力的運用。
治水ダムは、6月の大雨の季節の前にダムの水を放流して空っぽにしますが、
田植えの時期まで少しダムに水を残す弾力的な運用が求められています。
大分県の松原ダムは、今年弾力運用をしてもらいましたが、
来年も継続してほしいと要望しました。

要望その② 灌漑排水事業について
灌漑排水事業の維持管理費は、地元負担がありますが、
できるだけ地元負担を軽減してほしいとお願いしました。
また、水を田んぼなどにポンプアップする農業用電力の料金を
安くしてほしいと要望しました。
国だけでなく九州電力にもお願いしました。

要望その③ 防災対策
今度の要望活動には梅雨末期の豪雨で大きな被害が出た
大分県の竹田市なども加わりましたが
どの自治体も大なり小なり被害が出たので、
豪雨災害が話題になり、防災対策の要望をしました。

佐賀市は直接的な被害は少なかったものの、
有明海沿岸への漂着ゴミの処理が大きな課題で
国にも有明海のゴミ対策を要望しました。

漂着ゴミ処理は、佐賀県がクレーンなどを使って処理をはじめ、
国も海面のゴミを集める清掃船を使いはじめています。
また漁業団体は漁船を使って流木を集めることにしています。

各機関が大掛かりな処理を行っても、
海岸に打ち上げられた小さなゴミの処理は人海戦術が必要になります。
漁民の皆さんだけでは処理できないので、佐賀市の出番になります。
ボランティアも含めて、大がかりな一斉清掃をいつ頃行うか、
農林水産部に検討するよう指示しました。
有明海沿岸のゴミ処理は、
海苔養殖の準備がはじまる9月までに終えなくてはなりません。

27日には、
再び九州地方整備局を訪ねて
継続的に行われている国道や河川の改修について要望しました。
来年度の国の予算は非常に厳しいものになりそうですが、
必要な改修はきちんとやってもらわなくてはなりません。

28日の土曜日、郡司農林水産大臣と佐々木副大臣が来県、
諫早干拓の水門の開放問題で
佐賀県と関係する4市2町の首長と意見交換しました。
大臣と副大臣と同時に会うのは珍しいことですが、
この2年の間に農林水産大臣は次々と交代して
今度会ったのは3人目の大臣です。これも大変珍しいことです。

佐賀県のあと、開門に反対する長崎県にも行くことになっていたので、
大臣の発言は慎重でしたが、
郡司大臣は、前から諫早干拓の開門は必要と発言されていた方ですので、
佐賀県側の気持ちは分かってくださっているはずです。
有明海西部の鹿島多良地区は、海苔養殖は不振、魚介類の水揚げは壊滅状態です。
漁業者の苦しみは良く分かりますので
諫早干拓の開門は真剣に取り組んでいかなくてはなりません。

高校時代からの友人が手術をしたあとの経過が思わしくありません。
一時意識も混濁したようで、面会できませんでしたが
会えるまで回復されたというので、お見舞いに行きました。
しかし体に管が通された状態で、ほとんど話もできませんでした。
手術前は元気だったのに、かける言葉も見つかりませんでした。
市政運営で判断に迷った時、適切な助言をしてくれる友人です。
回復を心から祈っています。

私の前歯は、固いものを食べては折れてしまい、今は仮の歯です。
先日、トウモロコシを食べようとして仮の歯も折れてしまいました。
今週、東京で要望活動をしますが、
前歯がない状態で国の責任者に会っても気合いが入りません。
大急ぎで知り合いの歯医者さんに折れた部分を接着してもらいました。
大好きなトウモロコシ、しばらく食べられません。
スイカなら大丈夫でしょう。

今週は前半東京で要望活動、
帰ってくると週末は、栄の国まつりです。
佐賀県でも熱中症で亡くなる方がでています。
猛暑が続きますので、まつりに参加される方、見物される方、
十分な水分補給をお願いします。

2012年7月24日(火)

九州地方の梅雨明け宣言がやっと出ました。
すでに梅雨明け宣言をした関東地方へ
先週出張しましたが、まだ傘は手放せません。
気温は26~7度で快適でした。
しかし、この涼しさ、喜んでばかりでは居れません。
度を過ぎて冷夏になると、稲作が心配です。

 

一方佐賀では、ここ1週間に4日も警報が発令され、
担当者は先週からの分も重なり、うんざりと言ったところです。
佐賀市は、大きな被害があった柳川市に応援を出していますが
梅雨が明けたら、佐賀市の有明沿岸で「漂着ごみ」の整理に
取り掛からねばなりません。

 

昨日有明沿岸を見回りましたが、10m近い根っこ付きの大木が
数えきれないほど干潟の上に横たわっていました。
海岸には、アシや木切れプラスチック製品などが
1mぐらいの厚さで押し寄せていました。
佐賀県全体で6千トンぐらいはあるそうです。
汗ダクダクの作業が待っています。
土曜日に野田総理が来佐されましたが、その折に古川知事からも
復旧支援のお願いがなされています。

 

話は変わって、漁協青年部のがんばりを紹介します。
漁協諸富支所青年部が海苔網の支柱を使って、
河口近くの海苔漁場で恐れられているバリカン病対策で成果を発揮し、
水産庁長官賞を獲得しました。
実験地は筑後川河口ですが他の河口にも応用できるはずです。

これに加えて、今回は、漁港に溜まる「潟泥」の除去に挑戦。
消防団から廃棄処分される古ポンプを使って
漁港に溜まった「潟泥」を洗い流す作戦です。
試行錯誤しながらも、是非、成功させて欲しいものです。
青年部の皆さんのやる気が頼もしいです。

先週は、農地防災事業や
諫早干拓の潮受け堤防排水門の早期開門を求めて
民主党や農林省へ要請活動が続きました。
佐々木農林水産副大臣には連日対応してもらいました。

残念な話。
市内中心部に事務所を持つ市民の方から次のようなお願いがありました。
「市内中心部でコンビニが建設されようとしている。
その予定地には、
江戸時代の歴史的な建物があったことを示す標柱があり、
樹齢300年ぐらいのカイヅカ・イブキが一本残っている。
その古木を何とか残して欲しい」
というものでした。

現代版「くすの木おばさん」のような話です。
すぐさま市役所で関係のある2課に保存方法を含めて工事関係者に
お願いするよう指示しましたが、結果的にだめでした。
相手さんも「1週間ぐらいで移植してくれるなら工事を待つ」
というところまで譲歩していただきましたが、
この時期の移植は「枯死」を意味します。
なんとか、地元住民の願いを叶えて欲しいものですね。

このところ要請行動が続いていますが、
今週も九州農政局や九州地方整備局などへの
要請活動が2日も入っています。

梅雨が明けたので暑さも一段と厳しくなります。
熱中症には気をつけてください。

2012年7月17日(火)

きのうまでの雨も上がって、すがすがしい朝になりました。
庭のカサブランカはほとんど花が散りましたが、
1輪だけの残った花が朝日を浴びて白く輝いていました。
日が昇ってくると、クマゼミが夏を告げて激しく鳴きはじめました。
関東甲信、近畿、四国、中国地方などは梅雨明けが発表されましたが
台風の影響でしょうか、九州はお預けです。

先週前半の雨のあと、今年は大きな被害のないまま雨の季節が終わるのかなと
期待したのですが甘かったです。
週末、気象庁の言葉どおり「経験したことのないような大雨」に見舞われました。
熊本、大分、福岡の各県では大きな被害が出ましたが、
佐賀市は、物凄い雨が降ったにしては被害が少なくてすみました。

91ミリの雨が降った13日の金曜日は佐賀駅周辺と市の中心部の一部が冠水し、
翌日の14日の土曜日は市の中心部の一部に冠水が残りました。
有明海は小潮で干潮になっても水が大きく引くことがなく、
佐賀江川の水が、水位が上がった筑後川に充分流れ込みませんでした。
しかし、福岡県のような堤防の決壊や、阿蘇のような大きな山崩れがなかったのが
幸いして、人命や大きな財産を失うことがなくて済みました。
休日返上で防災業務に当たった職員や、関係者の皆さんにお礼を申し上げます。

しかし、今後、検討すべきこともあります。
佐賀江川沿いの地域の人たちに異例の避難指示を出しました。
避難指示は、自治会、消防団、広報車などで伝達しましたが、
川沿いのどの地域の人に避難してもらうのか、
細かい情報を伝える方法を検討する必要がありそうです。
テレビやラジオで佐賀江川沿いと知っても、川沿いのどの地域なのか分かりません。
地域放送をしているFM放送局に、細かい情報を出すことを考えたいと思います。

佐賀市の時間雨量91ミリは、驚くような雨です。
以前なら、50年に1度、100年に1度といった雨ですが、
最近は数年に1度、これからは毎年降るようになるかもしれません。
これまで、排水対策をしても、対策を追い越すように雨量が増えてきました。
今、次の排水対策に着手していますが根本的に考え直さなければなりません。
川の堤防も今のままでいいのか検討しなくてはなりません。
とてつもなく、お金のかかることで、おいそれとはできません。
梅雨の大雨のあとは、台風による大雨も心配されます。
行政は精一杯やりますが、市民の皆様も早め早めの対応をお願いします。

15日の日曜日は、天気は小康状態になりました。
そんな中、高遊外売茶翁の没後250周年を記念する会が
旧古賀銀行でありました。
煎茶の祖として知られる高遊外売茶翁は、宇治の萬福寺に祀られていて、
京都の人たちや茶の世界ではよく知られていますが、
出身地の佐賀ではあまり知られていませんでした。

最近、売茶翁の顕彰会の人たちの努力で、
売茶翁の偉業が知られるようになったのは嬉しいことです。
記念式には、宇治の萬福寺の宗務総長も来てくださり、
売茶翁研究で知られている、アメリカ人のノーマン・ワデルさんが、
売茶翁の人柄などについて講演しました。
250年前の1人の日本人をアメリカ人が研究する、
そんな魅力が売茶翁にはあるのですね。

きのう海の日、大雨警報が出ていたので自宅待機をしながら、
友人の小説が掲載されている佐賀文学29号を読みました。
佐賀市の元特攻隊員がモデルで、ベニヤ板製のボートに爆弾を積んで、
アメリカの軍艦に体当たりする訓練を受けます。
突入寸前に終戦、辛くも生き残った人の壮絶な人生が描かれています。

読んでいるうちに、モデルになった人は私の知っている人と分かりました。
小説を読んで、その方の波乱万丈の人生を知りました。
執筆した友人は、実に細かく取材して小説にしていました。
特攻攻撃を命じた当時の国の指導者と、原発事故を前にした今の指導者を結んで
痛烈に社会を批判しています。
1本の小説で元特攻隊員の人生を知り、執筆した人の平和への思いを知りました。

先週は週末の大雨で、九州農政局への要望活動などが取りやめになりました。
今週は、土地改良などで、国に要望活動をします。
また、週末は東京佐賀県人会が開かれるので上京します。

2012年7月9日(月)

先週はうっとうしい梅雨の雨が降り続きましたが、
週末の土日からきょう(9日)まで快晴の天気になりました。
蝉も鳴きはじめました。梅雨明けも近いでしょう。
このまま大雨が降らないと今年は大きな災害もなくありがたいのですが。

今朝、出勤のためにバス停まで歩いていると
2つの小さな命に出会いました。
ひとつめは蛇です。
体長20センチくらいのこどもで、道路のアスファルトの上にいました。
元気がなくてほとんど動きません。
このままでは、車に轢かれて死んでしまいます。

日頃は蛇を見ると退治したくなるのですが、
生まれてきた新しい命ですので、道端の草むらまで追いやりました。
卵から出てきて、ほとんどエサにありついていないのでしょう。
蛇の親はこどもの面倒をみないようです。

次は鳥の子です。
ヒヨ鳥でしょうか、私の背丈ほどの木の枝で、ピーピーと鳴いていました。
近づくと近くの藪の中まで飛んで行って、またピーピー。
巣立ったばかりでしょうか、まだ上手に飛べません。
近くで親鳥が心配そうに見守っていました。
動物の世界でも親子の絆はいろいろです。

7月2日の月曜日、
子どもの非行防止と自転車の無灯火運転防止活動が行われました。
各種団体や地域、学校関係者が市内全域の主な通りに立って指導しました。
私は勧興校区を回りました。

中学生や高校生の自転車はほとんどライトを点けていましたが、
サラリーマン風の大人の中には無灯火の自転車もありました。
交差点で注意されているはずなのに、平然と無灯火で走っています。
私が注意しても知らんぷりして通り過ぎようとします。
制服の警察官が注意すると、しぶしぶライトを点けました。

街頭活動にあたった人の中には80代の高齢者夫妻や
小学生のお母さんやお父さんもいました。
街頭に出たのは午後7時半からの1時間で、ちょうど夕食時です。
子どもの夕食を急いで用意して出てこられたのでしょうか。
地域のために尽力する人、無灯火を注意されても無視する人、
同じ世代でも、人格に大きな違いがあります。

7月4日は私の誕生日でした。70才になりました。
誕生日に、中学時代の恩師から誕生を祝う葉書をいただきました。
誕生日を覚えていてくださり、ありがたいことです。
葉書には「生きがいを感じる毎日を送りなさい」と書いてありました。
いつまで経っても先生です。

誕生日には、先祖の墓参りをします。
出勤前の午前6時に家を出て、嘉瀬の両親の墓に参りました。
私は、小学校4年生のとき、肺炎をこじらせて40日間寝込みました。
当時の粉薬や水薬を飲んでも一向によくなりません。
両親が奔走して抗生物質のストレプトマイシンを手に入れて治りました。
「父と母のおかげで70才を迎えることができました」と、
墓前で手を合わせました。

 

7月6日(金)神谷副市長の退任式がありました。
総務省から来ていただいて2年3ヶ月、
市政を着実に前に進めてくださいました。
エスプラッツ周辺の街づくりにも尽力していただきました。
旧ダイエー跡に商工会館を移転して新商工ビルを建設、
商工会館跡にNHKが移転する玉突移転は、神谷副市長の足跡です。

神谷副市長が来られてから、職員の気風が変わりました。
上からの指示を待って仕事をするゴマすり型ではなく、
それぞれが持ち場の仕事を積極的にやり遂げる、真剣味が生まれました。

いずれ総務省に帰ってもらうことは分かっていましたが、
予定の3年を9か月残しての退任で、大きな力を失ったような思いです。

7月7日、佐賀市民体育大会がはじまりました。
7月16日まで、土日と祝日の5日間大会が開かれます。
出場する選手以上に苦労するのが役員の皆さんです。

校区ごとにチームを作りますが、
例えばソフトボールなら12~3人の選手を集めなくてはなりません。
腕に覚えのある人の情報をつかんで出場を依頼しても
仕事の都合などで、出場できない人もいます。

校区人口の多い地区から少ない地区まで3つのブロックに分けていますが、
選手の数が足りずに出場を断念することがないよう、
今年から人口の少ないCブロックは、
他の校区と合同チームを作ってもいいようにしました。

チーム作りの苦労の中から地域の絆が強くなります。
役員選手のみなさんに感謝するとともに、
夏の暑いときですので、体調管理に注意してくださるようお願いします。

 

今週は、12日に臨時市議会が開かれ新しい副市長の承認を求めます。
また来年度に向けての国への要望活動として熊本の農政局を訪ねます。
このほか、街づくりの委員会なども開かれます。

2012年7月2日(月)

梅雨空が続きます。
市長室の窓の向こうに、今にも雨が降り出しそうな黒い雲が見えます。

今朝出勤のためにバス停まで歩いていると
道路沿いにムクゲが咲いていました。
白い清楚な花ですが、ムクゲの花は咲くと数日で散ってしまいます。
土砂降りの雨がきて、道行く人に愛でてもらえないまま散ると可哀そうです。

 

最近バスの中で見かけるようになった高齢の女性は、
以前どこかでお会いしたことがあると思っていましたが、
気功の教室に来ておられたことが分かりました。
今朝話しかけてこられ「弟がお世話になりました」と言われました。
はて?何のことかなと思いましたが、
2か月前、カチガラスの子が巣から落ちていると知らせてくださった方のお姉さんでした。
人は、いろいろなところでつながっています。

市役所は、きょうから空調が入りました。
節電の夏もきょうからです。

計画停電はないことを願っていますが、
万一そうなったとき、市役所に問い合わせが殺到することも予想されます。
九州電力が対応するのは当然ですが、
市の職員も計画停電について理解しておいて
市民からの問い合わせに対応できる体制を整えるよう指示しました。

先週の水曜日、
佐賀ドリームライオンズクラブから車いす2台を寄贈されました。
アルミ缶を集めたり、会議のたびに1人100円をカンパしたりして
車いすを購入されたそうです。
小さな親切の向こうに多くの優しい心が見えてきます。

きのうの日曜日の午後、妻と富士町に出かけた帰りに、
諫早干拓の堤防まで車を走らせました。

先にお会いした佐賀市の漁民の方が
「諫早湾は有明海の子宮だ。
魚の産卵場の諫早湾を閉めきれば魚が減るのは当然。
以前は諫早沖で大きなタイヤスズキがたくさん捕れたが今は捕れない」
と話しておられました。

魚介類が激減して瀕死状態の有明海をどうすれば再生できるか考えていましたが、
西日本新聞が「有明海再生の視点」として連載をはじめました。
その中で「水門内側の調整池の泥に触れると手がかぶれ、痒みを感じる」という
学者の方の言葉が紹介されていました。

私たちは、有明海再生のために、堤防の全面開門を求めていますが、
汚れきった調整池の泥と水を一気に流すと大変なことになりそうです。
開門は慎重に行う必要がありそうなので、現場を見ようと思ったのです。

調整池の水は、堤防の外にポンプで少しずつ排出され、
帯状になって有明海に流れ出ていました。
有明海の水と比べて、汚れがはっきり判る水でした。
きのうはあいにくの雨と風で十分な観察はできませんでしたが、
今度天気のいいとき、もう一度訪ねて、
汚れた水と泥に触り、臭いをかいでみるつもりです。

おとといの土曜日、
サガン鳥栖はコンサドーレ札幌と対戦しました。
この試合は、佐賀市がマッチスポンサーとして
会場周辺の賑わいを創出する担当でしたので、
私は試合前の挨拶をさせていただき、
佐賀市の特産物の海苔と米をサガン鳥栖に贈りました。

 

試合はサガン鳥栖がゴール前まで攻めこんでも、あとひと押しが足りず、
嫌なムードになりましたが、
最後のロスタイムに劇的なゴールを決めスタンドは大歓声に包まれました。

スタンドの周辺では佐賀の特産品の宣伝をしましたが、
用意した100食のシシリアンライスがあっというまに売り切れるなど、
あいにく雨の中でも、まずまずの成果をあげました。

2週間前の試合は、サガン鳥栖が負けたうえ
帰りに立ち寄った鳥栖駅前の店で料理が出てくるのが遅れ、
踏んだり蹴ったりでしたが、
きのうは、佐賀市内の焼き鳥屋で楽しくカチドキを上げることができました。

 

週の初めのきょうは、
市内の各団体がそろって街頭に出て、
自転車の無灯火運転の防止や、非行防止活動を行います。

週の終わりには、神谷副市長とのお別れ会があります。
2年3ヶ月前に総務省から来ていただいた神谷副市長は、
サガンもんになりきって、スピーディー、積極的に仕事をしていただきました。
もう少し居てほしかったし、2人の息子さんは学年途中の転校になりますが、
総務省に帰らなくてはならないので仕方がありません。
後任の副市長は、臨時の市議会で承認を求めたいと思っています。

7月に入ったばかり、梅雨のど真ん中です。
梅雨末期の大雨も気がかりです。
気を抜かずに頑張ります。

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