2011年10~12月のひとり言

2011年12月

2011年12月26日(月)

強い寒波がやってきました。
寒さで風邪をひかれた方もおられるでしょうが、
秋から初冬にかけて暖かかったので、
地球にまだ冷える能力があるのだと、ほっともします。
有明海の海苔養殖のためにも、待たれた寒波です。

夏から秋にかけて咲く皇帝ダリアや百日草は冬になっても咲いていましたが、
数日前の霜で、しょぼんと首を垂れました。
皇帝ダリアは来年も咲くように、直径4~5センチある幹の節の部分を
7~8センチ切り取って上をラップで包み下に水ごけを巻いて保存しました。
こうしておくと来年春に新芽が出てきます。
畑のサトイモには籾殻を乗せて暖かくしてやりました。

 

今咲いている花は、冬の花のサザンカだけですが、
甘夏柑の緑の葉の間で、8個ほどの黄色い実が、
「俺も忘れるな、たまにはブログに書いてくれ」と寒さに耐えて枝にぶら下がっています。

先週21日の水曜日の夜
飲酒運転撲滅街頭キャンペーンに参加しました。
交通安全指導員、警察や道路関係者、自治会の役員などが、
忘年会で賑わう飲食店街や交差点で、飲んだら乗るなというチラシを配るなどして、
人や自分が泣くことになる飲酒運転を絶対しないよう訴えました。
寒い夜のキャンペーンに参加した人の中には80代半ばの高齢者もおられ、
元気な方が居られるものだと感心しました。

嬉しい話を続けて書きます。
佐賀学園高校の男子バレーボールチームと
佐賀工業高校のラグビー部が
全国大会出場前の挨拶に来られました。
佐賀学園は夏の大会でベスト8
30年連続出場の佐賀工業は秋の国体で準優勝していますので、
どちらも全国大会での好成績を期待しています。

スーパーモリナガさんから毎年、
環境を守るのに役立てて欲しいと寄附を頂いていますが、
今年も寄附して下さいました。
佐賀の美しい環境を守るために使わせていただきます。

日本経済新聞が2年ごとに、全国の市と区の経営革新度調査を行いますが、
今年の調査で佐賀市は20位に入りました。前回の調査では23位でした。
全国の市と区809の中で上位に入り、九州ではトップです。

調査は、▽透明度 ▽効率化と活性化 
▽市民参加度 ▽利便度の4項目で評価されます。
佐賀市は市民と一緒に行政を進める
自治基本条例の制定をする準備をしています。
その条例のあり方を検討する審議会は委員を公募するほか、
不作為に抽出した市民に委員に加わっていただくことにしています。
そうしたことなどが評価されたのかも知れません。

市区経営革新度調査では
佐賀市は合併前から上位を維持しているほか、
佐賀市議会も1年余り前の議会改革度調査で23位になっています。
市民、議員、職員みんなの努力で高い評価を得ています。

週末の3連休は、公務が無かったので骨休みをしました。
友人夫妻と私たち夫婦の4人で、
23日の金曜日の夕方と24日の早朝、呼子の岸壁で魚釣りをしました。
私の釣果はアラカブ2匹とメバル1匹でした。妻はアラカブ1匹、
友人は大物を狙いすぎて釣果ゼロでした。
寒さに震えながらの釣りでした。

 

きのうの25日の日曜日は文化に接した休日でした。
午前中、県立美術館で山岡鉄舟の書を見ました。
山岡鉄舟は、明治維新のとき、江戸城を無血開城に導いた人で
剣、禅、書の達人と言われ、明治のはじめ伊万里の県令を勤めました。
禅に優れた人ですので、人の生きる道の書が多いようでした。

午後は、文化会館で開かれたクリスマスコンサートに妻と出かけました。
ピアノの演奏と、アルモニア管弦楽団の演奏を聞きました。
管弦楽は、それぞれのパートの人たちの演奏がひとつの音楽にまとまります。
みんなの努力、力が集まって生み出される演奏を聞きながら、
1人の100歩より100人の1歩という私の思いに確信を持ちました。
このコンサートを主催したのは、
薬局経営などをしている(株)ミズグループです。
利益を求めるだけでなく、文化を支える企業に感謝します。

今年は災害が多く、
普通に当たり前に暮らせることが、どんなに幸せなのかを実感する年でした。
幸い佐賀は災害は少なかったのですが、
有明海の養殖海苔の秋芽網は収穫量が例年の40%しかない大打撃を受けました。
これからの冷凍網でどこまで挽回できるか心配です。

今年のブログの書き込みは、おそらくきょうが最後です。
皆さまの来年がいい年になることを願っています。
健やかなお正月をお迎えください。

2011年12月19日(月)

寒くなりました。
庭の垣根の紅色のサザンカの花が北風に吹かれています。
サザンカというと「垣根の垣根の 曲がり角 
たき火だたき火だ 落葉たき」という歌が浮かんで、
落ち葉で焚き火をして焼き芋を食べた子どもの頃を思い出します。

師走も半ばを過ぎて正月準備をするころになりましたが、
わが家での私の担当は、庭と汚水枡の掃除、窓洗いです。
汚水枡の掃除は1週間前に済ませたので、
公務の無かったきのうの日曜日、庭の掃除と窓洗いをしました。
庭の草を取り、落ち葉を掃き集めましたが、
今年はまだ落ちない木の葉が多く頭上で紅葉しています。
サザンカと落葉焚きが結びつきません。
年の暮れに、もう一度庭掃除をしなくてはならないようです。

 

14日の水曜日に、中川文部科学大臣が、
突然佐賀市の西与賀小学校を訪れました。
西与賀小学校は、
ICT(情報通信技術)授業を行う国のモデル校になっているので、
福岡まで来た大臣が足を伸ばして訪れたのです。

私も見たことが無かったので同行して5年生の算数の授業を見ました。
パソコンや電子黒板が使われ、
子どもたち全員がタブレットパソコンを持って授業を受けていました。
私は使い方どころか、機材の名前も知りませんが、
子どもたちはタッチペンで入力したり、
画面を拡大縮小したりするなど見事に使いこなしていました。
子どもたちの集中力に驚きました。

パソコンは指示どおり動いてくれますが
人と人の関係では、自分の思いどおりにならないこともしばしばです。
他人と衝突しないために会話を避ける若い人が増えているので、
授業は、グループの中で意見を交わして、
友達とのコミュニケーション能力も養うように工夫されていました。
パソコンを駆使する一方で、
考え方や立場の違う人を受け入れることのできる人を育てる心の教育が大切です。

15日の夜、佐賀市内一斉に街頭呼びかけ活動が行われました。
私は赤松校区のSTS前の交差点に立って、
無灯火や携帯電話を使いながら自転車に乗っている人に、
自転車の安全運転を呼びかけました。
中学生や高校生は下校した後だったので、自転車の数も少なく、
注意しなくてはならない子どももほとんどいませんでした。
日頃の先生の指導が徹底しているのでしょう。

この呼びかけ活動には、
各校区の、PTA、自治会、老人会など、さまざまな団体が参加しておられ、
赤松校区だけでも70~80人の方が出ておられました。
冬の寒空に立つ、こうした人たちが地域を守っておられます。

残念なことを報告します。
森林公園のテニスコート横に置いてあった、
遣唐使船レースに使う船3隻が壊されました。
この船は、鑑真和上が上陸したとされる嘉瀬川で、
毎年行われる遣唐使船レースに使われます。
遣唐使船レースは地元で夕刊紙を発行している人が思いを込めて開いています。
船は実行委員会が管理していますが佐賀市民の財産とも言えます。

誰がやったのか警察が捜査中ですが、
森林公園の維持管理に使うために置いてあった重機を使って
船の舳先の飾りの部分が破壊されていました。
テニスコートのフェンスなども壊されているので、
破壊の目的がテニスコートなのか遣唐使船なのか分かりません。
気に入らないことがあると見ず知らずの人を傷つける事件が増えていますが、
何かに当り散らすように、みんなの財産を壊す奴は、最低です。

北朝鮮のキム・ジョンイル総書記が死亡したというニュースが
今(19日正午過ぎ)入ってきました。
北朝鮮と周辺の緊張は今でも最悪なのに、
後継の権力闘争や軍部が暴走するなどして、
これ以上悪くならなければいいがと心配です。

きょう(19日)は、東与賀で移動市長室があります。
市議会はあすまでで、来週は広域圏の議会が次々とあります。
この1年、地震、津波、原発事故、大変な年でした。
フィリピンで、季節はずれの台風で多くの犠牲者が出ました。
穏やかな年の瀬であってほしいものです。

2011年12月12日(月)

庭の百日草がまだ頑張って咲いています。
近所の家のサツキが季節はずれの花をつけています。
サツキはせっかく咲いたのだからと、
寒くなってきても懸命に枝にしがみついています。
季節は確実に冬に向かっています。

 

おとといときのうの土日、朝少し時間があったので、
ラジオ体操のあとの散歩は田園地帯まで足を伸ばしました。
雨続きで、麦の種まきが遅れていると思っていましたが、
ここ数日天気が回復したので、ほとんどの田に麦が播かれていました。

歩きながら、昔の麦の種まきの季節を思い出しました。
種を播く前に田起こしをしたあと土を細かく砕く必要があり、
戦後間もない昭和20年代までは、馬を使っていました。
私の家には馬が居なかったので馬使いさんを雇っていました。

馬使いさんは、まず大きな犂を馬に付けて田起こしをします。
このあと確か「飛行機馬がい」と呼んでいたと思うが、
土を細かくする道具を馬に曳かせます。
飛行機馬がいは、飛行機の両翼のようなものに、たくさんの小さな刃が付いていて、
この刃で土を細かくするのです。

少し重しがあったほうが刃が土の中に入るので
幼稚園に通う年代の子どもが重り代わりに乗りました。
馬使いさんが来ると、乗せて乗せてとせがみました。
田んぼの中をポクポク歩く馬のお尻を見るのが楽しみでした。

馬使いさんが帰ったあと、家族総出で麦の種を播きました。
畝を整えて種を播き、その上に土を被せ、堆肥をやります。
重労働で1日に播ける面積はわずかでした。
今は機械を使って1日に1~2ヘクタール播く事ができます。
農家は重労働から解放されましたが、
農機具代がかかり麦の値段も安いので暮らしは楽になっていません。

小学生時代を思い出しながら田園を歩き途中公園で気功をして帰りました。
随分歩いたと思ったのですが、万歩計を見ると7000~8000歩でした。

先週は議会漬けでした。
財政、海苔、林業問題などの質問が出ましたが、
今回の議会では、自転車に関する質問が多くありました。
携帯メールや無灯火が原因の自転車による事故が全国各地で起きています。
佐賀は自転車が重要な交通手段ですので議員の質問が集中しました。
自転車の安全運転の講習会、点灯指導などが求められています。

また佐賀県が暴力団追放条例を作ったので
それに対応する佐賀市の条例はどうなっているという質問もありました。
3月議会に提案する準備をすすめているとお答えしました。

きのうの日曜日、シシリアンライスの甲子園があり審査員をさせていただきました。
佐賀のシシリアンライスは、おととしの九州B級グルメ大会で2位になりました。
そこで、高校生によるシシリアンライス甲子園が開かれたのです。
3人1組の高校生が出来るだけ佐賀県の食材を使って1時間でシシリアンライスを作ります。
10チームが参加し、男子チームもひとつありました。

 

牛肉にシャリシャリ感のあるサラダ菜を使うのがシシリアンライスのイメージですが、
唐津の高校生は、1夜干しのイカを使ったほか、
鶏肉や豚肉を使ったチームもありました。

高校生は、お母さんやおばあさんの料理をたくさん食べる年代で
自分で料理をするというイメージはありませんでしたが、
参加した高校生は、手際よく料理をして、包丁の使いかたも見事でした。
一生懸命料理をする高校生を頼もしく思いました。
最高の賞を受けたのは、佐賀女子高校のチームでした。

同じ日曜日の午後は
佐賀市スポーツ推進委員の研究会に行きました。
研究会には100人ほどの推進委員が参加されました。

この方たちは、地域の人たちがスポーツを楽しめるように活動しておられ、
土日の休みはほとんど返上しておられるでしょう。
こうした人たちの活動で、地域の絆がつよくなり、
災害など、いざというときの地域の力にもなります。
心から感謝の言葉を述べさせていただきました。

今週は、今夜(12日)神野公民館で市長と語る会が開かれます。
地元の人たちから佐賀市政への要望を聞き意見を交わします。
午後7時からです。どうぞお越しください。
市議会は一般質問と議案質問は、あすまでです。
来年度の予算編成に向けての経営戦略会議も待っています。

12月も残り半分になりました。
忙しくなる上に、寒くなって風邪をひきやすい季節です。
お互い気をつけましょう。

2011年12月6日(火)

12月に入りました。季節は冬ですが、
今年は暖かいので秋の気配も残っています。

先週、東京で国への要請活動をしたあと、
帰りの飛行機まで少し時間があったので、
大隈重信候の墓のある護国寺を訪ねました。

護国寺は大隈重信、山県有朋、三条実美など
明治から大正にかけて活躍した人たちの墓が並ぶ広い墓地のあるお寺です。
大きなイチョウが色づき鳥の声だけが聞える静けさで、
東京の師走の喧騒とは別世界でした。
大隈候の墓に「佐賀を見守ってください」とお願いしました。

佐賀に帰ってくると、中央大通りの街路樹や
貫通道路のイチョウも、まだ秋の色合いを残していました。
紅葉した街路樹の下を歩くと心がなごみますが、
落ち葉を集める近所の人はひと苦労です。

 

通勤のバスの中から見ていると、
佐賀女子高校の生徒が学校の前の落ち葉を集めていました。
信号待ちのとき、バスの窓を開けて「ご苦労さん」と声をかけると
ソフトボール部の生徒でした。
身近なところの落ち葉を集める人たちがいて街の美しさが守られています。

遅植えのコスモスが、花を付けて頑張っているのを見ました。
私もまだコートを着ずにやせ我慢していますが、
有明海の海苔のためには、コートを放せない寒さが待たれています。

1日に、佐賀警察署の特別警戒のパトロールが始まりました。
私は佐賀市の防犯協会長ですので出発式に出席しました。
今年は警察犬8匹も参加していましたが、
式典の雰囲気に馴れないためかブルブル震えていました。

事件や事故のない年末年始を迎えるために、
警察の特別警戒は頼もしいのですが、
まず自分たちが、事件や事故に遭わないよう、注意する必要があります。

2日に、佐賀工場団地協同組合の50周年式に出席しました。
佐賀市高木瀬の工場団地は、佐賀県ではじめての工場団地で、
元理事長が「資金集めに苦労したが、当時30代だった佐賀市の職員で、
その後佐賀市の助役になる富永さんが、自分のことのように頑張ってくれた」と
おっしゃっていました。
目先のことだけでなく50年後に感謝される仕事をした先輩がいます。
佐賀市の職員は心して欲しいものです。

3日の土曜日、ひょうたん島公園で収穫祭が開かれました。
餅つき、しめ縄や門松作りの指導が行われ、
即売された野菜は、あっという間に売り切れました。
私は、毎年その冬最初の餅つきをここでします。
餅つきをすると、年の瀬が迫っていることを実感します。

 

この日の午後、サガン鳥栖の最終戦を応援しようと思っていましたが、
知り合いの不幸があったので、葬儀に参列しました。
県民みんなが、J1昇格に湧き上がっているとき、
一緒に喜ぶことが出来なくて残念でした。

4日の日曜日に、地元の体協の忘年会がありました。
忘年会シーズンに、飲みすぎ、食べすぎで運動不足になるのは避けたいと
万歩計を付けてみましたが、よく歩いたなと思っても8000歩程度です。
体調管理には気をつけなくてはならない季節です。

今度の佐賀市議会では、29人の議員が一般質問に立たれます。
来週の火曜日まで、一般質問と議案質問が続きます。
今週は議会漬けになります。

「僕はもう何年も風邪をひかない」と
威張っていた友人が風邪をひきました。
油断せずに忙しい年末を乗り切ってください。

2011年11月

2011年11月28日(月)

先週寒くなってきたなと思ったら、
ここ数日暖かい日が続いています。

天候の変化に敏感なのが有明海の養殖海苔です。
22日の火曜日、有明海の海苔に赤腐れ病が発生しているという情報が入ったので、
翌日23日の勤労感謝の休みに有明海に出ました。

早津江川の河口沖の
澪筋(みおすじ・干潮で干上がっても船の通れる水路)沿いが被害が大きく、
黒々とした海苔が付着しているはずの海苔網から海苔が剥げ落ちていたり、
海苔が付いていても網を揺すると海苔がしたたり落ちたりしていました。
残った海苔も真っ黒ではなく、こげ茶色でした。

 

私が海に出た翌日の24日に、養殖海苔の初入札が行われましたが、
出品されたのは去年の半分で、値段も大きく落ち込みました。

今年は暖かい日が続いて水温が上がったことと、
どっと大雨が降ったので大量の川の水が流れ込んで
海の塩分濃度が下がったために赤腐れ病が出たものと見られています。
海苔は雨によって山から運ばれてくる栄養で育ちますが、
一度に降りすぎると困ります。

赤腐れ病を防ぐために海苔網を高く張って、
干潮時に太陽と空気にさらす対策が取られますが、
網を高く張ると海水に浸かっている時間が少ないので
生長が遅くなり収穫量が減ります。

冷凍網に切り替えるまで、あと1ヶ月あります。
秋芽網をあきらめることはできません。
漁協の専門家は「水温がぐんと下がってくれると持ち直すのだが」と
言っておられました。海苔のためには寒さが待たれます。

24日に徐福の石像の除幕式がありました。
徐福の石像は、徐福が日本に向けて船を出した、
中国の慈渓市から贈られました。
高さ3.5メートルもある大きな石像は、
筑後川にかかる諸富の昇開橋の近くの公園に設置しました。

石像は金立山に向いていますが、
徐福が不老不死の薬草を求めたとされる金立山には
徐福が生まれた中国の連雲港市から贈られた徐福の石像があります。
山と海の2つの徐福の石像が向き合いました。

佐賀空港と上海を結ぶ空の便が
来年1月18日から、週2便運航されることが決まりました。
領土問題をめぐっては、中国に感情を刺激されることもありますが、
文化や観光などで交流を深めて仲良くしたいものです。
徐福がその橋渡しをしてくれると期待しています。

中国の北京に娘さんやお孫さんが住んでいる友人が、
「福岡ー北京は直行便がなく、大連や青島経由なので、
佐賀ー北京の直行便が飛べば便利になるし、
福岡空港を利用している人の多くが、佐賀空港を利用するようになる」と話していました。
上海便を就航させる春秋航空に話してみましょう。

26日に、佐賀市の防災訓練が久保田でありました。
地震と津波を想定しての避難訓練で、
思斉館のグランドに地元の人たちが次々と避難してくる訓練が行われました。

地元のほか、自衛隊、赤十字、消防、水道など幅広い関係者が訓練に参加し、
久留米のドクターヘリも医療関係者が乗って飛来しました。
淋しかったのは、佐賀県の防災ヘリの姿がまだ見えなかったことです。
佐賀県には防災ヘリがないのですから、姿を見ることはできません。

 

訓練を見ながら、広々とした佐賀平野は
津波のときに避難する山や高い建物がほとんどないことが心配になりました。
有明海では、いわゆる「島原大変肥後迷惑」以降の大津波の記録はありませんが、
想定を越える津波がきたときのことを考えなくてはなりません。

ともあれ、東北の被災地では、
山など高いところに逃げる訓練をしていたところと、
訓練をしていなかったところでは、亡くなった人の数が違ったそうです。
各地で訓練を繰り返したいと思います。

 

26日の夜、中学の同窓会がありました。
食べるものの充分に無かった戦後、
鼻水を服の袖で拭きながら一緒に遊んだ10数人が集まりました。

小学生時代から9年間、学校の行き帰りも、家に帰っても一緒に遊んだ、
兄弟のようだった仲間ですので思い出がいっぱいあります。
夜遅くまで、美味しい酒を飲みました。
この仲間たち、来年は古希です。ああ。

今週は、きょうから東京に要望活動に行きます。
私は、九州国営灌漑排水事業促進協議会の会長ですので、
農水省や財務省を回って、九州の土地改良の促進を要望します。
また、筑後川に流れ込む河川の堤防の拡張や高潮対策を
国土交通省などに要望してきます。

週なかばの30日から佐賀市議会です。
補正予算案などの審議をお願いしますが、
この中には、佐賀ー上海便が就航するのに合わせて
空港と市内を結ぶバスを改善する予算もあります。
今の空港バスは乗客の荷物を車内に運びこむ必要がありますので、
車体の横にトランクを積めるバスを購入したいと思います。
新車は買えないので、中古の2台です。

また、3歳児から就学前までの幼児の医療費は
保護者が医療機関に支払って、あとで市に申請するようになっていますが、
来年の4月からは、窓口で支払う必要がないようにする議案も出します。
ただ、今は1医療機関1ヶ月500円だけは自己負担にしていますが、
これを1000円まで負担していただくようにします。

このところ、寒くなったり暖かくなったりです。
風邪が増える季節になりました。
どうぞ服装はこまめに替えてください。

2011年11月21日(月)

秋にしては大雨の降った土曜日(19日)の朝、
田んぼに10羽くらいのシラサギが降りていました。
田の水が川に流れ落ちるところは、
上りフナなどといわれる小魚が田に遡上します。
それを狙っているのかと思いましたが、どうやら違うようです。

この季節に田んぼが水に浸かると、
土の中に潜んでいた虫が、苦しくなって出てきます。
シラサギはその虫を食べているようでした。
自然の中で生きてゆく鳥の本能を見ました。

 

今朝は雨もあがり、冷え込んだ秋晴れになりました。
出勤の為にバス停に向かっていると、
家々の庭の白い菊が朝日に輝いていました。

目を天山に転じると、山頂は白くなっていました。
雪のような白さではないので、
ススキなどが朝日を浴びて白くなっているのかと思いました。
天山によく登っている友人に話すと、
今朝の山頂は氷点下になっているはずなので霜ではないかと言っていました。
秋も盛り、冬の足音が聞こえてきます。

久保泉第2工業団地への第2弾として
サガ電子工業が進出することが先週決まりました。
工場が佐賀市内の住宅地にあるため移転するものです。
従業員は16人ですが、無線関係の先端技術を持った企業です。
無線を使っての自動販売機の在庫管理など
私たちが知らない技術を持っているユニークな会社です。

これから建設する工場は、元の酒蔵の材木を使うそうです。
工場の外見は伝統文化的な建物、
中では先端技術を使った製品作りが行われます。
評判になるかも知れません。

先週の中ごろから後半は、東京に出かけて
建設、道路、河川、土地改良の事業で国に要望してきました。
この時期、全国から要望に上京しますので、
国土交通省、農林水産省、民主党本部はごった返していました。

政権が自民党から民主党に移ったので
こうしたことはなくなるかと思ったのですが、
以前は地元選出の国会議員にお願いしていたのを
今は民主党本部に行く必要があり、かえって慌ただしくなりました。

お願いに行くほうも待ち受けるほうも忙しい身です。
こうした活動は止めた方がいいという声も聞きます。
でも行かなかったら風邪をひきそうという恐怖心から
ついつい、慣習を引き継いでしまいます。

佐賀市は新しい試みとして地域コミュニティーつくりをはじめました。
合併によって広くなったので、
それまで地域ごとに、きめ細かく行っていた行事などが
おろそかになったり、画一的になったりする心配があります。

そこで地域の特性を活かして、
校区ごとに絆を強める活動に取り組もうという試みです。
まず、本庄、金立、嘉瀬、諸富の校区で取り組むことになりました。
この内本庄地区で、何をするか検討する協議会が土曜日に発足しました。
自治会長の元佐賀大学教授をリーダーに、
どんな取り組み方針が決まるか楽しみです。

ある大学が行った、全国の幸福度調査では
北陸3県がベストスリー、ついで鳥取県、佐賀県でした。
どこも、経済活動などが華々しいわけでもない目立たない県です。
それでも、生活のし易さ、住民の生きがい、充実感などの指数が高かったようです。
地域で一緒に生活する人々が、幸せをお裾分けし合い、
うるおいのある暮らしをしながら、絆を強めてゆきたいものです。

きのうの日曜日、玄海原発からの放射能漏れを想定した避難訓練がありました。
福島原発の事故をふまえて、避難地域を従来の10キロ圏から30キロ圏に拡大し、
佐賀市は、救護所を北山湖に置いて避難してくる人の放射線を測定し、
川上小学校の体育館に避難所を置く訓練をしました。

福島の教訓から訓練は真剣でした。
福島の事故では避難先は全国に広がっています。
事故が起きると、県などは大混乱するほど慌ただしくなります。
避難者を受け入れる周辺の自治体に
もっと協力を求めていいのではないかと思いました。

きのうは、2度と見ることのできないだろう嘉瀬川ダムの姿を見ました。
嘉瀬川ダムは堰堤のギリギリまで水を貯めて、
ダムの耐久性などを調べるために、去年の秋から水を貯めていました。

 

堰堤の最上部のサーチャージ線を越えるのは23日と予想されていましたが、
週末の大雨で20日に越え、水が堰堤を越えて流れ落ちました。
私は原発の訓練を視察する前に現場を通りかかって、その姿を見ることが出来ました。
大勢の人たちが、2度と見ることのできない嘉瀬川ダムの様子を見ていました。
ダムの水は、これから次第に減らされ、来年春から運用が開始されます。

 

今週は、きょう(21日)日新校区で市長と語る会が開かれます。
先週、出張して留守が多かったので
庁内の会議や打ち合わせをして穴埋めをします。
また来週からの議会に向けての準備に追われます。

2011年11月14日(月)

先週の月曜日(7日)、バルーンの表彰式を終えたあと、
東北の被災地の、気仙沼に向かいました。
7日夜仙台に泊まり、翌日、レンタカーで
南三陸町、陸前高田市の被災地を見て回ったあと気仙沼市に入りました。

 

いずれも多くの犠牲者が出たところで、
目の前に大きな津波の爪跡が連なっていました。
それでもテレビで見た、被災直後のガレキに埋まった街は
それなりに後片付けが進んでいて、集積されたガレキが
鉄、木材、その他というように仕分けされていました。

住宅跡は、掃き清められたようになっているところもあり少しほっとしました。
あれから8ヶ月、人の力、ボランティアの力を感じました。

ただ、これからの街づくりは、
どこに、どのような街を作るのか課題は多く、大きいでしょう。
気仙沼は地盤が70センチも沈み、
満潮時には歩道が深さ30センチの水に浸かっているところもありました。

交通を確保するために、道路を1メートル嵩上げしたところ
内水が外に吐けなくなる問題も起きていました。
地盤全体を1メートル嵩上げするだけでも大変な仕事になります。

私たちは、気仙沼の鹿折(ししおり)中学に建てられた仮設住宅を訪ね、
佐賀の米300キロを200袋に分けて仮設住宅の人たちに贈りました。
ここの集会所に佐賀青年会議所が贈った手製のベンチが置かれていました。
佐賀の名前を見て、東北と佐賀が心の絆で結ばれていることを感じました。

気仙沼市役所を訪ねると、
佐賀市にある、「ひなた幼稚園」の園児の激励の寄せ書きが
市役所の壁に貼られていました。
また嘉瀬川で行われた遣唐使レースに参加した人たちの
激励の寄せ書きもありました。
佐賀の人たちの東北を支援する思いを大切にしながら、
支援の手を緩めてはならないと思いました。

気仙沼の副市長と今後の支援のあり方を相談しました。
佐賀市はこれまでに、東北に43人の職員を支援に出し、
この内38人は気仙沼市で活動しました。
これまでは避難所での活動が中心で短期間ずつの派遣でしたが、
今後は街の復興に関わることになるため長期間の派遣になります。
12月か1月ごろから4~5人の職員を
2ヶ月から4ヶ月くらい出せないか検討します。

被災地を回って気付いたのは、
津波からの避難では、高いビルが役立ったことです。
津波が来るときは、山や丘に逃げるというのが常識ですが、
もうひとつ、高いビルに逃げ込むということを周知する必要があるようです。

嬉しい話です。
今年の春売り出した、久保泉第2工業団地に
自動車部品製造の「望月工業」が進出することになり、
11日の金曜日に進出協定を結びました。
来年の5月ごろ操業開始で、
従業員は当初10人、4年後には45人を予定していて、
多くは佐賀の人を雇用してもらえそうです。

望月工業は久保泉第2工業団地進出第1号ですが、
第2号として、別の企業も進出することがほぼ決まり、
早ければあす(15日)にも進出協定を締結できそうです。

冷え切っている経済状況の中で、
久保泉に第2工業団地を作ることに不安もあったのでほっとしています。
第3、第4を目指して頑張ります。

バルーン期間中は雨にたたられましたが、
その後天気は良くなり、きのうの日曜日も晴天で、
各地でふれあい祭りが開かれました。

蓮池のパークフェスタと西与賀町のふれあい祭りを訪ねました。
どちらも各種団体が役割分担をして、地域の力を感じましたが、
特に小学生の活躍が目立ち、
みこし、踊り、金管バンドなどを地域の人たちに披露していました。
この子たちが私たちの跡を継いでくれると思うと、
小さな子たちが大きく見えました。

日曜の夜は佐賀高校卒業50周年記念の同窓会に出ました。
卒業生1000人の内272人が参加しましたが
女性が148人で半数を越えていました。
伝統のファイヤーストームの衣装で校歌や応援歌を歌いました。
男性の頭は白いかピカピカ、女性は手を加えた化粧、
昔日の面影はありませんが、心は17歳、18歳でした。

フォークダンスもありました。
当時女性の手を握られるのはフォークダンスだけで
心はドキドキ、手に汗をかいていました。
私は次の出し物の準備で、ドキドキ感を思い出すことが出来ませんでした。

ほぼ全員が2次会に参加して、ひと晩青春の日々を取り戻しました。
関東など、遠くから参加した人は、
きょう(14日)は旅行やゴルフを楽しんでいますが私は仕事です。

国の予算編成を前にしていますので、
今週の中ごろ東京に行き、道路や土地改良などで要望活動をします。
週末もさまざまな日程が入っていますが
日曜の午後は、久しぶりに温泉に入れるかもしれません。

2011年11月7日(月)

今朝早く、犬の散歩とラジオ体操のために家を出ると
朝焼けの空が次第に青空に変わってきました。
雨にたたられたバルーンが終わると快晴、
なんと皮肉なことでしょう。

 

11月に入って暖かい日が続くものの雨の多い秋で、
バルーン大会ももろに影響を受けました。
スタートは好天に恵まれたのですが、
週末の土日は、天気が崩れるとの予報が当たってしまいました。

天気の良かった去年は、バルーンが9回飛びましたが今年は5回だけ。
お客さんも去年より30万人減の64万人でした。
大会関係者だけでなく、会場に出店している人たち、ホテルなども影響を受けました。

それでも、最終日のきのうは、午後、恒例のキーレースを行うことが出来、
風が強かったので夜間係留に代えてバーナーを焚くバーナーショウがありました。
花火は、土曜の夜に打ち上げる予定だったものも一緒に2日分を打ち上げたので、
会場を埋めた人たちはそれなりに満足されたことと思います。
終りよければ全てよしとしましょう。

 

バルーンを見に訪れる人の中には、海外からの人も増えており、
今年は、台湾や中国からのお客さんが多かったような気がします。
その中に、佐賀市の友好都市のフランスのクサック村から
村長など3人が来られました。

みなさんとお話していると、クサック村の人たちの中には、
日本全体が福島原発からの放射能に汚染されていると思った人が居られたようです。
クサック村は、ソ連のチェルノブイリの原発事故で甲状腺に障害を受けた人が出たそうで、
そんなことから、福島から遠い佐賀でも
農産物などが被害を受けているのではないかと心配されたようです。
これまでと変わらない佐賀を見て、安心して帰られることでしょう。

毎年、バルーンの期間中から新年まで、
中央大通りの街路樹を白熱灯で飾るライトファンタジーを行ってきましたが、
今年は節電と環境を守る視点から、これをやめて、
LED電球による部分的なイルミネーションを行っています。
去年までは明るく輝いていたので「なんとも淋しい」という声が届き始めています。
今年は、我慢しましょう。

バルーン大会と並ぶように、5日からきょう(7日)まで
東与賀のシチメンソウ祭りも開かれましたが、こちらも雨の影響を受けました。
5日の開会行事は、雨風の強い中で行われました。
ただ前日の4日の夜は、ライトアップが行われ、
色づいたシチメンソウの赤い絨毯がライトに見事に浮かび上がっていました。

散策する足元にはペットボトルを利用した600個余りの灯ろうが並んでいました。
実行委員会やボランティアの佐賀市の職員が手づくりして、
ひとつひとつにロウソクの火を灯したものです。
美しい夜の光の中を歩きながら、陰で支えている人たちの努力に感謝しました。

先に中国に行ったとき、中国の飛行機の機内誌で
中国にもシチメンソウがあって、今が見ごろと知りました。
中国では「アルカリヨモギ」と呼ばれているそうです。
機内誌で見た写真は渤海沿岸のパンキン市の自生地で、東与賀より広く見えました。
間もなく、中国の春秋航空が佐賀空港に乗り入れます。
私が中国にシチメンソウがあるのに驚いたように、
中国の人が上空から東与賀のシチメンソウを見て同じように驚くかもしれません。
地球はひとつです。喧嘩をしてはいけません。

きのうの夜、バルーン大会が終ったあと、
オーストラリアからのバルーンチームが民泊している同級生の家を訪ねました。
ちょうど、お別れの宴が開かれていました。
オーストラリアチームの中に、同級生と私と同じ1942年生まれの医師が居られました。
同い年ということで話がはずみましたが、
往診は自家用の飛行機で行くというのに驚きました。
TPPは、そんな国の農業と渡り合うことになるのかと思うとぞっとします。

今週は、きょう(7日)バルーン大会の表彰式のあと、
午後、宮城県の気仙沼に向かいます。
佐賀市は東北に43人の職員を支援に出しましたが
この内、38人は気仙沼市に入りました。
今後の支援のあり方などを気仙沼の副市長と相談してきます。
仮設住宅や復興の様子を視察してきますが、
佐賀市の職員から募金した支援金や佐賀の米も持参します。

気仙沼からの帰りに東京の国土交通省で
道路整備について要望してきます。
帰ってくると、経営戦略会議などの予定がはいっています。

週末土曜日の夜は、赤松公民館で市長と語る会、
日曜日は、ふれあい祭りがあるほか、
高校の卒業50周年記念の同窓会があります。
そろそろカミさんが「温泉に行きたーい」と叫びそうです。

2011年10月

2011年10月31日(月)

先週は、火曜日から中国を訪問し、
昨夜(30日・日曜)遅く佐賀に帰ってきました。

今朝の食事の美味しさに、思わず笑みが出ました。
しっとりとしたご飯、大根葉の『おこもじ』、それに海苔、
米が違うのでしょうか、炊き方が違うのでしょうか、
佐賀の食べ物には、うるおいがあります。

中国に出発したのは25日の火曜日、
まず、中国東北地方の瀋陽(旧奉天)を訪れ、
佐賀県の事務所が開設されたことを記念する行事に出席しました。

140人の訪問団の中から、各界代表の14人の代表団が
遼寧省の書記などの中国側の幹部と会い、
今後の交流を話し合いました。
瀋陽市だけで人口が800万人近くあるそうで、
佐賀県事務所を核に貿易の振興や人材の交流を図り、
農産物や焼物の輸出、観光客の誘致がすすむものと期待しています。

佐賀市単独で交流を図るには瀋陽市全体では大きすぎるので、
開発が進んで、これから人口が増える『瀋北新区』と交流しようと
瀋北新区を訪ねました。

佐賀市の農水産物を輸出したいという思いがありますが、
瀋北新区側からは、防水加工、合併浄化槽、
温泉を掘る技術が欲しいという希望がありました。

ホテルの部屋から外に目をやると、
古いアパートの屋根は雨漏りしそうなほど傷んでいました。
冬は氷点下30度にもなるところですから、
比較的新しい建物も外壁のコンクリートにひび割れが目立ちます。
こんなところにも、防水加工技術が必要なのだろうと思いました。

瀋陽はとても寒いところでした。
出かける前に、妻がコートと手袋を用意してくれましたが、
そんなに寒くはなかろうと、家に置いて出ました。
おまけにスーツは夏用でしたので、寒いこと寒いこと、
妻の助言を無視したことを反省しました。

26日に佐賀県事務所の開所式に出た後、
その日の内に、暖かい上海に入りました。
中国の春秋航空が、佐賀と上海間に、
年内にも週2便の運航を開始する予定です。
そこで、中国の旅行社とJTBの上海支社を訪ねて、
上海からのツアーは佐賀市に宿泊する日程を組むようにお願いしました。

27日の夜、友好都市の連雲港市に入り翌日から交流活動をしました。
医療分野での交流を図りたいと思いましたので、
佐賀市立富士大和温泉病院や県立病院の医師も一緒に、
連雲港第1人民病院の60周年記念式に出席しました。

病院を見学して驚いたのは、
原発事故で放射線を浴びた人を受け入れる体制を整えつつあることです。
福島原発の事故後ではなく、それ以前から取り組み、
被曝した人を収容して治療する施設、除染施設などが建設されていて、
すでに50%から70%工事が終っています。

日本は、原発事故は起こらないとして体制を整えず、
玄海原発のある佐賀県にもそうした施設はありません。
中国は事故は起こるものとして
原発のある連雲港市の病院に受け入れ施設を整えていました。

また、中医学研究所で看護師や薬剤師を養成する研修を見たほか、
連雲港市の職員研修所で、
行政のさまざまな分野の職員を育てる研修を見ました。

連雲港市の研修所には佐賀市から派遣した職員もいて、
中国語や中国の行政システムを学んでいます。
この職員が窓口になって、双方の交流が深まるものと期待しています。

瀋陽も連雲港も、20階から40階くらいの高層アパートが
雨後の竹の子のようにどんどん建っています。
日本の高度成長期を越える開発の速度に見えます。
高層ビルを見ながら、地震があったらどうなるだろう、
耐震構造になっているのだろうかと心配になりました。

中国の空気の悪さ、歩く人より車優先の社会も相変わらずです。
大気汚染は、砂埃だけでなく工場からの排気物質も混ざっているでしょう。
長く住んで大丈夫だろうかと言う不安を感じました。
中国の良いところ、悪いところ、いろいろ見させていただきました。

今週は、バルーンに明け暮れそうです。
佐賀インターナショナル・バルーンフェスタは
あす(11月1日)前夜祭のライトファンタジー、大会は2日からです。
天気に恵まれて、大勢の人が佐賀平野を訪れ、
青い空に浮かぶバルーンを見ることができるよう願っています。

2011年10月25日(火)

秋への足音が大きく速くなってきました。
庭の木や街路樹が黄色や赤に染まってゆきます。
朝夕の温度差が大きく、朝のラジオ体操は薄いジャンパーを羽織りますが、
昼はスーツを脱いでワイシャツ姿で仕事をします。

 

先週も慌ただしい日々でした。
20日から21日にかけて宮崎県の日南市で九州市長会が開かれました。
朝6時15分発の高速バスで出発して
基山で乗り換えて日南市に着いたのは昼でした。6時間もかかりました。
大分市長が「宮崎は隣の県だが遠い県だ」と言っていました。
宮崎の方は九州北部より、東京のほうが近いと感じておられるでしょう。

市長会では佐賀市が事例発表の当番でしたので、
合併と行政運営について話させていただきました。
最近改革派と呼ばれて人気のある首長の中には、
強引なトップダウンで行政が暴走している人が多くいます。

私は合併で行政区域が広くなり、全体では職員が減る中で
職員1人1人の現場からの提言を大切にしてきました。
現場から上に意見が通る、ボトムアップの成果を具体的に話させていただきました。

下水やゴミ処理は、合併前の町村ごとにしていたものを
集中的に行うことで、コストダウンを図っていますが、
下水処理では、汚泥から出るメタンガスを燃やすだけでなく発電する。
ゴミ処理では、3つの焼却炉の内、
2つ以上運転したときに発電するマニュアルを踏襲してきたものを、
1つだけ運転するときも発電しようという現場の声で、
多額の電気料金を節約できたことを話しました。

また国保税の収納率は、佐賀市は全国の県庁所在都市ではトップでしたが、
一時落ち込みました。
それが今は再びトップです。
トップダウンで指示されたことだけを忠実にこなすのではなく、
負担の公平を目指す職員の理念と意欲によって、
払える人には、きちんと払って貰うことで全国1になっています。
夜遅く集金し説得する職員の努力は
トップダウンではなく自らが率先してこそ出来るものです。

22日の土曜日、農協中央会が開いた、
TPP参加断固阻止緊急佐賀集会に出席しました。
TPPは、経済界と農業団体の対立の構造が主に報道されていますが、
国民生活への波及は、農業に限りません。
関税の撤廃、規制の撤廃や緩和は、
小泉改革後に、低賃金、非正規雇用社会が生まれたことを思い起こせば、
その危険性を感じないわけにはいきません。

関税が撤廃されれば、外国の農産物がどっと入って来て、
日本の農業は立ちゆかなくなり、
地域は崩壊し、田畑が荒れて環境にも影響が出るでしょう。
遠くから運ぶために消毒液をたっぷりかけた野菜や果物を食べる
消費者にも他人ごとではありません。

規制緩和で、物だけではなく、人もどっと入って来ることも考えられます。
多くの人が働く場を失います。
バスに乗り遅れるなと、急いでTPPに参加するのは大変怖いことです。

土曜の夜は、私の地元の本庄地区の後援会主催の
「市長を囲む会」が開かれました。
10月になると、6年前の市長選挙を思い出します。
立候補するかしないか悩み続けたあと決断した私を
励まし、応援してくださった人たちが集まってくださいました。

合併で、目を向ける地域が広くなったこともあり、
地元の人たちと話す機会は多くありません。
気心の知れた人たちとの久しぶりの懇親会の酒は、まさに美酒でした。
バス停に時刻表が書いてないなどという、お叱りも受けました。
担当に伝えなくてはならないことは、忘れないように箸袋に書き、
最後には箸袋が文字で真っ黒になっていました。

日曜日の23日に、
全国自治大学の同期生の同窓会を古湯温泉で開きました。
全国のブロックごとに持ち回りで開いていて、
前回の九州ブロックも佐賀でしたが、
今回も、ぬる湯温泉を宣伝しようと佐賀に来てもらいました。

北海道から九州まで全国各地から連れ合いも含めて33人が集まりました。
17年前、1ヶ月間、生活を共にしながら学んだだけですが、
同窓生というのは、何を話してもいい、冗談が通じます。
当時の写真と比べると、全員、頭の黒いものがなくなるか白くなっていました。

遠くから来た人は1日~2日、早目に佐賀入りして、
佐賀の街を見て回られたようで、
佐賀城の堀が皇居の外堀に次ぐ広さがあるのに驚いておられました。
佐賀城本丸歴史館を訪ねた人は、
幕末、明治にかけて、佐賀が新しい日本を創るのに力を発揮したことを知って、
感動されていました。

日曜日に長崎街道を歩いた人は、大勢が歩いていたと話しておられました。
恵比須88ヵ所巡りが効果を現わしはじめたのでしょうか。
同窓会を機会に全国の人に佐賀を知ってもらいました。
それぞれの地に帰ったあと、家族や知人に佐賀を語ってくださるでしょう。

今週は、きょう(25日、火)から中国を訪問します。
東北の瀋陽(旧奉天)に置かれる佐賀県瀋陽代表事務所の開所式に
佐賀県や各種団体の人たちと出席して、
佐賀と瀋陽の交流の芽を作りたいと思います。
そのあと、友好都市の連雲港市を訪ねます。
先ごろ連雲港の医療関係者が佐賀を訪ねて来られましたので、
医療分野での交流を図りたいと思います。

佐賀に帰って来るのは日曜日の夜遅くになります。
バルーン大会が待ち受けています。

2011年10月17日(月)

秋の色が日ごとに濃くなっています。
通勤のバスの窓や市長室から見える街路樹も色づいてきました。
イチョウ、ケヤキ、カエデ、
緑の葉が黄や茶の色に変わり秋を告げています。

 

先週、佐賀市政に功労のあった人たち28人と2つの団体を
表彰させていただきました。
佐賀市の商工業の振興に貢献した人、
民生委員、人権擁護委員、自治会役員、交通安全指導員、
休日歯科診療所の歯科医師、審議会の委員をして下さった人などです。

また。全国中学野球大会で優勝した諸富中学野球部、
高校総体で優勝した、佐賀女子高校の新体操部、
全国の人権擁護作文コンテストで最優秀に選ばれた、
東与賀の江川麻理香さん
世界水泳ジュニア選手権の男子400m自由形で優勝した、
佐賀学園の日高郁弥さんを特別表彰しました。
佐賀の若い人たちが、素晴らしい力を発揮してくれました。
力を引き出した指導者も、皆さん素晴らしい方たちでした。

13日から14日にかけて東京に行きました。
介護保険の全国総会の代表幹事をしていますので、
厚生労働省の幹部と話をしました。

介護保険は、介護の必要な人が増え、
保険料の国民負担が大きくなってきていて将来が心配され、
保険料をどの程度にするのか、次の3ヵ年計画が検討されています。
税金をどこまで投入するかでも軋轢が生じる問題です。

国民の多くが介護保険の世話にならない健康な体なら、
高齢者も生きがいのある生活が出来ます。
国に努力を求めながら、国民も自らの健康つくりに励む必要があります。

14日の朝、時間があったので、
東京新橋の宿から、日比谷公園、皇居外苑を散歩しました。
多くの都民がランニングなどで体を鍛えておられましたが
私は桜田門で気功をしました。

気功をしながら桜田門外の変を思い起こしました。
新しい時代への改革のうねりが激しくなっていた幕末に、
幕府の力で強引に藩を抑え込もうとした井伊直弼が暗殺された事件です。
相手の言い分を聞かずに力でねじ伏せ、
意見が違う相手を殺すこともいとわない時代でした。
あれから150年、今は『それなりに』意見が言える時代になりました。
東京のど真ん中で、私も考えました。

東京から帰った翌日の15日の土曜日、
清和高校の100周年記念式に出席しました。
私が高校を卒業したのは50年前です。

150年前は、チョンマゲに刀を差していた時代、
清和高校が開校した100年前は、
日露戦争に勝ち、アジア侵略の道を歩み始めていました。
50年前は、敗戦から立ち直った日本は高度成長期に入ろうとしていました。
50年ごとの節目の出来事を考えました。

土日の週末は、各地で秋祭りがありました。
土曜日は川副の海童神社の秋祭り、富士町では3ヶ所で秋祭りがあり、
私は、市川のおくんちに出かけて、天衝舞浮立を見ました。
日曜日は、諸富の新北神社、久保田の香椎神社の秋祭りで、
新北神社の三重の獅子舞を見させていただきました。
各地で伝統文化を守り続ける人たちがおられます。

 

 

前の週末のスポーツ行事、先週末の秋祭りは、
それぞれお世話をする人がいて成り立つものです。
各地に頼もしい人たちが居られることを知り、大変心強く思いました。

今週は、きょう(17日)熊本で土地改良の促進大会、
あす18日は循誘校区の市長と語る会、
20日~21日は、宮崎で九州市長会、
22日の土曜日は本庄地区後援会主催の市長を囲む会、
23日の日曜日は自治大学の同窓生が佐賀に集まって同窓会を開きます。
さまざまな行事に追われます。

季節の変わり目で、暖かかったり寒かったりします。
体調管理に気をつけて、秋をお楽しみください。

2011年10月11日(火)

今朝、庭に出ると新しいほのかな匂いがしてきました。
満開のキンモクセイの強烈な匂いの隙間から、
ギンモクセイの柔らかいほのかな香りがしてきます。
ギンモクセイは白い花芽が出たばかり、
秋の出番をまつ花たちが、先に咲いた花の背を押しているようです。

 

私も日程に背を押されて毎日追いまくられています。
先週の水曜日(5日)
県民体育大会に向けて、佐賀市の選手団の結団式がありました。
これまで64回の大会で佐賀市は50回優勝し、今13年連続優勝中です。
選手の皆さんに、14年連続51回目の優勝を目指してくださいと激励しました。

会場で佐賀市の職員もたくさん目にしました。
スポーツの振興に尽くし、団体や地域の絆を強める
役割を果たしてくれている職員が多く居ることに心強さを憶えました。

体育の日の前日の日曜日、各地で体育大会があり、
案内を頂いたところに応援に行きました。
地元の本庄、久保田、富士、三瀬と、平野部から山間部まで車を走らせました。

地域によっては大人も子どもも集落ごと参加するところもありました。
誰も居なくなった地域は、空き巣が入る心配がありますので、
駐在所にパトロールをお願いするそうです。
この日は、お巡りさんも忙しかったことでしょう。

体育大会の会場を回る途中、
金立小学校の土俵で行われた、相撲大会にも顔を出しました。
この大会には、新大関になった柳川出身の琴奨菊も子どものころ参加したそうです。

作家の北方謙三さんを招いて、「キャラメル王国佐賀と望郷の道」という
講演とシンポジュウム形式の座談会が8日に富士町の文化ホールで開かれ、
地元や福岡などから300人が訪れました。

 

北方さんは曽祖父をモデルにした「望郷の道」という小説を書かれました。
大和町生まれの北方さんの曽祖父は
台湾で新高ドロップやバナナキャラメルを製造販売するなどして、
森永、グリコ、明治と並ぶ4大キャラメルメーカーのひとつの新高製菓を育てあげ、
晩年は富士町で暮らしました。

4大キャラメルメーカーの内3社の創業者が佐賀出身で、
森永、グリコは今も大メーカーですが、新高製菓は跡を継ぐ人が居なくて途絶えたそうです。
北方さんは曽祖父を書くことが自分の役割と思って小説「望郷の道」を書いたと話されました。

会場に森永、グリコの関係者も来られて、それぞれの創業者の苦労話もされていました。
北方さんと一緒に食事をしながら、学生運動でブタ箱に長い間入れられたことも聞きました。
いろんな人生経験をされたようです。
望郷の道は、唐津生まれの北方さんの望郷への思いもあって書かれたのかもしれません。
楽しい1日でした。

 

佐賀市の帆船模型の愛好家の柿原弘資さんから、
佐賀藩の10代藩主、直正候の御座船の
帆船「電流丸」の模型を頂きました。
柿原さんが4ヶ月かけて作られた大作です。

電流丸は、オランダから買った船ですが、
三重津海軍所にも出入りしていましたので、
三重津海軍所近くにある、佐野常民記念館に展示しました。
記念館には帆船や軍艦など30台の模型が展示され見ごたえがあります。
どうぞお出かけください。

 

きのう10日の体育の日、
小中学校時代の同級生が東京から帰ってきたので会いました。
また佐賀高校卒業生などで作る栄城同窓会も開かれました。
60年前、50年前の旧友たちと青春時代を懐かしく思い出しました。

今週は、佐賀市政に功労のあった人への表彰、
介護保険を行っている広域団体の全国の会議、
厚生省への介護保険に関する要望活動などが予定されています。

各地のグランドから、元気な声が聞えてきます。
幼稚園、保育園の子どもから地域の大人まで
たくさんの人が駆け回っています。
今週末の土日は、各地で秋祭りがあります。
スポーツ、文化の秋を存分に楽しんでください。

2011年10月3日(月)

1週間前から香り始めたキンモクセイが
涼しくなるにつれて匂いが強くなっています。
弟が植えてくれた畑のコスモスは今が満開、
ご近所の方が秋の盛りの花を楽しんでくださっているようです。

 

10月に入りました。
おとといの1日の土曜日、2つの行事が始まりました。

恵比須88ヶ所巡りが、向こう2年間の予定ではじまりました。
佐賀市の恵比須さんは、800ヶ所余りあって全国一です。
不況、災害などで辛い日々が続く今、恵比須顔を取り戻したいと、
全国から恵比須さんを訪ねてこられる人が増えてきましたので、
もっと、もっと、多く来ていただき、
お遍路さんのように88の恵比須さんを巡っていただこうという企画です。

初日の1日は、佐賀駅コンコースに70人が集まって記念式を行い、
参加者は恵比須1番の佐賀駅2番ホームの旅立ち恵比須で、
通い帳にスタンプを押してもらいました。
スタンプを押したのは観光協会会長と私でした。

88ヶ所を1日で巡るのは無理でしょう。
計画的に何回かに分けてスタンプラリーをしていただき、
10ヶ所、44ヶ所など、一定の数の恵比須さんを訪ねると記念品がもらえます。

私はこの日の朝、散歩の途中、6つの恵比須さんを巡りました。
いずれも88ヶ所には入っていない恵比須さんです。
いつもは何となく見ているのに、表情、仕草の違いをしみじみと感じました。
恵比須さんを見に大勢の人が佐賀に押しかけて来るようになれば、
関係者の恵比須顔が見られることでしょう。

 

同じ1日の土曜日から、赤い羽根共同募金がはじまりました。
私は、ゆめタウンの入り口に立って募金を呼びかけました。
遠くから寄ってきて募金してくださる人、
バツが悪そうに素通りする人、さまざまでした。
東北の大震災などに募金した人が多く募金疲れもあるのでしょう。
無理のない募金活動が求められているようです。

 

2日のきのうの日曜日から
佐賀市内一斉の秋の河川清掃が始まりました。
私の住む地区は、1週間前に済ませたので、
清掃に参加してくださった人の激励に回りました。

大勢の人たちが川に入って、ゴミや川べりに生えている草を取り除いていました。
中には、お父さん、お母さんに、中学生くらいの2人の男の子の
家族揃って出ておられる姿も見られ、頭が下がる思いがしました。

場所によっては、川から土手や道路までが背丈を越えるところもあり、
刈り取ったコモやヨシを上げるのに一苦労されていました。
高齢化など地域ごとに事情の異なる悩みがありますが、
年齢に応じて無理のない範囲で協力し合ってください。

佐賀市の河川清掃に参加してくださる人は、
春と秋を合わせると9万人を超えます。
自分たちが住む街を美しく守ろうという人たちがたくさん居られ、
佐賀市の財政を支えてくださっています。

 

きのうは、私の住む本庄神社の秋祭りでした。
河川清掃の激励から帰ると、他の予定がなかったので、
子ども神輿の巡行に付いて歩きました。
子ども神輿の巡行は、遠くから見ると何でもないようですが、
良く見ると、子どもたちはみんな笑顔を見せ、
子どもが喜ぶ姿を親たちも楽しそうに見ていました。

 

子どもたちには思い出になり、親たちは昔の思い出をたどります。
私が小さい頃、秋祭りはご馳走が食べられる数少ない日でした。
あの頃は、秋祭りの1日は笑いこけていたような気がします。

公民館で開かれた反省会にも出席しました。
地元の秋祭りに最後まで参加できたのは、
市長になってから初めてで、久しぶりに地元の人と懇談できました。

 

先週は、政策への提言や要望を聞く場が多く在りました。
三瀬と久保田で開いた移動市長室では
現場の職員の意見や悩みを聞きました。
大きな声で繰り返される住民からの要望には目が向くが、
小さな声しか聞えてこない重要な要望を見逃してはならないという声がありました。
住民と向き合う現場職員の意見は貴重です。

市長と語る会では、
NPO法人佐賀中部障がい者ふくしネットの人たちと話しました。
障がいのある人たちが、家庭や施設に引きこもらないように活動している人たちが、
多くの悩みを抱え、困難と立ち向かっておられることが分かります。

役所の助成の適用を柔軟にして欲しいという意見がありました。
例えば授産施設を3時間以上利用したときに出る助成がありますが、
障がいのある人の中には、3時間がとても長い人がいるので、
3時間未満でも適用できるようにして欲しいうことです。
それぞれの状況に応じて柔軟な対応を考えたいと思います。

農業委員会からは、農業政策への意見を聞きました。
耕作放棄地を耕作可能な農地に戻す制度への意見が出されました。
現実的な提言には、人と金の問題が出てきます。
人と金不足の中で全てできることではないので、提言を聞くと悩みが大きくなります。

ガス事業の売却をめぐって、
佐賀ガス(株)から13億円余りの損害賠償を求められていた問題で
佐賀地方裁判所の示した8億5000万円を支払う和解案に応じることにしました。
佐賀市のガス事業は、合併前の約8年半前に佐賀ガス(株)に売却されましたが、
ガス管などの資産状況をきちんと調べずに売却したことが悔やまれます。

今週は慌ただしい日々になりそうです。
バルーン大会まであと1ヶ月になったので、
きょう(3日)福岡の報道各社に、大会の報道をお願いに行きます。

6日は勧興小学校校区での市長と語る会が開かれます。
8日は北方謙三さんのシンポジュウムが富士町で開かれます。
9日の日曜日は各地で体育大会や運動会があります。

秋は、スポーツ、芸術、文化の秋です。
それぞれに楽しみ、ご活躍ください。

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