2011年7~9月のひとり言

2011年9月

2011年9月26日(月)

今朝、出勤の為に乗ったバスから外を見ていると、
主な道路の交差点に青い制服をきた警察官が立っていました。
秋の交通安全週間中の交通指導と取り締まりです。
毎日、朝早くからでしょう。本人もご家族もたいへんですね。

交差点で右折するため停車していると、
信号が赤に変わっても直進してくる車が多くみられます。
警察官が立っていなくても、運転マナーを守る社会に成熟して欲しいものです。

佐賀市の秋の一斉河川清掃は来月からですが、
私の住む本庄の西寺小路地区は、10月の第1日曜日は秋祭りなので、
9月の最後の日曜日に川掃除をしています。きのうがその日でした。

私の家の周辺も高齢化が進んでいて、
妻を亡くしたばかりの88歳の方が、川に入ろうとされたので、
「若い者が川に入りますから」と押しとどめました。
新しい団地から、若い人も出てきてくれました。

 

水の中に生えている、川藻、ヨシ、コモや
投げ捨てられたゴミを引き上げ、川べりの草を刈りました。
8時からはじめて10時半には、川はすっかり綺麗になりました。
こうした掃除は、大人数でするとはかどり、地域の人たちの連帯感も生まれます。

 

このあと私は隣りの集落にある権現神社の草刈りをしました。
この神社の境内は、5月に草を刈りましたが、
今はセイタカアワダチソウなどは太く堅くなっているので、
草刈り機を使っても少々手ごわく、昼過ぎまでかかりました。

一夜明けた今朝早くラジオ体操に行くとき、
綺麗になった川沿いを歩くとすがすがしい気分になりました。
しかし帰りに川に投げ捨てられたカップ麺の容器を見つけ、がっかりしました。
生活マナーに欠けた人がいます。情けないですね。

23日の秋分の日、諸富の文化体育館で堤杯少年柔道大会が開かれました。
この大会は、少年柔道の指導に情熱をささげた
大関の大麒麟のお父さんとお兄さんを讃える大会です。
地域や県境を越えて多くの少年少女の柔道選手がはせ参じ、
今年も佐賀、福岡、熊本、長崎から300人が集まりました。

 

このほど、大関昇進が決まった柳川出身の琴奨菊は
小学生のころ、佐賀市の神野公園少年相撲大会で優勝したそうです。
琴奨菊と相撲を取った人が佐賀にいるはずです。
地域の枠を越えた大会に参加した少年たちが
日本、世界へと羽ばたいてくれると期待します。
注目される選手にならなくても、ぶっつかり合いながら鍛えた
少年たちの心身が豊かに成長して、地域を支える人になってくれるでしょう。

毎年お彼岸に墓参りをするのがわが家の恒例ですが、
今年は娘たちも一緒に墓参りに行ける日を選んで
翌日の土曜日に墓参りをしました。
お参りするのは、妻と私の両親などの先祖、中学の恩師の墓の5ヶ所です。

花やシバなどをたくさん用意して出かけましたが、
彼岸の中日が過ぎていたので、墓にはたくさんの花が手向けられていました。
その中で遠い親戚の墓のひとつに花がなく、淋しい気持ちになりました。
墓地の1割くらいの墓はお参りする人がいないようです。

わが家の子どもは3人とも娘です。
妻の先祖にも思いをはせてくれる人と一緒になって欲しいと思うのは
私の我がままでしょうか。
ともあれ、娘と一緒の墓参りは数年ぶりのことです。
蓮池や牛津などへドライブしながらの墓参りはちょっと楽しかったです。

土曜日の午後、中国の徐福会の代表12人が佐賀市に来られました。
徐福は3000人が船団を組んで日本を目指したそうで、
船団がバラバラになって日本のあちこちの足跡を残したのでしょうか、
徐福ゆかりの地と名乗りをあげているところは全国に10数ヶ所あります。
中国は、その中で佐賀が最もゆかりの地と見てくれています。

12人の方たちは、金立神社や徐福公園などを回られ、
金立神社では、地元の子どもたちが徐福太鼓で歓迎しました。
佐賀市主催の歓迎パーティーも開きました。

 

中国の徐福会は会員10万人だそうです。
10万人が1度でも佐賀に来られると観光振興になります。
佐賀と上海を結ぶ航空路も開設される予定ですので、
徐福を生かして、中国の方に佐賀に目を向けてもらうようにします。

秋晴れが続く中、各地から運動会の声が聞えてきます。
スポーツの秋にちょっと嬉しい話を紹介します。
テコンドウの全国大会の小学4年生の部で、
東与賀小学校4年の、徳島悠生君が重量級で、山田陸君が軽量級で
それぞれ3位に入りました。

体を動かすのに絶好の季節になりました。
スポーツを思う存分楽しんでください。

2011年9月21日(水)

残暑が去って、秋の気配が色濃くなってきました。
畑のコスモスは次々と花を開いています。
先週までは、必要がないときは、スーツの上着は持ちませんでしたが、
朝肌寒かったきょう(9月21日)は、スーツを着て出勤しました。

 

おととい、19日の敬老の日に、
天山を囲む、小城、唐津、多久、それに佐賀市による、
天山祈念碑祭が天山で開かれました。
五穀豊穣や防災、登山者の安全を祈るとともに、
天山で接する自治体が、観光振興や防災などで手を携えようと
毎年開かれる恒例の行事です。

天山に登る機会は、1年に1回だけなので、
子どもが遠足を待つように、わくわくしていました。
当日の朝、まずまずの天気だったので喜んだのですが、
頂上付近は霧がかかって雨模様ということで
ふもとの分校に会場が変更になりました。

祈念碑式も終ったあとの弁当は、
天山の登山口の駐車場で食べました。
100メートル先が見えない濃い霧と、強い風が吹いていました。
駐車場には登山者の車が10台ほど停められていましたが、
頂上は相当荒れた天気だったでしょう。

天山に接する自治体は、共同でトイレの設置などを行うとともに、
携帯電話の会社に天山で携帯が通じるように要望してきました。
これまでに、NTTは通じるようになったと聞いたので、
山頂で試してみようと携帯電話を持参しましたが、
登ることが出来なかったのでテストは次の機会です。

去年の祈念碑祭では、参加者の1人が山頂で倒れ、
福岡県のドクターヘリが出動しましたが、着陸することが出来ず、
医師がヘリから飛び降りて治療し、
次に福岡の消防ヘリが患者を吊り上げて搬送しましたが亡くなりました。

福岡県のヘリコプター2機もが出動することになったのは、
佐賀県に防災ヘリがなかったからです。
天山にヘリポートが必要ですが、
東日本の大震災や今回の台風等の災害で活躍する防災ヘリを見ると、
佐賀県もぜひ防災ヘリを導入して欲しいと、佐賀県に強く求めたいと思います。
防災ヘリコプターを持っていないのは、全国で佐賀県と沖縄県だけです。

15日に、知事と有明海漁協の人たちと共に、
農林水産省と民主党に出向き、
諌早干拓の樋門の中長期に渡る開門調査を要望しました。
国は限定的な開門調査に行こうとしているので、これに待ったをかけ、
中長期の開門による有明海の環境悪化の原因調査を求めたのです。
国はこちらの気持ちは分かっているのですが、
長崎県が強行に開門に反対しているので立ち往生しているようです。

17日からの3連休の初日、
佐賀市の職員有志が裏十間堀川の川掃除をしました。
これから市民による秋の一斉川掃除がはじまりますが、
柳町の歴史民俗館など公共施設の多い裏十間堀川の掃除を
市民の皆さんにだけお願いするのは、心苦しいので
市の職員がボランティアで掃除したのです。

朝6時45分に150人の職員が集まり、午前9時まで
700メートルの川掃除をしました。
たくさん生えた細い川藻などを取り除きましたが、
天気もよく、良い汗を流しました。

いつもは上から川を見ていますが、
川の中から上を見るのもいいものです。
県外から佐賀を訪れた人は川や水路が多いのに驚きます。
モデル地区を作って、川辺を散策できるように遊歩道を整備して
川を生かした街づくりに取り組みたいと思います。
佐賀の表通りだけでなく、裏通りも楽しめる街にしたいですね。

同じ日の午後、佐賀城本丸歴史館で
青年会議所の55周年記念式がありました。
55年前、私は中学校入学前でした。
青年会議所の人たちは、長年、街づくりへの提言、労力奉仕もして
佐賀市の発展に協力してこられましたので、お礼の言葉を述べました。

きょう(21日)、市議会は決算を審査中ですが、
予定されている東北への応援の最後の職員を派遣をしました。
これまでに気仙沼などに43人の職員を1週間ずつ派遣しました。
避難所への支援などがほとんどでしたが、
これからは、復興に向けた支援になるはずですので、
派遣期間は年単位になるでしょう。
可能なかぎり支援してゆくつもりです。

2011年9月12日(月)

庭や畑に目をやると、コスモスが咲き始めました。
夏の終わりに咲く芙蓉はピンクや白い花の盛りです。
ツクツクボウシの鳴き声が淋しげに聞える一方で
朝顔はまだ力いっぱい大きく開いています。

 

秋の気配もするのですが、夏も頑張っているようで
暑さがぶり返しました。
きょう(9月12日)は残暑でなく猛暑の1日になりそうです。

朝、すがすがしい光景を眼にしました。
出勤のために、始発のバス停に着くと、市営バスの運転手の西川さんが、
濡らしたタオルで、お客さんが座る椅子や手すりなどを拭いておられました。

お客さんに少しでも気持ちよくバスに乗ってもらおうと、
発車までのわずかな時間に、車内掃除をされる姿、役所の誉れだと思いました。
バスの車体は古くても、心が通ったバスです。
そんな方ですから、車内アナウンスにも気配りが感じられます。

東日本大震災から半年が経ちました。
亡くなった人、行方不明の人は、合わせて2万人近く、
今なお、避難、転居している人が8万人余りもおられます。
佐賀市に避難して来られている人は、9月9日現在、48世帯118人です。
この方たちが、故郷の自宅に帰ることができるのは、いつになるのでしょう。

そんなおり、鉢呂経済産業大臣が問題発言で辞任しました。
稚拙な言葉に驚きます。
「放射能をうつす」は、軽い冗談のつもりだったのかも知れませんが、
原発担当の大臣が、浮かれ、はしゃいでいるときではありません。

佐賀市議会は、先週の火曜日から一般質問が行われ、
本会議はあすまでです。
議員の皆さんは、休会中に他の自治体に出かけて勉強してこられていますので、
質問や指摘を受けて勉強になることが多々あります。

それぞれの自治体のいいところを取り上げられますので、
「わが市は遅れているか」と考えこむこともありますが、
佐賀市のいいところもあり、まずまずのところにいると思います。
財政事情もありますので全てを取り入れることは出来ませんが、
議会の声も生かしてゆきたいと思っています。

週末の土曜日、朝ゆっくりできたので、
久しぶりに犬のマックスとの散歩の足を遠くまで伸ばしました。
散歩の道沿いの畑には、早くも秋野菜が芽を出していました。

わが家の畑は草に覆われているので、
これは大変と家に帰り、畑の草取りをして耕運機で耕しました。
白菜、大根、人参、レタスなどを植えたいと思います。

 

きのうの日曜日、諸富の産業祭に出かけました。
この産業祭は、33回目です。
長くなるとマンネリになる心配がありますが、
開会式のあと、幼稚園や保育園児の鼓笛隊の演奏、遊戯などを入れて、
両親や、祖父母が会場に足を運ぶ仕掛けがしてあり賑わっていました。

諸富は、木工、家具の町です。
この業界は、外国からの安い輸入品に押されて厳しい状況にありますが、
家具の展示場では、売約済みの札が張ってある家具が多く、活気を感じました。
佐賀市南部の諸富、川副、東与賀、久保田の商工会はひとつに合併されました。
大きくなった商工会の力を発揮できればと思っています。

南部では、昇開橋の塗り替えが終わり、
来年の春には、中国の慈渓市から、大きな徐福の石像が届いて建立される予定です。
観光面でも佐賀市南部が伸びることを期待しています。

諸富の産業祭の会場で、農協の人たちが
訪れた人に、ブロッコリーの苗を無料で配布しておられました。
私も前日畑を耕してたことを思い出して、苗を頂きました。
5~6センチほどの小さな苗で、畑に植えて根付くかどうか心配ですが、
たっぷり水をやり、強い日差しから守るために、黒い寒冷紗をかけました。

 

今週は、前半は市議会、
後半から週末にかけては、中小企業団体の九州大会、
青年会議所の55周年の大会、敬老会などの行事が入っています。

まだまだ暑い日々が続きそうです。
夏の疲れが出てくるころです。
休養をとりながら、秋を待ってください。

2011年9月5日(月)

ここ数日、毎日のように虹をみています。
きのうの夕方は東の空に、今朝は西の空に虹がかかっていました。
以前は、虹を見るといいことがありそうな気がしていましたが、
台風の雨で大きな災害が起きているだけに、
不吉なことが起きるような不安を感じました。

紀伊半島では1000ミリを越える雨が降りました。
のろのろ台風だったこともあるでしょうが、
信じられないような最近の気象です。
用心をしないといけないと、気を引き締めています。

9月に入りました。
1日から佐賀市議会が始まりました。
決算の審議もありますので、10月6日までの長い議会です。

1日は、議案の提案理由の説明だけで午前中で終りましたので、
昼休みの時間に、緑の街頭募金に立ちました。
緑の少年団と一緒に、議員の方たちも出られました。
東日本の大震災から募金疲れもありますので、
しつこく呼びかけることはしないで、
道を大きく開けて、少しひいて募金をしました。

佐賀市は、市民1人1本の植樹を目指しています。
24万人の70%程度の植樹をこれまでに終えました。

同じ9月1日の午後、敬老の日を前に、
100才を越える長寿の方のお祝いに行きました。
佐賀市で100才を越える方は、182人で、
市の幹部が手分けをして訪ねます。
私は、最高齢で106才の中地シゲヨさんなど9人を訪ねました。

中地さんは、13年前に亡くなった私の父が生きていれば同じ歳なので
親しみを感じながら、花束を贈りました。

100才を越えた人たちの多くは意識もしっかりして、
身の回りのことを自分でできておられましたが、
ほとんどの方は耳が聞えないようでした。
中地さんはテレビやラジオの音が聞えないので、
社会の情報を知るのは新聞だそうです。

佐賀市で100才を越えて長生きしておられる方は
4年前は130人程度でしたが、
来年あたり200人を越えそうです。
長寿社会になったことを実感します。

9月3日の土曜日、JAさが主催の豊作祈願祭に行きました。
今、米をはじめ、秋の収穫の時期を迎えていますが、
自然が相手だけに、農家は収穫まで気が抜けません。

祈願祭で神主さんが、「豊作を願うが、東北を思うと、
植え付けが出来たことに感謝しましょう」と話されたのが印象に残りました。
田畑や環境を懸命に守りながら、作物を育ててきた農家は、
原発のために作付けが出来なくなるとは思ってもいなかったことでしょう。

きのうの日曜日、
「悪魔の飽食全国縦断コンサート」を聞きに行きました。
佐賀市文化会館の大ホールは満席になり、
全国の合唱団に佐賀市の合唱団が加わった450人が、
アルモニア管弦楽団の演奏で、
人を悪魔にしてしまう戦争の悲惨さを歌いました。

森村誠一さんの小説の「悪魔の飽食」には、
中国の旧満州にあった日本軍の秘密部隊731部隊が
細菌戦の研究の為の人体実験を行い、
捕らえた中国人などを殺したことが書かれています。
小説を読みましたが、
生きた人間をマルタと呼んで、生体実験をして殺すさまは、
背筋が凍る思いがしました。

森村誠一さんが、原作を元に詩を書き、
作曲家の池辺晋一郎さんが作曲しました。

コンサートの合間に、森村さんなどのトークショーがあり、
森村さんは、
「平和を語るとき、戦争の被害者の立場だけでなく、
加害者が居ることを考えてほしい。
被害者がいつ加害者になるか分かりません。
軍人だけでなく、普通の市民が、人間から悪魔に変身して、
残虐非道なことを平然とやってしまうのが戦争です」と話されました。

今週から、市議会一般質問がはじまります。
議案の中には、
公共事業への国の補助が減額される内示を受けて、
下水道、道路などの事業費を減額する議案や、
住宅のリフォームに佐賀県が補助する制度に
佐賀市が上乗せする議案などがあり、
活発な質疑が交わされそうです。

2011年8月

2011年8月29日(月)

先週は前半は雨、後半は夏の暑さが戻ってきました。
クマゼミは大音量はなくなりましたが、
それでも晴れて暑い日は頑張って鳴いています。

そんな中、先週は、夏の終わりの恒例行事が続きました。
いずれも早朝からの行事で、自宅を午前6時とか6時半に出ました。
いつも午前5時半に起きるのが、5時前に起きる日が続きました。

早起きは平気ですが、
毎朝行っているラジオ体操や気功をしなと体の調子が整いません。
勤務が不規則なタクシーやバスのドライバーなどは
体調管理が難しいだろうなと思いました。

先週の木曜日、有明海クリーンアップ作戦が行われました。
毎年、のりの養殖シーズンを前に、夏の終わりに行われます。
漁業者やボランティアなどが、筑後川河口から有明海の沿岸に漂着したゴミの
一斉清掃を行いました。

午前6時に家を出た私が現場に着いたとき、
すでに女性たちは漁港と周辺、男性は堤防沿いなどで、清掃活動をしておられました。
先週の雨で、枯れたヨシや、ひと抱えもある丸太などの木材が
上流から大量に流れ着いていました。
ペットボトルや発泡スチロールなどの生活ゴミも混じっていました。

海のゴミは、養殖のりに付着して品質を落としますので
漁業者の皆さんは家族総出で頑張っておられました。
川は山の養分を海に運んで、黒々とした有明のりをもたらしてくれますが、
一緒に流れてくるゴミは、漁業者泣かせです。
せめて、生活ゴミを海に流さないよう、気をつけましょう。

 

佐賀市の消防団は夏の終わりに夏季訓練をしますが、
多くの消防団が、先週の土曜か日曜日に訓練をしました。
私は、土曜日は、本庄と若楠小学校、
日曜日は、諸富と北川副小学校の訓練を激励に行きました。

 

消防団の制服は、夏も冬も兼用で、厚手の生地でできています。
立って見ているだけで、制服の下のお腹や背中から、汗がタラタラと流れます。
まして訓練をしている団員の方の暑さは想像を絶するものがあります。
強い体力と精神力、それにチームワークを見させていただきました。

団長の中には私より高齢の方も居られます。
仕事を持ちながら、市民の生命財産を守るために、
訓練を重ねている消防団の姿を、多くの市民に知ってもらいたい思います。

 

きのうの日曜日、嘉瀬川で遣唐使船レースが行われました。
参加チームは50余りで、市役所チームも参加しました。
市役所チームは、参加者が多かったので、
私は諌早干拓開門請求をしているグループの船に乗りました。

練習をしていない私は櫂を漕げませんので、
漕ぎ手がリズムを合わせる鉦を打たせてもらいました。
結果は4隻で競争して3位でした。
14人ぐらいで漕ぐ船が多かった中で、
私のグループは8人で漕ぎましたので、まずまずです。

この遣唐使船レースは、
鑑真和上が嘉瀬川に上陸したことを多くの市民に知ってもらおうと
夕刊新佐賀の溝口社主が、取り組んで来られました。
今年で15回目で、年を追って盛んになり、
きのうは、嘉瀬川に1000人以上がが集まったと思います。
船の管理など、苦労が多いことでしょう。
ここまで育て上げてくださったことにお礼を申しあげます。

 

嬉しい話がありました。
諸富中学が、全国中学軟式野球大会で全国優勝しました。
この大会は、各地で持ち回りで開かれますが、
中学野球の甲子園と呼ばれています。

8月20日に和歌山で行われた決勝戦で優勝し、
26日の金曜日に選手のみなさんが喜びの報告に来られました。
諸富中は準決勝までの3試合は、すべてシャットアウトで勝ち、
決勝は1点を取られましたが、2対1で勝ちました。
守って守って、守り抜いて勝ち進んだそうです。

諸富中はおととしも全国制覇を果たしています。
皆さんと話していると、全国大会よりも
佐賀市の大会、佐賀県の大会のほうがきつかったそうです。
佐賀県の中学の野球レベルは相当高いようです。

この他、空手の全国大会で好成績を上げたチームなど、
いろいろなスポーツチームが次々と報告に来られ、
野球だけでなく、佐賀のスポーツのレベルが高いことを感じた先週でした。

また文化面でも心を豊にすることがありました。
先週の土曜日、市民会館で開かれた
「君に届けたい愛の童謡コンサート」を聴きました。

佐賀だけでなく、九州、東京などで音楽活動をしておられる、
勝田友彰さんが、視覚障がいのある人の奏でる
バイオリン、ビオラ、フルート、ピアノなどと一緒に
童謡からオペラまでを歌いました。

またオーデションで選ばれた、盲学校の6年生の古賀建成君は
童謡の「富士山」を歌いました。
目が不自由なハンディをはねのけて歌う古賀君に感動しました。
多忙な1週間で疲れた体と心が癒されたコンサートでした。

今週は9月に入ります。
市議会、敬老行事、緑の募金活動などが予定されています。

2011年8月22日(月)

子どもたちの夏休みもあと10日になりました。
夏の友に描かれた朝顔の絵に楽しい夏休みを予感したはずなのに、
休みが残り10日を切ると宿題に追われ、
夏の友や絵日記が恨めしくなった子ども時代を思い出します。

今朝、ラジオ体操に行くと、大人6人だけでした。
子どもたちのラジオ体操は、先週の土曜日(20日)で終り、
子ども声や姿のないラジオ体操は淋しいものでした。
うるさかった蝉時雨もどこかに消えて夏の終わりを感じました。

子どもたちのラジオ体操最終日の土曜日は、
ラジオ体操の会場になった本庄神社への感謝の気持ちをこめて、
大人と子ども80人の参加者全員で境内の草取りと掃除をしました。
大人数でするので、30分ほどで綺麗になりました。

 

子どもたちは、朝ごはんを食べたあと廃品回収をしました。
回収した新聞やダンボール、空き缶、瓶などは、
子ども会の役員の方の車のトランクなどで運んだほか、
子どもたちは小さな自転車の籠などに廃品を載せて運んでいました。

アリさんの行列のような可愛い子どもたちの自転車部隊が
家と廃品の集積場所を往復する姿に地域の元気さを感じました。
先週は、高齢者の2人暮らしや1人暮らしが増えたことで、
地域の衰退を感じたことを書きましたが、まだまだ大丈夫なようです。

廃品回収は、私が子ども会の役員をしていたころから30余年も続いています。
子ども会の活動費つくりではじまりましたが、
リサイクルで環境を守ることの大切さを子どもに教える場にもなっています。
廃品回収で新聞、古い布、ビールの空き缶、1升瓶などが積まれていた
わが家の小屋も、さっぱりしました。

同じ土曜日の午後、自宅の庭と畑の草取りをしました。
畑は、このところの雨で雑草が勢いを増して大きく根を張っていて、
両手でヨイショと引き抜かなければならない草もありました。

せっせと草取りをすると、雑草に埋まっていたキュウリが顔をのぞかせました。
盆前に種を播いた秋採りのキュウリは100%芽を出しました。
可愛いキュウリを守ろうと、草取りを頑張っていると、
あっという間にあちこちをヤブ蚊に刺されました。

庭の草取りをしていると、セミの抜け殻と成仏したセミの骸が
あちこちに残されていました。
元気にワシャワシャと鳴いていたセミたちの短い命を思うと、
のんびりしておれないという思いに駆られます。

土曜日の夕方から、カミさんと一緒に日新校区の夏祭りに出かけました。
日新まつりは、反射炉跡のある日新小学校の運動場に据え付けた、
カノン砲5発の空砲で始まり、私も点火しました。
火薬が多いと小学校の窓ガラスが割れますので火薬の量は少なくしてありますが、
それでも物凄く大きいドッカーンという音がでます。

 

この日は雨模様でしたので、役員の方たちはスポンジのマットで水を吸い取って
まつりの会場のグランドを整備されました。
また町区ごとに露店を出しましたが、昭栄中学の生徒が手伝っていました。
大人と子どもが一緒に地域の祭りを盛り上げている姿は美しいものです。

きのうの日曜日(21日)は、顔を出す行事がなかったので、
1日ゆっくりできて、午前中は本を読んで過ごしました。
午後はカミさんと2人で、大川の田舎の温泉に出かけました。
県外なので、知った人に出会うこともなかろうと思ったのですが、
帰り際に、佐賀市の元職員に声をかけられました。
最近は、どこに行っても知り合いに出会うような気がします。

今週は、あすから、中部広域連合の議会です。
介護保険や消防などの決算と補正予算が審議されます。

9月に入ると、佐賀市議会です。
決算委員会がありますので、1か月の長丁場の議会になります。

近所の田んぼの稲が穂を出しました。夢しずくでしょう。
あと1か月もすると黄金色になり、刈り取りの時期を迎えます。
秋が足早にやってきます。

2011年8月17日(水)

盆を過ぎると、セミの声も小さくなりました。
山間部を訪ねたとき、ツクツクボウシの声を聞きました。
コオロギの美しい音色に秋が近づいていることを感じます。

佐賀はここ数日雨が降って幾分涼しくなりましたが、
全国では猛暑が続き、ニュースは毎日のように
熱中症に気をつけるよう呼びかけています。

6月のはじめから8月11日までに、佐賀市内で
熱中症の症状で救急車で病院に運ばれた人は57人です。
去年の同じ時期は56人でした。
凄まじい猛暑だった去年とほぼ同じです。
まだまだ暑さが続きます。幾分気温が下がったと油断しないで下さい。

11日に、元市長、合併前の町長や議長、
その他、市政を支えて下さった方々、合わせて10人の初盆参りをしました。
この1年間に、佐賀市政に功労のあった方々を多く見送りました。

私の住む本庄の西寺小路でもこの1年に多くの方が亡くなりました。
西寺小路は、40~50年前に家を建てて住み始めた方が多く、
夫婦で子育てをされました。
大きくなった子どもたちは出て行き、
高齢になった夫婦が残され、夫や妻が逝って1人暮らしになった家もあります。

初盆には、子どもさんが孫を連れて帰ってきておられ、
小さな子の元気な声も聞えてきました。
お盆が終わると、子どもさんたちの姿は消えました。
1人だけ残された方の寂しさを思わずにはおられません。
かつては活気のある集落でしたが、
体が弱った高齢者を、災害時にどう避難させるか、対策が必要になってきそうです。

15日の夜、森林公園西側の嘉瀬川の精霊流しに行きました。
精霊流しは、かつては今宿や髙橋でも行われていましたが、今は嘉瀬川だけです。
佐賀南商工会の久保田地区の人たちを中心に、
漁協や、消防団、自治会の人たち120人がお世話をされました。

精霊舟は180艘で、500人から600人が
亡くなった人の御霊を浄土に送りました。
今年は、東日本の震災で亡くなった方の御霊を送る、
「がんばれ日本」と書かれた特別の精霊舟も流されました。

精霊流しの前日は雨、当日も雨模様で
ぬかるんだ河原でお盆の行事を支えて下さった方々、
ご苦労さまでした。

 

お盆の間の14日は、息抜きをすることが出来ました。
長崎県の小浜温泉に出かけました。
夕食前には、岸壁から釣り糸を垂れました。
ゴトゴトッという、小アジの当たりの手ごたえを楽しみました。
お盆に魚釣りとは不謹慎かと思い、釣った30匹の小アジと小ダイは海に返しました。

 

盆明けのあす18日は、
佐賀県の10市の市長会が開かれます。
週末は、各地で校区ごとの夏祭りが開かれます。
熱中症に気をつけながら祭りを楽しんでください。

2011年8月8日(月)

今朝(8日)は蒸し暑いですね。
市長室の冷房は、午前8時半すぎにならないと入りません。
座っていてもじっとりと汗が出てきます。
きのうの栄の国まつりで踊ったときの汗は気持ちのいい汗ですが、
こうした汗は不快です。
夏ですから当たり前なので耐えます。

夏は平和を考えるときです。
8月6日の広島原爆、9日の長崎原爆、15日の終戦、
それぞれの祈念日に、さまざまな行事が行われ平和を誓います。

佐賀市では、8月4日から7日まで、市立図書館で平和展が開かれました。
4日の開会の日に会場を訪ね、市民グループのコーラスと、
長崎での被爆体験記の朗読も聞かせていただきました。
戦争を知らない人が7割になりました。
悲惨な戦争を語り継ぐことはとても大切なことです。

同じ4日に、富士町で移動市長室が開かれた機会に
水を貯める試験をしている嘉瀬川ダムを見てきました。
高さ97メートルの堰堤を、エレベーターで一番下まで降りると
そこは湖の底にあたるので、気温は20度で快適でした。
上に戻ると、またむっとした暑さで、30分間だけ暑さを忘れさせていただきました。

ダムは水位が随分上がっているように見えますが、
通常水位の4分の3、堰堤の上まで溜めた場合の有効貯水量の6割だそうです。
今年は梅雨が早く明けて、雨が少なかったので溜まるのが遅れているようです。

水を貯めながら、ダムの歪みなどの試験をしますが、
治水のために、大雨の時に水を貯められる余力を残さなければならないので、
堰堤の1番上まで溜める試験は台風のシーズンが終ってからです。

4日の夜は、元佐賀市長の西村正俊さんのお別れ会に出席しました。
佐賀市の職員が、西村さんの生まれて此の方の足跡をDVDの映像にまとめていました。
西村さんは、パフォーマンスが嫌いで、オレがオレがと前に出る人ではありませんでした。
しかし、大雨が降ればすぐ水浸しになる佐賀市を守るために排水対策をきちんとされました。
もし、西村市長時代の排水対策がなかったら、ゲリラ的な豪雨の被害は大きかったでしょう。

今は、派手なパフォーマンスの首長が目立つ時代になりました。
調べてみると、内容のないどころか、
国民市民にとってマイナスになる改革もどきが、大手を振っています。
西村さんのような、地味でも着実な政治家も必要です。

うれしい話です。
全日本学童軟式野球大会の佐賀県予選は157チームもが出場して行われ、
佐賀市の思斉少年野球クラブが全国大会に出場することになりました。
選手の皆さんが、5日の金曜日に出場報告に来られました。

私は、選手の皆さんを、
「全国大会出場は、皆さんだけの力で勝ち取ったのではありません。
監督やコーチの指導、ご両親などの家族の支えがあったからです。
感謝する気持ちを忘れずに頑張ってきてください」と激励しました。
佐賀県の小学生や中学生の野球のレベルは高く、思斉チームの活躍を期待しています。

おとといと、きのうの土日は佐賀市の栄の国まつりでした。
どこからこんなに大勢の人が集まるのかと思うほどの、人、人、人でした。

 

今年40回を迎えた栄の国まつりは、
佐嘉神社の広場で行われていた盆踊りと、アーケード街での七夕祭をひとつにして、
「納涼さがまつり」としてスタートしました。

第1回の納涼さがまつりは昭和47年で、
私は商工観光課に勤務していたので関わりました。
はじめて中央大通りを歩行者天国にして会場にしました。
今でこそ歩行者天国は当たり前ですが、
当時は、道路は車だけでなく、みんなのものという発想は、なかなか受け入れてもらえず
駐車場を営む人などを説得してまわりました。

納涼さがまつりが、栄の国まつりへと発展しました。
このまつりを音楽で盛り上げているひとつが消防音楽隊です。
きのう、古参の音楽隊員に出会いました。
若い人が少ないので、40年間ずっと演奏し続けていると話しておられました。

栄の国まつりの締めくくりは昨夜の総おどりでした。
佐賀市の中心部は、踊る人、見物の人の波で埋まり、
2日間の人出は、22万4000人でした。
汗びっしょりになって踊りながら、
このまつりは大勢の人が関わり育ててきたのだと感慨にふけました。

 

まつりが終ったらまた仕事です。
今週は、来年度の事業の戦略を検討する経営戦略会議を開きます。
この会議は佐賀市の幹部職員で構成しています。
市政をどう見るか、市民の声をアンケートで集めていますので、
こうした声をどう反映させた事業を行うか、議論します。

まだまだ暑い日が続きます。
栄の国まつりでは、ベビーカーに乗った赤ちゃんをたくさん見かけました。
地面近くにいる赤ちゃんには、道路の照り返しの熱が伝わります。
どうぞ、赤ちゃんの立場になって守ってください。
もちろん、若い人も、年齢の多い人も、熱中症に気をつけて
休養と、水分を充分とってください。

2011年8月1日(月)

きょうから8月です。
朝ラジ、まなざし、朝ごはん運動を盛り上げるための
一斉ラジオ体操の日で、市内各地でラジオ体操が行われました。

私はいつものように、本庄神社のラジオ体操に参加しました。
子どもが40人、大人が30人参加しました。
本庄神社では、夏休みの間、6年生の男子と女子が交代で前に出て、
参加者に向き合って、ラジオ体操をします。

照れ隠しに、デレデレと体操をすると、
お年寄りの参加者から、「シャッキとせんかい」という声が飛びますので、
6年生は、気分を引き締めて、体操をしていました。

朝の空気の中で体操をすると、
蝉たちも負けじと大きな鳴き声を出して、
ラジオの音が蝉時雨にかき消されそうになります。
クマゼミが一斉に鳴きはじめるのは、
ついこの前までは午前6時40分でしたが、
最近は6時ごろからワシャワシャという声が聞えてきます。

 

ソウルで大きな被害を出した豪雨に驚いていると、
今度は新潟、福島で豪雨による大きな被害がでました。
7年前の大災害のときよりも、さらに多くの雨が降りました。

佐賀では、なんとか7月を無事乗り切れたと思ったのですが、
いつどこで集中豪雨になるか分かりません。
ある程度の大雨に対しては、精一杯対策を取っていますが、
それ以上の雨が降らないことを願うばかりです。
日本各地で、避難、避難、という事態が続いていますが、
早く収束してほしいものです。

新潟の大雨の翌日の新聞の朝刊1面トップは、
大雨による被害の記事と写真と思っていましたが、
原発説明会の「やらせ」問題でした。

電力会社を監督する立場の国の保安院が「やらせ」の背後にいた問題に続いて、
佐賀県知事の発言が、九電のやらせメールを誘発したという問題です。
信じられない、信じたくないような内容です。
事情をよく知らないので、コメントは出来ませんが、
首長の発言は、発言者の意図以上に波及することがあります。
同じ首長の1人として、誤解を招く発言がないように注意します。

亡くなった人が叙勲を受ける死亡叙勲の伝達が
先週2件、今週1件ありました。
先週は大和、東与賀、今週は三瀬の方です。
お盆前の叙勲の伝達は、嬉しいことではありますが、
生前、叙勲を受けることができたら、どんなに喜ばれたことだろうと思いました。

先週は、農林水産省に、土地改良事業の要望に行きました。
地震と津波で大きな被害を受けた東日本の復旧に財源が必要です。
そんなときに、国に事業を要望することは、気が引けるところもあります。
しかし、計画的に進めてきた事業は、計画どおり行って欲しいとお願いしました。
あらたに新潟、福島で大きな水害がおきました。
被災地ではない地域の事業に影響を及ぼす恐れがあります。

農水省では、節電のためにエレベーターの3分の1は停められ、
冷房の温度は高め、照明も減っていました。
職員が、蒸し暑くて薄暗いなかで仕事をしている傍を、
我々のような地方から要望に来たものが、うろうろするので、
随分迷惑だろうなと、ここでも気がひけました。

きのう、7月31日の日曜日に
消防団の消火活動の技を競う、
佐賀県消防操法大会が、佐賀空港東側の広場でありました。
佐賀市からは、北部方面隊富士支団と中部方面隊金立分団が参加しました。

出場する消防団は3ヶ月から5ヶ月間、
朝の仕事前や、仕事を終えたあと訓練を重ねてきました。
選手ばかりでなく、訓練を支えた同僚や、家族のみなさんの努力によって、
いざというとき発揮する力が付きます。

開会式は午前10時から500人が整列してはじまりましたが、
途中数人が隊列を離れました。
訓練を重ねた人でも体調を崩してしまう真夏の炎天下の大会でした。

消防団に加わっている佐賀市職員の顔も10数人見ました。
職員が職場だけでなく、地域で頑張っていることに歓びを感じました。

東日本の地震と津波の被害では、
消防団員の活躍と殉職などが重ねて報道されています。
災害発生時に頼りになるのは消防団ですが、
できれば活躍の場がないように願っています。

 

今週は、佐賀市平和展が、
8月4日から7日まで、佐賀市立図書館で開かれます。
「漫画家たちの8月15日展」が中心テーマで、
有名な漫画家が平和を願って描いたマンガが展示されます。

8月6日と7日は、栄の国まつりです。
6日の夜は、前夜祭と花火大会があります。
祭りの間は、どこから集まってきたのかと思うほどの賑わいになります。
祭りに参加する人たちは、暑さ覚悟でしっかり汗を流されますが、
参加する人も、見物する人も、
しっかり水分を摂って、体調には気をつけてください。

2011年7月

2011年7月25日(月)

夜明け過ぎから鳴いていたニイニイゼミの声は
午前6時40分頃からクマゼミのワシャワシャという大合唱にかき消されました。
クマゼミの声を聞くと、きょうも暑くなると思います。

 

先週の水曜日(20日)
「まちづくり50人委員会が開かれました。
この委員会は、中心市街地のまちづくりを考える会で、
地元の自治会、商店主、公募に応じた市民、建築家、
それに行政関係者などで構成されています。

委員会では、最近開いたコンテナショップや
NHKと商工会館の移転などを見据えて、
どう中心市街地を蘇らせるか意見が出されました。
委員の中には、まちづくりに自ら関わって汗を流している人も多く、
街を愛する人たちの願いがこもった意見が出ます。

今佐賀市は、公的な機関を市の中心部に移して
中心部の人通りを多くする政策をとっていますが、
公的機関だけでは、土日に人の出入りが減ることを心配する委員もおられました。
こうした意見をまちづくりに反映させてゆきます。

22日金曜日の夜、東京佐賀県人会が開かれました。
会場の品川に早めに着いた私は、佐賀市のまちづくりの参考になればと、
北品川の商店街を見て回りました。

日本を代表するホテルが並んでいる街の中に、
八百屋、魚屋、菓子屋、米屋、花屋、薬屋などが並んでいました。
東京では、大都会の中に昔ながらの商店街があちこちにあります。
北品川の商店街の道路は、真ん中を車の一方通行にして、
両側に歩道がしっかり確保してありました。
一方通行は、地元で暮らす人には不便ですが、
地域の人も協力して商店街を守っているようでした。

このあと、バルーン大会を支援して下さっている
ファミリーマートと、お茶の伊藤園を訪ねてお礼を言いました。
ファミリーマートの常務は佐賀市の西魚町の出身で、
私の住む本庄の近くですので、昔話に花を咲かせました。

お茶の伊藤園の副社長は、川副出身です。
この会社は設立して50年も経っていませんが社長と共に、ここまで大きくしたそうです。
佐賀出身の方が、各界で頑張って、
故郷で開かれるバルーン大会を支援してくださっているのに心を強くしました。

東京佐賀県人会は300人が集まられました。
牛津にわかに、大笑いしたあと和気あいあいの会合になりました。
佐賀市出身の方が、佐賀市にふるさと納税してくださると言ってくださいました。
原発については、みなさん、それぞれのお考えがありますが、
玄海原発の今後はどうなるのだろうと心配しておられました。

東京佐賀県人会の新しい会長に
三瀬出身の弁護士の嘉村さんがなられました。
こうした会を運営するのは、
個人情報保護もあって、名簿を作りも思うにまかせず、
役員の方は、苦労が多いようです。

今週は、土地改良で九州農政局に、
ダムの水の弾力的運用で、九州地方整備局に要望に行きます。
今年は、今のところ水不足の心配はありませんが、
いつ渇水になるか分からないので、お願いしておきます。

週末はまた、国への要望活動で上京します。

2011年7月20日(水)

台風は九州に上陸せず、
佐賀は雨も風もたいしたことはありませんでした。
徳島に上陸したようで、関西以東の方は心配でしょう。
大震災の東北に影響が及ばなければいいのですが。

今朝早く、ウコッケイに餌をやりに行くと、
トリの運動場の網の内側に、クマゼミが引っかかっていました。
鳥小屋の内側の土から出てきて羽化したようです。
鳥小屋には木がないので、樹液を吸うことも出来ず弱っていました。
近くの木の枝に移しましたが、下の草むらに落ちてしまいました。

 

そのあと、ラジオ体操に行った時、木の葉が舞っているかと思ったら、ニイニイゼミでした。
そのニイニイゼミをスズメが追いかけていました。
カラスがセミを狙うのは何度か見ましたが、スズメがセミを追うのを見たのは初めてです。
セミは木の葉のようにヒラヒラ身をかわして無事逃げました。
セミも地上に出てきても生きていく環境は厳しいようです。

市長室の南側から、ワシャワシャというクマゼミの鳴き声が聞えてきます。
クマゼミの声を聞いただけで暑くなります。

いよいよ夏本番で、
16日の土曜日、多布施川の護国神社前の水遊び場がオープンしました。
地元の小学生や幼稚園児などと一緒に、
私もズボンの裾をまくって素足で川に入りました。
事前に、地元のライオンズクラブや、
小学校の子ども会の役員の方たちが川掃除をして
新しい白い砂も入れたので、気持ちよい水遊びでした。
自然の川で遊べる子どもたちは幸せです。

子どもたちは夏休みに入ります。
事故のない休みであって欲しいと願っています。

 

7月13日に、佐賀市に進出した(株)ビジョンの事務所の開所式がありました。
東京に本社のあるビジョンは、
コールセンターや、起業を目指す人たちを支援する業務などをします。
今は50人ですが、将来は新に100人程度を採用するそうです。

執務室の壁に、
「真剣だと知恵がでる。いい加減だと愚痴がでる。
中途半端だと言い訳がでる。結果は能力の差ではなく意識の差」という
社員への呼びかけが架けられていました。
なるほどと思いました。

この会社の社長は鹿児島県出身で、
鹿児島に支店を出す心づもりをしておられましたが、
ある会合で佐賀県の古川知事と同席になり、
佐賀市を紹介していただき、佐賀市が誘致しました。
非正規社員のほうが多いようですが新たな雇用の創出になると喜んでいます。

NHKと商工会館が佐賀市の中心部に移転する
移転協定の調印式が14日にあり、
NHKと商工会館、佐賀県、佐賀市が調印しました。

佐賀県庁の濠の向い側にある商工会館が
佐賀市の中心商店街に移転し、商工会館跡地にNHKが移転します。
NHKの移転完了は平成29年の予定です。
佐賀市の中心市街地を活性化させるために、
公的機関に中心地に移ってもらう作戦のひとつが成功しました。
他の公的機関にお願いするばかりでは申し訳ないので
新しい商工会館には、佐賀市の機能の一部を移すことにしています。

同じ14日に、天山地区のゴミ処理施設の組合の解散式がありました。
合併前の小城、三日月、牛津、芦刈、久保田の5町は
天山地区のゴミ処理組合を置いて、牛津にある施設でゴミを処理していましたが、
4町が合併して小城市になり、唐津市で処理することになりました。
また久保田は佐賀市と合併したので、共同の処理組合を解散しました。

ゴミ処理場は地域の人も行政も悩み苦しむことが多い問題です。
40年に渡ってゴミの処理にあたってこられた関係者や
協力された地域の人たちにお礼を申しあげます。

かつて一緒に自治大学で学んだ人たちの同窓会を
今年の秋、古湯温泉で開きます。
同窓会は、毎年全国各地で開いていて今年は九州が当番で、
佐賀市に観光客を増やしたい私は古湯温泉を提案しました。

その打ち合わせのために、九州の同窓生と連れ合いが、
3連休最終日の18日に古湯温泉に集まりました。
あれから20年、みなさん酒量は落ちましたが、
みんなで、ぬる湯に浸かりながら、
若い(?)情熱をぶっつけあった思い出を語り合いました。
全国から集まる同窓会では、佐賀の良いところをたくさん見てもらおうと思っています。

今週末は、東京佐賀県人会が開かれます。
ふるさとを離れた人たちに、今の佐賀を伝えます。

2011年7月12日(火)

梅雨が明け、空の黒い雲がとれると猛烈な暑さになりました。
ここ数日、夜は夕立のあと涼しくなって凌ぎやすいのですが、
ただ、おととい10日の日曜日の雷雨と冷たい風は
夕立という情緒のある雨ではなく、赤道直下の地域のスコールのようでした。
佐賀が熱帯の気候に近づいているのではないか心配です。

朝の内は涼しく、今朝も犬のマックスと散歩に出ると、
田んぼのツユクサの青い花が、朝露にぬれて、すがすがしさを感じました。
しかし陽が昇ってくると、日中の猛暑が予想されます。

 

先週は、開いた口が塞がらないというような出来事が続きました。
松本復興大臣が、東北の知事に、
「知恵を出さない奴は助けない」と発言しました。
人権団体出身の人が、「奴」という言葉を使うとは、正気の沙汰とは思えません。

一瞬、菅総理を道連れに引きおろすための暴言かとも思ってしまいました。
天災、原子力災害を受けた東北の被災地の人の神経を逆なでする人災的発言です。
九州の人間なのでという言葉もあったようです。九州人として迷惑なことです。

次に驚いたのが、原発のストレステストです。
ストレステストそのものは、いいのですが、
原発の安全宣言を出して、玄海町長が再稼動を受け入れたあとに
ストレステストを出してくるのは解せません。
総理と取りまきの人たちの関係はどうなっているのでしょうか。

次にあきれたのは、九州電力のやらせメールです。
世論操作をしよう、世論操作が出来ると考えてしまうのは
独占企業の体質なのでしょうか。

その後、九州電力関係者から知事への献金、
玄海町長の関係企業が、原子力関係の仕事を受けていたことなどが
報道されています。

佐賀県の首長の1人として
同じような指摘を受けることがないように、わが身を見つめてゆきます。

8日に、多久市で佐賀県主催の原発説明会が開かれました。
原発に対する慎重意見や
電力事情も考えて、玄海原発の運転を再開すべきだなど
賛否の意見が出されました。

意見を堂々と言い合うのはいい事です。
しかし、自分と違う意見に罵声を浴びせるのはいかがなものでしょう。
まず、相手の意見を聞く姿勢がないと説明会は成り立ちません。

この1週間、いやな思いをしながら、
人としての在り方を考えさせられました。

次に週末の行事で考えたことです。

10日の日曜日から佐賀市民体育大会が始まりました。
ことしは64回目の大会です。
第1回は昭和23年、戦後、社会に落ち着きが戻っていないころです。

東日本の大震災から4ヶ月、まだ復興への槌音が聞えてきませんが、
食べ物も、運動用具も、揃っていない戦後、
立ち直るためにも、市民体育大会をやろうとした人たちの思いと情熱が
戦後の復興を成し遂げる力になったはずです。

私も一時期、住んでいた本庄地区でのチーム作りにかかわりました。
思うようにチーム作りができずに、気持ちに余裕を失ったとき、
こどもに火傷をさせたという辛い思い出もあります。
市民体育大会の開会式に出席しながら、さまざまな思いがよぎりました。

大会は24日までです。
暑い時期ですので、選手、役員の皆さま、
体調に注意しながら、大会を進めてください。

 

同じ10日の日曜日、ほほえみ館で、
東日本大震災で、佐賀市に避難してこられた人たちとの交流会が開かれました。
「iーいやし たのし さがし」という交流会で
避難した被災者がバラバラにならないようにと被災者の有志で作る
「iーくさのねプロジェクト」と佐賀市の福祉ボランティア協議会などが開きました。

交流会は、バルーンの係留飛行を楽しんだ後、
レストランのシェフの指導で、
みんなでシシリアンライスを作って食べました。

私は市民体育大会の開会式のあと駆けつけましたが、
そのとき、避難して来られた方は、福島、宮城、東京、千葉など6つの都県の
20数人が居られました。

佐賀市に避難している人は今50世帯100人で、
市営住宅などのほか、知り合いの家に身を寄せている人もあります。
最も多いときは160人でしたので、今は減少傾向にあります。

交流会を開いてくださった方、ご苦労さまでした。
こうした交流会が、不自由な避難生活でのストレスを癒してくれるでしょう。
佐賀の生活を楽しみ、佐賀の良さを知っていただければと思います。

今週も、いろいろな団体の総会などが続きます。
合併で佐賀市が関係する組織が多くなったので出席する総会も増えました。
佐賀市と友好都市になっている中国の連雲港市の市民病院や衛生局の幹部が
今佐賀市の医療の視察に来られていますので、きょうはその歓迎会を開きます。

これから当分、暑い日が続きます。
休養と水分を充分取って、体調を整え、
熱中症にならないよう気をつけてください。

2011年7月4日(月)

きょうは、週末の動きを中心に報告します。

先週の金曜日(1日)佐賀市議会が閉会しました。
提案した全ての議案を可決していただきました。
特に力を入れてきた中心市街地の再生に向けての取り組みも
承認していただきました。

中心市街地の再生に向けて、
公の機関を市の中心部に来ていただくよう働きかけていますが、
古くなった商工会館を白山の中心部に移し、
商工会館の跡地にNHK佐賀放送局に移転してもらうことにしています。

関連議案が承認されましたので、GOサインが出ました。
NHK、商工会館関係者、佐賀県、佐賀市で協定を結んで
具体的に動き始めます。

金曜日は、議会が始まる前の慌ただしい時間にインドからのお客さんがありました。
インドの商工会議所の専務理事で、
インドと佐賀市の経済交流を図ろうと去年の秋に続いての来訪でした。

金曜日の夜は、
佐賀市の各種団体総ぐるみの街頭活動がありました。
恒例になっている年2回の活動で、
さまざまな団体の方たちが出て、自転車の正しい乗り方、点灯を指導しました。

私は嘉瀬地区の6ヶ所の交差点を回って、
忙しい夕方からの時間に街頭に出られた方の労をねぎらいました。
嘉瀬地区は郊外なので、中心部で指導を受けてきた自転車はきちんと点灯していました。
蒸し暑い夜、蚊に刺されながら街頭指導してくださった大勢の方にお礼を申しあげます。

土曜日(2日)の午前中、
三瀬の診療所で歯のインプラント治療を受けました。
下の2本の歯のインプラントは終りましたが、今、上の2本を治療中です。
土台の柱を入れたあとに固いものを噛んでしまったので柱がぐらついてやり直しましたが、
今回は治療中なのを忘れて歯を磨いてしまい、どっと血が出て驚きました。

自宅の近くに歯医者さんはたくさんありますが、
佐賀市の診療所を利用しようと、三瀬まで出かけていますが、
不注意な私は、何度も通わなくてはならない羽目になっています。

家の近所の川で、水面を伸びて広がる水草が生えているのが気になっていました。
私たちは「ハリガネ草」と呼んでいますが「キシュウスズメノヒエ」だろうと思います。
水面を針金のように伸びて広がります。

川一面に広がると水から上げるのに苦労しますので、
土曜日の午後、雨が降っていましたが川に入りました。
少しの間だけと思ったので、半そでシャツで川に入りましたが、
あそこもここもと草を上げたので2時間半もかかりました。

長袖シャツではなかったので、腕のあちこちを蚊に刺されましたが、
気になっていたことを処理し終えた満足感がありました。
水から上げた草の多くは広場に積んでおきましたが、
あとで近くを通りかかると、子どもが草を川に投げ込んで遊んでいました。
傍に親がいましたが、悪い事をしているという感覚はないので、注意しようとしません。

注意しようと歩み寄ったとき、2組の親子は遠くに去っていました。
川に投げ込まれた草を引き上げながら、
小さな子どもは分からないだろうけど、
大人は、誰かが川から上げた草だと想像してほしいと思いました。

 

私は、きょう7月4日が誕生日です。
友人や妻が、お祝いの食事に誘ってくれたので、土曜日の夕方街に出ました。
先日オープンしたコンテナショップを訪ねると、
提案した建築家の西村さんや地元の人、市の職員などが芝生を張り替えていました。
みんなが力を出している姿が美しく見えました。
このあと、銀天夜市に行こうとしましたが銀天夜市は来週からでした。

きのうの日曜日(3日)、墓参りをしました。
いつもは誕生日の朝、菩提寺にお参りに行きますが、
1日早く、菩提寺だけでなく、妻の両親、恩師の墓など4ヶ所を回り、
「あす69歳になります。私を産み育て、見守ってくださってありがうございます」と
合掌して、感謝の気持ちを先祖や恩師に伝えました。

きょうは、西九州大学と災害時の要援護者への支援に関する協定を結びます。
西九州大学には福祉学科がありますので、
災害時の避難所の設置や運営、
避難所で援護が必要な人への支援や助言をお願いします。
また大学の施設の開放もお願いします。
災害時の弱者への支援を盛り込んだ協定を大学と結ぶのははじめてです。

今週と来週で、2回市長と語る会を開きます。
きょう(4日)が、中川副、15日の金曜日が三瀬です。

(C)ひでしま敏行後援会. All Rights Reserved.