2011年4~6月のひとり言

2011年6月

2011年6月27日(月)

今日(26日)も雨になりました。
大雨になるという予報も出ていますので心配です。

早朝は、雨が降っていなかったので
いつものようにラジオ体操に行き、犬のマックスと散歩しました。
自宅近くまで帰ってきたとき、
近所の高齢者の方がタクシーで出かけられました。
いつもは庭の掃除や散歩をしておられる時間です。
その方の妻は、2ヶ月前から入院しておられますので、
病気が重くなったのではないかと心配しました。
取り越し苦労であることを願っています。

先週まで市議会の一般質問が続きました。
災害や原発に関する質問がほとんどでした。
防災に努めますが、災害は100%防げるものではありません。
いざというとき、正確な情報を速やかに住民に伝えることと、
適切な対応が求められます。

災害が発生したとき、役所流儀の仕事で時間を浪費してはなりません。
佐賀市は合併で広くなりましたので、
素早く対応できるように、支所長に権限を委譲しています。
いちいち本庁に相談するのではなく、
通行止めや避難など、独自の判断で対応して、
事後、本庁に報告してもらうことにしています。

権限は支所長に与え、責任は私が取ります。
その上で、被害が出たら、復旧対応は全市を挙げて集中的に取り組みます。
梅雨末期の大雨災害に充分注意してください。

きのうの日曜日、原発説明会が開かれました。
公開の会場ではなく、ケーブルテレビで中継するという異例の説明会でした。
私もぶんぶんテレビで見ましたが、
もっと幅広い多くの質問を受けて答弁できなかったかと思いました。

前もって質問を受け付けて、手際よく答弁するのも、ひとつの方法ですが、
これは、どの質問を取り上げるか、主催者の意思が働くと、問題はあります。
時間が短すぎたようにも思います。

こうした説明会の運営は、大変難しく、必ず批判が出ますが、
やはり、一般の人が話を聞くことのできる、公開の会場で開いて、
それをケーブルテレビで中継するのが妥当と思います。

残念だったのは、原発反対派の質問が聞けなかった事です。
出席を拒否した理由はあるでしょうが、やはり意見を聞きたかったです。

家の近所の権現社の草が伸び放題になっているのが、気になっていたので、
おとといの土曜日、さまざまな行事へのお誘いを断って、草刈りをしました。

この権現社は、鍋島直茂候の誕生の地で、
5月の連休に草刈りをしたばかりですが、
その後の暑さと梅雨の雨を受けて境内の雑草は伸び伸びと育っています。

長袖シャツを着て、ゴーグルを付けての3時間の草刈りで全身汗まみれになり、
煮えたぎった体はいつまでも冷えずに、脈拍は100を越えていました。
気持ちは若くても、体は正直です。

今朝、権現社の前を通ると、わずか2日間で5センチも伸びた草がありました。
あと数日で、雑草に覆われた境内に戻りそうです。
草刈りのあと、3キロ減った体重も元に戻りました。
なんだか、雑草にせせら笑われているような気になりました。

 

今月になって訃報が続き、黒いネクタイをすることが多くなりました。
先週は、西村元市長が亡くなりました。
酒の強い、バケモノのように丈夫で元気な方でした。
90歳は大往生と言えるでしょう。

葬儀では仲間の方たちが弔辞を読まれましたが、
どの方も、細身の体でシャキッとしておられました。
元気で長生きな人は、体型が違うと思いながら、
大きく出た、自らのお腹を思いました。

市議会は7月1日に閉会します。
面会を申し入れてこられた人に待っていただいていますので、
色々な方にお会いすることになります。
7月4日には、市長と語る会が、中川副で開かれ、
ここでも市民の方の意見を聞きます。
全ての方の声を誠実に聞こうと思っています。

2011年6月20日(月)

きのうの父の日、
横浜の次女から甚平風のシャツをプレゼントされました。
去年もらったシャツの色違いです。
何がいいと聞かれたので、私がリクエストしたのです。
梅雨の長雨も、夏の暑さも忘れさせてくれる爽やかの肌触りです。

 

長女と、3女は、
来月4日の誕生日にプレゼントをくれるはずですが・・・・。

うっとうしい雨が続いています。
子どもの頃住んでいた藁葺屋根の家の土間(当時はニワナカと呼んでいました)は
夏の間はひんやりと涼しかったのですが、
梅雨の長雨が続くと、土の表面が霧吹きをかけたように濡れてきて
やがてカビが生えました。

親たちは、「ニワナカにカビが生え、ハゲ雨が降らないと梅雨は明けない」と言っていました。
ハゲ雨というのは激しい雨の意味だったのでしょうが、
子どもの私は、草をなぎ倒して、地面が禿げて見えるほどの雨と思っていました。

去年は多くの地区で大雨の被害を受けたので、
復旧工事が完全に終っていなくて、
山間部の田んぼは、仮復旧で田植をしたところもあります。
ハゲ雨だけはご勘弁願いたいものです。

先週、西日本新聞に、
「原発支える票とカネ」という記事が掲載されました。
電力会社と政治の癒着を書いた記事です。

この中で、2005年(平成17年)の佐賀市長選挙で、
事務所に呼ばれた九州電力関係者が自民党県議から、
「こっちを応援せんならプルサーマルを止めるぞ」と、どう喝されたと書かれています。
そのあとに、「新人は激戦を制して初当選、
玄海原発のプルサーマルが動きだした」と書かれています。

そのときの選挙の新人とは私です。
私の事務所に、九電関係者が呼ばれた事実はありません。
まして、プルサーマル導入で私が何らかの行動を起こしたことはなく、
行動する意志も、権限もありません。

記者の記憶違いか意図的な記事か分かりませんが、筆の暴力です。
他の報道関係の方と話すと、皆さん抗議しなさいと言われました。
今は市議会開会中で動けませんが、
西日本新聞に抗議するつもりです。

先週の金曜日(17日)から
佐賀市議会の一般質問が行われています。
質問する議員の半分以上が防災問題を取り上げられます。

東日本の地震、津波に加えて、制御できない原発事故が起こっています。
原発の安全神話が一気に崩れたのですから当然の質問です。
安全が確保できなければ原発は運転すべきではないという姿勢で答弁しています。
市議会は今週の金曜日まで、一般質問と議案質問が行われます。

川副スポーツクラブが佐賀県から表彰されたことを祝う会が
先週の木曜日(16日)に開かれました。
川副町は合併前からスポーツクラブの活動が活発で、
球技、陸上競技、武道など、さまざまなスポーツで
健康や、絆、人づくりなどに取り組んでこられました。
会員は1000人を越え、指導者も140人もいらっしゃいます。

佐野常民を生んだ川副は、
幕末から明治にかけて三重津海軍所があって人材を育ててきました。
そうした伝統が、優れた人材を生み出しています。

きのうの日曜日(19日)
佐賀市身体障がい者福祉協会連合会の総会に出席しました。
障がい者手帳を持つ人は、
手足や視覚、聴覚の障がいだけでなく、心臓手術を受けた方などもおられます。
障がい者手帳を持つ人で、障がい者福祉協会に入っている人は1割程度だそうです。
こうした団体の活動で、障がい者福祉のサービスは充実してきました。
役員の方たちは、サービスを受けるだけでなく、運動に加わって欲しいと話しておられました。

佐賀市は今、災害時に避難するとき、
支援が必要な人を周辺の人が手助けするために、
障がい者の方に登録を呼びかけていますが、応募する人は多くありません。
東日本の大震災で、みんなで助け合うことの大切さを学びました。
支援が必要な方はぜひ、市役所に登録してください。

先々週、先週と訃報が続きましたが、今朝も訃報が入りました。
佐賀市の元市長の西村正俊さんが亡くなりました。
病院にお見舞いに伺ったとき、
テーブルの上に酒の2合瓶が置かれていたので、
まだまだお元気だと思っていたのですが・・・・。
私が佐賀市の職員時代から指導していただいた方です。
ご冥福をお祈りいたします。

今週も市議会一般質問の答弁で議場にいる時間が長くなります。
議員だけでなく、執行部側も、ノーネクタイに上着なしです。

まだまだ雨が続きそうです。
地盤が緩んでいるので、警戒してください。
じめじめした天気の上に、梅雨寒で肌寒い日もあります。
どうぞ健康に注意してください。

2011年6月13日(月)

週末は激しい雨が降りました。
きのうの日曜日、所用で役所に寄ると、
建設部などの職員が作業服姿で情報収集などに当たっていました。

午後、河川の増水状況を知る目安にしている
十間堀川の水位が上がっていたので心配しましたが、
その後雨が小降りになり、ひと安心しました。
まだ6月上旬です。大雨、集中豪雨に警戒する日々が続きます。

長雨が続いても、心や体にカビが生えないように
家の中で気功やラジオ体操をしていましたが、
今朝は久しぶりに雨が上がり外に出ました。
すると、ニワトリに餌をやるわずかな時間に3ヶ所蚊に刺されました。
雨のあとは、どっとヤブ蚊が増えますので要注意です。

朝、出勤のために乗ったバスの乗客は私を含めて4人でした。
あと数人は乗って欲しいと思いましたが、
佐賀大学方面に行くバスは、東京のラッシュ時のように大勢の人が立っていました。
朝、臨時のシャトルバスも出している路線なので、気になっていたので、嬉しかったです。

地方のバスは、高齢者や子どもなどの弱者には欠かせません。
先週開かれた全国市長会でも、国に助成を要望することを決めましたが、
多くの人がバスを利用することが存続につながります。
みんなでバスに乗りましょう。

先週の金曜日、
富士大和温泉病院で眼科の精密検診を受けました。
人間ドックで視神経が萎縮している疑いがあると指摘されたのですが、
検査の結果、異常はありませんでした。
その日は検査結果だけでなく、
1便早く乗ったバスの乗客が多かったことも嬉しかったです。

11日の土曜日、
佐賀市松原の、親和銀行跡地に
佐賀ワイワイコンテナプロジェクトがオープンしました。
佐賀市出身の建築家西村浩さんの街おこしの提案によるものです。

貨物を運ぶコンテナを改良した店で、
コーヒーを飲みながら本が読める憩いの場です。
芝生を植え、建物を創るのに、市民がボランティアとして加わりました。
素人なので芝生も少しは凸凹になりましたが、みんなで行うことで賑わいが生まれます。
雨で開会行事は中止になりましたが、多くの人が集まって来られました。

 

きのうの12日の日曜日、
佐賀市文化会館で、全国ろうあ者大会が開かれ、
全国から3000人もの人が集まりました。

お互いのコミュニケーションは手話か筆談ですので、
受付を探すのに戸惑いました。
耳の聞えない人たちは、きのうの私とは逆に、
健常者の社会で苦労しておられことを察しました。

 

大会の挨拶で
「私は佐賀市長の秀島です。全国から集まってくださり、ありがとうございました」と
最初だけ手話で行いました。2日間習ってやっとここまででしたが、
国から来られた厚生労働省と文部省の人は、ほとんど手話で挨拶されていました。
さすが担当者だと感心しました。

今週は、きょうから佐賀市議会がはじまり金曜日から一般質問です。
今度の議会から、本会議場でもクールビズになりました。
これまでは、男性はネクタイ着用が慣例になっていましたが、
ネクタイはせずに、スーツは着ても着なくてもいいことになりました。

2011年6月6日(月)

今朝早く、ラジオ体操に行く途中の
道路沿いのお宅の庭のアジサイが目に入りました。
子どもの頃、鬱陶しい梅雨を連想するアジサイは嫌いでしたが、
いつの頃からか好きになりました。

梅雨の晴れ間の朝日を浴びたアジサイを見て、
わが家にも青いガクアジサイがあったことを思い出しました。
アジサイは東側の庭にありますが、
家の玄関が北西なので、毎年見ないまま咲いて散っているのでしょう。
妻に聞いたらまだ咲いていないそうで、今年は見させてもらいます。

 

役所に着いて市長室の窓を開けると初夏の涼しい風が入ってきて
梅雨を忘れさせてくれましたが、
風と一緒に、カラスのガーガーという鳴き声が聞えてきました。
子どものカラスが親を呼んでいるような声です。
新しい命の誕生は、それが何であれ喜ばしいはずですが、
また悪戯カラスが増えたかと思うと嬉しくありません。

生ゴミをあさるカラスが増えているので、
カラス退治のモデル地区を指定してカラスの巣落としなどをしていますが、
大きな効果は出ていません。

先日、2羽のカラスが陸に上がったカメを襲っているのを見ました。
襲われたカメは、頭や手足を甲羅に中に入れて防ぎますが、
もう大丈夫だろうと、甲羅から出すと、カラスが執拗に襲い掛かります。
豚や鹿の子どもを襲うカラスもいるそうです。
悪戯を越えて獰猛になってきたカラスをなんとかしなくてはと思うのですが。

6月1日に、水防警戒箇所の点検をしました。
有明海への主な排水河川の、佐賀江と新川を中心に回りました。
佐賀江では、ガタ土と呼ばれる有明海独特の泥の堆積が目立ちました。
所によっては、河川の4分の1が、泥で埋まっていました。

川が泥で埋まると水の流れが悪くなって水害の恐れがありますので、
佐賀県土木が取り除いていますが、取っても取っても埋まります。
有明海沿岸の宿命ですが、
取り除いた泥は道路工事などに使われるので資源と考えることにしましょう。

大雨を心配しての河川の点検の翌日の2日は、
今度は筑後川で水不足がないようにと、久留米の水天宮にお参りに行きました。
単なる神頼みではありません。
以前は水不足になると、福岡県側と佐賀県側が水争いを繰り返してきました。

お互いに顔見知りなら争いも起きないだろうと、
筑後川沿いの関係者が
年に1回顔合わせする為の水天宮へのお参りで、先人の知恵でした。
今年も沿線の市長など30人が適度の雨が降るように祈りました。
今年は4月は水不足でしたが、5月の雨で持ち直しました。
今度は大雨が心配です。人間欲深いものです。

水と言えば水道です。
4日の土曜日に、ゆめタウンで水道フェスタが開かれました。
恒例の水道水と市販のミネラルウオーターの飲み比べがありました。
水道水が美味しいと答えた人と、
ミネラルウオーターが美味しいと答えた人は半々でした。
味は同じ、値段は大きな差があります。

 

佐賀市は中心市街地の再生を目指す街づくりをしています。
これまでに、エスプラッツを再開し、
むつごろう広場の買い取りと整備をしたほか、
公的機関の中心市街地への移転をお願いしてきました。

ハローワーク佐賀の移転が終ったのに続いて、
国保連合会が旧窓の梅跡に移転する協定を間もなく結びます。
さらに、古くなった商工会館が旧ダイエー跡に移転し、
手狭になった市役所の機能の一部も新しい商工会館に移します。
今の商工会館跡にはNHK佐賀放送局が移転することになりました。

こうした佐賀市の中心市街地の再生計画を
3日に市議会に説明しました。
中心市街地の街づくりは、少しずつ前進しています。

きのう、佐賀県が梅雨入りしました。
日曜日でしたので、色々な催しが雨の影響を受けました。
私の住む本庄地区では、小学生が廃品回収をしました。
雨で延期かと思いましたが、やるというので、私もお手伝いしました。

わが家にあった廃品を1輪車で運んでいると
子どもたちも雨の中お手伝いしていました。
小さな可愛い手で一升瓶を2本抱えた子どもなどが、ヨイショヨイショと働いていました。
1人ひとりの力は小さくても、多くの子どもが頑張ったので、沢山の廃品が集まりました。

明るいピンクの雨カッパを着た子どもを見ながら、私の子ども時代を思い出しました。
当時雨カッパはなく、大人たちはムシロのような蓑を着て、
頭には、竹の子の皮で作った、ジンパチ笠をかぶっていました。
私たち子どもは、雨の日は、靴が傷まないようにハダシになって、
重くて破れやすい蛇の目傘をさしていました。

皮肉なことに廃品回収が終る頃雨がやみました。
午後、書類を読み、パソコンに向かいましたが、
目が疲れたので、わが家の畑を見ると
春植えたカボチャは黄色い花を沢山付けて中には小さな実になったものもありました。
私が大好きなカボチャは、今年は豊作のようです。
カボチャは堅くて切るのが大変です。料理をする妻には迷惑をかけそうです。

 

今週は、あすから全国市長会が東京で開かれるほか、
さまざまな団体の総会が続きます。
来週は市議会がはじまります。

2011年5月

2011年5月31日(火)

先週は雨続きで水不足は解消しましたが、
刈り入れ時を迎えた麦には恨めしい雨でした。
麦の品質が落ちたのではないかと心配しています。
今週は晴れ間が多いようです。
農家の方は農作業がはかどると張り切っておられるでしょうが、
急ぎすぎて農作業中の事故を起こさないよう注意してください。

珍しい所にホタルが出ていると聞いて、昨夜、妻と見にゆきました。
わが家の東側の水路は水が少なくてホタルは棲めませんが、
上流に50メートル余り遡った橋の下でホタルが沢山飛んでいました。
この水路でホタルを見たのは初めてです。

コンクリートで固めていない草の生える護岸もあって、
ホタルの生息を助けているようです。
水路の水は溜まり水のようになっていますが、
ホタルの餌になるカワニナが棲める水質のようです。
ホタルが飛ぶ環境を、いつまでも守ってゆかなくてはなりません。

 

ホタルから、ふるさとの風景を思い起こす人も居られると思いますが、
先週の週末は「ふるさと」を考える場に足を運ぶ機会が多くありました。

28日の土曜日、
私が卒業した本庄中学校のミニ同窓会がありました。
いつもは地元に住んでいる10数人が集まりますが、
今回は東京から1人里帰りして出席しました。

50数年前の中学生時代は、食べるものも少なく、
お腹がすいて、苦労も多かったですが、
友達と遊んだ思い出は心の中にぎっしり詰まっています。
いつまでも語りあいました。

翌日の日曜日は、
東京で開かれた「関東富士町会」に出席させていただきました。
60人ほどの出席でしたが、
ほとんどの方は50年から60年前、富士町から東京などに出たそうです。

みなさんが子ども時代、富士町の山には
戦後の復興に必要な木材を育てようと、杉や檜の植林が盛んに行われました。
当時、子どもたちも1人の働き手と期待されて
学校が休みのときは、山の下草刈りをした思い出を話しておられました。

今富士町はイノシシの被害に苦しんでいますが、
当時はイノシシはほとんど見なかったそうで、出席した人たちは、
「杉や檜ばかりでなく、ドングリなどの実の生る木を植えておけばよかった」と
ふるさとの富士町を心配しておられました。

東京に住んでおられる出席者のお1人が、
私のこのブログを読んでいると言われました。
80歳を超えた方が、パソコンを操って、
遠く離れたふるさとの情報に接しておられることを知り、嬉しくなりました。

最後にみんなで「ふるさと」を歌いましたが、
関東富士町会の人たちは、
60人ばかりが来年の3月10日に里帰りをして
富士町の山にヤマザクラを植えるそうです。

日曜日は東京に泊まり、きのうの月曜日、
国土交通省や、佐賀出身で東京で活躍している方に
お願いや打ち合わせをしてきました。

この内、小説家の北方謙三さんとは、
北方さんの小説「望郷の道」をテーマにした3回目のシンポジュウムを
今年の10月8日に富士町で開くための打ち合わせをしました。
記事や番組にする予定の西日本新聞とSTSの方も同席されました。

小説「望郷の道」は、前半の舞台は富士町です。
主人公は、富士町を出て台湾に渡り、
「新高(ニイタカ)ドロップ」を創りだします。

富士町観光推進実行委員会は、シンポジュウムまでに、
佐賀市の製菓会社と提携して、
「新高ドロップ」と同じ時期に製造された
「新高バナナキャラメル」を復活させるそうです。
富士町は、色々楽しみなことがあります。

5月はきょうまでで、あすから6月です。
6月13日から、佐賀市議会が開かれますので、
今週は議案の勉強会に追われ、
来週、記者会見をする予定です。

そろそろ梅雨入りしそうです。
水防のための警戒地域の点検も行います。
梅雨、夏の局地的な豪雨、
気の抜けない季節がやってきます。

2011年5月23日(月)

雨のあと、初夏の晴れた天気になりましたが、
きのうからまた雨模様です。
水不足の田植前の雨ですので歓迎したいのですが、
悪いことに、そろそろ麦刈りの時期です。

麦刈りの前と後に降って、
刈り取りの時期は晴れてほしいのですが、
そんなに都合よくはいかないでしょうか。

 

先週の19日、20日、
長崎県の壱岐で、九州市長会が開かれました。
小さな島に、九州の118市の、ほとんどの市長が集まって、
もし、本土側で災害が発生したら、
スムーズに戻れるだろうかと心配しましたが、とり越し苦労でした。

壱岐は、弥生の文化が栄え、魏志倭人伝にも記述されています。
原の辻遺跡は、吉野ヶ里遺跡、静岡県の登呂遺跡とともに、
弥生の3大遺跡と言われています。

出土品は、吉野ヶ里遺跡によく似ていて
手前勝手ではありますが、
邪馬台国九州説を裏付けるものと、心強く思いました。

市長会の議論は、
地方財政や、国民健康保険、高齢者医療制度の
充実強化を求めることなど、
地方が日常直面している多岐に渡る問題に及びました。

福祉や医療は従来の国庫負担では破綻しつつあり、
地方が苦しい財政からお金をつぎ込んでいます。

国民健康保険は、佐賀市は自主運営できていますが、
対象者の拡大、医療の高度化がすすんで、
次第に厳しくなっていて、赤信号が出ています。
足りない分を誰かが負担しなくてはなりません。
地方だけでは無理です。国がカバーする制度を求めます。

国民、市民も、日頃から健康つくりに取り組み、
医療機関のお世話にならないように努めたいものです。
いわゆるメタボ検診は、受診率が低いと、
国は補助金を少なくするペナルティーを課してきます。
納得できない制度ですが、
市民1人1人が、自分の健康上の弱点を知って、
健康に気を配ることは必要なので、是非受診してください。

市長会では、原発事故に関する特別決議もしました。
原発の防災対策が重点的に行われているのは、原発から10キロ圏内で、
30キロ圏は、蚊帳の外に置かれています。
そこで、
▽ 重点的な防災対策を行う地域の拡大を求める。
▽ 原子力安全委員会の防災指針を早急に見直すことを求める、
などの緊急の決議をしました。

 

きのう22日の日曜日、
佐賀青果の協同組合の総会に招かれました。
組合の会員の八百屋さんは、
郊外型のスーパーに押されて、数が減っていますが、
地域に生鮮食料品を供給する責任を担っておられます。
八百屋さんが減ると、買い物難民が出ますので、
頑張っていただかなくてはなりません。

買い物難民対策を検討する、移動販売の実験で、
八百屋さんのある地域に入り込んでしまったところもありました。
事前の打ち合わせが不十分だったと反省しました。

市場の人たちの話を聞くと、
この4月は、前年の65%の取引しかなかったそうです。
買い控えが、生鮮食品にまでおよんでいるのです。
経済活動の停滞の結果でしょうが、
賑やかな社会を取り戻したいものです。

今週もまた、大会や会議に追われます。
きょう、九州の土地改良事業関連の総会が開かれます。
私が会長を引き受けることになっています。
週の終わりには、九州国道協会の総会があります。
こちらは、会長としての最後の総会です。

また佐賀市の自治会協議会の総会があるほか、
市長と語る会が、水曜日の夜、大和町の松梅地区
金曜日の夜、大和町の川上地区で開かれます。
近くの方は、どうぞお越しください。

2011年5月16日(月)

先週、久しぶりにまとまった雨が降りました。
佐賀市の水道水が不足するということはありませんでしたが、
東部の筑後川水系では、取水制限が行われ
農業用水が不足していました。
山間部では、田植ができない所もあったので、
恵みの雨に、ひと息つくことが出来ました。

これから田植の季節ですので、もう少し雨が欲しいのですが、
今回の雨でも、スコールのような降り方をしたときもありました。
局地的な豪雨が増えていますので心配です。

対策をとらなくてはなりませんが、
佐賀市の地域防災会議がきょう(16日)開かれます。

東日本大震災でも、
防災計画から抜け落ちている問題が次々と起きました。
佐賀市の地域防災計画で抜け落ちている点はないか
各職場で検討していますが、
委員の方からの指摘や意見を聞きたいと思っています。

佐賀市は玄海原発から30キロ圏に入っているところはなく、
中心部は50キロ圏です
だから何もしないということにはなりません。
今後国が見直す対策にそって、対応を検討する必要があります。

最も大切なことは、
正確な情報を隠すことなく国民に伝えることではないでしょうか。
福島原発では、核燃料が溶けてしまうメルトダウンが、
事故の翌日に発生していたことが今になって明らかになりました。
テレビで、いろんな機関、立場の人が
「大丈夫、大丈夫」と繰り返していたとき、すでにメルトダウンが起きていたのです。

情報を隠して「大丈夫」と発言したのなら大問題ですし、
情報がないまま「大丈夫」と言うのも問題です。
情報を国民に正確に伝えることの必要性を痛感します。

ハラの立つことが多い昨今ですが、
嬉しいこともありました。

旧佐賀藩士に11代齊藤用之助という方が居られました。
沖縄の島尻郡の郡長をして居られた明治36年に
島尻郡内の硫黄鳥島が噴火しました。

島民700人に危険が迫り、
齊藤郡長は、島民全員の久米島への移住を決断しました。
硫黄鳥島の人たちは1人の犠牲者も出さないまま
無事久米島に移住しました。

齊藤郡長は、移住に当たって、
硫黄鳥島の人たちの意向に耳を傾けて
久米島に鳥島地区を作って、
移住した人たちがまとまって生活できるように配慮しました。

当時から100年経ちましたが、
久米島に移住した硫黄鳥島の人たちは
代々11代齊藤用之助への恩義を語り継いでいるそうです。

先週、久米島市長など10数人が佐賀市を訪れて
佐賀市川副にある、11代齊藤用之助の墓参りをして
用之助の好物だった山羊汁を墓前に供えて、
感謝の気持ちを表しました。

100年経っても住民から感謝される仕事をした人が
佐賀出身だったことに感激しました。
佐賀には7賢人と呼ばれる人たちがいますが、
11代齊藤用之助は、その人たちに並ぶ功績を残したと言えるでしょう。

今東北では、避難が続いていますが、
住民は、集落の人たちがバラバラになる不安を抱えています。
すでに、避難した人たちがどこに行かれたか、
連絡が取れなくなった人も大勢おられるようです。

硫黄鳥島の700人が、移住先でもまとまって生活できるようにした
11代齊藤用之助の偉大さが分かります。
東北の人たちが100年先に感謝する政策が求められます。

政界から引退した人がお別れの挨拶で、
「恩は石に刻み、仇は水に流すという政治姿勢を貫いた」とおっしゃいました。
いい言葉だ、学ぼうと思いました。

年度はじめの大会や会合が続いているので、
この週末は慌ただしい日程に追われました。

13日の金曜日は建設業協会の総会、
14日の土曜日は、
兵庫クリーク公園運営利用組合総会、
本庄町区の各種団体の役員交代に伴う合同の集い、
15日の日曜日は
大隈重信候をしのぶ大隈祭、
お茶の諸流派の合同茶会、
建設労働組合の定期大会。

ひと休みする時間もない週末でした。
今週も、大会などが続き、
九州市長会が長崎県壱岐で開かれます。

庭の主役は先週はシャクヤクでしたが、
もう今週は、シランというムラサキのランに主役が交代しています。
梅雨までのひととき、春を楽しめそうです。

 

2011年5月9日(月)

百花繚乱の季節ですが、
わが家の庭の今の主役はシャクヤクとバラでしょうか。

バラは道端近くに植えているので
通りかかった人を棘で傷つけないように短く刈っている上、
日陰になっていますが、
この季節になると、けな気に小さな赤い花をつけます。
ほのかな甘い香りがしてきます。
近所の垣根にも、さまざまなバラが咲いていて香りをいただいています。

 

畑には矢車草が咲いています。
私はなぜか矢車草が好きです。
種を蒔かないのに、毎年芽を出して花をつけてくれます。

大型連休の前半は公務が続きました。

4月29日は、連合主催のメーデー集会に出席しました。
天気は良かったのですが
はじめての室内集会で、参加者は250人ばかりでした
私たちが若いころのメーデーとは、随分さま変わりしました。

東日本の大震災での自粛から室内になったのでしょうが、
メーデーは、青空と若葉の中でしたいものです。
来年は東北の復興が進んで、青空のメーデーになることを願っています。

メーデー集会のあと、
金立憩いの広場で開かれた、花みずき茶会に行きました。
茶会の世話人から、
「茶の野点には高齢者の方も多く来られるので、
坂の急なところには、手すりを付けて欲しい」と要望されました。
公園は元気に駆け回る所と思ってしまいますが、
体の弱い人の立場にも気配りが必要です。

 

連休中に、佐賀市長旗・杯のスポーツ大会が2つありました。
5月1日は、高校野球の大会、
8日は、グランドゴルフの大会がありました。
若い人、高齢者が、それぞれ市長旗・杯を目指して
力いっぱい競技していました。

5月1日に、大川で「えつ観光川開き」があり、
佐賀市に隣接する市との友好を深めるために、参加させていただき、
川舟の上でえつの初ものをいただきました。
エツ観光は筑後川の対岸の諸富でも行われますが
諸富は震災への自粛から川開きの行事は行われませんでした。

佐賀市と姉妹縁組を結んでいるアメリカのグレンズフォールズ市から、
東日本大震災への義援金1万ドルが送られてきましたので、
5月6日に、日赤佐賀支部に届けました。
ありがたいことですが、アメリカから見ると、
東北と九州はすぐ近くと思われているようです。
今年は交流行事を中止しましょうという連絡もありました。

同じ5月6日、
ラ・フォル・ジュルネ鳥栖音楽祭に行きました。 この音楽祭、鳥栖市が誘致して佐賀市が支援都市になりました。 世界各地から集まった一流の音楽家が 鳥栖市民会館を中心にあちこちで演奏していました。 1人だけのバイオリン、1人だけのピアノで、 数十人、数百人を集中させる演奏に感動しました。

大型連休中も、こうした行事に参加しましたが、
一方で、連休後半は孫たちとすごす時間もありました。
横浜から帰省した娘夫婦と2人の孫、
それに私たち夫婦と、もう1人の娘の7人で
5月3日に、熊の川温泉に1泊しました。

翌日の4日は、5年前に1万5000本を植樹した
富士町の亀岳をみんなで訪ねました。
植えたとき50センチだった木が8メールに生長していました。
森つくりを指導していただいた先生は
「10年後には森になります」と話しておられましたが、
すでに立派な森です。あと5年後が楽しみです。

そのあと、ワラビ採りをしました。
一握りくらい採るのに、いつもは30分くらいかかりますが、
5分もすれば持ちきれないほど採れました。
その場所は、ヒミツ・・・・・・です。

 

孫と過ごした連休中のヒットは、
幼稚園年長組の孫が自転車に乗れるようになったことです。
はじめ補助車を付けていましたが、
もうそろそろ乗れそうな様子だったので、補助車をはずすと
10分ほどで乗れるようになりました。

横浜の車の多い舗装された道では、自転車の練習はできません。
おじいちゃんの住む佐賀で、自転車乗りを覚えた春の連休の日々を
孫は一生忘れないでしょう。

孫たちが居る間、玄関に靴が入り乱れ、
片付けんかいと大きな声を出したくなりましたが、
孫たちが潮が引いたように帰ってゆくと玄関の小さな靴もなくなり、
黄昏どきのような寂しさも感じます。

リフレッシュできた連休は終り、さあ仕事です。
今年度の重点事業の進み具合と
今後の進め方について、各部から聞きます。
ピシッと行きます。

2011年4月

2011年4月28日(木)

佐賀は今、1年で最も美しいときかも知れません。
春の花が次々と咲き、
うす緑から濃い緑まで、豊かな緑が山野で輝いています。

わが家の玄関先のハナミズキの白い花が
緑の葉に包み込まれると、
ナンジャモンジャの細い白い花が緑の中から躍り出てきました。
目線を落とすと地面も色ととりどりの草花と緑の葉に覆われています。

 

 

先日、富士町の菖蒲御膳で、
「医者倒し」と呼ばれる草花のテンプラを食べました。
わが家の庭にも似たような草花があったので、
物知り博士に見せると、どうやら、それらしいのです。
繁殖力のある草で、困った雑草と思っていましたが、
薬草と分かると高貴に見えるから不思議です。

週末は水にまつわる行事が続きました。
23日の土曜日は、
西与賀の「えびす祭り」と、嘉瀬の「沖神社祭り」に行きました。
どちらも海の安全と豊漁を願う祭りです。

西与賀と嘉瀬は、本庄江川を挟んで対岸にありますが、
かつて、西与賀は手漕ぎの船で、船団を組んで
朝鮮半島付近まで漁に出ていたそうです。
嘉瀬は、沿岸の干潟で貝などを採っていたそうです。
今はどちらも海苔養殖が中心ですが、
川を挟んで、漁の形態が大きく違っていたことに驚きました。

24日の日曜日は
松原川の「ひゃあらんさん祭り」がありました。
カッパさんが悪戯をしないよう、たくさんのキュウリを供えて
水の事故の防止を祈りました。

 

今年の3月には、
自分の子どもと同じくらいの子どもが水路に落ちたのを見た、
大町の男性が、水に飛び込んで子どもを助けたあと亡くなるという
悲惨な事故がありました。
水の事故がないことを願っています。

同じ日曜日、嘉瀬川で川開きが行われました。
安全を祈願したあと、
訪れた人たちは、遣唐使船に乗って、川遊びを楽しんでおられました。

週末はこうした行事への出席に追われましたが
土曜日の午後、少し自分の時間が取れましたので
大宰府の九州国立博物館で開かれている黄檗展を見に行きました。

黄檗宗は、中国から日本に招かれた隠元和尚が開き、
宇治の大本山萬福寺は開創350周年を迎えています。
萬福寺には佐賀が生んだ煎茶の祖、売茶翁が祀られているので見に行ったのです。

隠元和尚が上陸した長崎や
佐賀の寺などが所有する、仏像や掛け軸、書なども展示されていました。
350年前の先人たちの情熱に触れることができました。

25日の月曜日に
佐賀市消防団富士師団の訓練の激励に行きました。
富士師団は、7月に開かれる佐賀県消防操法大会のポンプ車の部に出場します。
仕事をしながら、これから3ヶ月余りの早朝の訓練は大変だと思いましたが、
訓練は2月からしているそうです。びっくりしました。

消防団は、災害が起きたときの頼りの綱です。
東日本大震災でも、命をかけて使命を果たした消防団員が
たくさんおられます。
訓練を見ながら頭が下がる思いをしました。

震災を受けた東北から佐賀市に避難して来られた方は、
市営住宅などに入られている方が10世帯22人、
親戚や知り合いの家に身を寄せておられる方をふくめると28世帯50人です。
災害が長引きそうなので、次第に人数が増えています。
できるだけの支援をしたいと思っています。

佐賀市職員の東北への応援は、
あす、第7陣として2人が出発します。
全国、世界から東北への支援が寄せられている中、
許せないのは、政治の世界です。

党派同士の争いだけでなく、
政権内部から足を引っ張るグループが生まれています。
東北がガレキで埋まっているとき、
政権の破壊工作によって、政治の中に新たなガレキを作っているのです。

今、政権争いをしているときではありません。
そんな暇があるなら、東北に行ってガレキを片付けて汗を流してほしいものです。
残念を通り越して情けないですね。日本の政治は。

あすから大型連休です。
あすはメーデーや花みずき茶会などがあるほか、
連休中も行事に追われます。
孫と遊べる時間が少しはあってほしいのですが。

2011年4月21日(木)

4月も下旬に入り春の盛りです。
桜はピンクの花から芽を出した新緑に姿を変え、
花もツツジやボタンへと主役が交代しています。
全国の人たちが移りゆく花の姿をゆっくり愛でる日が早く来て欲しいものです。

 

福島原発の事故は
情報が隠されているのではないかという不安から
負の連鎖が起きて、風評被害も出ています。
悪いほうに悪いほうに向かっている連鎖を断ち切らなくてはなりません。

被災地への応援は、
これまで保健師1人と事務系の10人を出しましたが、
今後は保健師のほか、街作りに関わる建築土木の技術者が
求められるはずで、準備を整えています。

これまでに被災地から佐賀市内に避難してきた方は8世帯22人ですが、
この他、役所を通さずに、親戚や知り合いの家に身を寄せている方が
17世帯居られます。
こうした方々への生活物資の支援なども相談にのりたいと思います。

先週の土曜日(16日)
少年野球大会が大和でありました。

晴れの舞台で、胸を張って入場行進する少年選手は
1チーム15人前後が多いようでした。
以前は20人、30人というチームもありましたが、
今年の大会は、小学校3年生も加えて12人というチームもありました。
ここにも少子化社会が見られます。

でも元気いっぱいの少年たちと、
子どもを見守る両親の目の輝きは、今も昔も同じです。

少年野球大会に出た後、
近くの大和町今山地区のチューリップ祭りを見に行きました。
地区のお年寄りが丹精込めて栽培したチューリップは
とても美しく、訪れた人を楽しませていました。

でも、花がツボミのころ、株ごと引き抜いて行った人もいたそうです。
多くの人に花を楽しんでもらおうと、お年寄りが育てた花を持ち帰り
自分だけで花を見ても、楽しいのでしょうか。
恥を知らないケシカラン人はごくまれなのでしょうが、残念です。

 

こうした催し会場に長くいると、
地元の道路の改良など、直接要望を受けることが多くあります。
道路の改良などは、自治会長を通じて出てきたものを
緊急性、重要性を検討して、順序を決めるルールがあります。
ルールを無視することは出来ませんので、
色よい返事が出来なくて困ることになります。

17日の日曜日は
私の住む、本庄町の西寺小路の川掃除の日でした。
前日に私の庭先で、川掃除道具の仕分けや点検をするのが慣わしになっています。

川の中で大きく伸びたヨシなどは草刈機を使わないと仕事がはかどりません。
毎年私が刈り取りますが草刈機を点検すると不調でした。
分解して整備する時間がなかったので新しい草刈機を購入しました。
新しい草刈機は好調で、私が刈り倒したヨシなどを
川掃除に参加した方たちが片付けてくださいました。

私の地区では、団地やアパートなどから
若い人も出てきて、胴長を履いて川に入って力を発揮してくれましたが、
1週間前の日曜日に各地の川掃除の様子を見に行ったとき、
若い人の姿がなくて、80歳近い女性が目立つ地区もありました。

若い人が居ないのではなくて、出てこないという地区もあります。
女性が半長を履いて川に入っておられるたくましい姿も見ましたが、
男女共働社会とはいえ、川に入るのは若い男性が似合います。
若い男性の川掃除への参加をお願いします。

 

4月16日に私の後援会総会が開かれました。
お忙しい時間を割いて出席くださった
来賓や後援会の会員の方たちにお礼を申しあげます。
また、総会の準備に当たってくださった関係者のみなさん、
ありがとうございました。

新しい年度が始まったばかりですので、
今週は、新年度の総会の案内をいただいています。
また週末は、
西与賀、嘉瀬の海の安全祈願祭、
水難防止を願う、松原川のひゃあらんさん祭り
嘉瀬川の観光川開きなど、
海、水に関わる行事が相次ぎます。

2011年4月5日(火)

東日本大震災は、復興のメドはたたず
原発は深刻な状況から脱出できません。

現場は混乱していますが、
人的な支援を受け入れる体制も少し整ったので、
先週、佐賀市の職員2人を避難所支援要員として派遣したほか、
きょう(5日)瓦礫の撤去対策などのために2人を派遣しました。
今週末には、保健師1人が現場に入ります。

支援の要請は、佐賀県と、市長会を通じての2つのルートがあります。
1本にまとめて欲しいのですが、しばらく混乱は続くでしょう。

現場に入った職員からのメールを読むと、
避難所の人たちの夕食は、おにぎり2個と、豆腐が少し入った味噌汁、
朝食は菓子パン1個にココア1杯だけということです。
暖かい食べ物、暖かい寝る場所が必要です。

佐賀市は被災者を受け入れる態勢を整えていますが、
多くの人は、故郷に近い県に避難され、
九州まで来られる方は多くありません。
佐賀市には、これまでに6世帯17人が避難して来られています。
受け入れ態勢は解かないで待ち受けます。

避難して来られた人たちには
自転車や家具などを提供していますが、
避難が長引けば、仕事が必要になります。
佐賀市と周辺でアスパラをハウス栽培しているアスパラ部会から、
避難して来られた方で、働きたい人を受け入れますという
ありがたい申し出をいただきました。

農産物の風評被害が広がっています。
政府は、出荷制限を、県単位から市町村単位に変更しましたが、
外国では、日本というだけで、敬遠されるようになっています。
香港には、佐賀県産の農産物や畜産物が輸出されていますが、
深刻な状況になっています。

国の公共事業が遅れる見通しになってきました。
今は事業費の5%留保ですが、
これが10%、20%と大きくなる可能性もあります。
供用開始寸前で、先延ばしになる事業も出てきそうです。

どうしても話が暗くなりますので、
土日に行われた桜にちなむ行事を紹介します。

土曜日に、諸富のチューリップ祭りに行きました。
地元の人たちが休耕田にチューリップや菜の花を植え、今どちらも満開です。
旧佐賀線の沿線ですので、頭上にピンクの桜、
向こうに色とりどりのチューリップと黄色い菜の花と
春爛漫の風景が広がっていました。

 

そのあと、佐賀空港北側の堤防に植えられた桜を見る会に行きました。
堤防には1700メートルにわたって500本の桜が植えられています。
この桜は、関東に住む川副町人会が寄附して植えられました。

川副町人会は、結成50年を迎えて高齢化が進んでいるので、
桜並木の世話が難しくなったので、
これからは「ふるさと納税」を使って佐賀市で世話をして欲しいと言われました。
毎年、40万円、50万円と、ふるさと納税して下さる方もおられます。
皆さんの意志をしっかり受けとめて使わせていただきます。

 

日曜日は、満開の桜並木のトンネルを走る
桜マラソンが行われました。
ゲストの選手は、オリンピックのメダリストの
有森裕子さん、君原健二さん、
パラリンピックの金メダリストの柳川春己さんです。

北海道から沖縄まで、29都道府県から
市民ランナー7400人が集まり、
桜並木や菜の花の満開の春を楽しみながら汗を流していました。

脳科学者の茂木健一郎さんも走っておられました。
茂木さんは、唐津に縁のある方のようです。
茂木さんの少し出たお腹を見て、
私も練習すれば走ることができるかもしれないと思いました。
現職にいる間は無理でしょうけど。

 

午後は、老人福祉施設の「桂寿苑」の
30周年の記念式に出席しました。
記念誌を読むと、今の理事長のお父さんが
老人福祉施設を作る夢を持ちながら戦病死され、
息子さんが、夢を継いで老人福祉施設を設置されたそうです。
夢が親から子に引き継がれたことに感激しました。

この桂寿苑には、24種類79本の桜が植えられています。
数は多くありませんが、
早咲きから遅咲きまで多くの種類の桜があるので、
入所したお年寄りは2ヶ月間も桜を楽しむことができるそうです。

佐賀は春爛漫ですが、
東北の人たちの心には今年は春が来ないかもしれません。
春を楽しんむことのできる歓びを
何らかのかたちに変えて東北に届けたいものです。

市役所は人事異動を終えて2週目に入り、
行政が軌道に乗ってきました。
それぞれの部門の新しいメンバーで市政を1歩前進させて行きます。

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