2008年7~9月のひとり言

2008年9月

2008年9月22日(月)

天山の山頂はススキやハギにつつまれ、
麓は彼岸花が黄金色の稲田に赤い筋を引いて秋を告げていました。

天山を囲む自治体が、毎年山頂で天山祈念碑祭を開いていて、
今年も9月19日の金曜日に開かれました。
佐賀、小城、多久、唐津の4市から
市の執行部や議員、それに地元自治会の人たち150人が山頂に登り
天山を囲む地域の五穀豊穣や天下泰平を祈りました。

皆さんの祈りが通じたのか近づいていた台風は南にそれました。
太平洋側の被災地の方には申し訳ありませんが、
佐賀の収穫前の米や大豆、果物に被害はありませんでした。

山頂から、北の山々、南の佐賀平野、有明海をながめながら
佐賀市は広くなったものだと、あらためて思いました。

この日は議会も休みで、議員も党派を越えて
和気あいあい、登山道に汗を流しておられました。
議会に缶詰になる日が続いていましたので、
私も心が休まる天山でした。
秋の間に、妻を誘ってゆっくり登りたいと思いました。

10月から、秋の川掃除が一斉に行われますが
ひと足先に、20日の土曜日の朝、
佐賀市の職員と市民ボランティアの人たちが
柳町地域の河川清掃をしました。

柳町は、歴史的建造物など、佐賀市の公の建物が多く、
地元の人に何かとお世話になるので
毎年職員が出て川掃除をしています。
午前7時から9時までで、私も胴長を着て川に入りました。

街づくりは道路側の表から行われますが
時には、裏の川を活かした街づくりを考えることも必要です。
一緒に掃除をしていた女性が
「川遊びができる川になるといいですね」と言っておられました。
しかし、一部は石積みの護岸も残っていますが
多くはコンクリートの護岸がむき出しに見えて道は遠いようです。
ただ松原川のように蘇ったところもあります。
長い目で頑張りましょう。

川掃除に頑張ったため、肩こりに苦しみながら、
その日の夜開かれた後援会主催の市政報告会に出席しました。
お忙しい中、佐賀市南部地区の方々400人が
市政報告を聞いて下さいました。
皆さんの熱い眼差しを見ながら、
皆さんと共に、佐賀の街づくりに頑張ろうと思いました。
集まって下さった方々、
お世話をして下さった実行委員会の皆さん、ありがとうございました。

 

21日(日)は彼岸の墓参りに行きました。
先祖の墓と、中学の恩師の墓5ヶ所を回りました。
出るとき激しい雨で長靴を履いて出ましたが
2時間半の墓参りの間に天気は回復し、
墓で出会った人が、私の足元を見て怪訝な表情をしておられました。

去年の秋、
佐賀は全国高校総体で若者の熱気に包まれましたが
今年は、佐賀県高校総合文化祭が
20周年記念祭として佐賀の街の中で大々的に開かれます。

総合文化祭は10月3日からですが、
9月23日から29日までプレイベントとして
「街かど総分祭」がエスプラッツなどの街の中心部で開かれます。

エスプラッツ、アーケード街の店先、玉屋などに
絵画や書、写真などが展示されるほか、
むつごろう広場でミニコンサート、
映画館のシエマでは、高校生の映画交流が行われます。
佐賀の中心部が、ひととき、若者のエネルギーにあふれます。
どうぞ、お出かけください。

2008年9月16日(火)

きのう涼しかったと思うときょう(16日)はまた暑くなりました。
ノーネクタイのクールビズは今月末までとしていますが、
この暑さでは、去年のように2週間くらい
伸ばさなくてはいけないかもしれません。

先週は市議会一般質問で議会に缶詰になっていましたが、
週末は秋の行事への出席が相次ぎました。

13日の土曜日、親しい友人の家に月見に招かれました。
夕方から雨模様になり、お月様を見ることはできませんでしたが、
秋の野の花が活けられた部屋でお酒と会話を楽しみました。
気心の知れた人たちと、久しぶりにくつろいだ時を過ごすことができました。

14日の日曜日は、諸富町の産業祭に出かけました。
今年は30回目で、産業祭が始まった頃は、
木工家具業界が元気でしたが今は苦労されています。
農業も後継者不足や油の高騰に苦しんでおられます。
養殖ノリは今年は好調でしたが、
有明海の状況によっては、いつどうなるか不安があります。
そんな中で皆さん頑張って産業祭を運営しておられました。

海辺の諸富町に山の富士町の人が訪れて
間伐材を使って、子どもたちの木工の体験が行われていました。
佐賀市が山から海まで、大合併を果たしたことで
海辺と山あいの交流がいっそう深まっています。

海辺の産業祭のあとは山の映画祭に出かけました。
古湯映画祭もことし25回目です。
監督の周防正行さん、五十嵐匠さん、俳優の清水美沙さんなどの映画関係者が
シンポジュウムやパーティで、地元の人や映画ファンと交流していました。

 

パーティでお会いした埼玉県の女性は
日経新聞の北方謙三さんの連載小説「望郷の道」に
佐賀県のことがたびたび書かれていて、
同じ日経新聞に古湯が紹介されていたので、
映画祭を訪ねたと話しておられました。
毎年欠かさずに映画祭を開いてこられた人たちが
古湯を、佐賀を全国の人に伝えています。
黙々と映画祭を運営しておられる人たちにお礼を申し上げます。

私は「それでも僕はやっていない」という映画を見ました。
電車の中で痴漢行為をしたと疑われた少年の苦しみを描いています。
やっていないのに、警察も裁判所も信じてくれない、
そんなバカなという不条理が現実にあることを伝えています。
周防監督は、
「後味の悪い、スカッとしない結末ですが
持ち帰って考えてほしいと思います」と話しておられました。
どうしたら冤罪事件を防げるのか、私も家で考えています。

14日から15日にかけて敬老行事が各地で開かれました。
私は本庄地区と東与賀地区、特別養護老人ホーム「つぼみ荘」の
敬老会に出席しました。

本庄地区は75歳以上1300人のうち500人が出席され、
広い会場もあふれるばかりでした
毎年増えておられるということで、主催者は会場探しに苦労しておられました。

東与賀地区は酒を出さずにパンとまんじゅう、牛乳の敬老会でしたので、
会場の駐車場はモミジマークの付いた車がたくさんありました。
75歳を越えて運転する人がたくさん居られるのに驚きました。
東与賀はこのほか地域ごとに酒を飲みながらの敬老会もあるようです。
お世話をする方、ご苦労さまです。

佐賀市の100歳以上は151人です。
45年前の昭和38年の100歳以上の人は全国で153人でした。
長生きをする人が増えたことが分かります。
同じ長生きでも、元気に長生きして下さい。

2008年9月8日(月)

彼岸花を見かけるようになりました。
残暑が続きますが、朝夕は秋の気配を感じます。

6日の土曜日、朝のうち久しぶりに畑に出ました。
生い茂った畑の草刈をしたあと
秋野菜を植えられるようにトラクターで耕しました。

 

公務を終えて帰った夕方、
ウコッケイの餌にする葉物野菜が不足しているのに気付き
チンゲンサイと大根の種を蒔きました。
以前は秋野菜は8月の下旬に植えていましたが、
最近は温度が高いので今頃植えると虫にやられます。
一番の害虫はヨトウムシですが、
美しいの音色を聞かせてくれるコオロギも野菜の新芽を食べるようです。
ウコッケイの餌ですので少々食われてもかまいません。
コオロギのコンサートの入場料と思うことにします。

7日の日曜日の朝ウコッケイに餌をやりに出たとき、
右手がモミジの葉に触れ、チカッと痛みが走りました。
ニンギョウイラと呼ばれる毛虫に刺されたのです。
オクラを収穫に出たとき、ズボンにヨトウムシが付いていました。
よく見ると、サトイモやサツマイモ、大豆などに
ヨトウムシがたくさん発生していました。
毛虫やヨトウムシは困るので薬を撒きました。

虫との闘いで朝食が遅くなりましたが、
友人や妻と一緒に有田に出かけました。
深川製磁がミラノで「欧州への道」という展示会を開き、
地元に戻ってきた作品がチャイナオンザパークに展示されていました。
黒、白、朱色の作品は
ひとつひとつも素晴らしいのですが、
並んで展示されることで、それぞれが引き立っていました。
異なるものが、自らと相手に輝きを与える調和の美がありました。

人の社会も、オレがオレがでは成り立ちません。
異なる人がそれぞれに個性を認め合うことで調和がとれるのだろうと、
妙なことを考えながら、作品をみていました。

深川製磁の社長は佐賀市に住んでおられたことがあるそうで、
県都の佐賀市が輝かないと佐賀県が輝かないと
多くの意見や提言をいただきました。

有田の帰りに武雄市にある御船山観光ホテルに立ち寄りました。
今の佐賀市民会館のあるところに
鍋島直大候の別邸がありましたが、
市民会館が建設されるとき解体されて武雄に引き取られ、
旅館の建物に生まれ変わりました。

今は御船山観光ホテルの本館に続く建物になっています。
大正のはじめに建てられた別邸の
北山の杉や檜の柱や梁がそのまま使われています。
天井は、折り上げ格天井と呼ばれる今では珍しい天井です。
部屋には幕末の三舟と言われる
勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟の書が掛けられていました。

本来佐賀市で保存されるべきものが
武雄の人によって残されていました。
感謝の気持ちと複雑な気持ちが同居していました。

その日の夕方、1ヶ月ぶりに温泉に入りました。
畑と文化と温泉、
久しぶりに充実した日曜日でした。

嬉しい話を紹介します。
佐賀市は今、巨勢町に公園を建設中ですが、
その公園の広場に滑り台やトンネルなどが一体になった
コンビネーション遊具を寄附していただきました。
寄附して下さったのは、
地元で薬局を営む、宮地賢二さんとキクヨさんご夫妻です。
財政難の佐賀市には、もちろん嬉しいことですが、
地元の子どもたちのためにという
暖かい心が、子どもたちに届くと思います。

今週は市議会の一般質問がはじまります。
一方で実りの秋、祭りの秋です。
週末には古湯映画祭が始まります。会場は新築された生涯学習館です。
彼岸花の咲く山里の温泉で、映画を楽しんで下さい。

2008年9月1日(月)

きょうから9月です。
いったんやわらいだ暑さが戻ってきましたが、
クマゼミの鳴き声が少なくなり
トンボや、田んぼの稲穂、大豆などに秋がほんのりと見えてきます。

ヨーロッパの出張から帰ってくると
広域の議会、自治体の協議会総会、経営戦略会議
市長と語る会、地域の市政報告会、それに現地調査など次々と仕事が入り、
夜はお世話になった方のお通夜に参列するなど多忙です。

8月の終わりのきのうの日曜日も忙しい1日でした。

消防団の夏季訓練が、諸富、大和、富士で行われ、
私は午前5時に起きて、諸富と大和の訓練に参加しました。
子どもの夏休みの最後の日曜日の半日を割いて
早朝から訓練に励む消防団の人たちがいて地域の生命財産が守られています。
最近はゲリラ的な集中豪雨が増え、
消防団の活動は消火活動だけでなく、水防、捜索など幅広くなっています。
地域によっては人手不足の消防団もあります。
市職員は出来るだけ消防団で活躍して欲しいと思っています。

 

市長杯のアーチェリー大会では
夫婦、家族、障害のある人など、さまざまな人たちが
競技をしておられました。
佐賀市でアーチェリーをする人の数は多くはありませんが、
少ない人数でも頑張る人たちの情熱が実ったのでしょうか、
去年の高校総体で高志館高校が全国優勝を果たしています。

 

嘉瀬川下流では遣唐使船レースが行われました。
鑑真和上の日本渡来を記念するレースで、
職場や地域、学校単位で47チームが参加して、
合わせて1000人近い人たちが船を漕ぎました。

嘉瀬川河畔はレースを終えたあとバーベキューをする人たちで賑わいました。
遣唐使船レースは今年で12回目で佐賀の夏祭りとして定着してきました。
祭りは裏で支える人たちがいます。
ここまで育てて下さったことに感謝します。

8月はお世話になった大勢の人を見送りました。
自治会長、公民館長、消防団長、体育協会長などとして
佐賀市政に協力して下さった方々です。
多くの人が70代前半で、お別れするには早すぎる人たちでした。
ご冥福をお祈りします。

今朝、長い夏休みを終えて小学生が元気に登校していましたが、
帰りは疲れが見える子もいました。
秋が近いとはいえ夏の疲れが残っています。
無理をしないように、体をいたわって下さい。

2008年8月

2008年8月27日(水)

旧三瀬村とフランスのクサック村の
姉妹縁組20周年記念式に出席するため
クサック村を訪ねてきました。

クサック村はワインで知られるボルドー市からバスで1時間の村です。
ボルドー市は福岡市と姉妹縁組していて、
お互いの近郊の農村どおしが交流しようということになり
20年前姉妹縁組しました。
(先週10周年と誤って書いてしまいました。正しくは20周年です)

クサック村は2000人が暮らす農村で、
丘陵地帯にブドウ畑が果てしなく広がっていました。
村には広い公園のような屋敷に
住居とワイン工場があるシャトーが20数ヵ所ありました。

記念式典は23日に行われ、
三瀬の中学生9人と引率の先生、私など佐賀市の関係者、
合わせて16人が歓迎を受けました。
村の人たちは手作りの料理とプレゼントで歓待して下さいました。

 

20年の間子どもたちの交流が続いてきましたが、
クサック村の村長は、
「これからは大人も交流して、文化と経済の結びつきを強めよう」と
話しておられました。

何ができるのか考えていますが観光での交流はできるでしょう。
クサック村の「メドック城塞」は世界文化遺産に登録されていて
歴史のある村です。
ヨーロッパを旅したとき、素朴な小さなワインの村を訪ねるのも
一興かと思います。

フランスに行く途中、イタリアに立ち寄りました。
ローマなど歴史の風格のある街には多くの人が訪れていました。
一方で、ゴミを回収するための大きなコンテナが、
街のあちこちに置かれていました。
歴史の重みのある美しい街にゴミ集めのコンテナは不似合いで
違和感を覚えました。
イタリアはゴミに頭を痛めているようです。
佐賀の美しい街を思い出しました。
イタリアはフランスへの公式出張と外れていましたので、
旅費などは私費で負担しました。

おととい(25日)帰ってきましたが、
ご飯と漬物、味噌汁の美味しさが身にしみます。

今週は広域の議会など日程が詰まっています。
時差ぼけを克服して頑張ります。

2008年8月18日(月)

8月9日(土)の長崎原爆の日に
佐賀市立図書館で開かれた、佐賀市主催の平和展に出かけました。

平和展では、映画「夕凪の街桜の園」が上映されていました。
広島に落とされた一発の原爆で殺された人や
その後も心身の後遺症に苦しむ家族の話です。

姉妹の妹はさ迷い歩く姉の背中で死亡し
妹の声は姉から離れません。
姉は13年後、恋人が出来ますが、原爆症で亡くなります。
母や弟のお嫁さんも心身とも原爆に蝕まれます。
原爆は落とされた瞬間多くに人の命を奪いますが、
その後も体だけでなく、心にも後遺症を残します。
涙があふれ出ました。

平和展は、去年は「戦地からの手紙」がテーマでした。
戦争が終わり、夫の帰りを待つ妻の日記がありました。
軍靴の足音が家の前で止まるのを待ちますが足音は家を通り過ぎて行き、
代わりに夫の死を知らせる手紙が届きました。
2度とこんな悲しい思いをさせてはいけない。
むごたらしい殺人が行われる戦争をしてはいけないと思いました。

若い人たちは平和は当たり前のことと思っていますが、
平和を守る決意と行動があって、平和は守られています。
終戦の日の8月15日に
佐賀新聞が憲法の前文と9条を掲載していました。

8月9日には2つの場所で元気な子どもたちに出会いました。

そのひとつは富士町の子どもたちです。
富士町の公民館がダムの底に沈むので
新しく中央公民館も兼ねる生涯学習センターが建設されました。
そのこけら落としで、
子どもたちが1輪車乗りと太鼓の演奏を披露しました。
実に伸び伸びと育った子どもたちで
ここには、不登校やいじめという言葉は存在しないようでした。

ふたつ目は日新まつりで出会った子どもたちです。
地区ごとにテントが張られ、出店も出ていました。
こうした夏祭りは地域の活力を生みますが
中学生がまつりの運営に協力していました。

8月12日に
三瀬に接する福岡市早良区のループ橋が開通しました。
橋脚は高いところは63メートル余りで
よくもこんな高いところに橋を作ろうと計画したものだと感心しました。
お隣どおし仲良くしようと福岡市の吉田市長と固い握手をしました。

福岡の都会に住む人には背振山麓は魅力がいっぱいです。
三瀬、古湯、熊の川、松梅などでの山の自然に親しんだ人たちが
有明の海まで足を運んで下さるよう、
他の地域の催しの情報を提供するようにします。

13日と14日は休ませていただきました。
畑の土をさわり、伸び放題の草を刈りました。
大汗をかいて、不純物が体から出て行ったような
すっきりした気持ちになりましたが、
それにしても、冷房の部屋での仕事が多く、
体がなまっていることを思わずにいられませんでした。

きょう(8月18日)から一週間、佐賀を留守にします。
旧三瀬村とフランスのクサック村の
姉妹縁組10周年を記念して、クサック村に招かれました。
少し休みをいただいて、イタリアに足を伸ばしてきます。

まだまだ残暑が続きます。
体調には充分ご注意下さい。

2008年8月4日(月)

今朝(4日)家を出たところで雨が降り出し
傘を取りに、300メートル駆け戻りました。
カラカラに乾いた田畑や庭、街路樹にはいい雨でした。
もう少し降って欲しかったですね。
土地の奥深くまではしみ込まなかったかもしれません。

ワシャワシャ鳴いていたセミも、雨が降る間は鳴きやみ
セミは憩いのひと時をすごしているようでした。
しかし出勤したばかりの市長室は蒸し風呂の暑さで、
私は、雨に慌て、蒸し暑さに苦しんだ朝でした。

中国の中日友好協会の5人が全国市長会の招きで7月末来日、
佐賀県では聖廟のある多久市と徐福の関連で佐賀市に来られました。
一行は、中国の先輩が異国の地で大切に祀られていることに
喜びを表しておられました。
こうした小さな交流が、日中友好に結ばれていくのだろうと思います。

8月1日に、エスプラッツの再開1年を記念する誕生会が開かれました。
佐賀市出身の女性のジャズ歌手の歌や三味線の演奏などで
再開を祝いました。
エスプラッツは、大変厳しい状況の中で再開して1年を耐え抜き
少しずつ上り調子になっています。
佐賀市の中心商店街をなんとかしようと出店してくださった人たちに応えて
多くの方が利用してくださるようお願いします。

 

7月30日と31日、8月1日は東京に要望活動に行きました。
1日目は、佐賀県の首長と商工会議所副会頭、
2日目は、大分市、久留米市の市長、
3日目は、福岡県南部と佐賀県東部の首長、と
関連のある事業ごとにメンバーを変えて
大臣や副大臣、官僚に、地方の実情を話して協力をお願いしました。
ぞろぞろ歩いているように見えますが、
お会いする相手が佐賀のことをご存知か、ご存じないのか
事前に情報を集めて、短い時間に最大の効果があるように
的確に要望するのは結構気を使うものです。

要望活動期間中に
6月末に72歳で亡くなられれた
鍋島家第14代当主の鍋島直要さんのお別れ会が
東京で開かれたので出席させていただきました。
お別れ会は荘厳に営まれましたが、
秋には佐賀で納骨式があるということです。

また東京の中央線沿線では
新宿と共に立川が賑わいを取り戻しているというので
要望活動の合間に、立川に行って見ました。
夕方の立川駅前の人の多さには驚きました。
周辺に大学が集まってきているとのことでしたが、
佐賀でも人の集まる施設を
市の中心部に移す必要を感じています。

人が行き交う立川の一部を切り取って
佐賀市の中心部に移す事が出来たらいいなと
夢のようなことを考えていましたら、
8月2日と3日の栄の国まつりは
夢が現実になったような思いをしました。
どこからやって来るのか、わんさわんさと人が現れ、
佐賀市の中心部は立川に劣らない人の群れで埋まりました。

前夜祭の2日は、よさこい踊りや夜の花火大会など
あわせて10万人近い人出でした。
花火大会は、県庁前付近の幹線道路を通行止めにして
集まった人々は道路に座り込んで、
目の前の佐賀城内から打ち上げられる2000発の花火を楽しみました。
警察や交通指導員、消防団の方々など
大勢の人の協力があってこそ出来る行事です。
栄の国まつりに協力して下さったみなさん、ありがとうございました。

佐賀市の中心部が祭りで賑わっているころ
山間部でも地域を守る取り組みが行われていました。

富士町の人々は
児童が10人を割って存続があやぶまれる
北山東部小学校を守ろうと
都会の子どもを受け入れる山村留学をしています。

山村留学は、子どもたちが地元の家に長期間ホームステイしますが、
夏休みを利用して短期間の山村留学が行われ
佐賀市の中心部や福岡の子ども20人余りが3泊4日の山村留学を体験しました。
留学を終えた子どもたちのお別れ会が3日に開かれ出席しました。
自然が一杯の中で野山や川を駆け回った子どもたちは、
まぶしいほど、たくましそうでした。

幼い小学生が、知らない人の家に泊まり込んで生活する強さに驚きました。
また子どもを預かる人を信じて、子どもを送り出す両親など保護者の
勇気に驚き、共感しました。

同じ日、三瀬村では、消防団の夏季訓練が行われていました。
猛暑の中で訓練する人々の姿は美しくさえありました。
各地で躍動する人々に感激した夏の数日です。

2008年7月

2008年7月30日(水)

猛暑の中、各地で夏祭りが開かれています。

26日(土)に諸富の「夏の夜のメルヘン」に
顔を出させていただきました。
今年で17回目で、自治会やボランティアなど、実行委員会の人たちが
汗びっしょになりながら、手作りの夏祭りを運営しておられました。

子どもの龍踊りや、町民総踊りなどのあと
3000発の花火が夏の夜を彩っていました。

筑後川を挟んでお隣の福岡県大川市と合同で
花火大会をしようという計画もあるようです。
佐賀市と大川市の市民が
筑後川の上に打ち上げられる花火を楽しみながら心を通わせ、
経済活動などさまざまな交流が深まることを期待します。

28日の佐賀空港開港10周年の記念式で、
「福岡県南部の筑後地域に住む人たちに
佐賀空港を利用してもらうアクセス道路になる
有明海湾岸道路の整備が求められている」と挨拶しました。

27日の日曜日に佐賀県の消防操法大会が開かれ
佐賀市からは訓練礼式の部に富士町
ラッパ吹奏の部に大和町が出場し
大和町はラッパ吹奏の部で優勝しました。
みなさん、早朝や夕方、60日から70日間、訓練をしての参加です。
出場された方や、支えた地域や家庭の皆さん、ご苦労さまでした。

28日(月)、公共下水道の終末処理に関する勉強会が開かれ
先進的な取り組みをしている
大牟田市の女性農学博士が講演されました。

佐賀市は前市長時代に、
ドイツの技術を取り入れ5億円の設備投資をしましたが、
大牟田市は、処理施設の運転や操作方法を工夫することで
ドイツの技術に匹敵する効果をあげているそうです。

佐賀市の職員とメンテナンスを担当する企業の人たちは、
問題点をひとつひとつ克服しながら新しい運転方法を確立し、
はじめ予定されていた設備投資の追加は必要なくなりました。
コスト削減に懸命に取り組んでいる職員集団を讃えます。

下水道の終末処理場は
汚れた水をきれいに処理する所ですが、
宝の海の有明海に放流する佐賀市の処理場は
ただ、きれいな水を流すだけでなく、
ノリ養殖や、魚介類の生息に必要な水を流す必要があると思っています。
担当職員たちは、それに向けても努力しています。

このところ食事の出る会合への出席などが重なり
妻の手作りの弁当を食べることができません。
心のこもった弁当を食べて、少しの間ほっとするという
至福の時間を持つ事が出来ない上、
猛暑と冷房にさらされて、喉がおかしくなりダミ声になってしまいました。

毎朝妻と一緒に参加する本庄神社でのラジオ体操は
だんだん参加する人が増えています。
子どもの数は変わりませんが大人が増えています。
日によっては神社の境内に入りきれないほどです。
「朝ラジ、まなざし、朝ごはん」の呼びかけが浸透してきたのでしょうか。
親子でラジオ体操する様子を見るのは楽しいものです。

 

2008年7月22日(火)

猛暑の日々が続きますが、子どもたちは大好きな夏休みです。
佐賀市は
「朝ラジ、まなざし、朝ごはん」というメッセージを
市民に発信しています。
朝、ラジオ体操に参加、そのあと朝ごはんを食べて、元気な体を作ろう。
地域の子どもたちに、暖かいまなざしを向けて、
みんなで守り育てようという願いのこもった言葉です。
長い休み、勉強はほどほどに、自然に親しんで下さい。

 

夏休みに入ったばかりの7月19日に
東与賀でラジオ体操会が開かれ参加しました。
NHKが昭和56年にラジオ体操の中継放送をして以来
毎年開かれ、今年は28回目です。
東与賀は地域をあげて健康つくりに取り組んでおられます。
ラジオ体操会が終わったころ突然土砂降りの雨になり、
世話役の人たちを慌てさせました。
こうした方々がラジオ体操会や地域を長年支えてきたのでしょう。

朝のラジオ体操は長い休みを規則正しく健康にすごすのに役立ち
大人と子どものふれあいの場でもあります。
お母さん、出勤前のお父さんも、近所の神社や寺、広場などに足を運んで
子どもたちと一緒にラジオ体操をして下さい。
私は妻と一緒に本庄神社で行われるラジオ体操に
出来るだけ参加するようにしています。

東与賀のラジオ体操会のあと、
国土交通省が東与賀と川副で行っている海岸堤防の工事を視察して、
大和町で開かれた少年野球大会に行きました。

少年野球チームの監督やコーチ、大会を運営している役員の中に
佐賀市職員や職員OBの顔がたくさんありました。
先週の「妻のぼやき」で、
「地域活動に積極的に参加しない市職員がいる」と
同級生に叱られたと、妻が書いていましたが、
ふとどきな職員も居る一方で、多くの職員は市民と共に歩いてくれています。

7月20日には佐賀市民体育大会が幕開けしました。
市内29校区から488チーム5000人が参加する大会です。
開会式では、新たに合併した東与賀、久保田、川副のチームが
真ん中に並んでいました。
この大会も今年で61回です。
昭和の大合併前の旧佐賀市のころは参加選手はどうだったでしょうか。
大選手団が揃う、この大会まで多くの先人たちが苦労と努力を重ねられたことでしょう。

7月15日に東京から帰ったばかりでしたが
中1日おいた17日、再び東京に出かけました。
有明海沿岸道路の整備促進を国に要望するためで、
佐賀市、小城市、鹿島市、白石町の、首長と議長、
県と県議会の有志20人余りで国土交通省などに出向きました。

有明海沿岸道路は
福岡県大牟田から佐賀県の鹿島を結ぶ道路で、
福岡県側はほぼ完成しましたが佐賀県側は大幅に遅れています。
最近、福岡県南部地域の市などから、
「新しい福岡空港を作るのではなく、佐賀空港に機能を移転すればいい。
そのためには、筑後地方と佐賀空港を結ぶアクセス道路として
有明海沿岸道の整備を急ぐべきだ」という意見が寄せられています。

そこで、これまでは他の道路や港湾事業と一緒に国に要望活動をしていた
有明海沿岸道路だけを切り離して、強力な要請活動をしました。
国などは理解してくれたようですが、
道路財源は厳しいものがあり楽観は出来ません。
財源が豊かだったころ、働きかけを強くしておればよかったと思います。

自宅に、ウコッケイ2羽を飼っている大きめのトリ小屋があります。
小屋はスズメなどが入らないように金網で囲っていますが、
小屋の下の土から這い出たクマゼミが金網から出られずに飛び回っていました。
7年も8年も土の中で暮らして、
やっと出てきてウコッケイの餌になるのでは可愛そうです。
金網から逃がしてやると、クマゼミは天空に一直線に昇って行きました。

先の大雨のときは、
樋門にひっかかって動けなくなっていた亀を助けました。
亀やクマゼミの恩返しは期待していませんが、
生き物を助けると、いい気分になります。

猛暑が続きます。
何度も繰り返しますが、
水分と休養をとって熱中症にならないよう、お気をつけ下さい。

2008年7月17日(木)

「暑いですね」というのが、毎朝の挨拶になってしまいました。
暑さとともに、セミが鳴き始めました。
温暖化のせいか、クマゼミが増えて、
ニイニイゼミの姿をあまり見なくなりましたが
ここ数日、朝早くバス停に向かって歩いていると
チイチイーというニイニイゼミの声を聞きました。
「まだ居てくれたか」と嬉しくなりました。

今月は慌ただしい日が続いています。
7月8日、平松老人センターで開かれた老人大学で
2時間の約束でお話しをさせていただきましたが、
急に諫早干拓の開門を農林水産省に要請することになり
話を30分で切り上げさせていただき、
あとを佐賀市の政策審議官にまかせました。

開門要請は、佐賀県知事などと一緒に行い
農水大臣や副大臣、自民党の役員の方々にお会いしました。
長崎県側は農業などに影響が出ると開門に反対していて、
板挟みなって悩んでおられる人もいました。
私達は、開門しても農業は成り立つ、甚大な被害はないとして
開門を要請しています。
事前に充分な調査をせずに干拓工事を行った手抜きの影響を
後世の人たちが受けています。

7月10日に北川副で市長と語る会を開きました。
平日の昼間、しかも猛暑の中、
60人の方が集まって下さり、市政へのさまざまなご意見をいただきました。
ありがとうございました。

7月11日には、医師会、歯科医師会、薬剤師会の
3師会の役員の方々と意見交換をしました。

医療機関は地域の人が安心して暮らすために欠かせないものです。
行政と医療関係者の信頼関係が崩れると
地域で暮らす人たちの安全、安心が脅かされます。
お互いの理解と信頼を深めるために
充実した意見交換が出来たと思います。

地方の医療機関の医師不足は
地域医療の現場を知らない厚生省の役人が作った政策から来ています。
国には誤りを正してもらわなくてはなりませんが、
私は地域の医療を守るために頑張ります。
佐賀市も富士大和温泉病院を持っています。
赤字ですが、地域の健康を守っている市立病院の売却は考えていません。
赤字の理由を市民に説明して
納得していただけるよう職員も努力しています。

自宅近くにある鍋島直茂候生誕の碑がある広場は
夏草が茂ってきました。
そこで週末の土日、いずれも2時間ばかり草刈をしました。
最後にほうきで掃除すると、手に豆ができました。
ヤワな手になってしまったと、恥ずかしい思いがしました。

 

家の近くの水路も草に覆われ気になっていたので
月曜日の出勤前に半長を着て川に入り草刈をしました。
時間が無かったので急いで作業をしたあとスーツに着替えて仕事に出ました。
熱を帯びた体は、なかなか冷えず、熱中症に似た症状になりました。
猛暑はこれからです。
皆さん、炎天下での仕事は、ほどほどに、そして体を休めながらして
充分な水分を摂って熱中症にならないようにして下さい。

このところ出張続きですが、
このあとも、道路、河川の整備などで国への要望活動が続きます。

2008年7月7日(月)

先週の月曜日(6月30日)
廃止されていた久保田へのバス路線が復活しました。

復活したバス路線は
森林公園~久保田総合センターの2キロ余りで、
佐賀市のバスセンターと久保田総合センターまでがつながります。
この路線は、ずっと以前は佐賀市営バスが走っていました。
その後民間のバスが運行しましたが、結局廃止されていました。

地元からバス路線の復活を求める声が強く、
6月30日から佐賀市営バスが往復18便が運転しています。
運行開始式に出席して、地元の人たちと喜びを分かちあいました。

運転開始の初日に乗ってこられた2人連れのおばあさんが、
「バスが来るようになってよかった」と話しておられました。
車を運転できない弱者は、移動手段はバスしかありません。
地域社会を維持するためにも公共交通機関は必要です。
一方で佐賀市の税金をつぎ込める限度もあります。
地域の交通手段を維持するために、ぜひバスをご利用ください。

青少年の健全育成のための
市民総ぐるみの活動が7月3日の夜行われました。
1000人を越える人が出て
非行の温床になりやすい場へのパトロールや
無灯火の自転車への注意の呼びかけなどが行われました。

私は大財の交差点に立って、
無灯火の自転車に乗った高校生などに声をかけました。
高校生の半数は無灯火で、
注意すると「ハーイ」と答えてライトを点けていました。
ただ、折りたたみ式の小型自転車には、
最初からライトが付いていないものもありました。
ライトの付いていない自転車を販売する大人に問題があります。

また、注意の呼びかけを無視して通り過ぎる男性もいました。
きちんとした身なりをしていて、責任のある場で働いている人のようでした。
今年から「子どもへのまなざし運動」を展開していますが、
大人への指導、呼びかけも必要なようです。

7月5日と6日の週末
三瀬の、どんぐり村で環境をテーマにしたプラネットジャムが開かれ、
私は5日の夜出かけました。

会場の電力は全て太陽光発電でまかなわれ、
訪れる人はマイカーでなくバスを利用しました。
古古米を利用したゴミ袋が配られ
ゴミの分別も徹底して行われました。

主会場では環境や平和をライフワークにしている
7組のアーティストのライブが行われました。
私は音楽どころか名前も聞いたこともない人たちでしたが、
4000人の観衆と一体になった舞台を作り上げる
プロの音楽はさすがでした。

どんぐり村の風は涼しく、辺りは美しい夕焼けにつつまれました。
夕焼けを見ながら、
「夕焼けこやけの赤とんぼ」と大合唱したいなと思いましたが、
そんな童謡はありませんでした。

環境問題については、ほとんどの人が関心があり、話はされます。
しかし、誰かがするだろうと考え、自ら取り組む人は多くありません。
地球のあすを守るために、自分たちの問題として受け止める、
気付きの機会になって欲しいと思いました。

7月4日、アメリカの独立記念日が私の誕生日です。
66歳になった日の早朝、
いつものように、私を産み育ててくれた両親の墓に参り
実家の仏壇で手を合わせました。

 

私は小学校4年のとき、肺炎にかかったほかは
病気らしい病気をしたことがありません。
元気な体を授けて、これまで見守ってくれた両親に感謝して
これからも、頑張ることを誓いました。

梅雨明けと共に猛暑になりました。
休養と水分を充分とって
熱中症などにならないよう、お気をつけ下さい。

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