2011年1~3月のひとり言

2011年3月

2011年3月29日(火)

東日本の大震災の死者行方不明者は
おとといは2万7000人だったのに、きのは2万8000人を超えました。
1人ひとりに人生があり、家族があります。
被害の大きさを数で表すことが許されるのだろうかとも思います。
あまりにも残酷な数はさらに大きくなるでしょう。

被災者の救援に地域も立ち上がっています。
佐賀市にはこれまでに4世帯10人が避難して来られています。
市営と県営住宅に入っていただき、
エコプラザで保管していた家具や、自転車などを提供しています。

佐賀市は、これまでに1900人の受け入れ態勢を整えました。
被災者のみなさんも故郷を遠く離れるのを避けておられるようで、
予定していた9000人の受け入れは、今すぐということにはならないようです。
しかし福島原発の情勢が落ち着かず、
今後、集団移転が行われるかも知れません。
万全の受け入れ態勢を整えます。

佐賀市に寄せられた義援金は、きのうまでに1188万円、
支援物資は5万2000点に達しています。
佐賀市民の好意が続々と寄せられています。

人事異動の慌ただしい時期ですが、
被災地に派遣する保健師や避難所を手伝う職員の人選を終えて
いつでも出発できるようにしています。
きょうは、水道と水道管の工事業者の9人が出発する予定でしたが、
現地が要請をキャンセルしてきたので、出発を見送りました。
災害現場は混乱しているので、振り回されてもやむを得ません。
今後技術者の派遣要請が増えてくるでしょう。

市の職員を派遣することなどで一部の事業が遅れるかも知れません。
公営の施設に被災者を受け入れると、
その施設を市民が使えないなど、不便をおかけすることになります。
市民に迷惑をかけることになるので、
きのう臨時の自治会長会を開いて協力と理解をお願いしました。

自治会長会で、「地域が主催する行事をひかえて、
その費用を被災地に寄附しよう」というありがたい意見も出ました。
しかし、自粛ムードでキャンセルが相次ぐ観光業、飲食店
それにタクシー業界などから悲鳴も上がっています。
地方の経済にも影響しますので、
派手な行事はともかく、それなりに活動してくださるようお願いします。

原発は深刻な事態におちいっています。
今後、電気、エネルギーを何に頼ってゆくのか、
大きな課題になりそうです。

嬉しい話をふたつ、

佐賀市では5番目の企業として
福岡建設が「元気な企業の森林作り」に
名乗りをあげてくださり、23日に協定を結びました。
福岡建設は、1年に何回か、社員総動員で、
嘉瀬川ダム沿いの15ヘクタールで
枝打ち、下草刈、植林などをして憩いの森つくりをしてくださいます。
近くには、銀河大橋や「森の香菖蒲ご膳」などもあり、
新しい観光名所が誕生することが期待されます。

 

25日には、誘致企業との進出協定を結びました。
進出してくるのは、コールセンターやIT関連事業を行う
株式会社「ビジョン」です。
与賀町の空きビルに進出して
今年は40人、3年後には165人が働く場になります。
若い人や障がいのある人を雇用する意向で、
新しい雇用が増えると期待しています。

 

あさっての31日に退職する人への辞令、
翌日の4月1日には、新採用と異動辞令を交付します。
慌ただしく新年度がはじまります。

2011年3月22日(月)

県庁前の桜がほころび始めました。
季節は春本番ですが、
私たちの心に春は来ません。

 

東北関東大震災は、
地震、津波に原発の3つの大災害になりました。
亡くなった人、行方不明の人のなんと多いことか、悲惨です。

破壊されたライフラインで、いの1番に回復すべき電力が
回復しないどころか、放射性物質を飛散させています。
我慢強く耐えておられる被災地の人たちに
少しでも早く、安心を届けなくてはなりません。

被災者を全国で受け入れ、
九州で30万人、佐賀県で3万人受け入れることになりました。
17日の木曜日の夕方、佐賀県知事から私に
佐賀市で1万人程度を1ヶ月から3ヶ月
受け入れて欲しいという要請がありました。

佐賀市は、直ちに受け入れを決めて、
翌18日の金曜日には、被災者支援本部を設置して
相談窓口を設けました。

その後正式な文書が佐賀県から来て
受け入れ人数は9000人になりましたが、
空いているアパート、研修施設や老人センターなどの
公的な施設を総動員するほか、
家庭やお寺などでの民泊が必要で、
行政と市民が総力をあげなくてはなりません。

相談窓口には、きのうまでに65件の電話があり、
この内30件はアパートの空き部屋や民泊として受け入れるという
市民からの連絡です。
すでにきのうまでに2世帯を受け入れ、
きょうも1世帯が避難して来られる予定です。

佐賀市は給水や消防などを被災地に派遣しましたが、
今後災害復旧に向けて技術要員が求められることを予測して
いつでも対応できる準備をしています。
市民から義援金や救援物資がたくさん届いています。
現地に送るもの、佐賀に避難してきた人のために使う物と
仕分けして使わせていただきます。

土曜からきのうの春分の日までの3連休、
職員は交替で出勤して、被災者受け入れの準備に追われ、
担当の幹部職員は休み無しでした。

私は19日の土曜日、社会福祉協議会の人たちと一緒に、
義援金の街頭募金に立ちました。
人通りは多くありませんでしたが、
市民の皆さんは、何かしなくてはと思っておられるようで
気持ちよく募金箱に義援金を入れてくださいました。

20日の日曜日の午後、
佐賀県から緊急に300人の集団を受け入れるので
佐賀市は半分の150人を引き受けて欲しいという連絡があり、
緊迫した空気の中で大急ぎで態勢を整えました。
しかし、その後、受け入れて貰えるだろうかという問い合わせで
緊急性は無いと分かりました。
災害時によくある混乱ですが、正確な情報のやり取りが必要です。

きのう21日も市役所に出て、被災者の受け入れ準備状況を点検したあと、
この日が最後の佐賀城下ひな祭りの会場を回って、
ひな祭りに取り組んだ方々にお礼を述べました。

今年のひな祭りは、期間を短くしたほか、
震災以後、お客さんが減りましたが、
前半は訪れる人が多かったので、
去年並みのお客さんがあったのではないでしょうか。

河川の水が少なく、
施設園芸に影響が出ているという声が寄せられていますので、
20日の日曜日の早朝、いつもの犬の散歩の距離を延ばして
クリークを見て回りました。
私が見た限り確かに水の量が減っています。

 

嘉瀬川から多布施川に引き込む水は
一定の量を確保していますが、
嘉瀬川ダムの試験湛水が影響しているのかも知れません。
樋門の操作だけでは根本的な改善にならないでしょう、
1年か2年、様子を見ながら対策を検討する必要がありそうです。

今週も東北関東大震災対応に追われるでしょう。
被災地からどんな要請が来るか分かりません。
状況は早く好転して欲しいのですが
どんな事態にも即応できるようにします。

佐賀市議会は今月24日までです。
全ての議案を可決してもらえるよう努めます。
市議会が終った日に県知事選挙がはじまります。

梅にウグイスといいますが、
我が家の近所のウグイスは桜が咲く頃によく鳴くようになりました。
ウグイスの声が美しく聞えるときが早くきて欲しいものです。

2011年3月14日(月)

東北関東大震災は、想像を絶する光景です。
津波が押し寄せてくる映像を見ながら、
信じられない、こんなことがあっていいのかと思いました。
地獄、まさに阿鼻叫喚のさまでした。

佐賀を安心安全な普通の暮らしが出来る街にする責任のある私は
驚いているだけでは済まされません。
金曜から日曜にかけて出席する予定だった行事を全てキャンセルして
テレビやラジオで情報を取りながら、何をすべきか考え続けました。

土曜日の朝、幹部職員の出勤を求めて、
被災地への救援と、震災の教訓を学ぶことを協議しました。
当面、被災地に遠い佐賀ですが、
どんな要請があっても対応できる態勢を整えることを決め、
消防と水道はいつでも出動できる態勢を固めました。

消防は消防庁から応援要請があったため
佐賀県の12隊50人がきょう現地に出発しました。
この内佐賀は5隊19人で、午後3時に出発しました。
また建物の危険度を判定する佐賀市の職員2人が
要請があり次第出発する準備をしています。

一方水道は、いつまで待っても応援要請が来ません。
要請する側の自治体が機能していないことが分かり、
日本水道協会と協議した上、
応援要請が無くても給水隊を出動させることを決め、
今朝、水道職員4人が2台の給水車で出発しました。

 

とりあえず東京か横浜辺りまで進んで、
現地の要請に従って被災地に入ることにしています。
空振りになってもいい、とにかく早くという出動で、
今朝8時40分に出発式をして9時に出発しました。

この話をすると、元記者だった方から、厳しい指摘を受けました。
今朝出発するのなら、きのうの内に準備ができていたはずだ、
現地は一刻も早い救援を待っているのに、朝を待つとは何事だ、
まして出発式などをしているとは驚きだ、と言われました。

その方は、
「今回の地震でもNHKのヘリコプターは素早く飛び立ち、
津波が押し寄せてくる映像を全国に伝えていた。
あの同じ時間に、自衛隊などの救援ヘリが飛んでいたら、
津波に押し流されて行った何人かは助けられたはずだ。
災害が発生すると、命令を待つまでもなく、
即座に記者やカメラマンが走り出す報道機関に学べ」とも言われました。

今回は応援要請がある前に出動するという
これまでにない早い対応をしたのですが、
厳しい指摘はもっともなところもあります。

現地の自治体の中には機能が壊滅しているところもあり、
国や県が全体を総括して指揮する必要がありますが、
そちらも体制が出来ていないようです。
指示がない中、独自にどう動くか検討しなくてはなりません。

避難所に責任者が居ないところも出ているようです。
被災した人への情報の伝達が不十分で、
原発事故に関する情報は中途半端なもので、
住民の不安をぬぐえていません。
想像したくないことですが、
万が一佐賀で同じようなことが起きたらどうするか、
学ぶことが多くあります。

市民の皆さまにお願いです。
佐賀市はきょうから支援物資の受付を
本庁と全ての支所ではじめました。
保存食、水、毛布、紙おむつ、生理用品などで
毛布は新品かクリーニング済のものをお願いします。
また献金と献血をお願いします。

被災地の犠牲者の方にお悔やみを申しあげますが、
佐賀市でも悲しい別れがありました。
元佐賀市議会議長の光武重一さんが亡くなりました。
病が重いと聞いたので、きのうの午後お見舞いに行くと、
30分前に亡くなっていました。
私を呼ばれたのかと思いました。

クリークに落ちた佐賀市の子どもを助けようと
大町の方が水に飛び込まれ、
子どもは助けられましたが、その方は亡くなりました。
勇気ある行為で佐賀の子どもを助けてくださったことに
佐賀市民を代表してお礼を述べたいのですが、
その方には2人の子どもさんが居られるそうです。
遺族にどんなお悔やみの言葉を言えばいいのでしょうか。

先週の金曜日、
佐賀市の全ての中学校で卒業式がありました。
私は東与賀中学にお邪魔しました。
学校の自転車置場に整然と自転車が並んでいるのを見て、
落ち着いた学校だと思いましたが
卒業式も凛とした空気の中で行われました。
最近は卒業生が泣かないなと思っていると、
仰げば尊しを歌うときには、女の子がすすり泣いていました。

今週は市議会、金曜日は小学校の卒業式です。
春の行事が続きます。

2011年3月7日(月)

きのうは雨模様の冷たい1日でしたが、
きょうは、すがすがしい気候になりました。
庭のサクランボの花は、
1週間前は1輪か2輪咲いていただけでしたが、
今朝は5分咲きになっていました。
花に近づくと梅の香りとは違うほのかな匂いがします。

梅の花は峠を越え、
枯木のようだった庭木の新芽の緑に早春を感じます。
春は草木だけでなく人の心にもやってきます。

 

出勤のためにバス停に歩いていると、
中学生の男の子と女の子が出会うところを目にしました。
その瞬間の2人の動作と表情は、
雪原で2羽のツルが首を縮めたり伸ばしたりして口ばしを合わせながら
愛を確かめ合っている姿のようでした。

春は心が躍りときめく恋の季節と思いますが、
今朝の佐賀新聞に恋をしなくなった若者の記事が掲載されていました。
少年少女の初々しい恋心も
次第に厳しい現実に押しつぶされる時代になったのでしょうか。

きのうの日曜日は多忙でした。
朝8時から、佐賀市消防団中部方面隊の春の放水競技大会がありました。
出場した消防団員は冷たい雨が降る中で
日頃の訓練の成果を見せておられました。

団員は大会の1ヶ月前から訓練をして、お互いの結束力を強めます。
訓練は仕事前の早朝か、仕事後の夕方に行っています。
冬場ですので、暗くて冷たい中での訓練です。
市民の命と財産を守るために訓練に励んだ団員の皆さんと、
送り出した家族の方にお礼を申しあげます。

 

同じ日曜日、有明沿岸道路の一部が開通しました。
開通したのは
嘉瀬南インターチェンジから久保田インターチェンジまでの1.7キロで、
中心になるのは、有明嘉瀬川大橋の710メートルです。

有明沿岸道路は完成すれば大牟田から鹿島までの高規格道路になります。
これまでに大牟田ー大川間だけが開通していましたが、
佐賀県内での開通はこの区間が最初です。

大川までと鹿島までの開通はいつになるか分かりませんが、
福岡県側の人たちは、
福岡空港より、佐賀空港の方が利用しやすいので
筑後川と早津江川に橋を架けて
早く佐賀空港に結んで欲しいと云っておられます。
5年先10年先が楽しみです。

 

多くの団体や個人からさまざまなご意見や提言を頂きます。
出来ること、出来ないことがありますが、
行政に活かしてゆく上で貴重な提言もあります。

提言は有り難いのですが、強要されるのは困ります。

先週また大切な人を見送りました。
去年の5月に病気が見つかり10ヶ月後に亡くなりました。
詩吟やお謡い、コーラスなど趣味の多い方でした。
出棺のとき、コーラス仲間が、童謡を歌って見送られました。
素晴らしい友達に恵まれた豊かな人生だったと思いますが、
63才、あまりにも若くして逝かれました。
ご冥福をお祈りします。

今週は、佐賀市議会で一般質問が行われ
27人の方が質問に立たれます。

議会改革が言われていますが、
佐賀市議会は、なれあいではなく、
議会、執行部が真摯に議論する場になっていると思います。

2011年2月

2011年2月28日(月)

週末の土日に心身を休めて、心の余裕があったからでしょうか、
今朝、雨模様の中を散歩するとき、
いつもより、周囲の環境がよく見えました。

1週間ごろ前から暖かくなり、春の華やぎを感じていましたが、
今朝は近所のお宅の水仙の花が
一気に開き始めているのに気が付きました。
わが家の庭の梅も満開、サクランボの花もそろそろ開きそうです。

 

近くの川の中に生えた雑草も急に背丈が伸びてきました。
早く刈っておかないと、春の川掃除のとき手をやきそうです。
きょうは雨が降ったので川に水がありましたが、
いつもは水がほとんどなく干上がっています。

去年までは底に5センチ程度の水があったのに今年はありません。
ゴミを堰き止めて取り除く装置の設置場所が変わったためかとも思いましたが、
市長と語る会などで、川の環境を維持する水量が足りないという声を多く聞きます。
中には、嘉瀬川ダムに水を取られているという声もありますが、
石井樋から多布施川に引き込む水量は以前と同じです。
なぜ末端の水路の水が足りないのか調べる必要もありそうです。

佐賀市の下水浄化センターにメタンガスを使って発電する装置が完成し
先週の月曜日(21日)発電開始式を行いました。

浄化センターでは汚泥が溜まりメタンガスが発生します。
メタンガスの大部分はこれまでは燃やして処理していましたが、
このメタンガスで発電する装置を作りました。
メタンガスを燃やして発電し、ガスエンジンの排熱は消化槽の加温に使います。

これによって浄化センターで使う電気の半分をまかなえて、
1年間に電気代を3400万円節約できます。
またCO2の排出量を1年間に50年生の杉で8万3500本分削減できます。

地球環境を守るために、エネルギーの再利用をはかりながら
コスト削減を目指す職員の意欲を高く評価したいと思います。
また協力してくださった企業の方々にも感謝します。
改革の叫び声の中には、パフォーマンスとしか思えないものもありますが、
これこそ本物の行政改革です。

 

24日の木曜日、九電工から、
200インチの大型スクリーンを656広場に寄附していただきました。
例えば、サッカーの国際試合などを映し出して
大勢の市民が盛り上がることもできます。
佐賀市中心市街地の賑わいに貢献してくれるでしょう。

九州さが大衆文学賞の審査員の
森村誠一さん、北方謙三さん、夏樹静子さんと懇談する機会がありました。
森村さんは気さくな方で、
「ホテルマンをしていたときの経験が財産になっている」と話しておられました。
私たちはただホテルに泊まるだけですが
さまざまな職業、立場の人が泊まってゆくホテルでの人間模様が
小説を書く糧になるのでしょうか。

今月はもうきょうで終わり、あすから3月です。
あすから、佐賀市議会がはじまり、
今年度最後の補正予算、来年度の当初予算の審議が行われます。
今週の中ごろ学校の卒業式があります。

あさってごろからまた寒くなるそうです。
今年の花粉は多いようですので、
風邪とインフルエンザともにご用心ください

2011年2月22日(火)

ここ数日、天気もよく暖かくなりました。
今朝早く散歩に出て草むらに目をやると
少し霜が降りていましたが寒さは感じませんでした。

出勤のためバス停に歩いていると、
電線にたくさんのカチガラスがとまって、カチカチガチガチと鳴いていました。
数えて見ると19羽もいたので驚きました。
日向ぼっこをしながらの早朝集会のようでした。
そこから100メートル行った所の電柱に
カチガラスの新しい巣ができていました。
求愛の春が近づいているのでしょう。

19日の土曜日から「佐賀城下ひなまつり」がはじまりました。
今年のテーマは「歴史と美と味」です。

徴古館の目玉は、
徳川家から鍋島家に嫁いできた夫人の
葵の紋が入った御所人形と、
鍋島家の歴代夫人が愛用した右大臣左大臣のひな人形です。
修復を済ませて10年ぶりの展示です。

11年目の佐賀のひなまつりは、
旧古賀銀行などの会場に
伝統のひな人形や創作人形が展示されているほか、
市の中心部の商店の店先なども、ひな人形で飾られます。

 

 

ひなまつりに新しく加わったのが、
煎茶の祖、高遊外売茶翁を記念する肥前通仙亭です。
ひなまつりに訪れた人をお茶でもてなしています。

 

土日は天気にも恵まれて大勢の方が訪れてくださいました。
佐賀市と同じように、ひな祭りに力を入れている
福岡県の八女市の職員が視察にきていて、
大規模な佐賀のひなまつりに感心していました。

県外の人たちに佐賀に来て頂くように頑張りますが、
佐賀の人たちも是非ひなまつりを楽しんでください。
食のほうも、ひなご膳のほか佐賀のB級グルメも楽しめると思います。
佐賀のひなまつりは3月21日まで、徴古館だけは3月末までです。

このところ大会続きです。
土曜日の午後は、環境保健推進大会があり、
環境保護や保健活動に頑張って下さっている、
2つの団体と6人の個人、それに地域の推進委員20人に
表彰状を贈らせていただきました。

団体表彰されたのは、
活発な清掃活動をしておられる北川副の老人クラブと
シチメンソウの保護に取り組んでおられる
東与賀のシチメンソウを育てる会です。

こうした団体や個人、お世話をしてくださる方が居られるから
地域がまとまり、活き活きとした佐賀市にしてゆくことができます。
ありがとうございます。

土曜日は、この大会のあと自由な時間がありましたので、
大隈記念館を訪ねました。
記念館では今、100年前、南極探検を支援した大隈重信と
探検隊の白瀬矗(しらせのぶ)隊長の企画展が開かれています。
今のような大きな砕氷船や資材、機材も少ないとき
果敢に南極に挑んだ人と支援した人がいたのですね。

土曜日には散髪に行く時間もとれましたが
日曜日は忙しい1日でした。

午前中、少年剣道錬成大会に行きました。
勝利至上主義のスポーツが目立つ中で
この大会は、礼をおもんじる剣道の基本を指導する大会です。
少年少女剣士たちの礼儀正しいきびきびした姿を見る、
気持ちのいい大会です。

剣道の大会のあと、本庄の文化祭を訪ね、
そのあと、福岡に急ぎ、
九州山口の近代化遺産群の世界遺産登録への可能性を探る
シンポジュウムに出席しました。

佐賀の三重津海軍所跡も遺産群のひとつですが、
ひとつひとつ単独では世界遺産登録は不可能で、
グループとしてはじめて可能になります。
その為にも近代化遺産を証明できる文献や遺構が必要です。
現在調査中で、できるだけ早く証明できるところまで到達したいと思っています。

2月もあと1週間になりました。
今週は、し尿、ゴミ、斎場問題を扱う天山地区の議会、
し尿、ゴミ、消防の神埼地区の議会が開かれ、
3月になると佐賀市議会です。
慌ただしく日時が過ぎて行きます。

2011年2月14日(月)

暖かくなっていたのに寒さが戻って
開きそうだった庭の紅梅はまた堅くなりました。
しかし今朝早く犬と散歩していると、
ご近所の庭では白い梅の花があちこちで開いていました。
匂いだけを頂きました。

 

寒かった土曜日(12日)の夜、
古湯、熊の川の街づくり講演会が開かれ、
元女優の浜美枝さんがお話しされました。
浜さんは映画界を去ったあと、
農業をしながら箱根の街づくりなどに協力しておられるそうです。

講演の中で浜さんは、
金太郎飴のような、どこでも同じような街づくりをするのではなく、
地域の特性を活かした街づくりを目指すべきですと話しておられました。
007のボンドガールにもなられた浜さんは
抜群のスタイルのままで、若いころの面影を残しておられました。

富士町からの帰りは吹雪になり、
道路が滑りそうで、車は恐々走っていましたが、
温泉病院近くの三反田付近まで下りてくると雪はやみました。
山間部と平野部はこうも違うかと思いました。

先週、佐賀市の大きな大会が2つありました。
8日の社会福祉大会と
13日の青少年健全育成推進大会です。
自治会長や民生委員の方などは両方の大会でお目にかかりました。
いろいろな分野に関わりながら地域を支えてくださる方々に
お礼を申しあげます。

青少年健全育成推進大会では
不登校などの子どもたちを社会に出す取り組みをしておられる、
白石の住職、稲佐英明さんが講演されました。
この中で稲佐さんは、
「子どもも親も悩んでいます。
中学生や高校生のタバコや飲酒に注意できない親が多く
私に助けを求めてきます」と話しておられました。

親の姿が見えないと泣きべそをかいていた幼い子どもたちも
10年余りたつと、大人を無視するようになります。
甘やかすのではなく、年齢に応じた躾が大切なようです。

10日に市立若葉保育園の起工式がありました。
昭和23年に設立され、
昭和42年に一部改装された建物が古くなったので建て替えます。
子どもたちに木のぬくもりをと思って木造にしました。

若葉保育園は、これまでに2410人が卒園しましたが、
設立当時は、私たちと同世代が通っていました。
団塊の世代は仕事からも卒業した人がほとんどでしょう。

起工式の日は寒かったので
戦後間もない設立当時、子どもたちが暖をとるストーブはあったのだろうか、
火鉢しかなかったかもしれないなどと、
私が幼かったころを思い出していました。

きのうの13日の日曜日
諸富と大川を結ぶ昇開橋がリニューアルオープンしました。
昇開橋は国の重要文化財で、2億8500万円をかけて
色の塗り替えなどが行われました。

諸富側でテープカットが行われたあと歩き初めをして、
大川で記念式典が行われ、
三重の獅子舞や古賀メロディーのギター演奏などがありました。

昇開橋は、昭和10年に建設され、
昭和62年まで52年間、鉄道橋として使われました。
こちらでは学生時代を思い出しました。
私は熊本大学に入りましたので、
この橋を渡る佐賀線に乗って佐賀と熊本を行き来しました。

 

土曜の午後、熊本発佐賀線経由長崎行きの急行で家に帰り、
家の農作業を手伝って、日曜の最終列車で熊本に戻りました。
佐賀を出る時間には帷がおりて、
列車の窓から家族が団欒する家々の灯りが見えて淋しかったのを思い出します。
10月末の稲の取り入れから12月に乾燥が終るまでは、
毎週、佐賀線で往復しました。
当時、大勢の人が利用していました。
鉄道が廃止されるとは思いもしませんでした。

昇開橋は、維持管理に費用がかかるので撤去されそうになりましたが、
地元の人たちの保存運動がみのって残されました。
佐賀線の鉄道は廃止されましたが、
こちらも残されていたら、佐賀空港とのアクセスとして使えたのではないでしょうか。

バレンタインデーの今朝、手紙を添えたネクタイが置いてありました。
濃いグリーン系の新しいネクタイで、早速それを締めて出勤しました。
柄はよく見ていなかったのですが、中部広域連合の議会で
多久市長に「いいネクタイですね」と云われたので、あらためて見ると、
小さな水玉模様の中に、笑顔のニコちゃんマークが描かれていました。

手紙には、わが家の4人の姫よりとありましたので、
3人の娘に妻が加わってのプレゼントでしょう。
しかめっ面をしないで、ニコニコしなさいという姫たちからの
メッセージと受けとめました。
直接お礼を云うのも照れくさいので、この場で感謝の気持ちを表します。

今月は来週を残すだけになりました。
2月は逃げる、3月は去るといいます。
年度末は時間が早く過ぎますので、
油断することなく、キビキビと仕事を処理します。

2011年2月7日(月)

冷凍庫の中にいるような寒さから
日中はだいぶ暖かくなりました。
それでも朝はまだまだ冷たく霜が降りる日もあります。
そんな日の朝、ウコッケイの餌にする大根の葉や小松菜を刻むと
ジャリジャリと薄氷を切る音と感触がします。

ウコッケイの小屋には網を張っていますが、
餌を狙ってスズメが入ってきます。
ネズミも出入りしているようです。
こうした小動物を完全に遮断するのは難しく、
鳥インフルエンザ対策に追われる養鶏農家の苦労が分かります。

 

2月2日に久保泉で市長と語る会を開きました。
寒い中、多くの人が訪れてくださいました。
近所に店がなくて買い物は、車で隣りの地区まで行かなくてはならない。
イノシシが小学校の近くまで出てくるようになった、などの他、
増える耕作放棄地や騒音問題など、
身近な問題での意見や希望が出されました。
実態調査を行い解決に向けてできるだけの努力をします。

2月3日の節分は、
妻が作ってくれた恵方巻きを食べて厄を落として
さあ元気に行こうと気合いを入れました。

2月4日、急きょ上京して菅総理にお会いしました。
知事、県議会議長、有明海漁協の組合長と
有明海水産振興協議会の代表の私が、
諌早干拓裁判で上告しないという苦渋の決断をされた総理にお礼を申しあげました。

長崎県側は強く反発していますが、
私は、これで有明海再生へのスタートが切れたと思っています。
利害関係が全く異なる問題で決断するリーダーの苦悩は
小さな自治体を預かる私にも良く理解できます。
敬意を込めてお礼を述べました。

5日の土曜日に
今週からはじまる、中部広域連合議会の打ち合わせをしました。
内部の会議は、できるだけ土日は避けるようにしていますが、
前日、私が急に上京したために広域連合の職員に出てきてもらいました。
ご苦労さまでした。

その中部広域連合議会は、
きょうから来週はじめまでの予定で
介護保険や広域消防の問題を議論します。

春はすぐそこまで来ていますが、春がきたところもあります。
きのうの6日、太田城下ひな祭りが開かれました。
毎年、テーマを決め、地元の女性たちが制作した
ひな人形が展示されます。
今年のテーマは「喜」です。

 

このひな祭り、
女性だけでなく、男衆の協力が際立っています。
駐車場の整理、会場の飾りつけなどを男衆が助けていました。

男性たちは毎年、山から竹を切ってきて、会場の飾り付けに使っていますが、
その竹を捨てるのではなく、竹の炭を焼いてクリークの浄化に利用しようと、
近くに炭焼き窯を完成させました。
夏にはクリークの掃除をして、
寒い季節は土日に炭焼き窯作りをしたそうです。
さまざまな職業の人が得意分野を生かしておられます。
地域力の結集をみました。

次の日曜日(13日)、
改修を終えた筑後川に架かる昇開橋が
リニューアルオープンします。
福岡の人が橋を歩いてたくさん佐賀を訪れてくださることでしょう。

2011年1月

2011年1月31日(月)

きのうの日曜日、
寒いけどお日さまが差していたとき、庭に出ると
紅梅とチンチョウゲが、わずかに膨らんで出番を待っているかのようでした。
1週間もすれば春を感じることができそうだと思ったのですが、
夕方からまた雪になりました。

 

今朝は平野部でも久しぶりの積雪となりました。
朝、薄暗いうちに犬のマックスと散歩に出ました。
神社の境内でラジオ体操を終えて帰るころには明るくなります。

マックスは白い犬ですが、雪化粧の純白にはかないません。
薄汚れて見えます。
何事もひとつのものだけを見るのではなく、俯瞰して見ないと
判断を誤るようです。

 

南九州の宮崎、鹿児島は大変な事態になっています。
口蹄疫、鳥インフルエンザに加えて、新燃岳の噴火、
霧島を何度も縦走した人に聞きますと、
新燃の火口湖の水はコバルトブルーに輝き息をのむ美しさだそうです。
美しい山が爆発するように噴煙と石を噴き出して、
人々を脅かしています。

農作物、人々の生活、健康が心配です。
市長会などで、支援策を検討することになるでしょう。

鳥インフルエンザは
ウイルスを持つ野鳥が飛んで来るなどして
佐賀も汚染される可能性があります。
気持ちを引き締めたいと思います。

先週は東京に行き、バルーンで支援をいただいている企業に
今後の協力をお願いしてきました。
メインスポンサーのホンダとパイオニアから
厳しい経済情勢にあるが、支援をさせていただきます、という
暖かい言葉をいただきました。

東京を訪れた機会を利用して
埼玉県浦和で開かれている佐賀市の物産展に行きました。
お菓子や海苔、農産物、名尾のトリメシなどが展示され
恵比寿さんも鎮座していました。

佐賀市単独の物産展です。
人と人のつながりから、浦和で物産展を開くことができました。
開催に向けて努力された関係者と
支援してくださった方々にお礼を申しあげますが
人の絆の大切さをあらためて思いました。

先週の末、異業種の事業主の方々の集いに出席しました。
このとき、出席した人から、
ある企業が進出先を求めていることを教えていただきました。
佐賀市は、企業誘致のための情報を集めていますが、
今、なかなかいい情報はありません。
思わぬ情報を知ることができて、
ここでも人と人のつながりの大切さを知りました。

日中韓を舞台にした徐福のドラマを制作する計画があり、
先週の27日と28日に関係者が佐賀を訪れました。
日本、中国、韓国の、シナリオライターなどテレビ関係者10数人で
シナリオハンティングのために佐賀に来られました。
徐福ゆかりの地は、佐賀以外にもあって、
日本の主な舞台が佐賀になるかどうか決まっていませんが、
日中韓を結ぶ、壮大なドラマの日本の舞台は
ぜひ佐賀にして欲しいものです。

きょうで経済対策を議論する臨時議会が閉会しました。
総額7億円近い経済対策は、
できるものから実施して経済効果を出したいと思います。

あすから2月です。
補正予算の査定を行い、
2日には久保泉で市長と語る会を開きます。
6日には、ひな祭りのトップを切って
諸富太田城下ひな祭りがはじまります。
佐賀城下ひな祭りは19日からです。

寒さは峠を越えたでしょうか。
春が待ち遠しいこのごろです。

2011年1月25日(火)

大寒らしい寒さが続いています。
佐賀市では最高気温が10度に達しない日が
20日にもなったそうです。
農産物などの被害を心配しています。

宮崎県は口蹄疫のあと鳥インフルエンザと続き、
畜産や養鶏農家の苦しみが伝わってきます。
対岸の韓国でも口蹄疫が発生しています。
佐賀にも影響してこないか心配しています。

先週は、移動市長室や市長と語る会などで外に出ることが多く、
たくさんの市民の方からご意見をいただきました。

その中で、ある人から
「中学生のころ非行に走ったことがあるが、
子どもたちは没頭するものがあれば非行に意識が向かない。
スポーツで非行防止に役立ちたいので、
グランドを用意して欲しい」という申し出がありました。

市の中心部のグランドは
色々なスポーツ団体などが使っていて空がないので
郊外のグランドを提案すると、
「そこでは駄目だ、やる気はあるのか」と
市の姿勢を問われるお叱りを受けました。

グランドはスポーツ団体が自分たちで工夫しながら確保しておられます。
ありがたい申し出ではあるのですが、
全て市でお膳立てするというわけにもいかず戸惑いました。

北川副の石丸春雄さんから
今年も緑化に役立ててほしいと寄附をいただきました。
これまで頂いた寄附をあわせると1000万円を超えます。
佐賀市は市民1人に1本、24万本の植樹を目指しています。
樹木の購入など緑に包まれた街づくりに使わせていただきます。

22日と23日の土日に
メイトプラザで、消費者フェスタが開かれました。
産、学、官、民が
賢い消費者つくりを目指して共同で開き、
色々な発表や展示が行われていました。

 

佐賀大学も協力してくださっていて、
佐賀大学経済学部学生の松尾彩加さんの
訪問販売の届出制の提言が
全国の消費者関連専門家会議から
最優秀の提言と評価されました。

悪質商法が各地で問題になっていて
投資話を偽った福岡の業者が逮捕されましたが、
この業者に、佐賀県の首長が利用されていたことがわかりました。

この業者はFM放送事業も行っていましたが、
その放送番組で佐賀県内の首長が紹介され
結果的には業者の信用を裏付けることに利用されました。
よく知らない業者のインタビューに無警戒に応じないなど
賢い首長の心得も必要です。

23日の日曜日、
東与賀干潟公園で校区対抗駅伝がありました。
29チームが参加して私がスターターを務めさせていただきました。
しかし、ピストルの火薬が湿っていたのか、パンと鳴らずに
ボショという音がしただけでしたが、皆さん一斉にスタートされました。

1区は40歳以上で「お父さん」とか「パパ」という応援の声が上がっていました。
中には60歳を越えた孫のいる方もおられましたが
「おじいさん」という声援は聞えませんでした。
若々しく走る姿は、孫がいても「おじいさん」ではありませんでした。

 

日曜の午後は
「こどもと学ぼう幕末の知恵」と題した世界遺産シンポジウムがありました。
佐賀市は幕末の近代化産業遺産群の世界遺産候補入りを目指していますが、
反射炉跡がある日新小学校の子どもが研究発表したほか、
佐野常民記念館のボランティアガイドをしている
中川副小学校の子どもたちが
ボランティアガイドの風景を再現していました。
世界遺産への鍵となる造船所跡の発掘調査は
いよいよ核心に近づいています。

 

今週は、これから(25日朝)東京に向かいます。
全国市長会へに出席するほか、
交付税で国への要望活動をします。
またバルーン大会のスポンサーになってもらっている企業を回って
今年の秋の大会への支援もお願いしてきます。
帰ってくると28日から経済対策の臨時市議会です。

寒さがつづき、インフルエンザが広がっています。
予防対策を怠ることなく、
元気に冬を乗り切ってください。

2011年1月17日(月)

ここ数日、寒くて冷たい日が続いています。
今朝、いつものように、犬のマックスを散歩させながら
ラジオ体操が行われる自宅近くの本庄神社に向かいました。

まだ暗くてよくは見えませんでしたが、
神社の前のクリークの水は凍っていました。
神社の手洗いの水槽もガチガチに凍って、
水道の蛇口も凍って水が出ません。

水を汲む柄杓の柄で水槽の氷を割ろうとしましたが
まったく歯が立たなかったので、
今朝は手洗いをしないままお参りしてラジオ体操をしました。

 

先週は、中部広域連合と
佐賀市の来年度の当初予算の査定をしました。

佐賀市の予算規模は年間880億円程度ですが
この内、来年度は子ども手当てが50億円で
全予算の6%近くになります。
はじめ子ども手当ての財源は全て国がみるとのことでしたが、
佐賀市が5億円、佐賀県が5億円負担することになります。

これまでの児童手当の財源を吐き出すことで何とかしのぎますが、
再来年からは、地方に負担させるのはやめてほしいものです。

もうひとつ負担が増えるのが予防接種です。
これまで行っていなかった予防接種が行われるようになり、
国民の命と健康を守るためには1歩前進ですが
公費負担ですので地方財政に影響がでるのはたしかです。

先週の火曜日ごろから
靴を履いて歩くと足の指先に違和感があるようになりました。
風呂に入ったとき足を見ると、指先が赤く腫れていました。
どうやら霜焼けのようです。
子どものころはよく霜焼けができましたが、
最近霜焼けができた記憶はありません。

原因を考えると、先週の日曜に行われた消防出初式で
冷たいグランドで立ちっ放しだったためと思います。
出初式では2000人を越える消防団員が立ちっ放しでした。
同じように霜焼けに苦しんでいる方が おられるのではないかと心配しています。

この週末、公式行事がなく休日を楽しむことが出来ました。
市役所の秘書課の旅行で、北九州に行きました。
その際、九州一の炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門邸を見学しました。

炭鉱で巨万の富を得た伝右衛門が
25歳年下の若い妻、柳原白蓮のために贅を尽くして建てた邸宅でした。
白蓮は伝右衛門の元を去り、絶縁状をつきつけます。
女性の人格を認めずに金で縛ることはできませんでした。

「金襴どんすの帯締めながら花嫁ごりょうはなぜ泣くの」という童謡は
白蓮がモデルという説もありますが、さて。

90年前と今では人々の考え方も変わってきていますが、
守らなくてはならない人格は、女性も男性も同じです。

 

夜は久しぶりに職員と懇談して楽しいひとときを過ごし、
翌日の日曜日、
私は歯の治療のために、皆さんよりひと足早く昼前には佐賀に帰りつきました。
歯には少々てこずっています。

日曜の夜は、高校時代からの交流グループで、
夫婦連れの懇親会をしました。
皆さん、それぞれ妻の人格を尊重して、
持ち味のある家庭をつくって居られます。

懇親の席にジャズバーを経営する
原田さん夫妻と息子さん夫妻に来ていただきました。
原田さんは私たちと同年代です。
リュウマチを患っておられ、指の自由が利きませんが、
ピアノや打楽器を見事に演奏されました。

息子さんのトランペット、お嫁さんのバイオリン、
お連れ合いの声楽とあいまって音楽の楽しさを味わいましたが、
それと共に、病に打ち勝っての演奏に気力をいただきました。

今週は、あすの18日に金立で市長と語る会、
20日、大和で移動市長室が開かれます。
また週末には、校区駅伝、世界遺産シンポジウムが開かれます。
先週末はのんびりしたので、次の週末は仕事、仕事です。

2011年1月11日(火)

寒さが厳しくなり、
夜間の冷え込みで朝道路が凍結していることもあります。
今朝はそれほどでもありませんでしたが、
出勤のためにバス停まで白い息を吐いて歩きながら
環境と人の暮らしについて考えました。

今佐賀の人たちは
38度から氷点下3度くらいのところで暮らしていますが、
北海道の人は
さらに10度くらい幅が大きい温度の中で暮らしています。

人の順応性は高いようですが、
最高気温がさらに5度も上がれば耐えられるでしょうか、
ムラのある雨の降り方を見れば、
そんな時代がくるかもしれません。
寒いからといって地球温暖化を忘れてはいけないでしょう。

新年の行事が続いています。

おとといの1月9日、
佐賀市民運動広場で消防出初式がありました。
佐賀市が大きく合併して
合同の出初式をグランドでするのは初めてです。

 

出初式には3420人、消防車26台が参加して
この内2200人がグランドに集結しました。
立っているだけで足先の感覚がなくなるような冷たさでしたが、
消防団員は2時間立ちっぱなしでした。

 

2000人を越える人たちが整然と集まり行進する姿を見ると、
とても頼もしく感じました。
災害はあってはなりませんが、いざというときの大きな力です。

同じ9日の午後、成人式がありました。
こちらは合同ではなく、旧市町村ごとに8つに分かれて行いました。
私はこの内、市民会館で行われた旧佐賀市の成人式にうかがいました。

他の県であったような騒ぎも無く、
ここ数年では比較的ざわつかない成人式でした。
それでもわずか15分の式典の間、私語が絶えませんでした。
午前中の出初式とは比べようもない違いです。

ピンク色の髪の男性、朱色の羽織を着た男性も
私にはなじめません。
今年の佐賀市の新成人は2481人です。
若い人たちに期待したいのですが、
15分間私語を我慢できない若者には先がおもいやられます。

きのう10日は、
北川副の「ふれあい冬まつり」ほんげんぎょうに行きました。
私は朝の6時半ごろ顔を出しましたが、
地元の皆さんは、小雪の舞う朝暗いうちから準備されました。
富士町からもらってきた間伐材を井形に組み、
お寺さんにもらった10メートルを越える竹を組むだけでも大変です。

わが家のしめ縄を燃やして、
家や地域、佐賀市全体の無病息災を祈りました。

北川副のふれあいまつりは、
大人から子どもまで、みんなが力を合わせるのが特長で、
小中学生や高校生が大人を手伝っていました。
大人は、焼きそばやお酒など温かいものを出すテントを設け、
小学生は大人と子どものジャンケンコーナーを置き、
中学生は案内放送をするなどしていました。

 

佐賀市は、子どもへのまなざし運動をしていますが、
ここに理想の姿があるような気がしてうれしくなりました。

新年の行事に追われている内に
あっという間に1月の3分の1が終りました。
2月は逃げる、3月は去ると、時が経つのが早いので
仕事を急がなくてはなりません。

今週は予算査定と、
佐賀城下ひなまつりの宣伝に福岡に行きます。
ひなまつりは2月中旬から3月末までです。
3月末には長崎線の特急が大増発されます。
福岡のお客さんに佐賀に来ていただけるよう努めます。

2011年1月5日(月)

あけましておめでとうございます。
年末年始は寒波と雪に見舞われました。
山間部の方など、ご苦労されたことと思います。

正月を迎えるにあたって、市役所にも、蓮池の「鼓の胴の松飾り保存会」から
しめ縄を、富士大和森林組合からは門松をいただきました。
西玄関に飾っています。 お礼を申しあげます。

 

さて私の年末年始ですが、
12月28日と29日に歳末警戒の消防団を激励しました。

28日は諸富町のハートフルに南部方面隊、
大和支所に北部方面隊が集結しました。
29日は、中部方面隊が佐賀消防署に集結しました。
いずれも幹部の皆さん達です。
天山下ろしが吹きつける冷たい夜、
分団ごとに住民に防犯防災を呼びかけて回られました。
災害のない年末年始でしたが、その影に
こうした皆さんの地道な活動があります。お礼を申しあげます。

 

30日、横浜に住む孫が帰ってきました。
例年わが家は弟たちと一緒に29日に餅をついて
遠くの親戚にふるさとの餅を送ります。
しかし今年は孫たちに餅つきを見せようと、
1日遅れの30日に餅つきをしました。

羽釜の上にせいろを重ね、
かまどに木をくべて燃やし昔ながらの餅つきをしました。
子ども用の杵も用意して、田舎の餅つきを体験させました。
思い出になると思います。

 

31日の夜から元日にかけて、とても寒かったですね。
元旦の午前0時、横殴りの雪が吹きつける中、
寒さと不景気を吹き飛ばすように「ドカン」とカノン砲の祝砲を撃ちました。

 

一旦家に帰って夜明け前、
佐賀歩こう会が開いた、ラジオ体操と5社参りに出かけました。
開会式が行われた県庁前まで自転車で行きましたが、
次第に雪がひどくなり、またたく間に積もりました。

ふと大きな木を見上げると、カラスがたくさん集まっていました。
白い雪と黒いカラスのコントラストが美しかったのですが、
今年はカラス対策もしなくてはと、仕事のことを考えていました。

5社参りで今年の安寧を祈りましたが、
自宅に帰ったあと、妻と近所の神社を回り、
結局元日に9つの神社にお参りしました。

3日には、孫たちもふくめて6人で
古湯の旅館の温泉に入りました。
たまたま温泉に他のお客さんが居なかったので、
孫たちは温泉でプールのように遊んでいました。
孫たちと楽しい時間を過ごすことができました。

4日のきのう仕事を終えて家に帰ると
玄関にたくさんあった靴がもうありません。
玄関はすっきりしているのもいいのですが、
小さい靴で賑やかな玄関のほうがいいですね。

孫が来て、賑やかな正月でしたが、訃報にも接しました。
2日に親戚の葬式、3日は知人の通夜でした。
きょうも市役所のOBと知り合いが亡くなったことを知りました。
別れの正月でもありました。

仕事はじめのきのう、
職員への挨拶、土地改良区での挨拶、
経済界の人たちとの新年の集いなどで
今年の抱負を述べさせていただきました。

私が市長になって5年間、
決して大盤振る舞いはせず、節約を重ね、
財政健全化が視野に入ってきました。
そこで、これ以上経済を冷え込ませないために、
今年は積極的に前に進む行政を行いたいと考えています。

▽ 経済、産業の振興、中心商店街の活性化、
▽ 子育て、教育支援
などを柱にしますが、
教室で普通に授業ができなくなっている
教育現場を支援したいと思っています。

支援を必要とする子どもが増えて
学級の2割で、普通の授業が出来なくなっています。
生活指導員を学校に配置していますが、
人数が少なく、1人で掛け持ちをしているのが現状です。
指導員を1校に1人配置できるよう倍増させたいと思っています。

指導員の倍増によって、落ち着いた授業を取り戻し、
学力の向上をはかると共に、
障害のある子どもに
社会に早く適応できる指導をできるのではないかと思います。

市の職員には、待ちの姿勢ではなく前に出ることを求めています。
これまで出来なかったことに取り組むとき、
出来ない理由を考えず、
何としてでも遂行することを考えるようにと言っています。

1人の100歩より
100人の1歩です。
市民の皆さまの協力をいただきながら、
職員と共に、前に前にと市政を進めたいとおもっています。
どうぞよろしくお願いします。

(C)ひでしま敏行後援会. All Rights Reserved.